ラ・ロシェールの上空に停泊しているトリステイン艦隊旗艦『メルカトール』号の甲板で、一人の士官があくびをしていた。まだまだ若く働き盛りの青年である。
「ふあぁ…。アルビオンのお偉いさんはまだ来ねぇのかよ、暇でしょうがねえぜ…」
そんなことを言っていると、彼と同期の士官が苦笑しながら彼に話しかけてきた。
「あんな恥知らずどもの歓待しなきゃいけないなんて、おれらも貧乏くじ引いたなぁ」
「まったく、とっとと酒飲みに帰りてえ気分だ」
アルビオンの『レコン・キスタ』にいい印象を持っていない彼らはがっはっはと笑い合う。そんなこんなで待っていると、左上方からアルビオン艦隊が降下してくる。
その先頭にいる『レコン・キスタ』最強の戦艦『レキシントン』号の迫力に、二人の士官は緊張を隠せなかった。
「で、でけぇ…」
「ここが戦場だったら、酷い目に遭うのはおれたちの方だろうな。見ろよあの砲門の数!」
アルビオン艦隊が大砲を放つ。礼砲は弾を込めずに火薬のみを爆発させるものだが、空気を震わせるその迫力は軍人でも身震いするほどだ。
上官が艦長からの命令を指示してくる。
「答砲用意ッ!!順に七発、準備ができ次第撃て!!」
「ははは、七発だってよ!司令長官殿は意地を張ったらしい!」
最上級の貴族には十一発と決まっているので、上官がアルビオンに舐めた真似をしていることに気づき笑いをこぼす。
…しかし、彼らが笑っていられたのはそこまでだった。四発目の答砲を終えた彼らは、アルビオン最後尾にある小型艦が燃えていることに気づく。
「……あん?なんか燃えてねえかあの小型艦…?」
「……え、そんな馬鹿な…!?」
「いや、気のせいじゃねえやっぱ燃えてるぞ!どうなって……!!?」
火災を起こしていた小型艦が空中爆発を起こして木っ端みじんになる。その様子を見ていた水兵たちは呆然と立ち尽くすしかなかった。
「「…………は?」」
彼らは予想もしていなかった事態に混乱する。その混乱が収まらぬ中、『レキシントン』号の一斉射撃が『メルカトール』号に襲い掛かった。
「……は?」
自分の同期が砲弾でぐちゃぐちゃに吹き飛ぶのを、男は血まみれになりながら直視することになった。
「……な…何が起きてるんだよ…!!?おい、誰かせつめ」
二度目の一斉射撃は哀れな青年士官の命を刈り取った。……何が起きたのかわからないまま逝けたのは、逆に幸運だったのかもしれない。
この時アルビオンが行ったのは、卑劣なだまし討ちだったのだから…。
トリステイン艦隊を瞬く間に壊滅させたアルビオン軍は、ラ・ロシェール近郊のタルブの村を襲撃した。
上空から竜騎士たちが飛んできて、村に火のブレスを吐きかける。その様子をシエスタは呆然と見ているしかなかった。
「……どう、して…?」
「ね、ねえちゃん!早く逃げよう、このままじゃ殺されちゃうよ!!」
弟にそう言われた彼女は、慌てながらも幼いきょうだいたちを連れて逃げようとする。すると、家の中から父が出てきた。背中には気を失った母の姿もある。
「シエスタ、無事か!?」
「お、お父さん!お母さん、どうしたの!?」
「大丈夫、気絶しているだけだ。…くそ、アルビオン軍め…!不可侵条約を結んだ矢先に戦争を仕掛けるなんぞ前代未聞だぞ…!」
父は怒りを隠そうともしない。彼は自身の妻をシエスタに預けてきた。
「……シエスタ、母さんを頼む。戦えない人たちを南の森に避難させるんだ」
「お父さんは…!?」
「村をこれ以上破壊させてたまるものか!弓砲台で奴らを叩き落としてやる!!」
「そ、そんな……。一緒に逃げよう、お父さん!」
シエスタは父を止めようとするが、彼は首を振った。娘の提案は嬉しいが、今逃げてしまえばタルブの村は灰も残さずに燃え尽きてしまうとわかっているからだ。
「それはできん。さあ、早くいけ!火の手が回れば逃げられなくなるぞ!」
「……し、死なないでね…。まだ、わたし親孝行も満足にできてないのにお別れなんかいやよ…!」
シエスタは泣きそうな顔でその場を後にする。シエスタの父は、空を好き勝手に飛ぶ竜騎士に獰猛な笑みを向けた。
「このままでは終わらせんぞ…!!タルブの村の英雄よ、わたしに勇気を分けてくれ…!!」
一方そのころ、ウェディングドレスに身を包んだアンリエッタは呆然とした顔をしていた。ゲルマニアに向かう準備で忙しいところに、アルビオンが宣戦布告を叩きつけてきたのである。
すぐに将軍や大臣を集め会議を開いたが、話はまったく進まない。アルビオンに特使を派遣し、和平会議の打診をしたものの返答はなかった。
「タルブ領主、アストン伯戦死!」
「偵察に向かった竜騎士隊、帰還せず!」
昼になっても状況は悪化するばかりだった。それでもなお、不毛極まりない会議は続いている。
「ゲルマニアに軍の派遣を要請するべきです!」
「そのように荒事にしてはいかん!」
「すべての竜騎士隊で上空から攻撃するべきだ!」
「そんなことしても兵の無駄だ!残りの艦をかき集めて突撃だ、古かろうが小さかろうが構わん!」
「と、特使の派遣を…。攻撃すれば相手の思うつぼですぞ…!?」
マザリーニも結論を出しかねている状況で、アンリエッタは自身の薬指に嵌めた『風』のルビーをじっと見つめていた。
(ウェールズ様…。あなたなら、こんな時どうするのですか…?)
『風』のルビーは答えない。それでもアンリエッタは、自分が誓ったことを思い出した。
(彼が勇敢に死んでいったのなら、わたくしは勇敢に生きてみよう…。…あの時、そう誓ったのは自分なのです。他の誰でもない、自分自身が決めたこと…!!)
「タルブの村、炎上中!」
アンリエッタは急使の声で我に返る。すぅっと深呼吸をしてから、彼女は立ち上がった。
「………いい加減にしなさい!!あなたがたは恥ずかしくないのですか!?」
「ひ、姫殿下…!?」
「国土が敵に侵され、今も民は血を流している…。そんな非常時に同盟だ特使だと騒ぐ前にやることがあるでしょう、違いますか!?」
「し、しかしですな…。これは誤解から始まった小競り合いでして…」
「誤解…誤解ですって?いくら軍人でない者でも、礼砲で艦を撃沈されたなど酷い言いがかりだとわかりますわ!」
アンリエッタは歯を噛みしめながら怒りを抑えている。
「我らは不可侵条約を結んでいたのですぞ、姫殿下」
「ええ、なんと脆い約束でしょうね!もとより守るつもりなんてなかったのでしょう、時間稼ぎとだまし討ちのための口実にすぎません!『レコン・キスタ』は明確に戦争の意思があってすべてを行っていたのです!」
「し、しかし…」
アンリエッタはテーブルを勢いよく叩き、大声で叫んだ。あまりにも消極的で怒りが沸点を突破してしまったのである。
「こうしている間にも、民は苦しんでいるのです!!彼らを守るために戦うのが貴族の務めなのではないのですか!?
何のために我らは、貴族や王族を名乗ることを許されていると思っているのです!」
言い返す者はいない。あまりに情けない彼らに、アンリエッタは冷ややかな目を向ける。
「…怖いのですね?……なるほど、確かに敵は強大。弱小国のトリステインでは反撃しても勝ち目は薄い。敗戦後に責任を取らされるより、『レコン・キスタ』に尻尾を振って甘い汁をすすった方が何倍もいいと……。…………ふざけるのも大概にしなさい!!」
「姫殿下ッ!!いくらなんでも言い過ぎでは…」
マザリーニがたしなめるものの、アンリエッタの決意は揺るがなかった。
「ならば、わたくしが率います。あなた方はそうやって一生会議を続けていなさい」
アンリエッタはそのまま会議室を出ていこうとする。マザリーニたちは慌てて彼女を止めようとする。
「姫殿下!?お輿入れ前の大事なお体ですぞ!」
「ええい、走りにくいっ!」
アンリエッタはドレスの裾を引きちぎると、マザリーニに投げつける。
「あなたが結婚すればよろしいわ!」
「そんな無茶な…!」
宮廷の中庭に出た彼女は大声で叫んだ。
「わたくしの馬車を!近衛、参りなさい!」
ユニコーンに繋がれた馬車が引かれてくる。中庭に控えていた近衛の魔法衛士隊が集まるのを確認したアンリエッタは、一頭のユニコーンを馬車から外すとその上に跨った。
「これより全軍の指揮はわたくしが執ります!各連隊を集めなさい!」
アンリエッタの宣言に、魔法衛士隊の士気は最大限に高まった。…彼女は、図らずも『ロード』の役目を果たしていたのだ。
『ロード』は必ずしも武勇に優れている必要はないし、軍略に長けている必要もない。…『ロード』に必要なのは、人を動かすカリスマである。
「姫殿下に続け!!」
「続け、遅れを取っては家名が泣きますぞ!!」
中庭の貴族たちが麗しき王女に続いて出陣していく様を、マザリーニはぼんやりと見つめていた。彼はそのまま天を仰ぎ思考を巡らせる。
(……どんなに頑張ろうと、いずれアルビオンとは戦争が起きていた。準備が整っていない段階で挑んでも勝ち目はない、負ける戦などもってのほか。
……しかし、もはや外交の余地はない。姫の言う通り、騒ぐ前にやることがあるじゃないか…!)
「す、枢機卿。特使の派遣の件ですが…」
「黙らっしゃい!!」
マザリーニは諦めの悪い貴族の頬をひっぱたいた。
「へぶッ!?」
「おのおのがた、馬へ!姫殿下一人で戦場に行かせたとなれば、末代までの恥ですぞ!!」
魔法学院に知らせが届いたのは、襲撃が起きた翌日の朝であった。式に出席するための準備をしていたオスマンは、王宮からの使者に驚いた。
「…だ、誰じゃねきみは?」
「王宮からです!アルビオンが宣戦布告、姫殿下の式は白紙になりました!」
「……なんという…。戦況はどうなっとる?」
「……敵は現在タルブの草原に陣を張り、ラ・ロシェールに展開した自軍とにらみ合っています…。こちらの艦隊は不意打ちでほぼ壊滅、対して敵は『レキシントン』号含め健在です」
オスマンはため息をついた。
「敵の策に、まんまと嵌められてしまったか…」
「敵の竜騎兵によってタルブの村は焼かれているそうです…。村の人間が抵抗しているようですが、このままでは…。ゲルマニアの援軍は、三週間後とか…」
「………じゃろうな。まだ同盟は締結しておらんから助けは期待できん。三週間もあれば、城下町を落とすのは簡単じゃろうて…」
ベレトとルイズは学院長室で聞き耳を立てていた。明らかに様子のおかしい王宮の従者が、ルイズたちを無視して学院長室に直行したのを怪しんだのだ。
ルイズはいきなり戦争が始まったことにショックを受けたようで震えていた。一方ベレトはタルブの村が戦火にさらされたことを知るや否や走り出す。
「せ、
「タルブの村だ!シエスタを救助に向かう!」
「む、無茶よ!いくら
「…それは地上を正直に進むからだ。『竜の羽衣』なら空を飛べる、コルベール先生のところに行くぞ!」
ルイズはしがみついてでも止めようとするが、ベレトは彼女にケガをさせないように注意しながらも進むのをやめなかった。
「あんなので艦隊全部を潰せるわけないでしょ!!?いくら飛べても砲台でやられるわ!おとなしく王軍に任せて…」
「ほぼ壊滅したと言っていたじゃないか。あの『レキシントン』も出てきているから、空は敵のものだ」
「……し、死んじゃうかもしれないのよ…!!」
「…………死なないよ。自分はガンダールヴで、きみの
ベレトはルイズの目をじっと見つめながら語りかける。ルイズは泣きそうな顔で彼を罵った。
「…ばか、
「……ルイズと自分は似た者同士だと思ってるよ。さて…コルベール先生、いるんだろう!?」
傭兵はコルベールの研究室の扉を強く叩いた。寝ぼけた顔をしていた彼はあくびしながら首をかしげている。
「ふぁ…、何か用かねベレト先生」
「油の量産はできたか?」
「ああ、
「ちょっと急ぎの用ができた!眠いだろうが我慢してくれ、人の命に関わる!」
「………むう、わかったわかった。きみの頼みだ、そのくらい余裕だとも」
そんな会話をしていた彼は、ルイズの姿が見当たらないことに気づく。まあ、今回自分の都合でルイズを無理やり連れていくのもなんだかなぁと思っていたベレトは『竜の羽衣』へ向かった。
彼は『竜の羽衣』に乗り込み、飛行準備を整える。ブレーキを外すと異界の飛行物体は飛び立つために前に進みだした。
「………飛ぶには距離が足りないか…!」
『アウストリ』の広場は狭くはないものの、離陸するための滑走路にするには足りないとルーンが教えてきたのだ。
その時近くに立てかけていたデルフリンガーが口を開く。
「相棒、あの貴族に追い風を吹かしてもらえ!そうすればこいつはこの距離でも飛べるはずだ!」
「ああ、ありがとうデルフ!」
ベレトは風防を開けてコルベールに風を吹かしてくれとジェスチャーを送る。コルベールはその様子を見て状況を把握してくれたのかうなずくと、呪文を詠唱して烈風を起こす。
傭兵はシエスタの曽祖父が付けていたゴーグルをつけた。
(………シエスタのひいおじいさん、力を貸してくれ。あなたのひ孫ともう一つの故郷を守るために…!)
滑走する『竜の羽衣』が、魔法学院の壁に近づいた。傭兵は目を背けることなく加速を続ける。
「…今だッ!!」
ベレトがぶつかる寸前で操縦桿を引くと、『竜の羽衣』はふわりと浮き上がった。コルベールは呆けたように『竜の羽衣』が飛んでいくのを見ていたが、すぐに奇声をあげながら喜びを全身で表現した。
「………や、やったああああ!!すごい、すごいぞ!!ああ、なんということだ!」
一方、上昇していく『竜の羽衣』に異常がないことを確認しながらベレトは後ろに向かって呟いた。なにやら嫌な予感がしたのだ。
「………ルイズ、そこにいるのか?」
しばらくすると聞き馴染みのある声が聞こえてくる。ルイズは先回りして『竜の羽衣』に隠れていたのだ。
「………置いてかないでよ!」
「…今回は自分の都合なんだしついてこなくてもよかったんじゃないか?」
「死なないって言ったのは
「命知らずにも程がある!…まったく、困った主人だな」
ベレトはその言葉と裏腹に笑顔を浮かべていた。後ろで聞いていたルイズはちょっとカチンときたものの、間違ったことは言ってないので口を閉じる。
「…むぅ」
「さて、心の準備はいいか?そろそろタルブの村が見えてきてもいいころだ」
『竜の羽衣』は戦場になったタルブの村へ一直線に飛んだ。