ゼロと師   作:シャザ

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3章 ラグドリアン湖の恋人たち

 トリステイン王国と隣国ガリア王国の国境近くに存在するラグドリアン湖は、ハルケギニアの名所で有名である。

 この湖は水の精霊と呼ばれる、人ならざる先住民の住処でもあった。水の精霊を見たものはその美しさでどんな悪人も改心させると言われている。そんな彼らは誓約の精霊とも呼ばれ、彼らの前でなされた誓約は決して破られることはないと伝わっていた。

 …が、彼らはほとんど姿を現さないことで有名で確かめるのはほぼほぼ不可能であった。

 

 

 三年前、このラグドリアン湖にウェールズは一人で訪れていた。トリステインの太后(たいこう)(アンリエッタの母親)であるマリアンヌの誕生日祝いの園遊会に参加していた彼は、水の精霊に出会えないかなぁと軽い気持ちで散歩をしていたのである。

 

「まあ、さすがに出てこないか…。こんないい月夜なんだから、惹かれて出てきてもいいのにと思うのは僕だけかな?」

 

 それならそれで静かなラグドリアン湖を楽しめると、ウェールズは気にしていなかった。

 …その時、彼は湖を誰かが泳いでいるのを見つけた。遠目から見ても美しいその少女に、彼はハッと息を吞む。……それに気づいたのか、彼女はウェールズの方を向くと顔を赤くして両手で身体を隠した。

 

「……だ、誰!?」

 

 ウェールズは困ったように頬をかいた。図らずも婦女子の水浴びを覗いてしまった形なのでなんと返そうか迷ったのだ。

 

「無礼者、名乗りなさい」

 

「……怪しいものじゃないよ、僕は散歩していただけだ。…きみこそどうしてこんな夜更けに水浴びを?」

 

「むぅ…。だから名乗りなさいと申しているのです!わたくしはこれでもさる国の王女、面倒ごとになる前に名乗って立ち去った方がいいですよ!」

 

 それを聞いたウェールズはあっけにとられたような顔で少女を見る。彼女が何者なのか、彼には心当たりがあったのだ。

 

「………アンリエッタ?」

 

 彼女は王女としての顔を放り投げ、年相応の少女のように怯え始めた。

 いきなり自分の名前を呼び捨てにされ、怒りよりも恐怖が勝ったようだ。

 

「…ひっ…!だ、誰なの…!?」

 

「あっはっは、ごめんごめん!僕だよアンリエッタ!アルビオンのウェールズだ、きみの従兄(いとこ)だよ!」

 

「……ウェールズって…あのウェールズさま?」

 

 困惑している彼女にウェールズはうなずいた。

 

「そうそう、王家のウェールズ・テューダー。今日の夜、父と一緒に到着したばかりさ。…驚かせてすまない、あの有名なラグドリアン湖を散歩したくてね」

 

「いやですわ、もう…」

 

 

 浜に上がったアンリエッタが服を身に着けている間、ウェールズは紳士らしく後ろを向いて待っていた。

 

「こちらを向いても構いませんわ」

 

「…わかった」

 

 二人は向かい合う。その瞬間、彼らの中に熱い炎のような何かが揺らめいた。

 

「………あ」

 

「…………綺麗になったね、アンリエッタ」

 

 アンリエッタは顔を赤くして動揺した。……そんなことを異性に言われた経験など全くないのである。

 

「そ、そんなことはありませんわ」

 

「そんなことあるさ。だって、あの瞬間僕はきみに見入ってしまったんだ」

 

「まあ、お冗談が上手ですのね!」

 

 アンリエッタは冗談だと捉えて微笑んだが、ウェールズは真剣な顔で彼女を見つめている。

 

「冗談じゃないよ、アンリエッタ。水の精霊を見たことはないけれど…きみは、それよりもずっと美しい」

 

「………もう、困ることばっかり言って…」

 

 

 恋に落ちた彼らは、それから毎日夜に逢瀬を重ねて親密になっていった。その時間が有限であることは二人とも知っていたからだ。…園遊会が終われば、もうこうして出会えなくなる。

 アンリエッタはフードを深くかぶり、ウェールズは仮面をつけて顔を隠しながら水辺へと走った。

 待ち合わせの合図を確認した恋人たちは、予め決めていた合言葉を口にしあった。

 

「風吹く夜に」

 

 ウェールズの合言葉に、アンリエッタは嬉しそうに返事を返す。

 

「水の誓いを」

 

 二人は仲良く手をつないで湖畔を散歩する。

 

「…今夜は遅かったねアンリエッタ。ばれたのかと思って冷や冷やしたよ」

 

「ごめんなさい、晩餐会が長引いて…。どうして酔っぱらいは話が長いのかしら…?こっちが飽きているのに関係なく話を続けるのよ?」

 

「あっはっは、わかるなぁその話!僕の友人も酔っぱらうと話が長くて長くて…。…ところで、このところ毎日抜け出しているけれど大丈夫なのかい?」

 

 ウェールズが心配そうに尋ねると、少女はいたずらっぽく笑った。

 

「平気です、だって影武者がいますもの」

 

「影武者!物騒だねそれは!」

 

「まあ、そんな大したものじゃないんです。先日の昼食会でわたくしと一緒にいたおともだちに頼んで…」

 

 数秒考えたウェールズは、アンリエッタの周囲を歩き回っていたやせっぽちの女の子かと思い出した。アンリエッタを横目で見るのに夢中で印象が薄いが…髪の色は覚えていた。

 

「彼女がわたくしの格好をして、ベッドに入ってくれているのです。布団を頭からかぶっているので顔が見えることはありませんわ」

 

「あの子、髪が桃色がかったブロンドだろう?きみは綺麗な栗色だから暗い夜でもバレそうだ!」

 

「髪を染める魔法の染料を調合していますから。……でも、良心が痛みますわ。実は彼女にはウェールズさまに会うことを言ってないんです、きっと一人で散歩してるものだと思われているでしょうね…」

 

「なかなか悪知恵が働くんだね!」

 

 ウェールズは楽しそうな笑顔を見せる。アンリエッタは慌ててウェールズの口を手でふさいだ。

 

「しっ!大声を出したらバレるかもしれませんよ!?」

 

「なに、こんな場所で聞き耳を立てるのはそれこそ水の精霊くらいだよ。…一度でいいから見てみたいなぁ」

 

「あら、わたくしに会いに来てくれているわけではないんですか。はーーー…」

 

 アンリエッタはウェールズに対してすねたような態度を取る。ウェールズは立ち止まると、恋人の顔を両手で優しく挟み唇を近づけた。

 

「………ん」

 

 アンリエッタは全く抵抗せずにキスを交わす。長く長く、熱がお互いに残るように。

 

「きみが好きだ、アンリエッタ」

 

「わたくしも、お慕いしております…!」

 

 アンリエッタを抱きしめ、ウェールズは寂しそうに笑った。

 

(……こうして彼女と恋人で居られる時間は、もうすぐ終わってしまうだろう。お互い結婚の相手は政治で決めなければいけないし、このことを誰かが知ったらもう二度と出会うことは許されない。王族とはそういうものだ…)

 

 それでも、彼はできる限り明るい声で恋人に語りかける。

 

「…ははは、面倒な星に生まれたものだね、お互いに…。こうやって過ごすのにも、犯罪者のように身を隠しながらじゃないといけないだなんて…!…一度でいいから、ラグドリアン湖を太陽の下で誰にも咎められることなくきみと歩きたいものだ」

 

「……ラグドリアン湖に住む水の精霊は、『誓約の精霊』とも呼ばれていますわ」

 

「知ってるよ。でも、きっと迷信だ。彼らの前で誓約をした人がその誓約を生涯守り通したなんて保証はどこにもないんだから…」

 

「それでも、わたくしは信じます。それがいずれ叶うのなら、いつまでも信じますわ。……いつまでも…」

 

 十四歳の少女は、泣き笑いでそう答えた。そのまま彼女は水の中に入る。

 

「トリステイン王国王女アンリエッタは、水の精霊の御許(みもと)で誓約いたします。…ウェールズさまを永遠に愛することを…」

 

「アンリエッタ……」

 

 ウェールズは泣いているアンリエッタに微笑みながら彼女を抱きかかえた。

 

「…身体が冷えちゃうよ」

 

「…別にいいですわ。ウェールズさまも誓ってくださいまし」

 

 ウェールズは、少しの間祈るように考え込んだ。

 

「……そうだな、これがいい。…アルビオン王国皇太子ウェールズは、水の精霊の御許(みもと)誓う。いつしか、トリステイン王国王女アンリエッタとこのラグドリアン湖で太陽のもと、誰にも咎められるようなことなく堂々と、手を取り歩くことを…誓ったよ」

 

 アンリエッタはウェールズに聞こえない声量で悲しそうに呟いた。

 

「………愛を誓っては、くれないのですね…」

 

 二人は、その後もラグドリアン湖を見つめ続ける。彼らの心とは裏腹に、その風景は幻想的に煌めいた。

 

 

 …そして、現在。

 アンリエッタは、『奇跡の聖女』として祭り上げられることになった。絶望的な戦況をひっくり返しアルビオン艦隊を打倒したアンリエッタは、女王としてこの国を統治するのである。

 ゲルマニア皇帝との婚約も解消し、彼女は自由を掴んだのだ。

 

 …しかし、それでも。

 彼女の心は曇天であった。その顔に暗いものを見たマザリーニはため息をつきながらアンリエッタに問いかけた。

 

「……ご気分がすぐれないようですな、殿下。この馬車ではいつもその顔を見ている気がしますわい…」

 

「……やはり、即位せねばならぬのですか?」

 

「無論。まさか、あの戦いで勝てるとは誰も思っていなかったのです。その奇跡の対価としては安すぎるくらいの大勝利ですからな…。もはや、トリステインは弱国では済まされないことは分かっておられるでしょう?」

 

 アンリエッタの顔は曇ったままであった。彼女の母マリアンヌは、父を想って喪に服した。ならば自分がそれに倣ってもいいのではと考えていたのだ。

 

「…母のように喪に服し、王座を空位にしては駄目なのですか?」

 

「駄目ですな、それでは誰も納得しません。民も、貴族も、同盟国のゲルマニアですら、貴女が王になることを望んでいるのです。…この私もまた、新たな女王に期待している」

 

「………重い、ですね」

 

「軽い王冠など存在しませんからね」

 

 マザリーニは諭すような声でアンリエッタに語りかける。

 

「では、戴冠の儀式の手順をおさらいいたしましょうか」

 

「大げさだとは思わない?」

 

「大げさではありませぬ。儀式が済んだ後、殿下は太后陛下の御前に進み、始祖と神に対する誓約を述べてください。御母君が殿下に王冠を被せたその瞬間に、貴女は王となるのです」

 

 心にもない誓約を結ぶのは、神や始祖に失礼なのではないかとアンリエッタは思った。彼女はぼんやりと手元の羊皮紙を見つめる。

 そこには、『竜の羽衣』によって撃墜され、命からがら生き残った竜騎士の話が書かれていた。

 

(強力な魔法攻撃と優れた加速で二十騎の竜騎士を撃墜…。トリステイン軍にそこまで強力な竜騎士は存在しないはず…)

 

 この話を聞いた衛士はさらに調査を続け、その竜騎士の正体がタルブの村に伝わる謎の飛行機械であることを突き止めたらしい。それを操っていたのはルイズの使い魔の青年であることも書いてあった。…どうやらこれを書いたのは、情報収集がとんでもなく上手いやり手の衛士のようである。

 さらに、この衛士は自身の考察も交えていた。アルビオン艦隊を吹きとばしたあの光は件の飛行機械が飛んでいた辺りで発生しており、ルイズ、もしくは彼女の使い魔が生み出したのではないか?…というものだ。

 衛士はことがことなだけに彼らと直接の接触をするべきか悩んでいたようだ。報告書はアンリエッタの裁可を待つ形で締められている。

 

 あの太陽のような眩い光を、アンリエッタは生涯忘れないだろう。思い出すだけで、彼女の胸は熱くなる。

 

「……あなたなのね、ルイズ…」

 

 アンリエッタはこの国のどこかにいるであろう親友に思いを馳せた。

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