ゼロと師   作:シャザ

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3章 偽りの愛

 アンリエッタはベッドの近くに置いてあるワインを杯に注いで一気に飲み干す。女王になってから明らかに呑む量が増えてしまったなと、彼女は自嘲(じちょう)する。

 たとえお飾りの王であろうと責任があり、彼女はそれを扱いかねていた。二杯目を呑んだ彼女は酔いで濁った頭で飲みすぎたかもと考え、魔法で空気中の水分を水に戻そうとするがうまくいかずにこぼれてしまう。水を飲み干した彼女はフラフラとベッドに横たわった。

 

「……はあ」

 

 彼女は思わずため息をついた。酔うと思い出すのは、ウェールズとの楽しかった日々だ。十四歳だったアンリエッタにとって生きていると実感できた、短い夏。

 

「どうしてあなたは、あの時おっしゃってくれなかったの…?」

 

 それに答えてくれるものはいないと知りながら、そんな問いが口から漏れる。勝利も女王の激務も、その悲しみを癒すことはできなかった。

 アンリエッタはいつの間にか流れていた涙を拭う。明日もゲルマニアの大使と話し合わなければならないし、もう二度と弱いところは見せられない。

 もう一杯飲もうとワインを注ごうとしたその時、扉がノックされた。こんな夜更けに寝室を訪れるだなんて、いったい誰が来たのかと鈍い頭でアンリエッタは考えた。

 

「ラ・ポルト?それとも枢機卿かしら?こんな真夜中にどうしたの?」

 

 扉の向こうにいる人物は返事をせずに再びノックをしてきた。

 

「……いったい誰なのです?こんな夜更けに女王の部屋を訪ねるものが名乗らないという法はありません。名乗らないのならば人を呼びます、さあ答えてください」

 

「僕だよ、アンリエッタ」

 

 その声は、ウェールズのものだった。

 

「………え…?」

 

 彼女は声の主が誰なのか分かった瞬間表情が凍り付いた。

 

「……の、飲み過ぎて幻聴が聞こえたのね。…あの人がここにいるわけがないもの」

 

 首を振って否定するアンリエッタだが、その動悸は激しさを増していく。

 

「僕だよアンリエッタ、ウェールズだ。扉を開けてもらえるかい?」

 

「……嘘よ、そんなわけがないわ。だってあの人は敵地に一人残って、生存は絶望的だって…」

 

「ああ、なんとか落ち延びることができたんだ。…あと少し運命が違っていれば僕はここにいなかっただろう」

 

「……風のルビーだって形見として贈られたのに…?」

 

 アンリエッタは自身の指にはめた指輪をそっと撫でる。

 

「……敵を騙すにはまず味方から、とも言うだろう?さすがにヴィルには申し訳のないことをしてしまったな…。信じられないのも無理はない、では僕が偽物ではない証拠を聞かせよう。……『風吹く夜に』」

 

 それは、本人しか知らない思い出の合言葉だった。彼女が思わず扉を開け放つと、そこにはアンリエッタが何度も焦がれたその笑顔がある。

 

「…ウェールズ、さま……!……よくぞご無事で……」

 

「相変わらず泣き虫だなぁ、きみは…」

 

「もう、いったい誰のせいだと思っているのですか…!どうしてもっと早くいらしてくれなかったの?こんな風に心を痛めることもなかったのに…」

 

 ウェールズはアンリエッタの頭を撫でながら説明する。

 

「難民に変装した後、巡洋艦に密航して落ち延びたんだ。それからはずっとトリステインの森に潜伏していた。城下町に来たのはほんの二日前だ、きみが一人の時間を調べるために時間がかかってしまった。…さすがに昼間から謁見待合室に並ぶわけにもいかないからね」

 

 いたずらっぽく笑みを浮かべる彼に、アンリエッタは困った笑顔で返した。

 

「相変わらずいじわるな人…。どんなにわたしが寂しい思いをしたか、あなたにはわからないんでしょうね?」

 

「わかるさ。だからここにきたんじゃないか」

 

「…遠慮せずに、この城にいらしてくださいな。ここなら『レコン・キスタ』も手出しはできません。頼みの艦隊がなくなった彼らに、ウェールズさまを狙うだけの余力は残っていないし、手は出させませんわ」

 

 アンリエッタの提案に、ウェールズは首を振った。

 

「そういうわけにもいかない。……僕は、アルビオンに帰らないといけないんだ」

 

「…ど、どうして!?」

 

「……アルビオンを、レコン・キスタから解放するために。…今日ここに来たのは、ただ会いに来たわけじゃない。……きみを迎えにきたんだ、アンリエッタ」

 

「そんな…。無謀にも程がありますわ!」

 

「それでも、僕はアルビオンを奴ら(レコン・キスタ)から解放したい。そのためにはきみの力が必要なんだ。もちろん国内にも協力してくれる人たちはいるが…、もっと信頼できる人が必要だ。……一緒に来てくれるね、アンリエッタ?」

 

 アンリエッタは自分の立場と恋人の誘いを天秤に賭ける。彼女はなんとか自分の立場に(おもり)を乗せようとした。

 

「だ、駄目です!今のわたくしはこの国の女王、無理をおっしゃらないで…」

 

 ウェールズは諦めずに説得を続ける。

 

「無理は、承知の上だ。けれどあの負け戦で僕は確信した、勝利にはきみの力が必要だと」

 

 水平だった心の天秤が、恋人の方に少しだけ傾く。だが、彼女にだって責任があるのだ。そんな誘いに乗るわけにはいかないと、アンリエッタは首を振った。

 

「……こ、これ以上わたくしを困らせないで…。明日…そう、明日ゆっくり話せばいいじゃありませんか!」

 

「明日じゃ間に合わない。……()()()()()()()()()()()。だから、僕と一緒に行こう」

 

 その瞬間、アンリエッタは自分の立場に乗せていた(おもり)を全て取り払ってしまった。

 ……それは、彼女が最も聞きたかった言葉だったからだ。民の賞賛の声も、貴族のおべっかも、この言葉には紙くず同然だった。

 

 彼女の頬が、あの頃と同じ朱色に染まる。ウェールズがキスをしようとしても無抵抗だった。

 キスをしながら、アンリエッタは幸せだったころの記憶が脳裏に蘇る。……眠りの魔法に気づかぬまま、彼女は夢の中に落ちていった。

 

 

 その日、ヴィルキンソンは酔っぱらいながらトリスタニアをうろついていた。先の戦で『レキシントン』号は落ち、『レコン・キスタ』は大打撃を負った。

 ……だというのに、彼の心はまったくもって晴れず、それどころか日に日に曇っていくようだった。

 

(……いや、原因はわかっている。殿下を一人置いていったことが明らかに尾を引いているのだ。たとえどれだけの勝利を積みあげようと、この罪悪感は消えまい…)

 

 ヴィルキンソンは酔っぱらった思考のまま歩いていたせいで、通行人とぶつかってしまう。

 

「……おっと、失礼!…大丈夫かい?」

 

 彼はフードを深くかぶった青年に手を差し伸べる。……チリッと、ヴィルキンソンは違和感を覚えた。どこかで出会った気がしたのだ。

 

「……きみは誰だ?済まないがフードを外してもらえるか」

 

「…………相変わらず、勘が鋭いな」

 

 フードを外した青年は、ヴィルキンソンが長年仕えてきたウェールズその人だった。

 

「……で……、殿下……!?」

 

 ヴィルキンソンの脳裏に、かつての記憶が蘇る。…情報量に一瞬だけ反応が遅れたヴィルキンソンに、ウェールズは当て身を放った。

 

「ゴボッ…!?な、にを……」

 

「……命までは取らない。起きた時には全て終わっているだろう」

 

 胃の中のものを吐き出しながら、ヴィルキンソンは意識を手放した。ウェールズは杖を取り出してヴィルキンソンに向けたが、すぐに杖を懐にしまいその場から立ち去る。

 …それはちょうど、アンリエッタが誘拐されるほんの三十分前のことだった。

 

 

 ベレト一行はトリステイン魔法学院のモンモランシーの部屋に戻り、薬が完成するのを待っていた。

 

「………かんせーい!!できたわよみんな、惚れ薬の解除薬!」

 

「……やっとか…。遠回りをしたような、そうでもないような…」

 

 ベレトはモンモランシーから薬を受け取り、ルイズに飲ませようと試みる。

 

「ほら、飲んでくれルイズ」

 

「……すごい匂いがするからやだ!」

 

 ルイズは匂いが嫌いなのか薬を飲みたがらない。ベレトは少しだけ考えてからルイズに語りかけた。

 

「……ルイズ、飲まないときらいになるぞ?」

 

「…………。やだーーーッ!!」

 

 ルイズは泣きながら薬をひったくり、ごくごくと凄い勢いで飲み干した。モンモランシーはベレトの方を見る。

 

「……あのさ、逃げた方がいいんじゃない?」

 

「……なんで?」

 

「だって惚れ薬を飲んでメロメロになってた記憶は残るのよ?ルイズがやらかしたことを自覚したらバンバカ爆破するかも!」

 

「それ、早く言ってほしかったな」

 

 ベレトがそう言った時、ルイズが一つしゃっくりをする。

 

「……ふにゃ?」

 

 首をかしげた彼女の顔はいつも通りに戻った。薬がちゃんと効いたのは喜ばしいが、モンモランシーの部屋を破壊されるのは困る。

 ベレトはできるだけ刺激しないようにルイズに話しかけた。

 

「………る、ルイズ。気をしっかり保つんだ。絶対に暴れてはいけない、いいね?」

 

 ルイズはベレトの方を見る。顔が一瞬で真っ赤になるが、傭兵には羞恥で照れているのか怒りで沸騰しているのかわからなかった。

 

「………………。………きゅう」

 

 脳の処理能力が限界を迎えたルイズは、目を回しながら気絶してしまった。

 

「……すまないが、ベッドを借りさせてもらえるか?」

 

「しかたないわねー…」

 

 

 ルイズが目を覚ますと、心配そうな顔で見つめる師と目が合った。

 

「……(せんせぇ)…」

 

「……大丈夫か?まだ寝ていてもいいんだぞ」

 

「ううん、へーき。もう動けるわ」

 

 ルイズはベレトの喉についているであろうキスマークを思い出し、赤くなりながら視線を逸らす。

 

「………とりあえず、今回の件は事故だ。最悪取り返しのつかないことになっていたことを考えれば、最良の結果に落ち着いたといえるだろう。……ただ、次からは自分用じゃないワインを飲むのは控えた方がいい。中身が強力な毒だった可能性もあったんだから…」

 

「……たしかに軽率だったかも。……ねぇ、(せんせぇ)は喉へのキスの意味を知ってる?」

 

「……いや、なにか特別な意味があるのか?」

 

「知らないなら別にいいわ、忘れて!………そういえば、ラグドリアン湖まで行ったのは久しぶりね」

 

 ルイズはベレトにこれ以上追及されないように慌てて話題を変える。

 

「初めてじゃなかったのか?」

 

「ええ、十三歳のころ姫さまのお供で行ったことがあるわ。とっても盛大な園遊会が開かれて、とっても楽しかった…」

 

 彼女は十三歳のころの記憶を引っ張りながら話し始めた。

 

「あそこは、ウェールズ皇太子と姫さまが出会った場所なの。夜中に『散歩に行きたいから代わりにベッドの中で休んでほしい』って姫さまに言われて、髪を染めて身代わりになってたわ。……今思うと、ウェールズ皇太子とイチャイチャしてたんでしょうね…」

 

 ルイズは呆れ半分、悲しみ半分の顔をしている。自分を囮にしてまでラブロマンスを楽しんでいたアンリエッタに思うところはあるが、その日々が大切でもう取り戻すことができないことが悲しいのだ。

 それをそばで聞いていたキュルケは、大きな声を出した。

 

「あーッ!?そうよ、あの人はウェールズ皇太子よ!」

 

「……ちょっと、何の話をしてるのよキュルケ?」

 

「ラグドリアン湖に向かう途中で軍人部隊とすれ違ったんだけど、その中にすごいイケメンがいたのよ!その時は見覚えがあるなぁってだけだったんだけど、やっと思い出せたわ!」

 

 ベレトとルイズは冷や水をかけられた気分で顔を見合わせた。

 

「いやー、敗戦で死んだって聞いたけど普通に生きてたのねぇ…。ビックリしちゃったわ!」

 

「そんなわけがないだろう、彼は脱出せずにアルビオンに一人残ったんだ。大量の敵に囲まれた後衛は総じて脆い。その状況で生き残れるのは一騎当千の英雄だけだろう」

 

 かつて全力を持って討ち取った『嵐の王』を思い出しながら、ベレトは首を振った。

 

「あんな色男を間違えるわけないじゃない、間違いなくあれはウェールズ皇太子よ」

 

 その瞬間、最悪の展開が二人の頭をよぎる。

 

「……ラグドリアン湖の秘宝って、死人を生き返らせて操れるんじゃなかった…?」

 

「水の精霊が嘘をついているのでなければ、アンドバリの指輪は『レコン・キスタ』たちの手中にある…。まさか連中は、ウェールズを手駒として蘇らせたのか…?」

 

「キュルケ、その人たちトリステインの方に向かってないわよね!?」

 

「…………と、トリスタニアの方向に進んでたわね…」

 

 ルイズは顔を真っ青にして部屋を飛び出した。ベレトもそれに続く。

 

「ちょっと、どこに行く気!?もう夜なのよ!?」

 

「姫さまが危険なの!今すぐ王宮へ急がなきゃ!!」

 

「時間がない、シルフィードの力を貸してくれタバサ!」

 

 一行は急いでトリスタニアへ向かった。

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