トリステイン魔法学院は夏期休暇真っ盛り。大体の生徒が実家で優雅に過ごしている中、寮の部屋に残った者もいた。
「あっつーい……」
「…………」
キュルケとタバサであった。キュルケはシャツ一枚と下着だけというとんでもない格好でだらだらしている。彼女は熱いのは平気でも暑いのは苦手だった。
「ねータバサァ…。さっきみたいに風吹かせてー…」
タバサは本から目を離さずに杖を振る。極小の氷の粒が混ざった風を浴びて、キュルケはだらしない笑みを浮かべている。
「はぁ、生き返るぅ…」
しばらくタバサに冷やしてもらい満足した彼女は足をプラプラさせた。
「……にしても暑いわね…。やっぱり今からでもいいから一緒にゲルマニアに行かない?あなたを両親に紹介したいのよ」
「……気持ちだけで充分」
「ほんと、こんな蒸し暑い寮に残ってるのなんてあたしたちくらいよねー…」
キュルケはため息をついた。一人で帰郷すればタバサは一人で黙々と本を読み続けることは容易く想像できる。……そんな夏休みを彼女に過ごさせるのはキュルケも気がとがめたのだった。
「あーあ、水浴びでもしてこようかしら……」
「きゃああああああ!!?」
「「…………ん?」」
下の階から何やら悲鳴が聞こえ、二人は顔を見合わせる。彼女たちが慌てて下に降りてみると、物好きなもう一組の居残り組が騒いでいた。
「この、変態!!」
「ぐえぇ…。ぼ、僕は暑いだろうと思って服を脱がせようとしただけじゃないか…」
「なーにが『ポーションを一緒に作ろう』よ!?あんた別のものを作る気満々じゃない!!」
そこにいたのはギーシュとモンモランシーであった。キュルケとタバサは黙って彼らの会話を聴いてみる。
「そんな、誤解だよモンモランシー!」
「誰もいないからって
「あんまり下品なこと言ってると百年の恋でも冷めるわよ…」
モンモランシーに思わずツッコミを入れたキュルケに、ギーシュはぱっと明るい顔をする。
「キュルケ!君も寮に残ってたのか!頼むよ、モンモランシーを一緒に説得してくれ!」
「……興味本位で訊くけど、あんたモンモランシーと子ども作る気だったの?」
「…………………」
「け、ケダモノー!!!その無言はほぼ肯定でしょアンタ!!」
モンモランシーの絶叫を聞いたキュルケは二人に心底呆れた顔をする。ある意味お似合いの二人であった。
「あんたらこんな暑い場所で乳繰り合って脳が茹ってるんじゃないの?」
「な、なにもしてないっての!…っていうかアンタたちせっかくの夏期休暇にこんな場所に残って何やってんのよ?」
「あたしたちは帰るの面倒だったし。知ってる?今国境を越えるのって大変なのよ?そっちこそ何やってたの?」
「………ま、魔法の研究…」
スケベ心丸出しのギーシュをチラ見してから、キュルケは肩をすくめた。
「助手は慎重に選んだ方がよかったわね。……そうだ、一緒に街にでも行かない?こんな暑いところで部屋にこもってたらそりゃ頭おかしくなるわ」
「………そう言われると喉が渇いてきたな…」
ギーシュは汗を拭きながら頷いた。モンモランシーもギーシュと二人っきりで寮にいたくないので出かける事に同意する。
「……で、そこのおちびさんはどうするの?一緒に来る?」
モンモランシーに声をかけられたタバサは無言だったが、キュルケはそれを見て頷いた。
「行くって」
「…よくわかるね」
「当然でしょ、親友だもの!」
一行はタバサの風竜に乗って一気にトリスタニアへ向かった。時間は夕方に差し掛かったばかり、どこか楽し気な雰囲気と夏の熱気に包まれてキュルケたちは街を歩いていた。
彼女たちがいるチクトンネ街はトリスタニアの表の顔であるブルドンネ街と対を為す、いわば裏の顔である。派手な格好の女たちやガラの悪い男たちが夜な夜な酒や賭博に溺れる、そんな街だ。
いかがわしい酒場と賭博場を見たモンモランシーは露骨に嫌な顔をする。
「……うっわ。嫌な場所ね…」
「そう?こういうごった煮みたいなところ、あたしは好きだけど…。…で、何処で食べる?」
キュルケがきょろきょろと良さげなお店を探していると、ギーシュがこほんと咳払いする。
「え、えーとだね。実は前から行ってみたい店があって…。せっかくならそこで食べないかい?」
「変な店?」
「…………チ、チガウヨー」
ギーシュの声は明らかに上ずっていた。
「変な店なのね!?ホント信じらんない!!違うんならちゃんと言ってみなさいよ!!」
モンモランシーの剣幕に押されたギーシュは冷や汗をかきながら説明する。
「お、女の子が可愛い格好でお酒を運んでくれるんだよ…ぐえっ」
「変な店じゃない!!却下よ却下、低俗な店なんて!」
モンモランシーに首を絞められるギーシュを見ながら、キュルケは楽しそうに笑みを浮かべた。
「あら、楽しそうなお店ね。じゃ、そこにしましょうか!」
「な、なんですってぇ!?」
「全く…低俗だなんだって言ってるけど、要するに自分に自信がないから行きたくないだけでしょ?
キュルケはモンモランシーを挑発する。図星を突かれた彼女はいきり立った。
「ふん!下々の女なんかに酌なんてされたらお酒が不味くなるじゃないの!」
「あっそ。じゃここでお別れねモンモランシー。高級店で一人寂しく夕食を食べなさい、こっちはこっちで楽しくやるから」
三人はコツコツとギーシュが行ってみたいという店の方向に進む。一人でこんな場所に取り残されたくないモンモランシーは後を追いかける。
「ちょ、待ちなさい!こんなとこに置いてかないでよ!!」
店に入ったギーシュたちを、奇妙な巨漢が出迎える。
「いらっしゃいませー!…あら、おはつのかた?しかも貴族のお嬢さん!まあ綺麗、なんてトレビアン!わたしは店長のスカロン、今日は是非とも楽しんでいってくださいまし!」
「ふふん、一番いい席を用意なさい!」
なんだかんだで褒められて嬉しいのかモンモランシーは機嫌を直す。スカロンはニコニコと笑みを浮かべながら席に案内した。
「当店はどの席も、陛下の別荘並みにピッカピカにしてますわ」
周りではきわどい格好の少女たちがお酒や料理を運んでいる。ギーシュはにやけ顔で見ていたがモンモランシーに折檻されていた。
一行が席に着くと桃色の髪の少女が注文を取りに来た。彼女は席についている連中を一目見てぎょっとすると、慌てて顔をお盆で隠す。ギーシュは何処かで見覚えがある髪色に首をかしげた。
「……ん?きみどっかで会ったことないかね?」
「き、気のせいでは?ご注文は?」
「じゃあおすすめは?」
キュルケはすぐに彼女の正体に気づいて特大の笑みを浮かべる。
「蜂蜜を塗った雛鳥の炙りパイ包みとゴーニュの古酒が人気ですー……」
キュルケは唐突に少女の後ろを指さして言った。
「あ、せんせが女の子と仲良くしてる」
「なんですってぇ―――!!?」
少女は凄い勢いで後ろを振り向く。一行はキュルケを除いて驚いた。何故ならば…。
「「ルイズ!?」」
そこにいたのはルイズだったからである。
「……あ、しまった…」
「ちょっと、あなたこんな場所でなにやってるの?しょうもない事に金使って金欠?」
からかってくるキュルケにルイズは杖を抜こうとする。『エクスプロージョン』を全員に叩き込もうとしたのだが、キュルケは既に予測していたのか彼女の腕を掴んだ。
「げっ」
「タバサ、よろしく!」
「………ん」
タバサが呪文を唱えると、風がルイズの体に纏いつき彼女を席に座らせる。
「う、うぐぐ…」
「さ、何してるか吐きなさい?」
「い、いやよ!」
キュルケは彼女の脇腹に手をのばしてくすぐろうとするが、それを誰かが制止する。
「そこまでだキュルケ」
「あら、せんせ。やっぱり一緒にいたのね」
のんきなキュルケにベレトはため息をついた。ベレトもまさかこんな場所で会うとは思わなかったのだ。
「せんせ、どうしてこんな酒場で働いてるの?」
「………ルイズがお小遣いを全て賭博で使い切ってな…」
「せ、
ベレトは言ってもいいであろう事実だけ伝えた。これで傷つくのはルイズの面子だけなので容赦はなかった。
それを聞いたキュルケは大爆笑である。
「あっはははは!!マジィ!?あのヴァリエール家のお嬢様が賭博で全負けしてスったあげく酒場で給仕って!!あはははは、笑い死にしそう…!」
「こ、このろくでなし…、はやく注文寄こしなさいよ!!」
「はいはいわかった、わかりましたー。あたしこれとこれとこれ、タバサは?」
キュルケにメニュー表を渡されたタバサは無言でいくつかの料理を指さす。中々通好みの料理を選んでいるなとルイズは思った。
「じゃあ僕はこれとこれ頼むよ」
「わたしこれとこれー」
「じゃ、行ってくるから!」
ルイズが厨房に戻るのを見送ってから、一行は話に花を咲かせた。
「先生、こんな場所で会うなんて奇遇だね。相変わらずルイズに振り回されてるみたいだけど…」
「別にそれは苦ではないし…。というか、こうやって集まるのはラグドリアン湖以来だな。元気にしてたか?」
「まあ……まあ元気だったよ。僕はモンモランシーと薬を作ってたんだ」
ギーシュが頬をかいてそんなことを言うものだから、モンモランシーは目をキッと吊り上がらせた。
「ちょっと!嘘ばっかり言うんじゃないわよ!!薬なんて二の次でわたしにちょっかいばかりかけてたくせにぃ!!」
「わ―――!?ちょ、待って暴力反対!」
わーわーぎゃーぎゃー騒ぐバカップルをよそに、キュルケはタバサの乱れているマントを直していた。
「ほら、また髪とマントが乱れてるわよあなた。女は見栄えが大事、頭の中身はその次でいいのよ?」
「………ん」
まるで陽気な姉が大人しい妹を気遣っているような光景に、ベレトは微笑んだ。
「キュルケとタバサは本当に仲がいいな」
「まあねー」
その様子を見ていたギーシュはふと思い出したのかぽろっとこんなセリフを零した。
「……あれ、そういえば君たちっていつからそんな風に仲良しなんだっけ…?入学した時はあんまり仲が良くなかったというか…決闘騒ぎまでいったらしいじゃないか」
「あら?よく知ってるわねギーシュ」
ギーシュがさらに尋ねようとしたその時、見目麗しい貴族の団体客が入店してくる。広いつばの羽根つき帽子と剣状に加工された杖は彼らが王軍の士官であると雄弁に語っていた。
彼らは騒ぎながら色んな女の子に酌をさせていたようだったが、お気に召さなかったらしい。一人の士官がキュルケに気づいてこちらに指をさしながら話し出した。
「あそこに貴族の子がいるじゃないか!やはりぼくらと釣り合いの取れる女性は杖を下げているべきだな!」
「違いない!王軍の士官さまがやっと陛下からいただいた非番だぞ?平民の酌なんぞ慰めにならんわ!」
好き勝手騒ぐ彼らをよそに、キュルケは平然とワインを飲んでいる。ベレトは眉間にしわを寄せながら尋ねた。
「追い出そうか?」
「別にいいわよ」
そんな事を話していると、二十代であろう男前な貴族が一礼しながらキュルケに声をかけた。
「我々はナヴァール連隊所属の士官です。恐れながら美の化身と
「……誠に申し訳ないけれど、今あたしは友人たちと楽しく過ごしているところですの。一昨日来てくださる?」
キュルケは男を一瞥もせずに言い放った。貴族の仲間が野次を飛ばす中、男は熱のこもった言葉で彼女を口説きにかかった。
「そこをなんとか、曲げてお願い申し上げます。いずれ死地へ赴く我らに、一時の幸福を分けてはもらえませぬか?」
キュルケはそんな貴族を鼻で笑い、ヒラヒラと手を振る。残念そうに席に戻る貴族は仲間たちにからかわれた。
「役立たずめ!だからお前はモテないんだ!」
「ふん、あの言葉の訛りを聞いたかい?あれはゲルマニアの女だ、貴族と言っても怪しいものだな!」
「ゲルマニアの女は好色と聞いたぞ?身持ちが固いなんて珍しい!」
「おそらく新教徒なんだろうさ、はっはっは!」
酔っぱらった勢いで悔しまぎれの悪口を言いだした貴族たちに、ベレトは不快感が湧いてきた。
「………追い出そうか?」
「……せんせは座ってていいわよ」
「み、店を出た方がいいんじゃない…?」
不安そうに提案するモンモランシーに、キュルケは笑みを浮かべた。いつもと変わらない笑顔に見えるのに、どこか冷たい雰囲気が漂っている。
「先に来たのはあたしたちでしょ」
そう呟きながら赤い髪をざわめかせる彼女は、まさに炎の化身のようだ。その炎は虫を惹きつけるが、近寄り過ぎれば容赦なく燃やすのである。
「おや、我らの相手をする気になったかね?」
「ええ。……お酒じゃなくてこっちならね?」
杖を抜いたキュルケを見て男たちは笑い転げた。
「およしなさいお嬢さん!我らは貴族ですぞ?女相手に杖は抜きませぬ!」
「あら、ゲルマニアの女が怖いの?」
「まさか!」
笑い続ける男たちに、キュルケは無言で杖を振る。火の玉で貴族たちの帽子に付いた羽根飾りが全員燃やし尽くされ、店内がその神業に沸いた。
「な、なにを…!?」
「あら…情けないトリステインの軍人に杖を抜く口実を与えただけですわよ?」
「我らが誘ったのは酒です、杖ではない」
「フラれたからって負け惜しみを言う殿方とお酒を交わすなんて冗談にも程がありますわ。侮辱を焼き払う杖ならともかくね」
店内にピリピリとした空気が漂い始める。
「……お相手を選びなさいお嬢さん、貴女にはその権利がある」
「……全員まとめてかかってきなさい、二度と表を歩けないくらい黒焦げにしてあげる」
「言ったな!!そのような言葉を貰っては女とて容赦はせぬぞ!!」
戦いに赴こうとするキュルケを引き止めたのはタバサであった。戦意を昂らせていたキュルケは近づいてくる親友に目を丸くする。
「どうしたの?助太刀はしなくて大丈夫よ?」
「……わたしがやる」
「へっ?いやあたしやる気満々だったんだけど、せっかくの獲物を取る気?」
タバサは首を振って否定した。
「借りがある」
「……ラグドリアン湖のこと?あれはあたしが勝手にやったことだから気にすることないわよ」
「違う」
「じゃあ何?せんせを錬金の授業で助けるの手伝わせた時は本を奢ったからチャラだし、ギトーのヤツにやられた傷を治すの手伝ってくれた時はコルベール先生へのジョークでチャラよ?後なんかあったかな…」
キュルケは心当たりがないのか首を傾げている。
「………一個借り」
「…………あー…。よくそんな昔の話を覚えてたわねあなた…」
キュルケは呆れながらも特大の笑みを浮かべて借りを返してもらうことにした。
「あー、ごめんあそばせ。あなた方のお相手は、このタバサですわ」
「子どもではないか、まだ我々を愚弄するか!?」
「あら、この子はあたし以上の使い手よ?なにせシュヴァリエ…正真正銘の騎士なんだから。あなた方の中にシュヴァリエはいらっしゃるの?」
士官たちは口をつぐむ。キュルケは微笑みながら自身の手を胸に当てて言った。
「なら、相手にとって不足はないはず」
キュルケはそう言って自分の席に戻った。ギーシュは心配そうに尋ねる。
「だ、大丈夫なのかい?」
キュルケは優雅にワインを飲みながら言った。
「大丈夫よ、心配しなくても。………それにしても、あの子ったら…あんなつまらない約束をいちいち覚えてるんだから……」
キュルケは言葉とは裏腹に嬉しそうな顔で呟く。実際、彼女も忘れかけていたことをタバサが覚えていたことが嬉しいのだった。