虚無の主従がつまらない劇で休日を無駄にした翌日、ベレトはいつも通り厨房で皿洗いをしていた。隣ではジェシカも手伝っている。
「ねぇベレト、昨日『トリスタニアの休日』観に行ったんでしょ?面白かった?」
「………正直な感想を言ってもいいのか」
「…え、どうしたのいったい。何か嫌な事でもあった?」
「脚本は普通に観られる出来だったんだが、肝心の役者が下手で面白くなかった」
ジェシカはそれを聞いて笑顔を引き攣らせた。
「それホント?」
「あぁ、評判を聞いてお芝居を観に来た他の客もつまらなそうにしていたから自分がおかしい訳ではないと思う」
「……今度観に行こうと思ってたけど、別の用事にした方が有意義に過ごせそうね…」
ジェシカはため息をついた。実際切符代で損するので間違った判断ではないが、ベレトは悪いことをしてしまった気分だ。
しばらく皿を洗っていると、ジェシカは気が済んだのか皿洗いをやめて言った。
「そんじゃ、チップ集めに戻ろうかな!」
「ああ、いってらっしゃい」
ジェシカが厨房から出ていったのと入れ替わりにスカロンがやってくる。
「ベレト君、ちょっと頼みたいことがあるんだけどいいかしら?」
「どうした?また酔っぱらいが喧嘩でも始めたのか?」
「別にそれならわたくしが殴れば解決するわよ。ちょっと調味料が足りなくなりそうだから買ってきてほしいの、まだこの時間なら近くの『山猫の集い』って店が空いてると思うわ!」
「わかった」
ベレトはスカロンからエキュー金貨数枚を受け取って頼まれた調味料を購入する。商店から出ると、兵士たちが何やら慌てた様子で走り回っていた。
「おい、いたか!?」
「いや、もしやブルドンネ街に向かったのかもしれぬ!」
(……いったいどうしたんだろう…?)
ベレトが不思議そうに兵士が東奔西走している場面を見ていると、何者かとぶつかってしまった。フードを目深に被った女の子だ。
「きゃっ」
「おっと!大丈夫か?」
ベレトは倒れそうになった少女の手を掴んで支える。彼女の連れであろうフードの青年はお礼を言った。
「あ、ありがとう……!?」
青年はフードを被った状態からでもわかるほど動揺する。ベレトは心当たりがまったくないので首をかしげた。
「……どうした?自分の顔に嫌な思い出でもあるのか?」
「え、いやぁ…そういうわけじゃ、ないんだけども…」
「そ、そうですよ!わたくしはあなたと初めて会いましたわ!」
「………二人とも、どこかで聞き覚えのある声だ…」
ベレトはチラリと二人のフードの中身を覗き込む。どちらも見覚えがあったため深くため息をついた。
「………『トリスタニアの休日』でも観たのか二人とも」
ベレトの言葉に少女と青年……アンリエッタとウェールズは困った顔をした。
「いったいどうして夜に護衛も無しで出歩いてるんだ?というか兵士たちが慌てていたのは…」
「ええっと、そのぉ……ルイズには内緒にしてください……」
「…夜に逢引きしてる理由にもよるな」
挙動不審になってしまったアンリエッタに代わってウェールズが答える。
「今はとにかく身を隠さなければいけないんだ、どこか安全な場所はあるかい?」
「……そもそも買い物の途中なんだが。とりあえず自分とルイズが世話になっている場所なら案内はできるが…」
「そこで大丈夫です、お願いしますね…」
ベレトは二人を連れて『魅惑の妖精』亭に戻り、スカロンに調味料を手渡した。
「知り合いが来たから少しもてなしてくる、今夜はこの辺で下がらせてくれないだろうか」
「あら、早退?ルイズちゃんも休ませる?」
「………んー…。いや、ルイズはそのままでいいよ」
「そう?ならルイズちゃんには頑張ってもらうわね」
ベレトは真面目に仕事しているルイズの邪魔をしたくなかったし、アンリエッタも今この場で彼女と出会うのは避けたいようだった。理由を聞くまではとりあえずルイズに内緒にしておくべきだろうとベレトは考える。
屋根裏部屋に戻ってきたベレトはさっそく二人に事情を聴くことにした。
「さて、色々と……そう、本当に色々と聞きたいことはあるが…。まず、どうしてアンリエッタ姫とウェールズ王子は一緒に行動しているんだ?誘拐事件も記憶に新しいのにまた行方不明になるのは不味いだろうに……」
「…………そうだね、本当にそうだ。とにかく僕とアンリエッタが一緒にいる理由を話そう」
時間は少し遡り、アンリエッタは銃士隊の手引きもあってあっさりと城から抜け出した。夜の街を一人で出歩くという『非日常』に、彼女は浮かれていたのである。
そんな風に女の子が一人で歩いているものだから、街のチンピラたちは鋭い嗅覚で彼女に近寄ってきた。
「おい嬢ちゃんや、こんな夜にお散歩かい?」
「あら、どちら様?わたくし行かなければいけない場所があって…」
「へぇ……なんて場所だ?」
チンピラはニヤニヤと笑いながらアンリエッタに聞いてきた。
「『魅惑の妖精』亭という場所ですわ。待ち合わせをしていますの」
「ほう、『魅惑の妖精』亭!せっかくだ、オレたちが案内してやるよ!」
「ゲヒヒ、近道を知ってるんだ」
「え、ええと……」
アンリエッタが困っていると、彼女の後ろから男の声が聞こえた。
「そこまでだ、彼女が困っているだろう?」
「あぁん!?誰だテメェ!!」
何処かで聞き覚えのある声でフードの青年は答えた。
「ただの通りすがりさ、少しばかり魔法が使えるだけのね!!」
青年は『エア・ハンマー』でチンピラたちを一気に吹き飛ばしてしまった。
「うぎゃあぁ!!?」
「お嬢さん、こっちだ!」
青年はアンリエッタの手を掴むとそのまま逃げだす。一方、助けられたアンリエッタは彼に思わずときめいてしまった。
しばらくの間走った二人だったが追手が来ていないことを確認するとふぅ、と息を吐いた。
「……どうやら逃げきれたみたいだね…」
「そ、そのようですね…。……助けてもらっておいてなんですが、わたくしは行かなければ。もう会うこともないでしょう」
アンリエッタはドキドキしながらその場を離れようとする。それを青年は慌てて引き止めた。
「ま、待ってくれアンリ……」
「……え?」
アンリエッタは青年の口から自分の名前らしきものが飛び出て警戒を強くする。身構えた彼女に青年は慌てた。
「あ、あなたはいったい…!?」
「しまった、またうっかりしてしまった…。……今、きみは僕が何者なのか必死に考えていることだろうね。答えは『風吹く夜に』……さ」
アンリエッタはその合言葉を知っていた。
「ウェールズさま…!」
「そう、きみの従兄だアンリエッタ。………まったく、こんな時間に出歩くだなんて悪い子だね」
「ご、ごめんなさい…。でもわたくしにはやらなければいけない事があるのです、ここは見逃してはもらえませんか?」
「…なにか事情があることはわかった。僕もいっしょに連れて行ってもらえないか」
ベレトは二人の話を聞いてため息をついた。
「……つまり、二人が一緒に行動しているのは偶然出会ったから…ということか。うっかりバレたんだな、ウェールズ王子…」
「あはは…初めてきみに会った時も似たようなことがあったね。……いや、確かきみにカツラを被っていることを気づかれて嵌められたんだったっけ?」
ウェールズはのんきに笑みを浮かべている。アンリエッタの微妙な目線に気づいた彼はコホンと咳払いで誤魔化した。
ベレトは次の質問をする。
「じゃあ、どうして『魅惑の妖精』亭に?ウェールズ王子が同行していなかったら一人で来るつもりだったんだろう?」
「はい。貴族ではなく、それでいて並のメイジならあっという間に制圧できるあなたに護衛を頼みたかったのです」
「………自分だけに?ルイズには頼まないのか?」
「ええ、心配させたくないんです。それに…ただでさえ身分を隠して情報収集をさせているのに、これ以上負担をかけたくはありませんわ」
ベレトは頬をかきながら呟いた。
「……むしろ隠す方が心配すると思うんだが…」
「…そうかもしれないわね」
「……そもそも、護衛ならもっと適任者がいるのでは?」
アンリエッタは大きくため息をついた。
「……本当ならそうしたいのですが…宮廷には若くして王位についたわたくしを嫌う者も多いのです。………裏切り者もおりますゆえ…」
「「あ――…」」
ベレトとウェールズの脳裏に凶悪な形相で襲い掛かってきたワルドの顔が浮かぶ。グリフォン隊という花形、エリートでありながら『レコン・キスタ』に与した裏切り者。彼のように裏切り、虎視眈々と女王を狙う者がいてもおかしくはなかった。
「なるほど、なるほどなぁ……。確かに裏切ってるのが一人だけと思うのは楽観的すぎるか……」
「引き受けてくださいますか?」
「………危険なことをしないと約束できるなら」
アンリエッタは頷いた。
「では行きましょう。この場所で籠城し続けるわけにもいきませんから」
「何処に行くつもりなんだ?」
「トリスタニアを出るわけではありませんわ。……それと、着替えがあると嬉しいのですが…」
彼女はフード付きローブの下に上品なドレスを着ているようだった。中のドレスを見られてしまえば彼女が
「…女物の服はルイズのものしかないが…」
「それで構いません、貸していただけますか?」
(大きさ、大丈夫かな…)
ベレトはそこはかとなく不安になりながらウェールズに声をかけた。
「とりあえず着替え終わるまで外に出よう」
「…………そ、そうだね…」
「……その間、さては言われなかったら居座るつもりだったな!」
「そんなことはないよ!?」
ウェールズの目は泳いでいた。アンリエッタがコホンと咳払いで退室を促してくるので、二人は慌てて部屋から出た。
アンリエッタはルイズの服を着ようとするが、自分の胸が彼女より大きいためか胸元がギチギチになってしまった。
「……うぅん、ちょっと小さいわね…。……ボタンを外した方がいいかしら」
女王は気にした様子もなくシャツのボタンを二つほど外すと部屋の外で待機していた二人を呼び戻した。ベレトは胸のところがぎゅうぎゅう詰めになっているシャツを見てため息をつく。
「ああ、やっぱり服の大きさが…」
「わあ、似合っているねアンリエッタ!目のやり場に困るけど…」
「ありがとうございます、ウェールズさま。では行きましょうか」
「……いや待った、服装はこれでもいいが顔と髪型がそのままじゃすぐにバレる」
「では、どうにかしてくださいまし」
そう言いながらアンリエッタはベッドに座り込む。
「ウェールズ王子、髪型を変えるのは任せてくれ。そっちは化粧を頼む、たしかあのあたりにルイズの化粧品があったはずだ」
ベレトは部屋の一角を指でさす。
「わかった、軽くでいいかい?」
ウェールズはルイズの化粧品でアンリエッタに薄化粧を施す。ちなみにせっかく買ったもののルイズは全く使っていなかったためほぼ新品だった。
ベレトはルイズがたまにしているように髪を一つにまとめてポニーテールを作った。そうするとアンリエッタは陽気な街女に見えるようになった。これなら彼女をよく知っている者であっても間近でなければわからないだろう。
「ふふ、これなら街女に見えますわね」
アンリエッタは小さな鏡に映った自分を見て微笑むと、キリッと表情を引き締めた。
「では、行きましょうか」
「了解だ」
「あはは、中々楽しい夜になりそうだね?」
そんな感じで、ベレトと二人の王族の奇妙な一夜が幕を開けた。