『そしたらララが「次はバレないようにする」って』
『あの子はまた…』
ルーデウスが半月ほどの出張で不在のルーデウス邸、その昼下がり。揃って仕事が早く終わったロキシーとエリスは魔法大学ではなく自宅で昼食をし、食後にお茶話をしていた。議題はすくすくと成長中の子ども達についてである。と、そこへ
「二人とも何の話してるの?」
自分用のお茶と二人へのお代わりを持ってきたシルフィがやってきた。
しかし二人が話していた内容は聞き取れなかった様子。テーブルから台所は遠くて聞き取り辛かったのか、単純に別の作業をしていたから聞き逃してしまったのか。
しかし二人はシルフィはその程度の事で会話を聞き逃すひとではない事を知っている。知っているので不審にも思う、もしかして体調が悪いのではないか、とまで考えたわけではないがとにかく不審に思った。
「…?子ども達の事よ」
「……あ、違いますよエリス。自然すぎて忘れていましたが今わたしたち魔神語で話してました」
そこでロキシーが気づいた。そう、二人は魔神語で話していたのだ。
時折エリスはロキシーにたまに話しておかないと忘れそうだからと魔神語で話しかける事がある。タイミングはいつも唐突だがロキシーも魔大陸出身、自然とヒアリングし魔神語で会話を続ける事くらいはできる。
大抵は二人しか居ない時に起きるイベントだが今は食後で昼下がり、いかなエリスと言えど気が緩んでしまったに違いない。
「あ、だから分からなかったのか。エリスがララの声真似してるのだけは聞き取れたんだけどね」
「や、やめてよ恥ずかしい」
「いいじゃないですか、可愛かったですよエリス」
「ロキシーまで…っていうかシルフィは魔神語話せないの?」
「うん、ボクは魔大陸の方に行く機会が無かったからね」
魔法大学にもOGであるロキシーや一時期だけ居たバーディガーディらが居る事から明らかなように魔族の生徒も在籍している。しているのだが大抵は魔法大学に来るまでに人間語を習得しているので魔神語で誰かとコミュニケーションを取る機会は無いまま卒業を迎え今に至る。
「ならわたしが教えましょうか」
「え、いいの!?」
「もちろんですよ。ちょうど今日が定例会議の日でしたし、昔作った教科書の試作品を持っていきますね」
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ルーデウス邸、寝室。昼間は元気な子ども達もすっかり寝静まった時間帯に三人の女子が膝を突き合わせていた。普段ならアルコール類やツマミが握られている手には今日に限っては束ねられた紙とペンが握られ、さながら深夜の勉強会の様相を呈している。もし仮にルーデウスがこの場に居れば違う意味で深夜の勉強会になるだろうが不在なので問題はない。ないったらない。
「シルフィ、準備は良いですか?」
「はい先生、よろしくお願いします」
「よろしいでしょう。ではまず新入生のシルフィにはこちらを進呈します」
そう言いながらロキシーが手渡したのはもう20年近く前にルーデウスに贈った魔神語の辞典とほぼ同じものだ。彼が持っていた原本は転移事件で消滅したが著者であるロキシーの手元には下書きが残っていたので急遽それを手直しした次第である。
「わ…!ありがとうロキシー!」
「いえいえ、いつも家の事をしてくれているお礼と思ってください。エリスも書くのを手伝ってくれたんですよ」
「本当!?エリスもありがとう!」
「べ、別に大した事はして無いわよ!」
ふん、とそっぽを向いてしまったエリスの耳は髪と見紛うほど真っ赤に染まっていたが、それを指摘するほど二人は野暮ではない。ただエリスは可愛い(です)ねと思うに留める。
「それでどうするの?」
「まずはその辞書を使って基本的な発音と語彙を覚えましょう。ある程度出来るようになったら次はわたしやエリスと魔神語で話して会話のテンポを掴みます。シルフィは物覚えが良いですからきっとすぐに簡単な会話くらいなら出来る様になりますよ」
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「『こん、にち、わ』?」
「そうそう、そんな感じです」
「『私の、名前は、エリスです』、何て言ったか分かる?」
「ええっと…私の名前はエリスです?」
「すごいじゃない!」
シルフィは小一時間で辿々しくではあるが、ごく簡単な魔神語の発音と聞き取りができるようになっていた。読み書きにはまだ辞典が必要だが文字を覚えたての時はそんなものだろう。
「うぅ…思ってたより難しいや」
「ちょっとの練習で喋れるようになった人が何を言ってるんですか。後もう少し練習して、明日からエリスがやってるみたいに時々魔神語を使って話してみると良いかもしれませんね」
「私でもロキシーでも良いわよ!いつでも受けて立つわ!」
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「ふわぁ…」
大きな欠伸をあげながら部屋から出てきたのはエリスである。今日は仕事も無いから一日ゆっくりと子ども達の面倒を見れる、手始めに朝食が終わったら散歩に行こうと思いながらエリスが階下に降りると、シルフィが朝食の支度をしていた。
「エリス、おは…あ。ええっと…『おはようございます』」
『ええ、おはよう。いい朝ねシルフィ』
「はい、おはよう、いい朝ですね、シルフィ?」
「そんな感じね!」
エリスが私がシルフィに何かを教えるなんて新鮮ね!と感慨に浸っていると今度はロキシーが降りてきた。寝癖が付いている辺り彼女もまた寝起きのようである。
「おや、早速練習ですか。感心ですね」
「『おはようございます』……出来てる?」
「出来てますよ、おはようございますシルフィ。昨日よりもスラスラ言えてますね」
「寝る前にちょっと練習してから寝たからね。ルディが昔言ってたけど寝る前に勉強すると早く覚えられるんだって」
「家庭教師をしてた頃にもそんな事言ってたわね…どこで覚えたのかしら」
「ルディはまだまだ謎が多いですね…」
と三人が首を傾げていると、
「ママたちなんのお話してるの?」
いつの間にか足元に長女ルーシーが居た。三人が見ればアイシャにアルスが纏わりつきレオの上でララが二度寝を決め込もうとしている。いつの間にか子どもたちの多くが起きてきたらしい。
「ごめん二人とも、みんな起きてきたし朝ごはん仕上げちゃうから皆の事お願いできる?ごめんねルーシー、すぐご飯できるからね」
「わかったわ」
「分かりました。ほらララまた寝ちゃダメですよ」
そう言ってロキシーはレオの上でうつらうつらしているララを起こしに行った。そうなればルーシーの疑問に答えるのは自分の役目だろうと、エリスはルーシーに向き直る。
「ねぇ赤ママ、さっき白ママとなんのお話ししてたの?」
「聞こえてたの?」
「うん、でもなにをお話してるのか分からなかった」
「魔大陸って所の言葉で「おはよう」って言ったのよ」
「またいりく?青ママがずっと昔に住んでて、パパと赤ママとルイジェルドさんが旅してたところ?」
「そうよ、よく知ってるわね」
「前に青ママがお話ししてくれた、ご飯が美味しくないって」
「そうだったかしら…そういえばルーデウスは微妙な顔してたわね…」
「それで、どうしてママたちはまたいりくの言葉でお話してたの?」
「白ママのお勉強よ」
「お勉強?なんで?」
「特に理由があるわけじゃ無いと思うけど…でも大切な事よ」
だからルーシーも魔術も勉強も剣の修行も頑張んなさい、とエリスが締めくくったところでシルフィの号令がかかった。朝食の準備が整ったのだ。
「ねぇ赤ママ、またいりくの言葉でいただきますってなんていうの?」
「『いただきます』って感じね、でも私に聞くより青ママかパパに聞いた方が分かりやすく教えてくれるわよ」
「うん、でも赤ママにも聞きたい」
「そう、ならたまにね」
「わかった!」
ルーシーの言葉に顔がニマニマしてくるのを抑えるのに必死なエリスであった。
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その後数週間、家事の合間を縫って二人から魔神語を習ったり、自主練に励んだ成果としてルーデウスが帰ってくる前日にはシルフィは簡単な単語による会話ならつっかえる部分こそあれど出来るようになった。魔神語で書かれた本も時々辞書を引きながらではあるが読めるだろう。
「うぅ、緊張するなぁ…」
(応援しか出来ませんが頑張ってくださいシルフィ!)
(ルーデウスがどんな顔をするか楽しみね!)
そしてルーデウス帰宅の日、ロキシーの立てた作戦に基づき玄関前で待ち構えるシルフィと近くの部屋から様子を窺う二人。作戦とはこうだ。
①シルフィが出迎える。
②魔神語で『おかえりなさい』と言った後しばらく魔神語で会話をつなぐ。
③ルーデウスは「いつの間に魔神語を!?」と驚き喜びシルフィは努力の成果を披露できる。
という筋書きである。
「ただいま〜」
ルーデウスの帰宅と共に、決戦の火蓋は切って落とされた。
『お、おお、おかえりなしゃいルディ!!』
(噛みましたね)
(噛んだわね)
「シ、シルフィエットさん…?え?聞き間違い?」
「あ、あわわえっとえっと…『おかえりなさいルディ、お風呂にする?ご飯にする?それともボク?』」
「……シルフィ、もしかして魔神語で話してる…?」
『う、うん。ルディをびっくりさせたくて、ロキシーとエリスに教わったの』
「シルフィ…!」
と帰ってきて早々いい雰囲気になりつつある二人を尻目に
(いい流れですよシルフィ!)
(ちょ、ロキシー声が大きいわよ!なんでそんなに興奮してるの!?)
(おっと危ない、覗きは良くないですね。でもバレなきゃ良いんですよ)
(ララとおんなじ事言ってるわよ…)
(まぁいいじゃないですか、今日は元々シルフィの日なんですし、流石に寝室まで覗きませんから)
(ならいいわ)
『でもすごいじゃないか、もうそんなに魔神語話せるし聞けるなんて。習い始めてそんなに経ってないだろ』
『うん、けど先生が良かったんだよ。ロキシーもエリスもさ』
『シルフィが努力家だから二人も熱が入ったんだよ』
『そうかなぁ』
『そうさ、後でお礼言わないとな』
『うん。あ、そこに居るよ?』
(あ、言っちゃうのねシルフィ)
(最後まで黙ってるつもりなのかと思いました)
『そうなの?』
『そうなのですよ』
そう返事をしてロキシーが部屋の扉を開けて登場する。その後ろにはエリスも。
『二人とも本当にありがとう…!』
『シルフィは大袈裟ですね』
『気にする程じゃないわ』
魔神語で仲睦まじく会話を繰り広げる三人を見て出張疲れのルーデウスは自分の心が温かい物で満たされていくのを感じる。そう、これだ。これこそがパライソなのだ。よしこのまま四人でお風呂入れたりしないかなぁなどと目論んでいたりもする。
そんな夢と欲望を口に出そうとした瞬間、
「あ、パパだ!えっと…『おかーりなさい』?」
玄関からの物音を聞きつけてかルーシーがひょこっと顔を出した。やや拙いながらも魔神語でのおかえりなさいを添えて。
「……ルーシーまで!?」
「あ、ルーシーに聞かれたから鍛錬の合間に単語だけ教えたわね」
「おやいつの間に。勉強熱心で偉いですねルーシー」
「えへへ…」
「良いところを全部持ってっちゃうんだから…ルーシーには敵わないなぁもう」
そう言いながらルーシーを抱き上げるシルフィの顔と手つきは優しい。別に怒っているわけではないので当然ではあるが。
結局そのままルーシーたちと一緒にダイニングに入り、夕食をいただく事になったルーデウスは夢と欲望を言いそびれた。出張の話をせがむ愛しい子どもたちには勝てなかったのだ。
その後、時々だが妻たちへ魔神語で愛を囁くルーデウスの姿があったり、新装版ロキシー辞典を片手にパパとママたちに話しかけてみたりするルーシーの姿があったりした事が将来のルーデウス邸における語学教育にどれほどの影響があったのかはロキシーでもモザイクでもない神のみぞ知る…。