「グギャァァァアア!!」
断末魔が森に響く。
叫び声の主は脳天を割られ、頭蓋を岩砲弾に破壊された赤竜だ。
俺とエリスはある街の近くに出現するはぐれ竜を討伐にやってきた。勿論オルステッドからの指令である。それにしてもいつ見てもでっけえなドラゴンって。
とはいえ俺もエリスももう人の親、今更赤竜の一匹くらいでキャッキャするほどお子ちゃまでは、
「やったわね!」
「ああ!」
ありました。だってかっこいいじゃんドラゴン!ああしかしドラゴンの上で良い笑顔のエリスは返り血まみれだが大丈夫だろうか、不死身になったりしちゃうのかしら。
冗談はさておき。とりあえずエリスの血を流して、ドラゴンからは持てる分だけ素材を剥ぎ取って、残りはアンデットにならないようにバラしてから着火と。
「……ん?」
「どうしたのよ」
赤竜の死体を解体していると口から手のひら大の硬い石の様な物が出てきた。もうずいぶん前になるが前に倒した赤竜からはこんな物は出なかったし、食べ残しの骨……という感じでもない。
それどころかなんかいい匂いがする、少なくとも毒物ではなさそうだ。
持って帰ってみるか。
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「竜涎香だ」
一旦エリスと別れて、報告がてら持ち帰ったブツをオルステッドに見せてみたところ、珍しい物を見つけたなと前置きした後でその名称を告げられた。
竜涎香ってアレか?あの超高いお香のヤツか?でもアレって竜の涎って名前はただの例えで、本当はクジラの体内で出来るんだったよな?
え?何?この世界では本当に竜の涎でできてんの?じゃあこれ涎なの?ばっちいの?
「長い時を生きたドラゴンが、ごく限られた条件下でのみ生成する物だ。よって希少価値が高く、高値で取引される」
「ではオルステッド様はこれが必要であの赤竜を?」
まさかとは思うが金に困っているのだろうか。社長の破産は我が家の破産なのだが。
「いや、俺の知る限りあの街に出現する赤竜は竜涎香を生成した事は無かった。それはお前が見つけた物だ、売るなり使うなりお前の好きにするが良い」
「はあ……ではありがたく使わせていただきます」
そう言って俺は事務所を退出した。
使い方を聞いた時の社長、なんか微妙な顔してたけどなんだったんだろうか……。
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「それ、お香だったのね」
「ああ、けどあんまりドラゴン!って感じはしないよな」
「なによそれ」
クスクスとおかしい事を聞いた様に微笑むエリス。そんなにおかしい事言ったかな。
「けど、いい香りね」
「そうだな」
曰く、火にかけて香油にするのが一般的な使い方らしい。なので土魔術で鍋を作って焦げ付かないよう弱火でゆっくりと溶かしていく。
匂いが籠らないように庭に出たが、それでもいい香りが漂ってくる。思っていたより柔らかいというか、野生味は全く感じない。むしろお寺とかで焚かれてそうな神秘的な匂いだ。高値で取引されるというのも分かる気がする。
「ねえルーデウス」
「うん?」
「こうしてると昔を思い出すわね」
「冒険者をしてた頃?」
「そうね、ルーデウスが火の番をしてくれてたわ」
「魔術で火を熾すのが手っ取り早かったからね」
そう言いながら隣に座るエリスの肩に頭を預ける。なんとなくそうしたくなった。昔を思い出したからかもしれない。
「エリス」
「何よ」
「ちょっとだけこうしてていい?」
「いいわよ」
しばらくの間、夜の冷えた空気とエリスの体温を感じながら鍋の中身をかき混ぜる。エリスの匂いと香油の香りが混ざって心地いい。
「ねえ、ルーデウス」
「なあに」
「それ、何に使うの?」
「なんでも寝室に置くと良いらしいよ」
多分安眠効果とかだろう。喋っている間にオイルはもう溶け切っている。
「ふうん……じゃあそれ今から寝室に置きに行くの?」
「そうだな、瓶に詰めて棒を入れるんだ」
香油の一般的な使い方という物はシルフィから聞いた。香りを楽しみたいならコレらしい。寝室に置くと良いと教えてくれたのも彼女だし、流石の女子力だ。
ちなみに取ってきたのは竜涎香だと伝えるとなんか顔を赤くしていた。オルステッドと言い本当になんでだろうね。
「じゃあ出来たから、置きに行こうか」
「そうね」
鍋を片手に立ち上がると空いている方の腕をエリスに絡め取られた。あらやだ大胆だわカレったら、しっかりエスコートしてくださいまし。
寝室に到着した。両腕が塞がっている俺の代わりにエリスが扉の開け閉めとかを全部やってくれた。流石のエスコートである。
あらかじめ用意しておいた瓶に油を移し替える。どれくらいになるか分からないのでやや大きめのを選んだが、ピッタリそうで何よりだ。続いて棒を半分くらい瓶の口から出るように調整しつつ油の中へ差し込んで完成だ。
「すぐには香ってこないのね」
「しばらくかかるんだってさ」
棒を伝って油が揮発するからなんだとか。香り始めたら1ヶ月くらいは持つらしい。伝聞ばかりだな。
少しの間エリスと今日の事や近況について話していると、少しずつ香りが立ち始めた。
「いい香りね……」
そう告げるエリスの声は心なしか酔っているように聞こえて、俺は彼女の顔を直視できずにいる。
なんなんだこの空気。そんなつもりは無かったのになぜだかそんなムードになっている。これがお香の力か。
「ルーデウス」
「エリス」
二人の声が被って、エリスの視線が俺を捉えて離さないのを感じて。次の瞬間にはエリスに押し倒されていた。
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さて。普段よりも激しい……というか激し過ぎた蹂躙の果ての腰痛を除けば気持ちの良い朝だ。
エリスもすでに起き上がっていったらしく布団の隣には微かな温もりだけが残っていた。
「あ、おはようルディ」
目を擦りながら部屋から出るとちょうど扉に手をかけようとしていたらしいシルフィが廊下にいた。
起こしに来てくれたのだろうか。ちょうど良いからここで聞いてしまうか。
「おはよう……なあシルフィ、あの香油って……」
「あ、やっぱり知らなかったんだ。さっきエリスにも同じ事を聞かれたんだ」
そうだったのか。やっぱり何か謂れがある物なんだろうな。
「竜涎香ってね、お香としても有名で、アスラ王宮でも使われるものなんだけど……」
やっぱり由緒正しい物だったらしい。
ん?アスラ?
「夜の生活を円滑にする目的で焚かれるっていうか……要は媚薬なんだよ」
「そうだったのか……」
道理で、そんなつもりもないのに変なムードになると思った。エリスには悪い事をしたな。
「それでねルディ」
「ん?」
エリスにどう謝ろうか考えていたら、上目遣いでこちらを見ているシルフィに話しかけられた。
「まだお香、余ってるよね?」
「……うん?そりゃまあ」
耳をパタパタ、指をモジモジ、大変可愛らしい。
予見眼とか関係なく今からシルフィが何を言おうとしているのか分かる気がする。
「朝からこんな事言うのもなんだけど、今日ボクの日でしょ?だから……」
「分かった、用意しておくよ」
「ホント?やった」
小躍りしそうな勢いで喜ぶシルフィを見て、竜涎香を手に入れた幸運に感謝した。
きっと香油がなくなるまでの約一ヶ月、寝室からあの香りが絶えることは無いだろう。