「……」
俺は今、かつてない危機に直面している。
このような危機はこれまでに無かった。ゆえにどのような対処をすれば良いのか、皆目見当もつかん。
……これは難敵だ。ともすればラプラスにさえ匹敵し得るかもしれん。
「ねえー!オーステさま、ねえー!」
「む……」
本当にどうしたものか。
幼子の世話など、したことが無いからな。
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改めて、この先どうすべきかを考える。
今、俺の頭にしがみ付いているこの子の名はローランド。ルーデウスの長女ルーシーの息子で、年齢は5歳。ルーデウスが誕生祝いをシャリーアで行うと言っていたので間違いは無いはずだ。
そしてそのローランドは、先日母と祖父に連れられて事務所へ挨拶に来てくれた時にプレゼントとして贈った竜革の靴を履いて、再び此処へ遊びにやって来た。
それ自体は何も問題は無い。転移魔法陣の部屋や武器庫など子供が入っては危ないような場所は施錠してある上、この子は先ほどから俺にまとわり付くばかりで他には然程の興味を示していない。この分ならば俺が目の届く範囲で見守っていれば危険はないだろう。
問題なのは今この事務所には俺とローランドしか居ない事、そしてこの子は一人でこの事務所までやって来てしまった事だ。
数日前、ローランドは両親に連れられてミリスからこの事務所を経由してグレイラット邸に向かった。そして日を改めて再び訪ねて来た事で道を覚えてしまったようだ。
それだけならば両親に似て利発な子だと言えるのだろうが、5歳の子供が出先の街を一人で出歩くというのは良くない事だろう。
「ローランド」
「はい!」
元気な返事だ。恐らく機嫌が良いのだろう。
だが子供心は移ろいやすく、そして傷つきやすい。いつかルーデウスがそんな事をしみじみと言っていた覚えがある。
なので慎重に言葉を選びつつ、早く親元に返してやらなければならない。
「そろそろ帰った方がよいのではないか?」
「イヤーーッ!!」
失敗したようだ。
ますます力を込めてしがみ付かれてしまった。子供の力などでは龍聖闘気はビクともしないが、それでもまだ帰りたくないという主張は全身から伝わった。
「親が心配しているのではないか?」
「しんぱい……?」
「……お前の身を案じているのではないか?」
「あんじ……?」
難しいか。思えばこれくらいの歳の頃だったルーシーも俺の説明を聞いても首を傾げる事が多かった。恐らく俺は呪いを差し引いても子供の相手と言う物が苦手なのだろう。
それでも俺は可能な限り速やかにこの子をグレイラット家に帰してやらなければならない。きっと今頃は心配したルーデウス達があちこち探し回っているだろうからな。
「ねえオーステさま、ずっとなにかいてるの?」
「む?」
「ママがおしえてくれるのとは、ぜんぜんちがうや!」
俺の顔にペタペタと手を伸ばしながら、ローランドがそんな事を尋ねて来た。
この書類は人間語ではなく龍神語で書いている。かつてはヒトガミの使徒対策としてだったが、今やほとんどルーデウスの観察日記と化しているため、誰かに読まれても困るというのが実情だ。
「……そうだな、これは日記のようなものだ」
「にっき!ママがぼくにもにっきをかきなさいって言うんだ!」
今度持って来てあげる!とローランドは無邪気に言うが、恐らく日記を書く前に叱られて、嫌な思い出しか残らないのではないだろうか。
だが、
「そうか、楽しみにしていよう」
「うん!」
それでも、前向きに約束できる事は楽しい。
その答えに満足したのか、ローランドは俺の頭から梯子のように降り、今度は膝の上に陣取った。珍しい文字を間近で見たいのだろうか。
……いつでもローランドを送って帰れるように、今のうちに兜を被っておくとしよう。
「?どうしておかおかくしちゃうの?」
「俺の顔は人から恐れられる。だがお前の祖父二人が作ってくれたこの兜のお陰で驚かれる程度で済む」
「へー……でもママ言ってたよ!オーステさまはすごくやさしいひとだって!おじーちゃんももしかしたらこわいかもしれないけど、やさしいひとだからだいじょぶだよって言ってた!」
二人がそんな事を。あるいはルーデウスは自分の子孫に俺の呪いが効かないかを確かめたかったのかもしれないが。
呪いと言えば、今更かもしれないが、この子は俺と居て楽しいのだろうか。つまらなくはないだろうか。
恐ろしくはないのだろうか。
「お前は俺が恐ろし……怖くはないのか?」
「どうして?」
「少し、気になってな」
「こわくないよ?」
「……そうか」
「うん!」
胸が暖かくなるような満面の笑みだった。
子供からこんな笑顔を向けられる事はこの200年弱が初めての経験で、どう返せばいいのか分からない。
答えに窮している内に、遊び疲れたのかローランドの瞼が重くなってきたようだ。
……いま俺にこの子に返してやれる事といえば、今日という日が悪い思い出にならないようにやはり早く家に送ってやるくらいだろう。
「ローランドよ、やはり、そろそろ帰った方がいい」
「えー……」
「またいつでも遊びに来るがいい。今度は家族と一緒にな」
「はーい……」
やや真剣に諭せば、渋々といった様子ではあるが分かってくれたようだ。
兜は被ったまま、膝の上から降ろしたローランドと手を繋いで事務所を出る。
そろそろ日が傾こうとしているが、今のうちに帰して口添えをしてやればそれほど怒られずに済むだろう。
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ローランドを家に送って帰る途上でルーデウスと遭遇した。
聞けば傭兵団からローランドが事務所へ向かったと言う報告を受けてこちらへ向かうところだったらしい。
遊びに来ただけだから怒らないでやってくれと言うと、善処しますと微妙な顔をしていた。恐らくルーシーが怒髪天をついているのだろう。責任感の強い子だったからな。
数日後。やはりローランドは怒られたらしく、彼が見せてくれた日記には、勝手にお出かけしてすごく怒られた、でもオーステ様とお話できて楽しかった、また遊びたいと書いてあった。
良い思い出になれたのなら、何よりだ。