第十話:怒りを遷さず
波乱万丈な箱根旅行は今や過去の出来事。今日の日付は五月六日。雲一つ無い快晴。五月に入り、顔に当たる風も少し暖かくなっている。今日はゴールデンウイークの振替休日。翌日からはまた学校が始まる。
最近多少のイレギュラーはあったものの、他は不変的な日常である。両親が出てくる変な夢を見たり、喧嘩が起きて落ち込んだ新入り二人を何故か自分一人で励ましたり、銃を向けられた大和の前に立ちはだかって盾になった一方、川神院跡取り娘と組み手をしていつも通り負けたり、金曜日は欠かさず集会に無理矢理参加させられたり、一人で登校したいのに捕獲されたり。
理解不能なイレギュラーと不変的な事が入り混じる日常と化したが、それでも彼はとりあえずこれからの不変的な日常を願って生きている。今日も今日とていつも通り休みの日の睡眠を楽しんでいる。
が、しかし突然に謎の音声が穴蔵中に流れて眠りが妨げられる。この音声が流れるのは二回目だ。一回目は風間ファミリーが十人構成となった日の朝だった。
「……………何。」
「おはよう、今日ちょっとお願いがあるんだけど…。」
「……………寝る。」
問答無用で携帯を切って、ボストンバッグの奥底に入れる。そして頭まで毛布を被って再び夢の世界へ旅立とうとする。だが、何者かによっていきなり布団の上にのしかかられる。一旦閉じた目を開けると先程の短い通話の相手が侵入していた。
「……………おい。」
「おはよう、あなた。私達の子供達が出かけたがっていますよ。」
「……………子供なんかいない。」
京をどかし、寝るのをやめてベッドに腰掛ける。そして、自分の睡眠を邪魔した者への説教を始めようとすると正面から抱きつかれ、腰周りを両足でくわえ込み捕獲される。顔は鼻がくっつきそうでくっつかないくらい近い。
「お説教?聞くよ?話して?ふふっ。」
「……………もういい。」
今の態勢でいられると、話す気にもなれないので説教は諦める。捕獲されているのを解いてベッドに座らせる。腰の捕獲は解いたが、今度は腕を捕獲される。二つのとても大きな物が当たっているが、別に何とも思わないというのが彼である。
「…………で、用件は…?」
「まゆっちの携帯を買いに行くからついてきてほしいの。」
「……………なんで俺が。」
「理由なんてないよ。強いて言えば友達だからかな。」
「友達……………?」
未来から全裸でやって来る機械人間のように無表情で聞いた言葉を繰り返す。友達という言葉の意味を頭の中で調べる。互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだり喋ったりする親しい人。互いに心を許し合って…たがいにこころをゆるしあって…タガイにココロをユルシアッテ…
「…………友達じゃな…」
「どーどー。それ以上言うと流石に怒るよ?」
「……………。」
頭を撫でられながら軽く叱られる。その目は平穏だったが、今言われた通りもう一回同じ事を言ったものなら逆に龍が説教されただろう。
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結局、出かけることになった。百代と一子は川神院で修行、試合などで不参加。翔一は突然思い立ってしらす丼を食べに鎌倉へ。大和は人脈の中の一人と出かけ、卓也もスグルと約束があり、岳人は麗子と家族の用事があるそうだ。というわけで今日のメンバー構成はこの四人。
「今日は皆さん、ありがとうございます!」
「サンキューベイベー。これでオラも役目を果たせるぜ。」
「自分、まゆっちの為に頑張るぞ。」
「私も頑張るよ。」
「……………。」
携帯を買う由紀江とこれから役目を果たすであろう携帯ストラップの松風、クリスと京と龍。四人と一匹。とりあえず今は島津寮に集結している。
「準備はいい?まゆっち。」
「はい!必要な書類は全て持っています!」
「よし、では駅へ向かうとするか。」
「……………。」
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昨日もやって来た川神駅。駅前には多くのビルが立ち並び発展している。その駅ビルの中に携帯ショップがある。
「どこの会社にするか決めたのか、まゆっち?」
「はい!モロさんにご教授頂きました!」
と言って、鞄から分厚いメモを取り出す。携帯についての知識が事細かに書かれていた。電話帳並に分厚いA4サイズの用紙に画像が印刷されており、さらに各携帯についての分析、各料金プランについての諸注意などいろいろ書いてある。
「……そんなのがあるなら…俺らが来なくても……」
「ム?どうしたのだ?」
「…ちょっと面倒臭い年頃なの。」
龍の両頬をつねって二人に聞こえないように叱りつける。龍との関わりがまだ浅い二人には何が何だかわかっていない。
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「お、これなんかいいんじゃないか?」
「…クリス、値段を見て。」
携帯ショップ内。卓也が用意した書類を片手にいろんな携帯を吟味する。そのせいでもはや店員は空気な存在である。一人空気と同化したい人物は備え付けの椅子に座っている。
「あの、龍さん…龍さんはどれがいいと思いますか?」
「……………あれ。」
「ってあれ、お年寄り用じゃねーか!おいおい!そんな事言っちゃうとショートカットキーの一番に登録して毎日電話かけちゃうぜ!」
馬の暴走は持ち主を睨んで止めるのが彼の最近の習慣となっていた。見かねた京は由紀江達に聞こえないように龍に耳打ちする。
「早く選んであげれば早く帰れるよ。」
当然帰らせるつもりはなく、ただやる気を起こさせる為の耳打ちである。狙い通りやる気が出た龍は由紀江が持っているメモを奪ってパラパラとめくる。一ページ一ページをしばらく読んで、ようやく利き手の方の少し長い人差し指であるページを指す。
「……………これでいいだろ。」
「おぉ、これは良さそうだな。いいんじゃないか、まゆっち?」
「はい、素晴らしいと思います!」
「よかったね、まゆっち。」
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時は進んで昼時に差し掛かっている。四人は金柳街の中のゴストに入っていた。携帯を買ったら帰れると思っていた龍は勿論京によって捕獲されている。
無事携帯を買い終えて、今は三人メニューを見て何を食べるか決めている。一人はおしぼりを目に当てて寝ようとしている。
「あ、龍さん。メニューどうぞ。」
「……………いらない。」
「ム?お腹空いてないのか?」
「この子はこういう子なの。話すとちょっと長いんだけどね。」
料理を決める前に説明する京。彼は食べなくても飲まなくても生きていられるのだと。詳しくは言えないが、ある時から彼の体はそうなってしまったと。お腹が空いたり喉が渇いたりしないのでこれまで問題なく生きてはいると。認識が正しければ最長一週間。金曜集会の終わりからその翌週の金曜集会の始まりまで食べたり飲んだりしていなかったと。しかしそうは言ってもこちらとしては心配なので食べさせたり飲ませたりしていると。
「そうなのですか…。」
「大変そうだな…。」
「……………喋りすぎだ。」
「あ、まゆっちボタン押してくれる?」
「…。」
「まゆっち?」
「は、はい!ボタンですね!」
何かを考えていたような由紀江は松風も喋らないくらいボーっとしていた。京に呼ばれて意識が戻り、ボタンを押す。女性二人は由紀江がボーっとしていた事にも疑問を持つが、店員が注文を聞きに来た事によってその疑惑は掻き消された。
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「お待たせしました、チーズインハンバーグでございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です。」
「ごゆっくりどうぞ、失礼致します。」
完璧な接客をこなした店員は一礼をして裏に戻っていった。それから彼は疑問を口にする。
「……………頼んでない。」
「もう頼んじゃったから食べるしかないよ?」
「……………チッ。」
「後、ドリンクバーも全員分頼んであるからね。」
「……………余計。」
「ま、こうやってこっそり頼んで逃げ場を無くすの。」
なるほど…と二人は感心する。重い腰を上げて龍は烏龍茶をとって戻る。
「あれ、龍。ココアじゃないのか?」
「……………。」
「ねぇ、いつココア飲んだのを見たの?」
京は少し身を乗り出してクリスに問いただす。
「え、いや、あの、喧嘩してしまった日の夜に…。」
「そっか…ふふふ。」
「後ちなみにこの席もあの夜と同じです。」
「ふーん…ふふふ。」
「……………帰る。」
「ダーリン、まだハンバーグ残ってるよ?まさか龍が食べ物残しちゃうの?」
こんなに暗くなっても絶対に米粒一つ残さない龍をわかっている京はそれをネタに煽る。予想通り食事を再開する彼。食事も手がつかずにそんな彼を見つめている者が一人。
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「本日はありがとうございました!」
ゴストの入り口前で三人に深々と一礼する由紀江。
「今日のミッションは終わったけど、どーしちゃう?寮でまゆっちの携帯ゲッツを祝して今夜はパーリナイト?」
「パーリナイトはしないでも、とりあえずアドレス登録はしなきゃね。」
「では先に私達のアドレスを登録しようか。」
目には見えない赤外線が飛び交っている。京、クリスと送信と受信が繰り返される。今時赤外線を知らなかった現役女子高生は本日三人目の赤外線交換を申し出る。
「次は龍さんお願いします。」
「……………なんで。」
「だって兄ちゃん、俺たちマブダチだろ?同じ種馬同士仲良くしようぜぇ!」
本来なら最近の習慣で持ち主を睨むはずだが、ある言葉が引っかかって睨まずに言葉で持ち主を制する。
「……………友達なんかじゃない。」
「龍!」
爪を噛みながら空気を壊す一言を放つ龍と、あの日ほどではないが静かに一喝する京。そんな京を尻目に踵を返して自分の家へと去っていく龍。京は追いかけずにその背中をただ見つめるだけだった。
一方の彼は歩きながら自分に言い聞かせるように、繰り返し繰り返し呟く。
「……友達なんか…作っちゃいけないんだ……。」
彼の闇は深い。