六月十五日月曜日。川神学園は今日から衣替えである。加藤龍も今日から衣替えをすることに決める。半袖の制服から腕が剥き出しになり、改めて彼について語る事がある。
彼は勿論れっきとした男ではあるが肌は白く童顔なので幼少期は特に間違えられた。だが今では宿敵を倒すために鍛えたので多少筋肉質でもう間違えられることはない。
水支度を終え、出かけようとしたその時彼は思い出す。今週から弁当を食べたらすぐに直接由紀江に返さなければいけない事を。とんだ約束をしたものだと龍は舌打ちする。
やはりこういう性格になってからお礼などするのは恥ずかしくなった。大人相手だと何とかなるのだが。同年代相手だと、途端に恥ずかしくなる。
しかし今はああ言った以上有言実行しなければならない。そういう設定に生きている。いつも以上にモヤモヤしながらようやく家を出る。
携帯の時刻表示を見ると、悩んでいたせいでいつもより出発が遅れていた。遅刻をしない為には今から早朝ウォーキングをしている人のように早歩きをしなければならない。
いつもきちんと守っている出発時刻より今日は遅いので、土手の人並みも違う。
彼の推測ではあるが、時間が遅いので真面目ではなさそうな生徒が目立っている。そんな人間観察。流石に歩きながら本は読めないのでもっぱら人間観察をして過ごす。
この市で人間観察をするならうってつけの場所がある。それが多馬大橋である。多馬大橋といっても、今じゃその名ではあまり呼ばれていない。別名変態の橋。近年、川神学園に個性的な生徒が多すぎる為、自然とそう呼ばれるようになった。
勿論出没する全変態が生徒だけではない。何処からともなくやってきて幼女にちょっかいを出す初老の男性や、突然誰相手にも全裸になる男など様々である。
多馬川が変態の橋と呼ばれるのは変態だけのせいではない。常人とはかけ離れた変人のせいでもある。今後ろからやって来る人物が、変人の内の一人。
「フハハハハハハハ!!!!!おはよう、庶民!!!」
「加藤さん☆ おはようございますー!」
「……………おはようございます。」
九鬼英雄と忍足あずみ。九鬼財閥の御曹司とその英雄に仕えるメイド。どちらも二年S組の生徒である。片や学園に多額の寄付を行っているため黄金のスーツ、片やメイドであることを強く意識しているため、そのままメイド服。制服姿を守っている自分が馬鹿らしくなる構図である。
かなりの高飛車な性格ではあるが根は良い奴なのでいちいち人力車を止めては朝の挨拶をしてくる。しかし、挨拶される側としては正直周りの一般人の目が気になる。
「フハハハハハ!相変わらず暗いぞ庶民!我のように笑ってみせよ!」
「……………笑わない。」
「英雄様が仰ってるんですよ?笑ってください☆」
「……………もう笑う事は出来ない。」
「フハハハハ!相変わらず面白い奴だ。さて庶民よ、急がないと遅刻してしまうぞ。ではさらばだ!あずみ、人力車発進!」
「了解しました、英雄様ぁーーッ!」
…冗談を言っているつもりは毛頭ない。勝手に自己完結されて颯爽と人力車で去っていった英雄達。か弱いメイドに見えるが、自転車のような速度で人力車を押すその姿。
流石九鬼所属のメイドだと思っているとハンカチが目の前に飛んできた。それをいとも簡単に掴みとりあえず広げてみる。白を土台に真ん中には人間らしき人物がいる。
野球のユニフォームを着ているが、頭が星である。ちゃんと顔もついている。眉、目、鼻、口。だが頭が星である。手も足もついている。帽子もユニフォームも靴もバットとグローブも装備している。だが頭が星である。この星人間は一体何だろう。
その星人間が英語に囲まれている。文字の色は青い。B-A-Y-S-T-A-R-Sと書いてある。ベイスターズ…そういえば七浜ベイスターズとかいう球団がいると聞いた覚えがある。
家にテレビが無いので詳しい事はわからないが、ファミリーが話していたのを聞いたことがある程度。つまりはその球団のグッズが飛んできたということだろう。
落し物をようやく分析し終わると前から小柄な女性がやって来る。どうやら落とし主のようである。身長は一子とだいたい同じくらいだろうか。
「あの、すみません!それ私のなんです!」
「……………ああ。」
「ありがとうございます。手に持ってたら急に風が吹いて飛んでしまって。」
「……………人力車のせいか。」
人力車の急発進によって持っていたハンカチが飛んだらしい。つくづく迷惑な存在である。…根は良い奴なのだが。
「あの、ところで野球に興味とかはありますか?」
「……………普通。」
「あ、そうですよね、ありがとうございます。」
「……………?」
また勝手に自己完結している人物と出会った龍。少女が次の言葉を放つときには彼はいなかった。前を見ても後ろを見ても。彼は気配を消して先に進んだ。常人にはわからない彼の技の一つである。
だが彼もまだ発展途上の身。気付く人は当然いる。川神学園の数名の生徒。前を歩いていた軍団の一人にいきなり捕まる。何故わかるのか聞いても教えてくれなかった。それからはいつものように女性二人に捕獲されながら歩を進めた。
いよいよこの時である。今日も綺麗に食べ終えて、綺麗に洗い終わった弁当箱を直接返す。直接。感謝の言葉を添えて。階段を下りながら心の中で練習する。
卵焼きは甘すぎずしょっぱすぎず丁度良い味付けで美味しかった、マカロニサラダはヘルシーで美味しかった、そしてアスパラのベーコン巻きは美味しかった、とかそんな事を言えばいいのだ。非常に簡単である。五分で片付く。すぐに屋上に戻ることが出来る。
初めてあの技を使った時に川神百代が「フフン、技を持ったら名前をつけるニャン!」と語尾を変えて言っていた。…語尾は何とかならないものか。指摘をすると軽く蹴られる。
インビジブル。彼はそう名付けた。と言ってもただの英訳であるが。ただ百代がよく気配を消して幼少期の彼に悪戯をしてくるので、それを習得しただけである。常人以外には効く。
つまりは途中まで気配を消して対象人物に近づく。暗殺者のように。入り口に立って別のクラスメイトに「●●さんを呼んでくれ」をやりたくないのだ。
なるべく他人と接触せずに生きたい。そんな想いは中々報われない。いよいよ一年C組へ。インビジブルを持続して由紀江を探す。まみむめもだから窓の方だろうか。
…いた。相変わらず馬相手に話している。…いや、独り言か。まだ次の授業まで時間がある。何を一人で話しているのだろう。少し距離をとって聞いてみることにする。
「松風…今日も友達が出来る気配がありません…。」
「まだ諦めるなよ、まゆっち!まだアフタースクールじゃないんだぜ!」
「ま、また黛さんがストラップと話してる…。」
「怖いよぉ…。」
小声で話している他のクラスメイト達。幸い本人には何も聞こえていない。というか当人は自分の世界に入っている。
…なんだか可哀想に見えてきた。さっさと用事を済ませて帰ろう。そう思った彼はそのまま音なく近づく。すると今の今まで自分の世界に入っていた由紀江がこちらを振り向く。
「あれっ、龍さんいつの間に!?」
「!?」
まだそこそこ距離があるというのにインビジブルが見破られる。ただ他のクラスメイトからは「黛さん、今度は誰もいない所に話しかけてる…。」と思われている。
見破られた衝撃で思わず動けないでいると、由紀江が近づいてきて龍の肩にそっと触れる。まさかこの人物に見破られるとは。触れられた事で自分の気配が周囲にばれる。
周囲の一般人には龍が突然何処かからワープしてきたように見える。辺りはいろんな意味で騒然となる。突然の出現、彼の話し相手はストラップに喋りかけるクラスメイトの一人、いきなり現れた奴は百代様にいつもべたべたされてる奴だ、とか…。
「龍さん?…龍さん?」
「…………………………あ、ああ。」
「大丈夫ですか?ボーっとしてましたけど…。」
「……………大丈夫だ、問題ない。」
「少年よ、その台詞は駄目なやつじゃね?」
「……………黙れ、駄馬。」
未だ微動だにしない龍の肩を揺すって心配する“由紀江”とは打ち解けようとも、”松風”との相性は悪い。もし携帯のストラップとして未だに機能していなかったら窓の外へ思いっきり投げてやりたいくらいに。
「あ…今日のお弁当は、どうでした?」
その質問をされた途端、緊張のあまり、全身が強張る。
心拍数が上がり、由紀江の顔を真っ直ぐ見ることが出来なくなる。
さらには軽く平衡感覚を失っており、丁度近くにあった椅子に捕まって立っている。
手足は震え、口が思うように動かない。やっとの事で飛び出した言葉も酷いものである。
「……………ぁ、ァ、あ、あぅ、ぅ、ゥ、う、うみゃかった。」
…
……
………
…………
……………
龍の事で騒然としていたクラスも、急に静まり返った。注目の的が盛大に噛み倒したからである。「あの人は誰だ?」とか「二年生だっけ?」とか「確か百代様の幼馴染よね。」などが話されていたが、「噛んだ。」「噛んだぞ、あの先輩…。」「にしても噛みすぎじゃない?」などに話題は移って、挙句の果てに笑いをこらえている声が漏れ聞こえてきた。
無表情ではあるが、龍の顔も熟したいちごのようにみるみる赤く染まっていく。そしてロボットのような動きで由紀江の机に黙って弁当箱を置き、また気配を消した。そして今度は「消えた!」「いない!」「何が起きたんだ!?」と騒然となる。
由紀江は状況が飲み込めずに今まで龍がいた所を見てしまう。流石の松風も喋らない様子である。そんな呆然と立ち尽くしている由紀江に近づく一つの影…。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!!!」
放課後の秘密基地。今日は特に笑い声が響く。題材は勿論加藤龍である。噛み倒した話は伝言ゲームのように一年C組からいろいろ経由して風間ファミリーに伝わって今に至る。
現在秘密基地にいるのは、今までに無いくらい大笑いしている百代、ここぞと見計らって龍を慰めている京、苦笑しながら龍を心配している卓也、苦笑しながら自分の姉貴分は笑いすぎだろうと思う大和、事の顛末を聞いて頑張って笑いをこらえているクリス。
当人は秘密基地の隅っこで体育座りをして力なくうなだれている。あれからというもの、授業はロクに受けられず、各先生に怒られ心配され…それから覚えていない。どうやって帰ったのだろうか。気がつけば家ではなく、秘密基地にいる。記憶の消失、今日の帰宅方法などはどうでもいい。今は人目が気になる。いろんな音は聞こえるが何も見ないようにする。
「お腹痛い…盛大に噛むとか!龍が!龍が噛んだのか!あっはっはっはっはっはっ!!!」
「大丈夫だよ、龍。人の噂も七十五日だからね。よしよし。(今の龍には悪いけど、手段を選んでいる余裕はないからね…これが上手くいけば龍は私の物…ククッ。)」
「モモ先輩、笑っちゃ龍に失礼だろう……フフッ…」
「大和、こんな状況下だけどいろんな人間模様が見えるね…。」
「ああ…ひどいもんだね。これはこれで面白いけど。」
大和達が龍を見ると、体育座りでうなだれたまま今度は小刻みに震えていた。そろそろ限界なのかもしれない。しかし状況はさらに悪化する。
「ふふっ、モモ先輩、もうその辺で…。」
「ぅ、ゥ、う、うみゃかった…。」
「ぶふぅ!」
「ああっ!モモ先輩のせいでクリスまで吹いちゃったよ!」
必死に我慢していたクリスも、百代の悪戯によって遂に吹き出して大笑いしてしまう。それに耐えられなくなった龍はこの場から逃げようとする。
しかし、満面の笑みの黛由紀江が、偶然にも龍の目の前に立ちふさがった。
「出来ました!私に、お友達が出来ました!」