満面の笑みの黛由紀江が、偶然にも龍の目の前に立ちふさがっている。こぼれるような素敵な笑顔であるが、顔なんかどうでもいいのだ。問題は目の前に立ちふさがれて帰れないということである。
「……………どいてくれ。」
「あ、龍さん!今日は有難う御座いました!御陰様で…」
「!!」
無意識なとどめである。話にはまだ続きがあるようだが、話半分も聞けずにその場にうずくまってしまう。京が介抱してソファーに座らせる。お腹が十分よじれた二人が笑い終わったとき、ようやく事態の収束に落ち着いた。
変わらず満面の笑みを浮かべる由紀江から事の顛末がようやく語られる。龍が消えた後、すぐに由紀江に近づく影があったという。その影こそ新しく出来た友達である。
「…消えた!」「ホントだ、いない!」「何が起きたんだ!?」
「にしても、噛み噛みだったね…。」「ねー、あの人って普段無口って聞いたけど。」「そうよ、百代様にされるがままなの。」「なるほど、喋ると噛むから無口なのね…。」
「………ハッ、って、あれ、龍さんが誤解されてる…。」
「あ、あの…。」
「はい!?あ、大和田さん!」
軽く放心していた由紀江に話しかけたのは、由紀江が最も友達になりたかった大和田伊予その人である。
「あのさ、今の人どこ行ったのかな?」
「えーっと…ご自分の教室だと思います。」
「それじゃあ…あ、もう昼休み終わっちゃうな…。」
昼休み終了まで残り五分と無い。龍に会いたい様子の伊予は残念そうな表情を見せる。由紀江は勇気を振り絞って会話を続けることにした。友達にいち早くなりたかったが、話の流れを考えるとタイミングはまだと判断した。これまで何度もタイミングを逃しているので多少引っかかるものはあったが、由紀江はこのまま会話を続ける選択をした。
「あ、あの、どうかされたんですか…?」
「今朝、あの人がハンカチを拾ってくれたんだけど、もう一回改めてお礼を言いたかったんだよね…。」
「そうだったんですか…。」
話を続けるより、加藤龍という人間はやはり優しいんだな、と思う由紀江であった。優しいと思うと同時に何故、と思う。何故彼は自分を悪く見せるのか。
今までの人生の中で、自分をよく見せようとする人間は見たことがあるが、逆に悪く見せようとした人間は龍が初めてである。父への手紙がまた先延ばしになる。
頭を戻して目の前の問題にようやく取り掛かる。伊予を見ると「明日会えるかな…」と呟いている。
「あ、あの…」
遂に勇気を出して自ら声を出してみる。自分から誘うんだ。目指すは友達百人。内なる松風も応援してくれている。しかし、冷酷にも昼休み終了の鐘が鳴る。
「あ、長々とごめんね。またね黛さん。」
「あ……。」
鐘が鳴ってすぐに先生が来たのでそれ以上会話が出来なかった。なかなかタイミングが合わずに今日も失敗してしまう。
「あれ、失敗してない?」
「落ち着けよ、モロボーイ。まだ続きがあるんだぜ。じゃあ引き続き、VTR回転~」
「黛さん!」
「ひゃい!?」
放課後。今日も友達が出来なかった、と落ち込んで帰ろうとすると伊予が駆け寄って来る。
どうやら先程の非礼を詫びに来たようだ。
「さっきはごめんね、時間が無かったから黛さんの話が途中で終わっちゃって…。」
「い、いえ!お気になさらず!」
「それで、何のお話だっけ…?」
「えっ!えっと、いや、その、あの…」
いざ改まって聞かれると困るものである。何だか緊張してきた。緊張のあまり、全身が強張る。心拍数が上がり、伊予の顔を真っ直ぐ見ることが出来なくなる。目が泳ぐ。
今の自分の姿でふと思い出す。あぁ、龍さんはさっきこんな状態だったのか。そう思うと自然に緊張が解け、くすっと笑ってしまう。
くすっと笑ったおかげか、緊張は何処かへ消え去った。そして一つ大きな深呼吸をしてから伊予と真っ直ぐ向き合う。今まで貯めこんでいた想いをようやく口にする。
「私と…お友達になってください!!」
「と、言う訳でオラ達はズッ友になったんだぜ。」
「もうズッ友宣言なの!?」
「龍さんのおかげでテンぱらずに落ち着いて話せたんです!」
「……………。」
「返事がない、ただの屍のようだ。」
「……………。」
「スルーされたよ、姉さん。」
「明日になれば復活してるさ。今日はそっとしておいてやれ。ほら京も。」
「むむっ、モモ先輩が言うなら仕方ない…。」
黛由紀江が遂に成功した裏で、加藤龍はかなりの精神的ダメージを受けている。深刻的なものではなく、あくまでも恥ずかしすぎて死にたい、穴があったら埋まりたい、夜は川神院で寝ている跡取り娘の周囲二キロから離れたいという状態である。
翌日。龍は硬いベッドから時間通りに起き上がる。昨日の事を思い返し溜息を一つ吐く。結局羞恥から立ち直ったのは他の皆が立ち去ってからである。初めて昨日インビジブルを使って銭湯に入りに行った。万が一学園の生徒に会わないようにと。
いつも通り家を出て、インビジブルで登校する。そしていつも通り途中で捕まる。
「昨日は笑って悪かったよ、許してくれるか?」
「……………ああ。」
「自分も笑ってしまってすまなかった。許してくれるだろうか?」
「……………ああ。」
「龍はいよいよ私に振り向いてくれるんだもんね。」
「……………ああ。とは言わないぞ。」
昼休み。学園の喧騒と難しい勉強から抜け出せる至福の時。今までは小説を読んで時間を潰していたが、今では毎日弁当が支給される。別に今の彼は何も食べず飲まず、酸素だけで生きられる。しかしなんだかんだ文句を言っても最近の定期的な食事を楽しんでいる。
今日も座ってすぐに風呂敷包みを開いて弁当箱を取り出す。まず目で楽しむ。色鮮やかな食材が綺麗に並んでいる。それはまるで市販されている弁当のようだと彼は思う。
そしていざ食べようとすると、滅多に開かない屋上の扉が開く。侵入…彼にとっては闖入者か。扉の方を見ると弁当の作者黛由紀江と…もう一人小柄な女性である。
時既に遅し。インビジブル発動前に由紀江と目が合ってしまう。癖である舌打ちが一つ。そして死んだ目で胡坐をかきながら闖入者に質問を投げかける。
「……………何しに来た?」
「え、あ、あの、一緒にお昼をと思いまして…!」
「……………帰ってくれ。」
「つれない事言うでねぇよ~、オラ龍ちゃんに構ってもらえなくて寂しいんだぜ~。言うだろ?寂しい馬は死んでしまうって。」
「馬じゃなくてウサギだろ……………いいから帰れ。」
「あ、あの!」
由紀江の隣にいる小さな袋を持った小柄な少女が間に入って来る。龍はそこで思い出す。この前ハンカチを飛ばされた人だ、と。…名前は聞いていない。
「私が黛さんに無理言ってお邪魔させていただいたんです!」
「……………何故?」
「この前ハンカチ拾ってくれたお礼を言いたくて…。」
「そんなことで……………?」
「駄目…ですか?」
「う……まぁ………いい。」
相手の身長が低いせいで、上目使いを見事に喰らってしまう。潤んだ瞳を見てしまって何が断れるのだろうか。…前提として彼は会ったばかりの人間は無下に扱わない。…過ごした時間が蓄積されれば段々無下になってくるのだが。
「改めまして、一年C組大和田伊予です!」
「……………三年F組深見影彦。」
「それ誰ッスか!龍パイセン!偽名じゃないッスか!」
「大和田さん、この方は二年F組加藤龍さんです。」
「加藤さん、この前はハンカチを拾ってくださってありがとうございました!」
「……………別に。」
結局、三人で食事をする運びとなった。それからは二人の話を延々聞かされる。一緒に帰りながらいろいろな話をしたそうだ。伊予の野球の話、松風がファミリー以外に認められた話などを聞いて適当に相槌を打つ。友好的に事は進んでいるようである。
「そういえば、来週はいよいよ体育祭だね、まゆっち。」
「はい!当日は頑張って活躍します!!」
「天気予報でも高確率で晴れって言っているし、一緒に頑張ろうね。」
「はい、頑張りましょう!!」
体育祭。由紀江はそこで大活躍をしてクラスメイト達に喜んでもらい、全員と友達になるという算段である。彼女の大きな願いは果たしてうまくいくのだろうか…。