今日、八月三十一日といえば学生にとって夏休み最後の日。そして一種の学生にとって最悪の日でもある。一種の学生には夏休みの宿題という名の魔物がまだ残っているのだ。そういう理由で龍は百代に無理矢理連れられて秘密基地にいる。朝っぱらから。
宿題を一緒にやりに来たはずの百代は買ってきた棒アイスを食べながらだらけている。
「龍~、宿題クローバー積んできてくれ~。」
「自分でやれ……………何だそれ。」
左手でアイスを食べながら、右手で問題を解いている。その顔は苦悶に歪んでいる。
「本読んでないで手伝ってくれよ~!」
「……………努力しろ。」
夏休みの宿題は初日に終わっている彼は、冷たく突き放す。そんな彼を見て百代は彼の気をひこうとして必死である。
「ワ~、白いアイスが胸の谷間にぃ~。」
「……………集中しろ。」
夏特有の暑さは、彼女を修業後によく着るブラトップ一枚と白い長ズボン姿にしていた。
そこにわざとらしく白いアイスを胸に垂らすが、無駄である。
「て、手伝ってくれたら、何故か夜しか営業していなくて、何故かビルの上階にあるマッサージ屋並みのサービスを…。」
「今……この時間に宿題をやれば……もう終わっていただろうな…。」
今の彼はそういう色香に惑わされないので、百代は諦めて宿題に再び取り掛かる。
三十分後、真面目に宿題に挑んでいた百代はようやく歓喜の声を上げる。
「終わったニャ~!!」
「……………お疲れ。」
いつの間にか購入してきていた冷たいお茶を百代に差し出す。
「ハッ!宿題に集中しすぎて、気配察知するの忘れてた…。その間に買ってきたのか?」
「……………そっちか。」
「いや、美少女的にそこも気になったんだよ、んっ、ありがとう。」
「……………美少女?」
喉を鳴らしてお茶をぐびぐび飲む。渇いた喉を潤しながら百代は龍に蹴りを入れる。
自分で美少女と言うと龍は必ず疑問形で返答してくるからだ。
「さて、終わったし遊ぶにゃ~!」
「おい……………それはなんだ。」
龍が指さした先には白紙の作文用紙が、先程終わった問題集の下からはみ出ていた。
いわゆる読書感想文である。本を選んで読んで感想を書く宿題がまだ残っていた。
「あー…これは…その…ただの下敷き代わりで…。」
「……………無駄な抵抗だ。」
「せめて間に息抜きを…。」
「……………駄目だ。」
「駄目ぇ?そんなぁ!」
彼はわかっている。ここで休憩をとらせると必ず脱線してしまうということを。なのでここは一気に終わらせるべきだと彼は確信した。机に突っ伏している百代を見て龍は再び読書を始める。
「って、さらっと自分の世界に行こうとするなよ!助けてくれよ!」
「息抜きに……………本でも買いに行くか?」
「龍のおごりだったら…。」
「……………。」
「え、そこ、何も言ってくれないのか!?」
言い過ぎたと思い、少し優しくしたら調子に乗られたので再び冷たく突き放した彼である。金欠だった百代は、冗談を言っている暇では無かったと後悔する。
そして題材にする本をどうしようかと考えるとすぐに思いついた。百代は真剣な表情に切り替えて、龍に提案を投げかける。
「龍。真剣に読むからそれ貸してくれ。」
「……………構わない。」
百代は龍が読んでいた本を受け取ろうと手を差し出すが、龍はおもむろに立ち上がり、その手をとって百代も立ち上がらせる。そして黙って引っ張っていく。
秘密基地から出て、階段を降りて下の階に。百代はどうしたのかと一回問いかけるが龍は黙って歩を進めている。そして廃ビル最下層の一室に入る。
彼の”家”である。大変みすぼらしい部屋に女性である百代を連れ込む。流石の武神も彼の突然の行動に心は穏やかではない。龍は百代をベッドに座らせ、自分は奥へと引っ込む。
彼が自分の部屋に他人を自ら招き入れた意味を考えてみる。彼を起こす為に不法侵入すると自分と京は必ず怒られる。こちらが悪いのは承知の上で。
しかし今は彼が使うベッドに座っている。つまりは許されたのだろうか。本を読むと言ったからか。昔の彼に戻ってくれるのだろうか。勉強が出来ない頭だと、他に考えつかなかった。そう思うと百代は自分の服装を後悔した。
ムードもへったくれもない格好でベッドという場所にいる。今の彼に対して桃色的な発想を抱くのはあり得ないが、本当に仲直りするのであればこんな簡単な格好に着替えるのではなかったと。夏の暑さを違う意味で恨んだ。
一人で勝手に苦悩しているとようやく龍が違う本を手にして百代の許へ戻ってくる。
「こっちを……………読んでくれ。」
「え?あ、ああ。さっきのじゃダメなのか?」
「処女作から……………読んでもらいたい。」
「なるほどな、そういうことか。」
予想はやはり外れた。ただ奥から別の本を持ってきただけだった。
百代は京のように本を読んでいないので、一番初めはその作者の処女作から読むことになった。つまりその処女作で読書感想文を書けということである。
龍が最初は黙って読めと促す。百代が言われるがままに読み始める。今の彼女は借りてきた猫のようにおとなしく、そして従順だった。数十分後、読み終えた百代に聞いてみる龍。
「……………どうだった?」
「主人公、ココア飲みすぎだろ。」
「……………おい。」
「いや、これも立派な感想の一部だぞ!他はな…」
それから百代は感想を話し始める。龍は節々にそれに賛同して頷いている。
そして、龍は今すぐ百代に宿題をさせた。その感想を聞いてすぐに原稿用紙にぶつけさせた。
すぐにやらせると筆が乗ってすぐに終わった。勉強面もやればできると彼は思った。
「今度こそ終わったにゃ~!」
「……………お疲れ。」
そう言うとブラトップによって無防備にむき出しになっている両肩に、本人の許可もなく触れる。
「ひゃんっ!な、なんだ!?」
「……………肩揉みを。」
「あ、ああ。ありがとう。」
彼の手は冷たいので急に触れられると誰でも必ず何かしらの反応をする。
瞬間回復という便利な技があるが、人からの施しによる回復方法を断る理由は無かったので甘んじて受ける。
「龍、くふぅ、私はこの後遊びたいぞ!」
「……………いってらっしゃい。」
「あっ、あ、お前と一緒に遊びたいんだよ~。」
「……………嫌だ。」
「なぁ、あぁっ、頼むよ…。」
「……………わかった。」
所々で変な声を出してしまうのは、彼の肩揉みが上手いせいであったが、彼はただの呼吸だと思っている。
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数分後、いつものリスのTシャツと黒い長ズボンに着替えた百代と、イタリアン商店街にやって来た。
数日前に二人で竜巻を起こしそうになった事があったが、店員達は変わらず接客してくれた。
「もうすっかり夜だな~。」
「……………誰のせいだ。」
「う、うるさいな!それより飯だ!空腹だぞ、私は!」
「……………あそこにしよう。」
夕方過ぎに訪れたこの街も、数店でウィンドウショッピングすると太陽は沈み、楕円形の月が顔を出していた。
お腹が空いたという百代がくっついてくるので、龍は適当にレストランを指差す。
「あそこは中々高かったような…。お姉ちゃん、流石に金欠じゃなくてもあの店は遠慮しちゃうぞ…。」
「……………何とかなるだろう。」
「え、いや、ゴストでいいよ、龍、ちょっと、MA☆TTE!」
イタリア商店街の一角。ドレスコードは無いが、一学生では頑張れば手が出るが、遠慮したい値段のイタリアンの店。
龍は躊躇なく店に入る。百代は思わず入り口で立ち止まり、おすすめメニューが書いてある小さい黒板を見る。
やはりコースで中々の値段設定である。よっぽど本格的なのだろう。百代が踵を返そうとした時、店の中から龍に腕を引っ張られる。来月はいきなり金欠確定である。
メニュー表を見てさらに驚く。流石個人経営のお店だけあって小皿一品一品でもちょっと高い。メニュー表からチラッと龍を見ると目が合ってしまう。
「……………このコースでいいだろう。」
「龍、お金は…。」
「……………問題ない。」
「え。」
そう言うと龍はすぐに店員を読んでコースを二つ頼む。コースの飲み物を聞かれる。
彼はぶどうジュース。百代は慌てた様子でピーチジュースを頼む。
百代は今の自分の姿は非常に滑稽だろうと自己嫌悪に陥り、俯いている。
龍はそんな彼女を心配して話しかける。
「……………大丈夫か?」
「大丈夫だけど大丈夫じゃない。」
「……………?」
「だから言ってるだろ。金だよ、金。まぁ鉄骨の一つや二つ運べば金は入って返せるけどさ。すぐには無理だぞ。だからちょっと待っててくれ。」
「何を言っているんだ……………俺のおごりだぞ。」
「ん?」
日頃のアルバイトが彼の財布を潤していた。代行業のお手伝いはやはり他より時給が良い。数日頑張ればそこそこの収入は得られるのである。それを彼はこの日の為にシフトを詰めに詰めて働いた。そんな訳で彼は今、常識の範囲内のどんな店でもおごれる地位にいる。
「なんだよ~、おごりならおごりって言ってくれよ~。よし、じゃあキャビア・フォアグラ・トリュフ…」
「……………調子に乗るな。」
百代の長い脚を蹴って注意する。長いテーブルクロスのおかげで他からは見えない。
武神にこんな攻撃は効いていないが、注意にはなった。
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「はぁ~…美味かったな。流石イタリア商店街にある店というだけあるな。」
「……………ああ。」
「コースはこれで終わりだよな?」
「……………デザートがある。」
デザートかぁ、と間の抜けた返答を尻目に、龍は店員に合図する。その店員は軽く頷くと奥に引っ込んでいった。
そしてすぐに店の電気が全て消える。百代が停電かと思って焦っていると、十八個の橙色の明かりが照らされ、こちらに近づいてくる。
店員が歌っている歌でどういうことか理解する百代。典型的な誕生日の歌。ああそういえば今日は自分の誕生日だと。宿題に追われていてすっかり忘れていた百代である。
テーブルにホールケーキが置かれ、すぐに火を吹き消す。明かりがついて数組のお客たちにも祝福の拍手を貰い、武神が丁寧に会釈している。
「龍、お前が頼んでくれたのか?」
「……………大和が。」
ケーキが切り分けられる。プレートもイチゴもとても豪華なケーキである。
「龍、食わせてくれよ。」
「……………自分で食え。」
「誕生日だぞ~、今日の主役だぞ~。」
「……………口開けろ。」
「あ~ん………うん、普通に食うより美味い♪」
「……………違いはないだろ。」
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「龍、今日は何から何までありがとう。」
「……………別に。」
「もうこんな時間だし、流石に帰るか。」
「……………他の皆が待ってるかもな。」
店から出るとテレビのゴールデンタイムを少し過ぎていた。それなのに秘密基地に他のファミリーが集まってると言った龍を抱えて台風のようにすぐに行くと、再び祝福される。
…尚、百代が大和にバースデープランの事を聞いて、当然大和がやっていない事を確認し、今日の主役が龍により一層じゃれついたのは言うまでも無い。