川神書店の朝は早い。開店前に問屋から入荷した沢山の本を棚に並べる。大抵は店主一人で黙々と並べる。日によっては妙に懐いているアルバイトも朝から働いてくれる。そして極稀に手伝いを買って出る者がもう一人。
「おーい、その本とってくれ。」
「……………はいっ。」
やっぱり本が好き…な加藤龍は二つ返事でこの川神書店の手伝いを承諾したという。この書店の為ならただ働きで大丈夫です、と言った者がいるとかいないとか。
流石にそこは説得して事なきを得る。目を輝かせてタダ働きでいいと言う龍はどういう風に映っていたのだろうか。とにかく時給制で働くことで話は落ち着いた。本人は普段お世話になっているから無償でいいのですが…と完全に納得していない。
問屋から卸した本を各コーナーに棚に並べていく。一応児童小説や絵本もあるのだが、この書店は特に歴史物が多い。歴史物といっても店長の渋いチョイスによるものなので、ラインナップが非常にマニアックである。漫画家もお忍びで参考資料として買いに来るらしいが、漫画家はあまり顔を出さないので、いまいち実感がない。師岡卓也に教えてもらった某テニス漫画の作者が買いに来た場合はわかるのだが。
「また司馬や遠藤ッスか、店長!」
「バッキャロー!そういうのは何冊読んでもいいもんなんだよ!」
そんなもんスかね~、と翔一はこぼしながら本を整理する。一方の龍はあまり反応せずに黙々と整理を続けている。
…尚、店の経営はあまりよろしくはない。先述した通りにこの店は品揃えが特殊である。近くに大手書店があるので尚更ここは人々の目に異様に映っている。
……ただ何もしなければ後二カ月で潰れるとかそういう状況ではない。
無意識に救世主が誕生したおかげで、首の皮一枚で助かっているらしい。加藤龍は大のミステリー小説好きであり、活字中毒である。起きた直後は何かと説教臭くなる睡眠より好きな読書。つまりは加藤龍こそが救世主である。その話はまた後日改めて…。
「おい、バッキャロー!手が止まってるぞ!後、よだれ出すな!本が汚れる!」
「……………す、すみません。」
黙々と作業をしていると思ったら、手が止まっていた。先程まではきちんと整理整頓をしていたが、好きな作家の好きなシリーズの新刊を見つけると、表紙を見つめたまま制止してしまっていた。そして無意識によだれも。つくづく危なく見えているだろう。
昼前に開店する。店が開いた後にやることと言えば棚の埃があったらハタキで叩いたり、立ち読みに来た椎名京を叱ったり、本がきちんと並べられているかチェックしたり、立ち読みに来た椎名京を叱ったり、自身の担当するミステリーコーナーを飾ったり、立ち読みに来た椎名京を叱ることぐらいである。
「や。」
「……………おい。」
本日も案の定やって来る珍客。あまり人が来ない店に訪れてくれることは有難いのだが、京の目的は気になる本の立ち読みである。彼女が言うには「読んでみないと中身があるか分からない」と。一理あるが、ここでの立ち読み行為は特に厳しい。店長がそれを許さないからである。そして京ぐらいしか立ち読みをしに来ないので引っぺがし担当を任されている。
「……………買ってから。」
「買ってから後悔したくないので。」
「……………一理ある。」
「じゃあ続けよう。」
「……………駄目。」
「じゃあ今日一緒に晩御飯食べるなら買うよ。」
「……………わかった。」
「チョロイン。」
「……………おい。」
「冗談冗談。じゃあ買ってこようっと。えっと、財布はズボンのポケットだったかな。」
「……………俺の尻を撫でるな。」
軽いセクハラを受けて、京は店奥へ。以前はきちんと注意していたが、最近は説き伏せられて困っていると、条件付きで折れてくれる。条件のほとんどが寮で夕食を共に、寮の皆で一晩過ごすというものばかりである。
昼休憩。梅屋のどんぶりで済ませた二人。まだ時間があるのでラマーナ川神内のラ・マール・プーアールに。食後のデザートが食べたいと言ったのでついていくことに。
「うめえええ!!!」
「……………ん。」
男二人でトリュフマフィンをつつく。価格設定が非常に高いがバイト代が入った直後の二人に死角は無かった。気がつくと目の前に翔一がいない。すぐに大量の袋を持って駆け出してくる。
「給料分買い占めてきたぜ!」
「……………買いすぎだろう。」
「だって今日限定商品なんだぜ!同じ日は二度来ないんだぜ!」
「……………あー。」
一理あるが、量が物凄いことになっている。休憩時間はまだあるので大丈夫だとは思うが…。嫌な予感がする。
「後悔はしないが反省はしない!龍、頼んだ!」
「……………おい。」
予感が的中し、結局こうなってしまった。責めたら責めたで限界を感じたら終わりだと言われてしまう。納得はできないが、流石に袋が開いた菓子を無駄にするわけにはいかない。となると、大食漢の龍が使われる。食べても食べても満腹を感じないので今の状況では非常に便利である。
「流石龍だぜ!なぁ、俺の胃袋は宇宙だ!って言ってみてくれよ!」
「……………嫌だ。」
「救世主・龍!そろそろ帰ろうぜ!」
「……………はいはい。」
翔一は我関せずと意気揚々と歩いている。根は良いのだが、いかんせん子供の部分があるので少し厄介である。基本楽しいのだが、駄々っ子を相手にしているような錯覚に陥る。
ふと目の前を子供二人が横切る。半袖短パン姿で無邪気に走っている子供達。
「そういや、昔はよく一緒に走ったよなー!」
「……………ああ。」
そもそも彼と出会ったのは龍が小学四年生の時。百代の紹介を受けての事。出会いを遡ると…
「姉パンチ!」
「ぶっ!」
時は遡り、龍が小学四年生の時。武闘にもだいぶ慣れた頃。百代と試合をしていつもの試合後の反省会にて。反省会は子供二人で行われる。自慢の黒い髪がまだ短い時の百代は龍の力こぶを触っている。
「ん~、力がついてきたな。いい感じに成長してるなぁ。」
「ほんと!?」
「ジジイ・ウソツク・ビショウジョ・ウソツカナイ。」
「やった!」
「でもなぁ~、速さが足りない!!」
「速さ?」
「技のスピードとか、避けるスピードとか大事だろ?」
「あー、なるほど。」
「というわけで、次の課題は速度だ!キモサベ!」
「うん!」
「それで俺の所に?」
「うん、翔一君足速いから!一緒に走りたいなって!」
「おー!面白そうだなー!じゃあ鬼ごっこしようぜ!」
「うん!」
二人でひたすら野を駆ける。学校がない日は朝から夕まで二人で鬼ごっこをした。最初の方がついていくのが大変ですぐにスタミナ切れで倒れてしまっていた。
しかし数をこなしていくうちに段々とスタミナがついて、有り得ないだろうが本当に足も速くなった。
「お前速くなったなー!」
「ほんと!?」
「風の申し子の俺が認めるぜ!」
「やったー!」
「じゃあこの言葉を教えよう!いいか、よく聞けよ?」
思いっきり息を吸って翔一は叫ぶ。
「強風暴風台風突風旋風烈風疾風怒涛!風をとらえられるモノなどこの世にありはしない!」
「強風暴風台風とっぷ…え?」
「本気で走りたい時にはこう叫ぶと速く走れるんだぜ!」
「じゃあ、今度使ってみるね! 強風暴風台風とっぷ…舌噛んだ…。」
この経験のおかげで、武闘に幅が広がった。龍にとってまた感謝すべき人間が一人増えた。子供の心を持ったまま成長した風間翔一。少し面倒臭くても惹かれてしまうその魅力。
「…………………………ありがとう。」
「? 何だかわからないけど龍からお礼を貰えるなんて気分いいぜ!よしっ、店まで走るぞ!」
「……………ああ。」
「よし、いくぞ、せーの!」
「「強風暴風台風突風旋風烈風疾風怒涛!風をとらえられるモノなどこの世にありはしない!」」