年が明け、四月には高校二年生となる二〇〇九年となった。周りの協力もあって、ようやく少しではあるが立ち直った加藤龍は職探しを始めていた。
高校生になり、ようやくアルバイトできる年齢になったからである。さらに言えば自立した人間になりたくて、今から自らで金を稼げるようにしようというわけである。
というわけで龍は廊下に貼りだされている様々な求人広告に熱視線を送っている。
「おぉう、その熱視線をもう少しこちらへ…。」
「……………嫌だ。」
気がつかない間に自分の胸辺りに頭が来るような小柄な弓道娘が左隣にいた。相変わらず自分の行く所行く所に現れる神出鬼没な武士娘である。
「龍向きの仕事は無さそうだね。」
「……………尻を撫でるな。」
廊下に誰もいないことを確認して絶妙なタッチで龍の引き締まった尻を撫でまわす。ただ被害者は口で注意するばかりで特に止めはしない。
「セクハラしているのに怒られないとは…偽者?」
「……………本人ですよ。」
冗談を言いながら人の顔をペタペタ触る京に呆れながらも調子を合わせる。
それに気づくと、痴漢を辞めて昔からずっと大好きな男に助言をする。
「龍向きのは本当に無いよ?」
「……………本当に?」
「だってほとんど接客業だし。」
「いや……………出来るよ。」
接客業とはやはり笑顔が重要である。店の雰囲気を明るくしたり、笑顔でお客様に安心感を与えたりと何かと必要な表情だと。無愛想より愛想が良い人が好まれる。
「じゃあもっと笑いなよ。」
一年で固まった顔は以前のように可愛い笑顔を見せることはなく、口の端をちょっと上げるだけのとてもぎこちないものであり、接客業にはとても不向きである。
「うん、もうちょっと練習が必要だね。」
「……………ム。」
「というわけでお探しの仕事は見つかりませんでした。」
「……………う。」
「今見つからなくても結婚はまだ先だから大丈夫だよ。」
「……………それはないです。」
軽い舌打ちが聞こえたので頭を撫でてやる。それだけで京の顔は簡単に綻ぶ。
ただそうやって優しくすると調子に乗って真正面から抱き付いてくる。
未だに廊下に自分達以外いないので、実に良く育った胸まで押し付けてくる始末である。
「あ、そういえば源さんがヘルプを探しているよ。」
「……………?」
「代行業の助っ人。笑顔がいらない簡単なお仕事だよ。」
「……………ふむ。」
事の方向性がようやく決まった所で、二人は帰路に着く。終日龍の機嫌が良い事に味を占めて恋人つなぎを要求すると、近頃物騒だからとすぐに承諾したという。
久しぶりにボールのように弾む会話は実に懐かしく、実に楽しかった。お互いを信頼してお互いをからかい合うというのも久しぶりで面白い。
「本で機嫌良くなるとは龍もチョロいね。」
「……………頭撫でて機嫌良くなるとは京もチョロいな。」
数日後、龍は朝早く川神院にいた。跡取り娘の部屋にある姿見を使って真新しい黒のスーツを着ていた。今日は 百代は「脳細胞がトップギアになるぞ~」と言いながら龍のネクタイを締めている。
「こうやってネクタイを締めていると新婚夫婦みたいだな。」
「……………。」
「無視しているとそれを返してもらって丸裸にしてやる。」
「……………ごめん。」
新妻のように旦那役のネクタイを締め終えると、真正面から首に手を回して、顔を近づけてきて唇は触れないが、お互いが吐く息はダイレクトに伝わって来る。
今龍が着ているスーツは百代が工事現場で汗水垂らして稼いだ金でプレゼントされたものなので今日一日は彼女には逆らえないのだった。
「……………遅れるのだが。」
「すぐ終わるさ………ふふ、やっぱり前髪短い方がいいな。」
「……………ン。」
「さて…行って来い、隠れイケメン。」
猫が人間に自身の体を擦り付けるのには、二つ意味があるという。一つは自分の物などを主張する時のマーキング、もう一つは飼い主に対する愛情の意味。百代はそれをわかっていながら強く抱きしめるのであった。
「ハイ、採用。」
「おう、これからも宜しくな、龍。」
「……………おう?」
去年の始業式以来二度目のスーツ登校をし、指定された空き教室におよそ三十分前には到着していた。緊張のせいでいつも座り慣れているはずの椅子に何度も座りなおしたり、京からプレゼントされた手鏡でこの前切り揃えてもらった前髪を何度も気にしたりと、非常に落ち着かなかったというのにやって来た二人の面接官は一分もかからずに採用の二文字を龍に下した。
「早速だけど今夜入れるか?」
「……………え、あ、はい。」
「じゃあオジサンの携帯を教えるぞ。本当は女以外には教えないんだけど…なんてな。赤外線出してくれ。」
「……………あ、あの。」
当人が困惑している間に話が進むのを必死で止める。採用はとても嬉しい事なのだが、あまりにも速い決断に異見を唱える。
すると巨人は普段見せる柔和な態度から一変、真面目な口調で龍の採用理由を説く。
「……………この素早い採用理由は?」
「あ?やっぱり気になっちゃう?そうだな、一番は学校で顔を合わせて、ある程度信頼できる人間だと判断したから。次にルーと学長からそれなりに強いとお墨付きをもらっている点、というか今日は面接というよりこの後の初仕事についての打ち合わせだったからな。ま、そんな感じさ。」
「……………ふむ。」
午後八時。忠勝と龍は川神駅にいた。いきなりの初仕事は駅前のビジネスホテルの一室の掃除である。宇佐美代行センターの長は別件で席を外していて忠勝が先生役である。
「じゃあ始めるぞ。」
「……………はい。」
「別に敬語じゃなくていいぞ。」
「……………うん。」
たくさんの掃除用具を持って二人はホテルの一室にいる。今回はお客様が泊まっていない部屋を限られた時間で掃除代行をするのが今日の任務。
「ホテルの掃除ってのはスピードが命だ。何十もの部屋を時間内に掃除しないといけねぇからな。まぁ、このホテルは比較的部屋数が少ないからそこまで急ぐ必要はねぇけど…だからといって、手を抜くんじゃねぇぞ?」
「……………うん。」
「じゃあ順番に教えていくぞ。まずは風呂場だ。」
バスタブ、トイレ、窓、鏡、テーブル、灰皿、ベッドなど駆け足ではあるが、スポンジは横ではなくて上から下の縦方向に動かすとかの様々な掃除法を教わる。
ただ教わったのはいいのだが、彼の悪い所としてはそのまま教わった通りに丁寧にやってしまう所である。
「フロントですが、もうそろそろ宜しいでしょうか?」
「おい、早くしろ。」
「ここがまだ……………。」
「すみません、もう時間がないのですが…。」
「はい、すみません。すぐ終わります。…貸せ。ここはこうするんだ。わかったか?」
「……………うん。」
「ここはやるからお前は道具を片付けておいてくれ。」
熟練者の忠勝による神業で龍が手間取っていた箇所は簡単に綺麗になった。結果として少しのタイムロスで初めての仕事を終えたのであった。
帰路に着きながら、忠勝がおごってくれたブラックコーヒーを飲みながら今日の反省会を開く。
「……………ごめん。」
「俺も手を抜くなとは言い方が悪かった。ホテル清掃ってのは手を抜くところは手を抜いていいんだ。そうしないと時間内にノルマは達成できねぇからな。」
「……………そうなのか。」
「後は慣れだ。慣れれば自ずと技と速さは身についてくる。
「……………ありがとう。」
「これからはこういう反省会を開いていくぞ。」
「……………え?」
「…勘違いすんじゃねぇぞ、俺の負担を減らす為に助けるんだからな。」
「……………うん。」
「まぁ…頑張ろうな。とにかくこれからも宜しくな。」
そう言って缶コーヒーをぶつけ合う。こうして新たな道を見つけたと同時に風間ファミリー以外の新たな友情が芽生えた瞬間でもあった。