【完結】あなたはノースティリスの冒険者ではない。(ウマ娘×Elona) 作:河畑濤士
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皐月賞です。
おわかりいただけると思いますが適宜スキップしてください。
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雨が、降り出している――しかしながら冷雨は、皐月賞の勝者を一目見ようと詰めかけた観客の熱狂にも、ウマ娘の闘志にもなんら影響を及ぼさなかった。
バ場状態も“良”という発表。解説者は「言葉があるとすればやや良」と言ったが、とにかくGⅡスプリングステークスのような不良バ場ではないことは確かだった。
ファンファーレが鳴り響く。
雨に打たれながらゲートインしたマチカネタンホイザは、きょうこそは絶対負けないぞっと自分に言い聞かせ、ゲートのその先にある空間を睨んだ。思ったよりも視界は悪くない。2戦目のOP・いちょうS、6戦目のGⅡスプリングSで雨天時のレースは経験済みだ。
「最後に大外枠、ウィルショウブが収まりますっ!」
――はじまるっ!
ゲートが開くと同時にマチカネタンホイザは飛び出した。
と、同時に彼女は気持ちを落ち着かせ、視界を広くとる。
きょうの作戦はトレーナーと話し合い、出だしは中団・後方からのレースと決めていた。他のウマ娘を風除け、雨除けにしてレースを進める。坂を上りきったあとの2コーナーを曲がり終えると待っている下り坂を利用し、おそらく同様に加速する周囲に合わせて動く。その後の3コーナー、4コーナーも同じく緩やかな下り坂になっているので、まくって上がって直線勝負に持ちこむのが理想。
褐色のマントをはためかせながら駆けるマチカネタンホイザは、目ざとくGⅡ弥生賞勝ちウマ娘のアサノミニスターやハネダサクセスの背後につけた。
「さあミホノブルボン、いいスタートっ! この皐月賞もハナに立ちます! 続くのはリインガロウやクトリゥクライといったところでしょうか!」
マチカネタンホイザは他のウマ娘を圧倒するほどのトップスピードを有しているわけではない。秀でた才能があるとはいえない“普通のウマ娘”。それを彼女のトレーナーも、彼女自身もよく理解している。故にスピードの不足による相対的な不利を、努力と工夫で補ってきた。
実況や歓声を聞き取り、レース展開を把握する思考力。
併走トレーニングを繰り返すことで身につけた広い視野。
身体が上げる悲鳴を脳に伝わる単なる電気信号と見做して切り離す精神力。
そうした技能を十分に活用するため、坂路走やプールトレーニングで心肺機能を鍛え、スタミナを錬成してきた。
(こなものぉおおお――)
スタンドから上がる歓声を聞きながら、マチカネタンホイザはスタート直後の坂を駆け上がる。
第1コーナーに差し掛かっても、声援はやむことがない。
たぶんこの大歓声の中には、いつも応援してくれる商店街の人々や、公園でよく会うちびっ子たちのそれも混じっているのかな、と思いつつも、濡れた芝で滑らないように細心の注意を払いながら、第1コーナー、第2コーナーを通過していく。
「ミホノブルボン、リードは1バ身から2バ身くらいでしょうか!」
レース場に響き渡る実況の声を聞きながら、マチカネタンホイザは焦らない、焦らない、と自分をなだめた。
脇には純白のロングコートに、純白のフリッツヘルメットを被ったGⅠホープフルS2着・GⅡ弥生賞2着のベストスタント。背後を一瞥すれば、数名のウマ娘。最後方にはGⅢシンザン記念勝者・アタゴペトリウスが纏う黄・緑の色彩がある。
無理してミホノブルボンとの距離を詰める必要はない――少なくとも、この数秒は。
先行組とマチカネタンホイザの周囲が動き出したのは、第3コーナーの前であった。
緩やかな下り坂を利用して、ベストスタントが上がっていく。その走りぶりに焦燥感は一切ない。勝ちレースこそOP京都ジュニアSであり重賞制覇こそないものの、レース巧者らしい判断だった。2000メートルごときではミホノブルボンのスピードは鈍らない、いまのうちに上がっておいて、好位から直線勝負に持ちこもうという腹積もりである。
さらにそれにつられるような形で、赤龍・蒼龍の刺繍を背負ったニジノドラゴンオーが往く。
「ミホノブルボン先頭で第3コーナーへ! まだリードは2バ身から3バ身くらいあるっ!」
マチカネタンホイザは遥か前方で外に膨らみ、先行していたリインガロウらを躱して前へ出ようとするベストスタントの姿を捉えていた。彼女の眼には飛ばすミホノブルボンも、大外を回って強襲を仕掛けにいったベストスタントも、かなり足を使っているようにみえた。
――力を温存して第4コーナーを回ることができれば、勝てるはずっ!
「粘れえ」「ドラゴンオーッ」「ペトリウスの末脚やばい!」「そこからは届かんでしょ」「ライス頑張れえ」「残って残って!」「ベストスタント残れ!」「ブルボン粘れッ」「ハネダ割ってきたッきたァ!」「突き放したッ!」「いいぞブルボンッ!」「ドラゴンオー!」「マチタン、ここから!」
理想通りのコーナリング、とはいえなかった。
第一に、もともと先行していたが限界を迎えたリインガロウやクトリゥクライ、一時は2番手まで上がって力尽きたゼンシンアチャラ、5番手前後でレースを進めたものの、走りにどこか迷いがあったライスシャワーらを躱さなければならなかった。
加えてマチカネタンホイザとほぼ同時に周囲のウマ娘がラストスパートに入ったため、彼女は外目を衝くほかなかった。
(もしかして、やった――?)
やった、というのは良い意味でのやった、ではない。
しかしながらそこから彼女は決勝線がある空間目掛けて、全力を尽くした。
才能も、スター性も、ない。自分は普通のウマ娘だ。そして普通のウマ娘は最後まで勝利を諦めない、勝利を諦めたら普通のウマ娘ですらなく、普通の娘だ、と信じて疑わない彼女は、末脚を伸ばす。
「ミホノブルボン先頭ッ! ミホノブルボン先頭ッ!」
実況の声を圧す大声援。
その中から友人や商店街の人々の声を聞き分ける。
ミホノブルボンまで、彼我の距離は少なく見積もっても4バ身――だが届かぬという道理はない!
が、次の瞬間、その横を豪脚有するアタゴペトリウスが追い抜いていった。
(むうんッ――!)
すかさず黄・緑の色彩を差し返そうとしたが、差はむしろ広がっていく。
あれは最後に差す!
敗北感も焦燥感も置き去りにして、彼女はまずいちばん近い背中――垂れてきたニジノドラゴンオーのそれを睨んだ。まだレースは終わっていない。まずあれを抜く――!
◇◆◇
14番人気のリインガロウはゲートが開くと同時に、前目につけるべく走り出した。
正確にいえば、ミホノブルボンをマークするためだ。
彼女は他のウマ娘との駆け引きやバ群を割ることがどうも苦手だった。周囲からは勝負根性がない、と言われることも多い。
(ブルボンさんをマーク。根性――うん、根性で第4コーナーまでついていって、最後でハナ差でもいいから前に出るんだ!)
ここで勝てなければ、もう二度と袖を通さないかもしれない紫電ほとばしる勝負服。
メイクデビュー戦で3着、未勝利戦3着。
ようやく次の未勝利戦で勝ったが、大逃げという奇策で1着をもぎとったというレースで、褒められたものではない。
次のPre-OP戦では0.1秒差の3着。
OP戦のクロッカスSは勝ったが、これは自身も含めて8名という少人数での競走だった。
そしてGⅡスプリングSでは、7着。
中央の重賞に出られるだけでも、否、OP戦に勝てただけでも十分“上澄み”という言葉は、何の慰めにもならない。勝った未勝利戦もOPレースも奇策による意外性、少人数という“運”に助けられたにほかならない。
……能力がないことは、重々承知だった。
が、折角の勝負服。これで最後にはしたくなかった。
そして自身に勝ち目があるとすれば、全力でミホノブルボンについていき、最後に追い越す。これしかない。
「さあミホノブルボン、いいスタートっ! この皐月賞もハナに立ちます! 続くのはリインガロウやクトリゥクライといったところでしょうか!」
スタンド前、沸き上がる歓声。
(GⅠ皐月賞。たぶん、私みたいなウマ娘が出られる最後のGⅠなのかな)
ふと脳裏をよぎる弱気な考えを振り払い、坂を駆け上がる。
しかし少なくとも、両親やファンの前だ。中団・後方からのレースで、バ群に呑まれて何もできずに終わるようなレースは見せられない。
ここで勝つ。このGⅠ皐月賞に勝って、いままで挙げた2勝が単なるラッキーじゃなかったことを証明したい。
「リインガロウ、クリトゥクライの背後にはマチカネタンホイザ! きょうは先行策か。少し開いてライスシャワーが――!」
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道中、最後方。
葦毛のアタゴペトリウスは小首をかしげた。
黄色いシャツに濃緑のライダースジャケットを羽織った彼女は、すぐ前を往くマチカネタンホイザを睨むと、マッチは何を考えてんのかな、と思いを巡らせた。
それでは自分が何を考えているかといえば、それは勿論、追込である。誰にも邪魔されない経済コースで第4コーナーまで駆け抜けて足を溜め、直線で一気に抜き去る。この作戦でOP戦もGⅢも制した。
(マッチの脚質は先行か差しだよね)
アタゴペトリウスは、マチカネタンホイザをよく知っている。
彼女はメイクデビューで敗北を喫していた。
他でもないマチカネタンホイザに、だ。
だから彼女のことはよく知っていた。作戦は先行か、差し。
スタートダッシュに失敗したわけでもないのに、なぜ私の“ハナ先”にいるのか。
ここまで後方の位置取りなど、併走でも見たことがない――つまり、ぶっつけ本番。
(でも――)
マッチの走りに迷いはない。
アタゴペトリウスはそれに気づいた。
(マッチはぽやーっとしてるけど、すごい勝ちにこだわるんだよね……)
このレースの主役は、間違いなくミホノブルボンだ。
それはアタゴペトリウスも認めざるをえない。
そのミホノブルボンをこの中山で倒すために、もしも自身で追込を決断したならば、とんでもない勇気であろう。
あるいはトレーナーが指示したのだとすれば、彼女はどこまでもトレーナーのことを信用しているに違いなかった。
なにせこのGⅠ皐月賞は、一生に一回しか挑戦できないレースなのだから。
「ミホノブルボン先頭で第3コーナーへ! まだリードは2バ身から3バ身くらいあるっ!」
実況の声を聞き、アタゴペトリウスはそろそろ“仕事”の時間だと気持ちを切り替えた。
息はほとんど乱れていない。視界も、思考もクリア。遠目に見える赤紫の残光から彼我の距離を算出。このままいけばミホノブルボンをゴール前で躱せるだろう。
垂れてきたマイバマイフォースを抜き、第4コーナーへ。
そしてマチカネタンホイザの影から、一気に躍り出て加速した。
(悪いけど、トレーナーさんのために勝つよ……!)
マチカネタンホイザを置き去りにし、先行していたものの力尽きてずるずると後退をはじめていたリインガロウやクトリゥクライ、ゼンシンアチャラ、ライスシャワーたちを無慈悲に追い抜いていく。
(彼に不釣り合い、なんていわせない!)
同時に後方から差すタイプのギャラテクカホクト、マイバマイウイン、シュッドゥオーを速度で上回って前に出る。
傍目からみて、アタゴペトリウスの走りは異様だった。
ただ勝つためだけではない。誰かに見せつけるための走り。
最後方からぶち抜く、という素人でもわかりやすい“強さ”を誇示するような走り――。
(“天才”の代表ウマ娘はこの私、絶対にエイサンチアーズには負けない!)
壁になっていたウマ娘たちが消え、最先頭までの視界が開ける。
アタゴペトリウスは、口の端を歪めた。あとミホノブルボンまで4人――そしていま私は、ミホノブルボンよりも速く走っている!
が、彼女もまた天才の片鱗をみせるウマ娘だ。
一瞬でわかってしまった。
ミホノブルボンは、事前の見立てよりも、ゴールに近い位置にいる。
(諦められるか――!)
彼女はもはや足が残っていないニジノドラゴンオーを抜き去る。
そして次に見たのは臙脂色のドレスに白襷をかけた勝負服。GⅡ弥生賞1着の、アサノミニスター。
(アサミちゃん)
弥生賞にてエイサンチアーズが敗北を喫した、アサノミニスターの背中がそこにある。
途端、アタゴペトリウスは獰猛な笑みを浮かべた。
まだ勝負は、終わっていない。
アサノミニスターを抜くことが、次善とはいえここではひとつの勝利だった。
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あなたは関係者席で目覚まし時計のアラーム音を、都合2回聞いている。
ミホノブルボン1着、1着、1着。
マチカネタンホイザ7着、6着、13着。
そして信野トレーナーは、無表情のまま3個目の目覚まし時計を使おうとしていた。
呆れたことに彼の足下にはダンボールが2箱――数十個の目覚まし時計があった。
本当にマチカネタンホイザの“三冠ウマ娘”という夢を叶えるために試行錯誤を繰り返すのであれば、あなたはあと数十回近く同じレースを見ることになるだろう。