【完結】あなたはノースティリスの冒険者ではない。(ウマ娘×Elona)   作:河畑濤士

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■15.「使えよ」

 あなたは少し離れた席に座っている、信野トレーナーの表情を窺った。

 そこにあるのは焦りや迷い。あなたには彼の心情がよくわかる。これ以上使ってもマチカネタンホイザの勝利はありえないのではないかという迷いと、次の1回でよもや勝てるのではないかという期待、マチカネタンホイザの夢を諦めてよいのかという苦悩が同期している。

 

 あなたはあくびをした。

 あなたは退屈しているし、不愉快ではないといえば嘘になるが、信野トレーナーの行いを直接批判してはいない。あなた自身、暴力に訴えることの多い身だ。手段を選ばない姿勢には、一定の理解がある。

 もちろん、信野トレーナーが逆恨みでミホノブルボンに手を出すようなことがあれば、即刻その首を刎ねるつもりであったが。

 

 あなたの目の前で繰り広げられるレース展開は、ほぼ変わらない。

 ミホノブルボンが2バ身前後のリードをつくって逃げる。

 リインガロウとクトリゥクライが2番手・3番手の位置で先行。

 4コーナーでベストスタントとニジノドラゴンオーがまくって上がり、ブルボンを強襲するが届かず、ニジノドラゴンオーの背後から今度はアサノミニスターがミホノブルボンの背中を捉えにかかる。

 それに遅れてハネダサクセスが末脚を伸ばしてくるが、間に合わない。

 1着はミホノブルボン、2着にハネダサクセス。3着をベストスタント、アサノミニスター、最後に豪脚で突っこんでくるアタゴノペトリウスで争うといった格好だ。

 端的にいえば、マチカネタンホイザは掲示板すら厳しい。最後に失速したニジノドラゴンオーを抜ければ6着、抜けなければ7着、といった結果か。

 

 故にあなたはむしろここで信野トレーナーに、目覚まし時計を使わせたかった。

 皐月賞におけるブルボンの勝利は、揺るがない。あなたが見たところ、信野トレーナーは所持する目覚まし時計すべてをここに持ってきている。客観的にみれば彼の行動の大部分は「阿呆」の一言で切り捨てられるのだが、マチカネタンホイザに三冠を獲らせたいという気持ちが強すぎて空回りしているのであろう。

 そしてあなたとしては、あれを日本ダービーや菊花賞の舞台にまで持ち込ませるつもりはなかった――それに関していえば、あなたもまた手段を選ぶつもりはなかった。

 

「ミホノブルボン先頭ッ! ミホノブルボン先頭ッ!」

 

 あなたは黙したまま、ひたすら繰り返される皐月賞のレースを観戦し続けた。

 

「ミホノブルボンッ! 高々と右腕を上げたッ――まずは一冠! 皐月賞の冠を勝ち獲った!」

 

 予想通り、目覚まし時計を使い切るよりも、信野トレーナーの心が折れるのが先だったらしい。

 掲示板に“確定”のランプが灯るとともに、関係者席に座っていたトレーナーたちが立ち上がり、自身の担当ウマ娘の元に向かう。耳障りなアラーム音が聞こえてこないことを確認したあなたは、座ったままうなだれている信野トレーナーを見やった。

 

「ごめん――」

 

 呻くように何やらつぶやいている信野トレーナーに、あなたは音もなく忍び寄る。

 

 そしてあなたは、口を開いた。

 もういいのか、と。

 

「……ブルボンのトレーナーさん。その、ご迷惑をおかけしました。それから、お、おめでとうございます」

 

 彼の足下にはまだ十数個の目覚まし時計が残っている。

 それを認めたあなたは、残忍な笑みを浮かべて信野トレーナーに聞く。

 使わないのか、と。

 

「は?」

 

 まだチャンスはある。使えよ。

 マチカネタンホイザの三冠の夢は、そんなに容易く諦めてよかったものなのか。

 次の1回、その次の1回で、もしかするとマチカネタンホイザは勝者になるかもしれない。その可能性を、自分で閉ざしていいのか?

 

「……」

 

「……無理ですよ」

 

「いまの彼女じゃ、絶対にこの舞台では勝てない」

 

 あなたは溜息をつくと、そう簡単に諦めるなよ、と嗤った。

 それからあなたは信野が何かを言う前に、詠唱をはじめた。

 攻撃魔法や補助魔法よりも、遥かに難解で高度な魔法を瞬く間に完成させた。

 

 支配。

 

 他者をペットに変える支配の魔法。

 しかしながら詠唱スキルを極限まで高めたあなたは、その効力を自在に操ることができる。

 あなたはこのとき支配の魔法を、支配というよりは強力な暗示として用いた。

 

――お前はマチカネタンホイザの三冠の夢をかなえるために、目覚まし時計を使い続ける。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 最後の目覚まし時計を使った信野は、担当ウマ娘がパドックに行っている間に個室のトイレにいた。酷い耳鳴りの合間に自身を罵る幻聴が聞こえてくる。胃が痛み、逆流する酸で喉が焼ける。耐えきれずに嘔吐した彼は、滂沱の涙を流し始めた。

 ここまで繰り返せばわかる。

 自分の担当ウマ娘は、絶対に、勝てない。展開に左右されない“逃げ”のミホノブルボンを下すのは、どうあがいても無理というものだった。クラシック三冠の夢は、出だしから潰えた。

 いや、自分が潰したのだ、と彼も認めざるをえなかった。彼女の能力が、ミホノブルボンのみならず他の有力ウマ娘にも届いていないこの現状は、ひとえに自分の能力不足、努力不足によるものにほかならない、と。

 

 それでも彼は、パドックから引き揚げてきた担当ウマ娘に、最後の作戦を伝えにいった。待ち合わせ場所に選んだ地下バ道に、ひとえに惰性で向かう。すでに何十回と行き来した道。そしてまた、敗北が待っている。いや、次に待っているのは単なる敗北ではない。時間の遡行で誤魔化すことができない、三冠の夢が完全に潰える瞬間だ。

 

「あっ、トレーナー! って、あれ――」

 

 担当ウマ娘は、彼を認めるなり驚いて声を上げた。

 

「――れえ゛え゛え゛え゛え゛!? だっ、大丈夫ですか!? な、なんかもうこの世の終わりって顔してますけど!?」

 

「大丈夫。作戦、変更するね……」

 

 彼はハンカチで口もとをもう一度拭った。

 

「作戦は……」

 

 彼は言いかけて、言いかけて、

 

「作戦は……」

 

 言えなかった。

 

 一生に一度の勝敗を賭けた作戦を、言えなかった。

 逡巡というには、長すぎる時間が流れる。

 それでも、言わなければならない。

 

「作戦はっ」

「うおっほんっ!」

 

 彼が言おうとした瞬間、彼の担当ウマ娘はわざとらしく咳払いをした。

 

「しょーじき言えばっ! 私は突然の作戦チェンジに、びっくりしてますっ!」

 

「でもだいじょうぶですっ。私っ、トレーナーを信じてますからっ!」

 

「それからっ――」

 

 彼女は、橙の瞳をきらりと輝かせた。

 

「私のことも信じてくださいっ!」

 

「私はどこにでもいる普通のウマ娘で、きょうはここにたっくさんの強いウマ娘が集まってます!」

 

「でも負けるつもりはありませんっ!」

 

「皐月賞は一生に一度しか出られないGⅠレースっ――だからこそ、ここまで私を導いてくれたトレーナーを私は信じますっ!」

 

「ですから……あれ? えーっと私はトレーナーを信じてて、で、トレーナーは私を信じてて……? ???」

 

 とにかくですね!

 と、彼女は笑った。

 

「私が信じてるのでっ! トレーナーもですね、トレーナーが信じるこのマチカネタンホイザが信じる自分の信じる私が信じる自分を信じて? 作戦を言っちゃってください! では、作戦っ! どうぞっ――!」

 

 ごめん、と信野はにじむ視界を袖で拭った。

 信じていなかった。心の底から、信じていなかったのだ。マチカネタンホイザの勝利を。だから持っている目覚まし時計を全部持ちこんだのだ。最初の2、3戦は勝てたらラッキーで、様子見するつもりだった。ウマ娘のレースには“まぎれ”がある。いい感じの作戦で、数十回試行すれば、マチカネタンホイザ“でも”勝てるだろうと思っていたのだ。はっきりいってマチカネタンホイザの敗北が前提にあった。

 いや、皐月賞だけではない。

 これまでのレース、ほとんどすべてがそうだった。

 もう一度、にじむ視界を袖で強く拭う。

 

「絶対勝てる。そのための作戦はっ――」

 

 一生に一度しか出走できない皐月賞。

 夢の舞台に初めて臨むマチカネタンホイザに、信野トレーナーは新たな指示を出した。

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