【完結】あなたはノースティリスの冒険者ではない。(ウマ娘×Elona) 作:河畑濤士
「……」
日本ダービー当日の東京レース場控室。
あなたはミホノブルボンに作戦と、他のウマ娘の様子を伝えた。椅子に腰かける勝負服姿のブルボンはいつもと変わらない――わけがなく、どこか落ち着かない様子だった。あなたは不安か、と彼女に聞いた。
「……」
あなたは揺れる蒼穹の瞳を覗きこんだ。
「はい、マスター」
ブルボンは目線を逸らせた。
「ステータスは――『恐怖』あるいは『弱気』です」
「夢の舞台に立たせてもらうまでに、私は多くの人の手助けを必要としました」
「父、マスター、笛木さん、ニシノフラワーさん、バクシンオーさん、不審者の方――たくさんの人々が私を応援してくれました。ゆえに」
ブルボンは言葉に詰まった。
が、あなたはその先に続くべき言葉を理解していた。
その期待を裏切ってしまうのではないか。
約2分30秒というわずかな時間で、多くの人々を失望させてしまうのではないか。
そう言いたいのであろう。
だからあなたは率直に言った。
もしもこのあとブルボンが負けたとしても、“裏切られた”とは思わない、と。
「……負けても、いいのですか」
表情筋をわずかに動かして驚きの表情をつくるミホノブルボン。
対するあなたは無表情のまま数秒、思案した。いや、勝ってほしい。三冠ウマ娘という夢を、彼女に掴んでほしい。だがそれ以上に、あなたが彼女を応援している理由はなんだっただろうか。
あなたにはもう夢がない。
何か目標を持つにはもう強くなりすぎた。
……だからこそ、夢を追う存在が眩しい。
目標達成、夢の実現に向けてあがいていく姿は、誰しもがもつ原点だ。
故に自分が失ってしまった原点を大切にしたいし、応援したかったのだ。
「つまり」、とあなたは内なる気持ちに思い至って口を開いた。
「君が勝つから応援しているわけではない。
君が夢を追っているから応援しているのだ。
君の夢に魅せられたのではない。
夢のために走る君の走りに魅せられたのだ」
「マスター」
「だから、きょうもその走りを見せてくれ――」
◇◆◇
レース出走直前のウォーミングアップである返しウマ。
芝の状態を確認しながら軽く走る17名のウマ娘たちは次の瞬間、鳴動する大気と放たれるプレッシャーに毛を逆立てた。
高らかに1番人気の入場を告げる実況。
純白の柵の向こうから現れたのは、無限に広がる漆黒の宇宙へつながる、どこまでも高い蒼穹の瞳をもったウマ娘だった。
腰部から伸びる銀翼。
燐光放つ蛍光色の装甲。
ワイヤーカッターを備えたシューズ。
瞳に闘志を湛えた無敗のスターファイターが、そこに立っている。
そして彼女は、左拳を突き上げた。
関係者席に座るあなたに向けて、また観客席で応援する友人に向けて、日本中のファンに向けて。
ミホノブルボンは、左手の人差し指、中指、勝利を誓約した薬指を立てた。
「1番人気ッ――ミホノブルボンが、3本指を立てました! これは!」
「三冠を本気で獲るつもりなんだ、ブルボンさん」
巨大なターフビジョンに映し出された3本指を、16番人気のライスシャワーは見た。が、気圧されているわけではない。むしろ彼女は「ライスには好都合だよ」と小さくつぶやいていた。
返しウマが終わるとそのままインコースに近い1番枠のウマ娘、エルカノンとエンピビスコマンドからゲートに入り始める。
ミホノブルボンは“外”に近い7番枠。そのミホノブルボンのゲートインを2番枠のオウカアースオーは横目で見やると、正面を見つめなおした。東京芝2400メートルは、1枠・2枠のウマ娘が有利というのが定説。これぞ天祐、と彼女は思う。きょうこそ“中距離の
「最後に大外枠のベストスタント、ゲートイン完了」
18のウマ娘が、極限まで集中する。
風の音も、観客の声も、もう彼女たちには聞こえない。
「態勢、整いました」
ゲートが開くとともに、紫電が躍り出る。
「スタートしました!」
カタパルトで射出された艦上機じみた好スタートを切ったのは、鈍色の装甲とインナーを纏ったウマ娘、ミホノブルボン。
それに続くのは、ミホノブルボンとGⅡスプリングSで対戦経験のあるルサルカナイフであった。魚鱗のような革の小片を無数に縫いつけた勝負服を纏った彼女は、道中でミホノブルボンに離されればもうそれで勝ち目はなくなる、と積極的に先行した。
その影に潜むのはライスシャワーだが、実況も、観客も、彼女に注目することはほとんどなかった。
「さあ、きょうもミホノブルボン先頭! ミホノブルボン先頭です!」
ルサルカナイフとライスシャワーに少し遅れて駆けていくのは、2番人気・ハネダサクセスやカワサンキセキ、ニジノドラゴンオーたち。さらに後方に4番人気のゴールドケラウノス、最後方に近い位置にマチカネタンホイザやベストスタント、アタゴペトリウス、そして3番人気・オウカアースオー。
ミホノブルボンがハナを獲ったことを確かめた観客たちは、ルサルカナイフやライスシャワーではなく、こうした後続の有力ウマ娘たちに熱い視線を注いだ。ミホノブルボンに投票しなかった“大穴派”のファンたちは、後方を往く自分たちの推しに向かって声援を張り上げる。
(速いッ)
スピードよりもパワーが自慢のウマ娘、ルサルカナイフは序盤から苦悶した。東京芝2400メートルのコースは、坂を上りきった地点にスタートが設けられている。スタート直後は平坦な直線で、300メートル以上続いており、ミホノブルボンは最初からスピードに乗っている。
1コーナーから2コーナーにかけても緩やかな下り坂。
彼女の逃げを阻む要素は、ない。
(日本ダービーは、いちばん運のいいウマ娘が勝つ――)
ルサルカナイフに並ぶように前に出たギャラテクカホクトは、舌打ちした。
(何が“運”だ!)
彼女の目には、2バ身離れたミホノブルボンの背中が遠かった。運など関係ない。ミホノブルボンの間に横たわる距離は、実力の隔絶にほかならぬ。スピード、スタミナ、パワー。そんな総合力こそ試されるのが、この東京芝2400メートルではないか。
わずか約2分30秒で決着するレース。
観客たちの前で、瞬く間にミホノブルボンは第3コーナー手前の坂を上りはじめていた。
(ここだッ――)
ミホノブルボンの速度が、わずかに鈍る。
この瞬間、後方でひとりのウマ娘が動いた。
「ここで動いた、オウカアースオーッ!」
観客が、どよめいた。
トレーニングの際にもたされていた緑色のお守りではなく、大田勝がもたせてくれた手作りのお守りを腰にぶら下げたオウカアースオーは、第3コーナー目掛けて突進していた。後方で状況と進路を見定めてから加速してバ群を捌き、第4コーナーまでに好位置を占位――最終直線でミホノブルボンと決戦するというのが彼女の描いた絵図である。
(それに必要なスタミナも、パワーも、この瞬間のために養ってきた!)
坂を上りきったミホノブルボンは、ちらと後ろを見る。
が、すぐに坂を下りはじめた。彼女はオウカアースオーが仕掛けようという長めの“まくり”を脅威とは見做さなかった。彼女の脚は下り坂で増大する負荷に容易く対応し、理想的な加速を実現した。さらに不審者によってもたらされた秘孔と気力の操作――ミホノブルボンは余計なスタミナのロスなく、第3コーナーを突破し、第4コーナーへ向かう。
それにオウカアースオーは食らいついていく。
(私だけ、ラストスパートをかけたようになっている……ッ!)
第3コーナーで、彼女は外へ膨らんだ。
その分、加速してミホノブルボンに食らいついていく。
が、それでもミホノブルボンはリードを保ちながら第4コーナーを駆け、第4コーナー終了直後の上り坂に向かっていく。
(こんな終わり方!)
オウカアースオーは、一瞬でもミホノブルボンの先を走ろうと全力を捻り出す。が、実況が「高低差200メートルの坂」と言い間違えるほどの坂が、それを無情にも邪魔をした。上り坂によって、彼女が思うほどのスピードが得られない。
「さあここから有力バたちが襲いかかってくる!」
そうこうしているうちに、彼女は殺到するバ群に再び吞まれてしまった。
「先頭はミホノブルボン! そして2番手は――ッ!?」
坂の中腹を往くミホノブルボンに対し、バ群から突出してその背中に挑んだのは葦毛のウマ娘、アタゴペトリウスであった。
(ミホのんには悪いけど、勝っちゃうよ)
黄色いシャツに濃緑のライダースジャケットを羽織った彼女は、“豪脚”と称される――皐月賞においてミホノブルボンを0.5秒上回る上がりタイムを記録している――脚で、一気に勝負をつけにきた。
しかしながら、差はほとんど縮まらない。
要因はふたつ。
まずアタゴペトリウスはゴールまでにミホノブルボンをかわすことを計算に入れ、前目の位置につけるために、すでにかなりの足を使っていたこと。
続いて彼女が思う以上に、ミホノブルボンが皐月賞から“上積み”を有していたこと。
爆発するプレッシャーから、ミホノブルボンは無心で逃げる。
坂の頂上に達し、残るは平坦な直線300メートル。
ラストスパート――そこで観客の声が“戻ってきた”。
(なに――?)
びりびりと東京レース場の空気が震え、彼女の鼓膜を打った。
その1秒後、彼女の視界の端に黒い影がちらついた。
(え――)
ミホノブルボンは、レース中、はじめて驚いた。
横に、紫紺の影が、並んでいる。
(ライスシャワー、さんッ!?)
極限まで存在感を消し、コーナーで埋没し、最終直線で花開くブルーローズチェイサー。
ルサルカナイフの影となり、ギャラクテカホクトの影となり、オウカアースオーの影となり、彼女を抜き去りながら今度はアタゴペトリウスの影となり、そしてアタゴペトリウスの影から一気に躍り出る。
「なんと、ライスシャワー! ライスシャワー、並ぶ! 並ぶ! 並んで――」
いまライスシャワーは、ミホノブルボンよりも、速かった。
「――かわしたッ!」
ミホノブルボンは、はじめてライスシャワーの背中を見た。彼我ともにラストスパートをかけている。それで状況はいま並んでいた状態からハナ差に、ハナ差からアタマ差になろうとしている。
つまり。
ミホノブルボンの中で、驚愕が、恐怖に変わった。
(負ける)
思った瞬間に、ミホノブルボンの脳裏に優しい声がリフレインした。
「もしもこのあとブルボンが負けたとしても、“裏切られた”とは思わない」
「君が勝つから応援しているわけではない」
勝ち負けは関係なく応援してくれると言ってくれたマスターの声。
(負けてもいい――)
「君が夢を追っているから応援しているのだ」
「君の夢に魅せられたのではない」
「夢のために走る君の走りに魅せられたのだ」
このままでは間違いなく負ける。
だがそうだ、負けてもいい。
負けてもいいのだ――。
「違うッ」
ミホノブルボンは自身の気力を、残り200メートルの直線で回復させた。
(マスター、私は、夢を追います)
(最後まで、夢のために走ります)
(勝ちたい! 君の走りに魅せられたと言ってくれた
観客が、再びどよめいた。
実況も解説も口々に叫び始める。
「ミホノブルボン加速!」
「信じられません、まだこれだけの!」
「ブルボン、ライス、ブルボン、ライス――」
(“キミたちと勝ちたい”――!)
残り150メートルでミホノブルボンがわずかに増速した。
「ミホノブルボンッ、差し返した!」
その“わずか”が、勝敗を決した。
ライスシャワーに並んだミホノブルボンは先程とは対照的にハナ差、アタマ差、半バ身差と彼女を突き放し――そのまま日本ダービーの決勝線に突っこんだ。