…バンドラは心に決めた。それと同時に知っていた。
大海原を進み、いつものように航路に着く。エレジアには2度目だった。音楽が絶えず、人々の喜びと感動の満ちる素晴らしい国だった。…それが一夜にして壊滅。そして、その原因は幼き歌姫。
少し冷たい海水に右手をつけて、風を起こす。力が出なくても構うものかと、あの子の為にと我武者羅に。
バンドラは子どもと女が好きだ。
一人の航海の寂しさも、子どもの笑い声と女の笑い話は忘れさせてくれる。望んで出たことなのに。
「…。」
進むにつれて、数日間の記憶が巻き起こる。
今は何歳だったかな。あの子はと思慮に暮れるバンドラ。ルフィより2歳上だから…9か、8だったと思い出す。
「…ウタ。」
その顔に笑みはない。
次第に海域に曇りがかかる。…そして、見覚えのある風景に。大きな骨のようなアーチ状の場所。かつての栄華はそこにはなく、有るのは寂れた風景と廃墟だけ。
バンドラは島に船を近づけ、止める。
島に入る前に、息を吸い吐く。一年ぶりのあの子に会うのだと。バンドラは気を引き締めて入った。
島内には確かに廃墟や遺跡しかなかった。人が住んでいる気配もなく、不気味な様相が漂う中、とある場所から煙が上がっているのがわかった。バンドラは一際大きなその建物に入っていった。
上へと上がっていくと、とある影を発見するバンドラ。突き出た頭と細い脚、それと…似合っていないエプロンの姿。
「〜♪」
鼻歌混じりに、何かを作っていくその影。バンドラはその一室にお邪魔することとした。室内に足を入れると…。
「何者だ。」
音に反応したのだろう、その人物が調理を中断し、バンドラへと顔を向けた。
「この島には何もない。略奪なら他をあたれ。」
「…エレジアの国王、ゴードン陛下。」
「何故、私の名前を…?」
バンドラは少し会釈程度に首を下ろすと、真剣そのものの顔でその人物…ゴードンを見た。ゴードンも表情を一切変えない。警戒しているのだろうと、バンドラは口を開いた。
「…俺は赤髪海賊団大頭、赤髪のシャンクスの友人、バンドラと言う。」
「…シャンクスの…。」
シャンクスの名前を出すとゴードンは口を少し開け、ぼそりと呟いた。全てを察したのだろう。ゴードンは、フライ返しとフライパンから手を離すと、バンドラの肩を掴み、壁へと追いやった。
「君なら…あの子を救えるのか…!!希望でもいい、あの子は何も悪くないんだ…!!あの子を…どうか…あの子を……っ!!」
ゴードンの目から大粒の涙が落ちていく。
バンドラはただ、黙ってその様子を見ていた。声が掠れ、嗚咽混じりのその声はただ優しく、室内に響いていた。
「私では…私ではダメなんだッ!!君が…君がシャンクスの友ならば…っ!!」
「…勿論、そのつもりで来た。」
ゴードンの肩に左手を置くバンドラ。
ゴードンにとっては藁にもすがる思いだった。日々、衰弱していく幼い彼女。父親として…精一杯の努力はしてきたつもりだった。しかし、彼女を救うことはできていないと…。月日が流れるにつれ、そう思っていたのだ。
「…早速だ。あの子に…。」
「待ってくれっ!!」
そう言い、ゴードンはフライパンの元へと戻って、バンドラは首をかしげるも、ゴードンはゆっくりと言葉を紡いだ。
「もうすぐおやつだ。あの子の…ウタの大好きなホイップ沢山のパンケーキを作ってあげるんだ。それを食べている時だけ、本当にあの子は笑う。」
「…ハハッ。手伝うよ。」
「ありがとう。バンドラくん。」
すでに焼きあがっていたパンケーキ。皿に盛り付けて、その上に白く甘い山を作る。最後にさくらんぼを一つ添えて…。
「…ありがとう。」
横で同じものを作るゴードンにバンドラは微笑んでそう言った。ゴードンは少し不恰好なパンケーキを見つめながら、静かに泣いていた。
深くは聞かなかったが、ゴードンにとっては赤髪海賊団もウタもエレジアという国を滅ぼした災害に等しい。だが、ゴードンはそんなウタに対して、とてつもない愛情を注いできたというのが垣間見えた。
そして、大きな机のある一室へ3人分のパンケーキを運ぶ。エレジアの栄華を象徴する大机と椅子。座ると少し大きな感覚を覚えた。
「…待っててくれ。ウタを呼んでくる。」
そう言ってゴードンは食堂から消えていった。
…そこには何もなかった。
吹き抜ける風、途方もなく広くなったと思わせる空間。数々の人々が座っていたであろう椅子。ポツンと三つの皿の置かれた、大きな机。
言いようもなく、言い換えもなく、ひどく寂しく覚えた。
「ビンクスの酒を 届けにいくよ 海風気まかせ波任せ…」
ポツリと小さくつぶやくように歌うバンドラ。
海賊の歌といえば、これだった。当時、赤髪海賊団でもよく歌っていた歌だった。勿論、ウタも入れて。
「潮の向こうで夕日も騒ぐ 空にゃ輪をかく…鳥の唄。」
室内に小さく口ずさんでいる声がこだまする。
数分なのに、途方なく待っている気がした。…すると、後ろで足音が聞こえる。一つはゴードン。もう一つは…。
バンドラは黙って立ち上がり、少し息を吐く。
「…さぁ、ウタ。」
「………え…?」
そこには、見覚えのある白と赤の髪の…幼き歌姫が立っていた。ふっと触れるリボンのような髪。服装は変わり、少し汚れていたが、間違いない。
「…おはよう。ウタ。」
バンドラはそう言って、微笑んだ。
その瞬間、ウタの中で何かが弾けた気がした。
「…う…ぁ……ぁあ…。」
あの日、枯れたはずの涙が溢れ出てくる。
目の前のその人は、赤髪海賊団のメンバーでも、一緒に遊んだ幼馴染でもない。…だが。
辿々しく前進し、そして、バンドラへ抱きつく。
バンドラも小さきその子をしっかりと抱きしめた。
…今まで押し殺してきたのだ。
自身の父に捨てられたと思い、もう優しいあの人たちとは会えないと思った。幾度となく、知っている名前を口ずさんだろう。幾度となく、届かぬ歌を歌っただろう。
少女はその日、喉が枯れるまで男の胸で…泣いた。
「…美味しい。」
ひとしきり泣いた後、ウタは大好物のパンケーキを食す。もう冷めてしまってはいたが、心は満たされたようで。
あの日から暗い顔をしていたウタに笑顔が戻ったとゴードンは泣いていた。バンドラもパンケーキを食べる。甘いものはそこまで得意ではないが、それでも優しい味がした。
「…シャンクスはなんて言ってた?」
切り出したのは、ウタだった。
バンドラは優しく笑う。
「ウタを頼まれた。」
「…勝手だね。私を捨てたのは向こうだってのに。」
その言葉の節々に棘を感じる。
バンドラがウタの方を見ると、ウタは暗い表情を浮かべていた。幼子からは到底考えられないほどの。
バンドラはそんなウタの方へ行き、ウタの頭をコツッと叩いた。
「ちょっ…!!バンドラくん!?」
「痛っ…なにするのよ…!!」
頭を抑えて、少し涙を浮かべ、そう言うウタ。ゴードンはとても慌てていた。バンドラはというと、少し息を吐き、ウタの目線に合わせてしゃがんだ。
「…確かにアイツはお前のことを捨てたのかもしれない。やむをえずとはいえ、どんな理由があるとはいえ、お前がそう思ったらそうだろう。…でも、お前はどうしたいんだ?」
「…え?」
「…赤髪海賊団はお前のことを捨てた。…でも、お前は赤髪海賊団にもう一度会いたいんだろ?シャンクスに…もう一度会いたいんだろ?…違うか?」
優しく諭すようにそう言うバンドラ。
…ウタは再び、目に涙を浮かべた。…会いたい。その言葉がウタの心を覆い尽くしたのだ。
「…ぐすっ…会いたいよッ!!…シャンクスにも…ルフィにもぉ…皆んなにも……っ!!ひぐっ…だって…家族だもんっ…!!」
「…そうだ。シャンクスはお前の家族だ。…会って文句の一つでも言ってやれ。それくらいの権利はあるぞ?」
泣き崩れるウタの頭を優しく撫でるバンドラ。
その姿はまるで父子…いや、兄妹のようにも見えた。ゴードンはやはり、泣いていた。
「…ねえ、バンドラ。…約束、守ってくれてありがとう。」
「…守れねえ約束はしねえ主義だ。守りたくねえ約束は忘れられちまうけどな。」
「…くすっ。なにそれっ。」
…ウタが笑った。
パンケーキを食べなくても、笑った。ゴードンはただそれだけがとても嬉しかった。
「…全ての事情を知っていたのか?」
皿洗いをするバンドラにゴードンは言った。ウタはバンドラから離れようとはしない。だが、いつまでも隠し通していくのも酷であるという、バンドラからの提案に半ばゴードンはのかっていたのだ。
「全部じゃない。ただ、この子が関与していると知ってすっ飛んできた。」
最後の皿を片付けると、手を履き、バンドラは椅子に座った。ウタもそれに倣い、バンドラの横に座り、バンドラの手を握った。小さなその手をバンドラは優しく握り返す。
「…このエレジアを壊したのは…誰だ?」
「…ウタ、怖かったらバンドラくんの手を握りなさい。」
低く、そう言うゴードンにウタは小首を傾げた。バンドラも耳打ちではあったが、大丈夫と優しく声をかける。
「…知らなくちゃ、教えなくちゃいけないことなのだ。…理解してくれ。ウタ。」
「え…どうしたの…?」
「…この島を壊したのは…トットムジカだ。」