昔、ドイツに殺人鬼がいた。
一定以上幸福になった者は間引きのように殺害してしまう。まるで機械のように、淡々と人を殺していく。それ以外に、人を愛するという行為を知らなかったから。
彼女は俗に、サイコパスと呼ばれる人種である。人の感情というものを理解できず、しかし緻密な機械のように思考能力や身体能力を使うゆえに高水準の
彼女の名はクリームヒルト・ヘルヘイム・レーベンシュタイン。死こそ唯一、人間が平等に享受するものと悟り、後に『死神』と呼ばれる第三の盧生となる女である。
「まずは私の時代から、というわけか」
円卓から場所を変えて、ドイツはベルリン。クリームヒルトは、興味深そうに周りを見回している。彼女にしてみれば見慣れた景色であろうが、やはり時が戻ったというだけで新鮮な気持ちになるのだろう。
現在、ドイツには私とクリームヒルトしかいなかった。他の盧生たちは、今も円卓の空間にいる。
盧生の時間跳躍は、一般人を過去に飛ばすのとはわけが違う。勿論、人を過去に飛ばすということ自体、かなりぶっ飛んだ行為なのだが、盧生は存在感というべきものが桁違いなのだ。甘粕正彦を見た柊四四八がはじめそうだったように、異様に威圧感というか、威厳のようなものを感じさせる。もちろん、あの威圧感は甘粕固有のものもあるため、皆が皆そうとは限らないのだが。
同じ時間、場所に盧生を五人も送り込めば、人は異変を感じてしまうと予想できる。その場合、その時代の逆十字を殺した『敵』がどう動くか分からないため、全員で乗り込んで解決、という選択肢は取れないのである。
「ああ。おまえと関係が深い緋衣征十郎は第四盧生の生誕にも関わっているし、いきなり初代からやるとなれば、甘粕が出ることになるだろう? ……一発目からすべてご破算になる予感しかしない」
「……ああ、なるほど」
自分と縁深い逆十字を救いに行く。そう決めている。
初代、聖十郎は甘粕、そして柊。
二代目、征十郎がクリームヒルト。
三代目、南天は黄錦龍。
こうして並べた場合、甘粕と黄は爆弾なのだ。優秀な戦力ではあるが、その分自陣にどんな被害がもたらされるのか全く分からない。そう考えたとき、クリームヒルトが一番安心できる相手だったのである。
よって、一番手はクリームヒルト・レーベンシュタインで即決。
「それで、セイジュウロウの死因は?」
「銃殺だな。遠くからスナイパーで一発やられたんだが、それでも生きていたから何発も何発も食らっている。……普通にすんごい殺害方法なんだが。こんな事しでかす奴なら事前にゲシュタポあたりが警戒してるんじゃないか?」
「可能性は無くはないな。1度行ってみるか」
ゲシュタポ。秘密警察。
言わずと知れた、第二次世界大戦が起こるかどうかの瀬戸際に機能していた組織である。国家テロ犯や諜報員を連行し、そして処断する。当時の長官は確か、白でも国の利益の為ならば首を切り、グレーや黒は当然のように首を切る……首切り役人と名高いラインハルト・ハイドリヒだったか。さすがに長官と会うことは無いだろうが、なかなか緊張する場所である。場合によっては、私たちこそ怪しいとして捕らえられてしまう可能性がある。
しばらく歩くと、クリームヒルトは勝手知ったる顔で一軒の建物へ入っていく。
「おまえも、私も、ドイツ国民だろう。今はおまえにも親衛隊服を着てもらっている事だし、心配はいらない」
親衛隊服を着ていると言うより、そういう偽装をしているのだが。細かいことはいいだろう。確かに外見では問題ないが、しかしだな。
「お前は誰だとか言われたらどうするんだよ……」
「解法と咒法で洗脳できるぞ。知らなかったか?」
この作戦を始めてから分かったことなのだが。
盧生って皆、結構馬鹿なのかもしれない。
しかし彼女が扉を開く直前に───“それ”が現れた。
高身長で、美形。それ以上外見の表現ができない。鼻筋が整い、碧眼は冷たい光を放っている。金髪は宝石のように輝き、全体から放射される雰囲気は覇者のそれ。
カリスマ、というのだったか。人を惹き付ける才能を持っていると、ひと目でわかる。
彼はあくまで、機会か道具を見るような視線でクリームヒルトと私を見やると、美声で鼓膜を蹂躙した。
別に歌ったとかじゃない。単に、話しただけ。だがそれだけで魅了される。
「誰かと思えば、ヘルヘイム卿か。それに……卿か。
珍しい組み合わせだな。ゲシュタポに入り用かね?」
「ええ、少し」
人の出していい圧ではなかろうが、と内心ツッコミを入れつつ、しかし親しげな様子の相手に安堵する。此方は知り合った覚えなどないが、向こうが勝手に身内だと思ってくれるならば結構。このまま適当にやり過ごしてしまおう、と思ったその時。
「ああ、なるほど。卿らの調べ物とやら、
すれ違いざまに、虫を払うように軽く振るわれた左手が私をぶっ飛ばした。それに反応したクリームヒルトもまた、顔面に拳を受けて退く。
「………おまえは、誰だ? その馬鹿力、ハイドリヒではあるまい」
クリームヒルトの問いかけに、彼は笑って答える。
「私は間違いなく、ラインハルト・オイゲン・トリスタン・ハイドリヒに相違無いとも。
まあ良い。私は挨拶に参ったまでゆえ、ここで退こう。あえて助言を与えるならば、
まずは一人、守り通してみよ」
こうして。私たちの逆十字を救う作戦は、いきなり大きな謎にぶつかりながら始まるのだった。