演じざかりのエトセトラ   作:ナカイユウ

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『或る小説家の物語』第二部、2月27日(月)より連載開始


5.ピアノ・レッスン

 「改めてみると地下にスタジオがあるって凄いよね?」

 「まぁね、地下1階ってパターンはそれなりによくあるけど家にスタジオを持ってる人はあんまりいないからね」

 「十夜ちゃんにとっては地下1階ってよくあるパターンなんだ(多分だけど聞く相手を間違えたわ私)」

 

 大人組3人が1階のリビングに上がって、地下1階のスタジオには私と十夜の2人きりになった。

 

 「あと城原さんは普通に触っていいって言ってたけどさ、このピアノ絶対高いでしょ?」

 「当然だよ。コイツはYAMAWAのEX-A、普通にコンサートホールとかに置かれてるようなやつだから低く見積もっても2000万はかかる」

 「さすが城原さんのレベルになるとスケールが違うね」

 

 10畳ほどの広さの白い壁で囲まれたスタジオには、城原さんが使っている推定2000万円以上はするという高級グランドピアノが奥のほうに鎮座していて、ちょうど反対側になる位置にはシンセサイザーと録音機材が同じく鎮座して、そのすぐ横のスペースにはクラシックギターと数種類の民族楽器が掲げられているから広さはあまり感じない。ただそれらが綺麗に3等分のスペースで分けられているおかげからか、閉塞感はなく絶妙なバランスで纏まっている。

 

 「と言っても、前に俺の住んでた実家にあったピアノと全く同じものを“母さん(あの人)”が結婚祝いで姉さんと千里さんにプレゼントしたから、実質タダなんだけどね」

 「やばいな一色家」

 

 ちなみにこのピアノは一色邸にあったグランドピアノと同じモデルのうえに十夜のお母さんでもある真夜子(まやこ)さんからタダでプレゼントされたらしい。よくもまぁ、こんな“大掛かり”なものをポンっとプレゼントできるものだ。

 

 相変わらず、世界を股に掛ける一色夫婦のお金の使い道はじつに豪快だ。

 

 「そういえばあの“お城”はどうなったの?」

 「姉さん曰く結局買い手が現れなかったから、美術館に改装するってさ」

 「なるほど、なんだかんだで綺麗に収まった感じだね?」

 

 そして一色夫妻が活動と生活の拠点を完全に海外へと移したことで“日本一豪華な空き家”と化していた“お城”のような旧邸は、外見はほとんどそのままに来年に“20世紀最後の現代美術”の異名を持つ芸術家として世界的に活躍する真夜子さんの名前を模した“一色真夜子(いっしきまやこ)美術館”に生まれ変わる予定だという。

 

 もちろん“お城”っていうのはあくまで比喩で、それぐらい立派な邸宅(いえ)って言うだけのこと。まぁ、初めて目にしたときはマジでお城だって本気で思ったけど。

 

 「ま、俺には関係のない話だけどな」

 「そんなことないでしょ、“親子”なんだし」

 「“親子”だろうと関係ないものは関係ないよ」

 

 けれども肝心の十夜にとって“両親のこと”は本当にどうでもいいらしく、関係ない話だとやや冷めたように話す。

 

 「・・・これはまた“反抗期”なことで」

 「“反抗期”はお互い様だろ?マキリン?」

 「うん、十夜ちゃんほどじゃないけどそれは言えてる」

 

 十夜と一色夫妻の間にある事情を知っている私は、本音の感情を隠して遠回しに十夜の核心へと触れてみる。私が“薬師寺真波”の遺した呪いと戦っているとしたら、十夜は“一色家”という十字架を背負って戦っている。生まれ持った血筋があまりに大きすぎる私たちには、私たちにしか“共有できない感情(モノ)”があるから、私は十夜には心を開いて話すことができる。

 

 「でも・・・なんか懐かしいよね、この感じ?」

 

 だから一色家の人たちと会うときの一番の楽しみは、こんなふうに十夜と2人だけになった空間で映画を鑑賞したりピアノを弾いたりしながら何気ない話をすることだった。当たり前だけど、そこに恋愛的な感情は一切ない。

 

 「そうだね・・・マキリンとこうやって2人きりになるのは芸能人になってからは初めてだから」

 「・・・そっか・・・確かに」

 

 思えばこの3,4年で十夜と会う回数は、十夜が両親の活動の関係でアメリカに行ってたとき以上に減っていた。私の芸能活動が今まで以上に忙しくなって中々会えなくなって、幸か不幸か両親と姉が有名人なだけの一般人が同じ芸能人になってまた定期的とは言えなくても会う機会が増えるかと思ったら、こんな感じで2人きりで会える機会は減る一方だ。

 

 

 

 “『おつかれ、元気そうじゃん』”

 

 

 

 だからあの月9ドラマの撮影現場に何の予兆もなく見学にやってきたときは、周りに共演者やスタッフがいたから感情を表には出さなかったけど、普通に嬉しかった。同じくらいだったはずの背丈は視線を上に向けないと目が合わなくなるくらい大きくなって、中性的な顔つきはそのままに声も顔も大人っぽくなって雰囲気は“天使”というより“王子様(ヒーロー)”らしくなっていたけど、中身だけは何も変わっていなくて私はホッとした。もちろん、“みんな”がいる前だったからその感情を表には出さなかった。

 

 

 

 ただ十夜との思ってもみない再会は、直後に撮影現場で繰り広げられた“蓮の幼馴染くん”の芝居のせいでほとんど“上書き”されてしまったけれど。

 

 

 

 「・・・マキリンはアリサさんの第一子(こども)が生まれたって話はもう知ってる?」

 「えっ?あ~、先月ぐらいだっけ?(なんでいきなりアリサさんの話?)」

 

 城原さんのグランドピアノを前に意味もなく感傷に浸っていたら、十夜が急に何の前触れもなしにアリサさんの話題を私にふってきた。こんな感じでいきなり話をガラッと変えてくるところはもう慣れっこだから、心の中でツッコみつつもいつも通りに私はスルーでやり過ごす。

 

 「そう。それでアリサさんの子どもの名前がさ、“(あきら)”っていうんだよね」

 「あきら?」

 「彗星の“”っていう字の下に“”をつけて(あきら)。カッコ良くね?」

 「・・・ていうか誰から聞いたのそれ?」

 「ご本人。元々一色家(ウチ)がアリサさんとは家族ぐるみで面識があってお見舞いとか普通に許されてるから、そこで聞いたわ」

 「さすが一色ファミリー」

 

 淡々とした語り口で、十夜はまだ公にされていない“機密事項”を平然と私に教えてきた。一応私は“守るべき秘密”はちゃんと守るほうだから言われたところで誰かにバラしたりとかはしないけど、危機感はないのか十夜(こいつ)は・・・と、芸能界の先輩として余計なことをふと思ってしまう。

 

 「けどさ、そんなこと私に教えちゃっていいの?もしかしたら何かの気まぐれでマスコミさんにリークしちゃうかもよ?」

 「マキリンはそういう真似は絶対しないって分かってるからいいんだよ」

 「まあ、しないけど」

 「大丈夫。俺は弁えるところはちゃんと弁えるタイプだから

 「(言ってることに嘘がないのがタチ悪いんだよなぁ・・・)・・・ならいいけど気を付けてよねそういうとこ」

 「りょーかい」

 

 もちろん、私がそういう汚いやり口で相手(ライバル)を陥れる行為を嫌っていることを知った上で “心を許している相手”としてアリサさんの第一子のことを教えてくれていることはとっくに気付いているし、“弁えるところはちゃんと弁える”という言葉に何一つの嘘がないことも分かってる。

 

 

 

 私や小夜子ちゃんのように心を許した相手と2人きりになったときの十夜は、“周りのみんな”がいるときとは違ってちゃんと“心を開いて”いるから。

 

 

 

 「でも姉さんが自分の子どもに付けるって決めてる名前も、“アリサさんちのアキラくん”と同じくらいいい名前なんだぜ」

 「へぇ~そうなんだ。どういう名前なの?」

 「もしも生まれてくる子どもが男の子だったら千の夜と書いて“千夜(ゆきや)”、女の子だったら千の夜の子と書いて“千夜子(ちよこ)”。どっちも親の名前をくっつけたってだけだけど、いい名前でしょ?」

 

 そして今度はアリサさんちの“アキラくん”を棚に上げて、小夜子ちゃんがいつか生まれてくる子どものために命名している名前のことを自慢げに話してきた。

 

 「千夜(ゆきや)千夜子(ちよこ)・・・・・・なんかロマンチックだね」

 「由来はすげぇシンプルだけどな」

 「でも、ほんとに良い名前だと思うよ」

 

 まぁ、普通にセンスがあってとても良い名前だから文句は一つもないけど。

 

 「そっか・・・マキリンから言われるとやっぱ嬉しいな」

 「逆に十夜ちゃんだったらどんな名前にしてた?」

 「俺?そうだなー・・・・・・男だったら百の夜で“百夜(びゃくや)”、女の子だったら百の一文字で “(もも)”とか?」

 「何で“”?」

 「兄さんが“一夜(かずや)”で、俺が“十夜(とおや)”だから」

 「うん。とりあえず十夜ちゃんと小夜子ちゃんのネーミングセンスがちゃんと“姉弟”だってことはよくわかった」

 

 ていうか、何で子どもの名前の話でこんなに盛り上がっているんだろう・・・と、心のどこかでほんの少しだけ呆れつつも、小夜子ちゃん(お姉さん)がいる十夜と違って家族の中に心を開いて話せる人間がいない私にとってはこういう何気ない時間が本当に心地良い。

 

 「てか、さっきからどんな話題で盛り上がってんだよって話だよな俺たち?」

 「正直私もそう思ってた」

 

 って思った傍から、十夜が内心で少し呆れていた私の気持ちを代わりに言葉にしてきた。

 

 「だけどこういう他愛もない話ができる相手とざっくばらんに話せる時間は大切だなって・・・芸能人になってからは一層思うようになったよ」

 

 そして十夜は城原さんのピアノにもたれかかりながら独白の台詞を喋るように自分の思いを打ち明ける。

 

 「そういうことが自然に言えるようになったってことは、十夜ちゃんも“芸能人らしく”なってきた証拠だね?」

 

 それにしても、ただピアノにもたれかかり立っているだけで雑誌の表紙みたいに華やかになってしまう“天性の産物”は、相手があの“十夜ちゃん”だと分かっていても芸能人として思わず嫉妬してしまいそうになる。

 

 

 

 “『十夜くんならきっとなれるわ・・・・・・素敵な俳優(やくしゃ)さんに・・・』”

 

 

 

 悔しいけれど、こういうところを見てしまうとママが小さい頃の十夜に言っていた“あの言葉”が正しかったと認めざるを得ない。

 

 「かもしれないな・・・果たしてそれが良いことなのか悪いことなのかは置いとくとして・・・

 「・・・分からなかったら自分で“良いこと”にするしかないよ・・・・・・それが私たちにとっての“生きてく”ってことだから

 「マキリンっていまいくつだっけ?」

 「来月から高校1年生の15歳」

 「これだから芸歴10年越えの子役上がりは精神年齢がバカ高くて恐ろしいんだよなぁ」

 「それは“嫌味”?それとも“称賛”?」

 「もちろん“称賛”だよ」

 

 別に十夜には私と違って家族に心を開いて話せる人がいることはどうだっていいし、私と違って役者(にんげん)として“天性の才能”を秘めていることだってどうでもいい。

 

 「よかった~、十夜ちゃんからこんなふうに言われるのは初めてだから一瞬だけ嫌われたかと思ったよ」

 「そもそも俺がマキリンのことを嫌いになる理由なんてどこにもないから安心しろよ」

 

 だけど、十夜が一番嫌っていたはずの芸能界(この世界)に染まっていって“”と同じような“壊れモノ”になっていく光景だけは、見たくない。

 

 「・・・ホント、“イケメン”は何を言ってもサマになっちゃうからズルいよね?

 

 

 

 そんな人を想う優しさが捨てられないからいつまで経っても“ニセモノ”止まりだと言われてしまったら、それまでだけど。

 

 

 

 「何を言ってもサマになるようじゃ、俺が役者になった意味はないからね・・・・・・どれだけ世間が“あの人たち”と一括りにしようと、“俺は俺”で在り続けたままで全部を塗り替えてやるから

 

 私からのちょっとした揺さぶりに、十夜は余裕の表情でちゃんと自分自身の感情のままに答えてくれた。

 

 「そう・・・なら良かった

 「何が?」

 「ううん、何でもない」

 

 それを見て十夜の心はまだ完全には“染まりきってない”ことを知り、私は安心を覚える。

 

 「あ、そうだ。せっかくピアノもあることだし一曲何か弾いてくれないマキリン?」

 「えっ?何で私?」

 「マキリンの演奏を聴きたい」

 

 すると十夜はまた例の気まぐれで脈略もなく私にピアノを弾くようにせがむ。相変わらず、十夜(この子)といるとただ話しているだけでも理由なく面白い。

 

 「・・・言っとくけどここんところ全然弾けてないからまあまあ悲惨なことになると思うよ?」

 「悲惨なことになってもいいから、俺はマキリンの弾くピアノの演奏を聴きたい」

 「(悲惨なことになってもいい、か・・・・・・十夜ちゃんのほうが私なんかより全然上手かったくせに

 

 褒めているのか貶しているのか分からない言葉で“天使”だった頃と同じように甘えた態度でせがむ“王子”に内心でムカッとなった私は、絶妙に王子の心を抉る悪態をつきながら半年ぶりぐらいに鍵盤の前に座る。実家を出て事務所の後輩の蓮とピアノがない部屋で暮らし始めてからは、仕事がオフのときに気が向いたら学校の休み時間に音楽室にあるピアノを弾くぐらいだったからか、変な緊張が走る。

 

 「もう昔のことだよ

 

 トムソン椅子に座った私からの悪態に、十夜はピアノにもたれかかったまま明後日の方向を向いて静かに言い返して、徐に右手で自分の前髪を意味もなくクルクルと回し始める。

 

 「・・・さすがに怒っちゃった?」

 「“ワケあり”なものを蒸し返されたら、マキリンも良い気分はしないだろ?」

 「まぁ・・・確かに」

 

 “天使”だったときから何も変わらない、普段は常に余裕綽綽に振る舞ってる十夜が余裕をなくしてイライラしてるときによく出る手癖。

 

 「でもマキリンが俺にそういうことを言ってきたってことは、俺にも非があるってことだよな?」

 「うん、ごめんね。怒りたくなかったけど“悲惨なことになってもいい”なんて馬鹿にするような言い方されたから、ちょっとだけムッとした」

 

 逆に十夜も、私が感情的になるとつい“余計なこと”を口走ってしまうことを知っているから、すぐに冷静になってくれる。

 

 「そっか・・・じゃあ元を辿れば俺が悪いってことか・・・・・・ごめん、マキリン。馬鹿にするつもりは全くなかった」

 「ううん、私のほうこそごめんね。さすがに仕返しが過ぎたわ」

 

 だから私たちは偶に喧嘩になることもあるけれど、それぞれ原因は知り尽くしているから、互いの喧嘩は10秒と持たずにヒートダウンして終わってしまう。それはもちろん、十夜とは喧嘩になること自体が滅多にないからっていうのもあるかもしれない。

 

 

 

 何より“心を許している”相手にはなるべく負の感情は使ってほしくないと思っているのは、お互い様だから。

 

 

 

 「・・・なんか私に弾いて欲しい曲とかある?」

 「マキリンの弾きたい曲でいいよ」

 「弾きたい曲って言われてもなぁ・・・」

 

 十夜からのリクエストに答えながら、城原さんのピアノの鍵盤に指を置いて、右手と左手でそれぞれ音階を奏でて、即興でぐちゃぐちゃな旋律を奏でながらピアノを弾いていたときの感覚を思い出して、蘇らせる。

 

 「・・・意外といけそうじゃん?」

 「うん。思っていたより指が覚えてくれてたみたい」

 

 城原さんの即興には遠く及ばないぎこちなさの残る私のウォーミングアップの即興演奏を、十夜はクールに笑いながらも嬉しそうに聴き入る。最初は小学生レベルの簡単な曲で済ませようと思ってたけど、これだけ感覚が戻っているなら私の一番好きな映画の“あの曲”も何とか行けそうだ。

 

 「“慣らし”は大丈夫?」

 「大丈夫、もう行ける」

 

 自分の言葉を合図にして、私は最初の一音目を奏でる鍵盤にそっと指を置いて目を瞑り、深く深呼吸をする。

 

 

 

 “・・・十夜なら分かるでしょ?・・・・・・私が今から何を弾こうとしてるか・・・

 

 

 

 そして心の中でピアノにもたれかかった姿勢のまま目を瞑って聴く姿勢になった十夜に声をかけ、私は鍵盤に触れる指にゆっくりと力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 “『いつか私もこの曲弾けるようになりたいな~』”

 “『ひょっとしてマキリンって本当は女優じゃなくてピアニストになりたいの?』”

 “『違うよ、ピアノはただの趣味。ま、いつか天才ピアニストの役を()る機会が来るかもだから続けといて損はないけどね』”

 “『意外だね。何事にも“負けず嫌い”なのがマキリンだから、俺はピアノも本気でやってるものかと思ってた』“

 “『私は何でも出来る全知全能の天才じゃなくて人よりほんの少しだけ器用なだけの“普通な女の子”だから、女優(やくしゃ)をやってくだけで精一杯だよ』”

 

 4年前の春休み。私は4月から都内の中学校に通うことになって2年ぶりに国内中心の生活に戻った十夜と2人で一色邸のシアタールームの特等席(ソファー)に座り、私が9歳のときに出会った恋愛映画(ラブロマンス)を観ながらいつものように十夜とお喋りしていた。

 

 “『・・・“普通”か・・・俺たちみたいな奴には到底縁がない話だな』”

 

 ただ両親と一緒に東京での生活を再び始めたあの日の十夜は、私の知っている“十夜ちゃん”とは少し違う様子だった。

 

 “『・・・ま~確かに、強いて言うなら私は2歳から芸能界にいるし、十夜ちゃんはご両親が有名人だからみんなが言う“普通”とはちょっと違うかもだけど』”

 “『マキリンだって本当は気付いているんじゃないの?俺たちが“普通になりたくてもなれない”こと?』”

 “『・・・十夜ちゃん?』”

 

 言おうとしていた言葉を遮った十夜に視線を向けると、左隣に座る十夜は自分の前髪の毛を右手でクルクルと回し始めていた。自分が何か気に障るようなことを言ったかどうかを考えてみたけれど何で急に十夜の機嫌が悪くなったのか、何も思い浮かばなかった。

 

 いつもだったらすぐに原因(それ)が分かっていたはずなのに、この瞬間だけは十夜の感情(こと)が何一つ読めなかった。

 

 “『とりあえずピアノでも弾くか、ほら、映画ももうすぐ終わるし』”

 

 機嫌を悪くした理由を理解出来なかった私は苦し紛れに話題を逸らす。

 

 “『ごめん。ピアノはもう弾かないって決めたんだ』”

 

 すると十夜は、今まで私に見せたことのない苛立ちと悲しみが入れ交じったような顔を浮かべて、コンクールで賞まで獲ったことのあるピアノを辞めたことを打ち明けた。

 

 “『なんでやめちゃうの?あんなに上手だったのに』”

 “『母さん(あいつ)”がいつまで経っても俺のことを兄さんの生まれ変わりだと比べるから、もう全部が嫌になった』”

 

 そして自分の母親を“あいつ”呼ばわりする十夜の冷めた眼を視た私は、知らない間に十夜と両親の関係が大きく変わっていたことを知った。

 

 “『もし話せるなら私に聞かせてよ。何があったか?』”

 “『・・・さすがにこれはマキリンにも話せないよ。俺が話したって、何かが変わるわけじゃないし』”

 “『100%は理解できないかもしれないけど、十夜ちゃんがいま感じてることは誰よりも分かる自信があるから・・・だから吐き出してよ。別に誰にも言わないし、かといって私に何か出来るかって言われたら何もできないけど・・・・・・十夜ちゃんがそんな顔をしてるのを見てると、ほっとけなくて・・・』”

 

 私はずっと、十夜は自由奔放に生きる一色家の家族と一緒に気ままで幸せな生活を送っていると思っていた。ママから“薬師寺真波(おばあちゃん)への復讐”という糸に吊るされた操り人形のように育てられた私には、幸せ過ぎるくらい幸せな家庭で“天使”のように無邪気に笑っていた十夜のことが本当に羨ましく思えて、純粋にその幸せに憧れていた。

 

 “『・・・やっぱりマキリンは優しいな』”

 

 でもそれは表向きなだけで、十夜は十夜で“一色家”という特殊な環境に人知れず苦しんでいた。両親と姉は共に世界的に名の知れた著名人、そして十夜が生まれる前に亡くなった兄もまた、将来を期待されていたピアニスト。そんな一人の人間にはあまりに重すぎる十字架を背負わされたら、心も身体も疲弊する。

 

 “『うん・・・・・・十夜ちゃんには“操り人形”のようにはなって欲しくないから・・・』”

 

 子役から女優になって、現実よりも芝居の世界で生きる時間が増えて遠い存在になっていた十夜が自分と“同じ痛み”を感じていたことに、私は説明のつかない妙な“安心”を覚えた。

 

 

 

 それと同時に、どう足掻いても最終的にはママの“操り人形”のようになってしまう現実を自覚して、そんな自分に生まれて初めての“醜さ”を覚えた。

 

 

 

 “『ありがとう・・・マキリンのおかげでやっと“決心”がついた』”

 

 新たに芽生えた黒い感情を心の奥にしまい込んだ私に、十夜は流れ始めたエンドロールに視線を向けながら静かな口調でゆっくりと思いを吐き出した。

 

 “『・・・マキリンは一夜(かずや)兄さんのことは知ってるよね?』”

 “『うん。知ってるよ』”

 

 

 

 十夜がピアノを辞めた一番の理由は、十夜が生まれる前に亡くなった一色一夜(いっしきかずや)という兄の存在だった。生前の一夜さんは十夜と同じくピアノを弾いていて“天才少年”と呼ばれるくらいの活躍をしていたが、病魔に侵され弟の十夜が生まれる2年前の春に11歳で生涯を閉じた。命日の日付は、十夜の誕生日と1日違いの“4月1日”だった。

 

 そして一色邸にあったグランドピアノは、十夜の両親が10歳の誕生日として一夜さんにプレゼントしたものだという。もちろん私は、このときにその事実を初めて知った。

 

 

“『俺はただ自分の好きなように好きなことをしたかっただけなんだよ。ピアノだって“母さん(あいつ)”が家のアトリエで絵を描く合間に弾いてる姿を真似て触れてみたら面白くて、それで始めただけだったのに・・・“あいつ”はいつも兄さんと俺を重ね合わせて、さも俺が本当の生まれ変わりのように俺のことを視るんだよ・・・・・・兄さんは俺が生まれる前にとっくに死んだし、そもそも俺は“一夜”じゃなくて“十夜”だってのに・・・俺は兄さんの“レプリカ”かよって・・・・・・それに気付いたら・・・何のためにピアノをやってるのか分からなくなった・・・』”

 

 

 

 最初は純粋に楽しくピアノを楽しんで弾けていた。“一夜の生まれ変わり”だという真夜子さん(おかあさん)の言葉も、自分のための誉め言葉だと信じていた。だけれど、時が経つにつれて両親がともに世界的な有名人という異端な家庭環境を肌で分かり始めるようになってから、真夜子さんが十夜に向けて口癖のように言っていた“愛情表現”が自分を縛り付ける“呪い”に変わって、趣味の感覚でちゃっかりコンクールで賞まで獲るぐらいの実力があったピアノも、常に周りから両親と比較されて“要らない期待”をされる環境も、全てが嫌になってしまった。

 

 

 

 “『・・・・・・』”

 

 果たしてこれが十夜の抱えた思いの全部なのかは分からなかったけど、初めて打ち明けられた十夜の“本音”に、私はどんな言葉を掛けたらいいのか分からなくなった。

 

 “『・・・ごめん。こんな暗い話されたって、マキリンも困るよな?』”

 

 

 

 “・・・私は芸能界での生き方しか知らないから・・・“家族”と一緒に色んな世界を見てきた十夜の悩みは・・・・・・やっぱり贅沢にしか思えないよ・・・

 

 

 

 “『ううん・・・・・・私に言ってくれてありがとう、十夜ちゃん』”

 

 あのときに沸き上がってきた感情は十夜が可哀想だからっていう同情とは違うものだったけれど、私は湧いて出てきた“負の感情”を演技で殺して、必死に同情した。

 

 “『十夜ちゃんの思いを知れて・・・苦しんでるのは私ひとりじゃないんだってことを知れて、本当によかった』”

 

 

 

 “負の感情”でありのままを喋ってしまったら、私と十夜はもう二度と互いに心を開けなくなってしまうような気がしたから。

 

 

 

 “『・・・そっか・・・俺もマキリンがそういうふうに思っていたことを知れて、嬉しいよ・・・』”

 

 どんな表情(かお)で十夜に言葉を返したかは覚えていないけれど、十夜は思いを吐き出せてスッキリしたと言いたげな安堵した笑みで私に言葉を返してきた。

 

 “『でも俺・・・芸能界だけは絶対に入らないって決めてるから・・・・・・だからもしマキリンが芝居のこととかいまの俺みたいに真純さんとのことで困っても、俺は“頑張れ”としか言えない・・・』”

 

 そして安堵の笑みに少しの寂しさが交じった表情で、“芸能人にはなりたくない”というもうひとつの本音を溢した。

 

 “『・・・そうだよね・・・・・・十夜は“操り人形”にはなりたくないんだもんね』”

 “『誰だってそうだよ。親の勝手に振り回される生き方で満足してるような奴は、親と一緒に仲良く“堕落”していくだけ・・・・・・だからマキリンも女優を続けているんだろ?』”

 

 

 

 “・・・ほんと・・・・・・そうやってすまし顔で意図せず私の心を読み解いちゃうところだけは・・・“嫌い”だよ・・・

 

 

 

 “『言われなくても。私は最初から“おばあちゃん”を名実ともに超えるために“この世界”を生きてるから・・・』”

 

 その本音と核心を突いた言葉に、私は心の中で毒を吐きながら“マキリン”として十夜に自分の思いをぶつけた。

 

 “『・・・良かった。マキリンは今日もちゃんと“マキリン”のままだ』”

 “『当然でしょ?』”

 

 そんな嘘吐きの私に、十夜は本当の感情で再び安堵して笑いかけた。

 

 “『俺も自分で自分の道を開いた姉さんのように、一色家の“操り人形”のまま死んでいくつもりはないから・・・・・・“お前”も頑張れよ』”

 

 

 

 十夜が両親と決別し、音楽留学から帰国した小夜子ちゃんとの2人暮らしを始めたのはそれからちょうど1週間後のことだった。奇しくもその日は、一夜さんの15回目の命日だった。

 

 

 

 

 

 「ブラボー」

 

 ピアノの演奏を終えた私に、十夜はピアノにもたれかかったままクールに称えながら掌で小さく拍手を送る。勢い半分なノリで弾き始めたけど、何とかノーミスで“完走”できたから気分はクランクアップを迎えたときのように晴れやかだ。

 

 「ブランクを感じさせない良い演奏だったよ」

 「そうかな?私の中じゃまだ65点ぐらいなんだけど」

 「マキリンにとっては65点でも、俺にとってはマキリンが“楽しみを希う心(この曲)”を弾いてくれたってだけで100点だから」

 「(もう、すぐそうやって気のいいことを言う・・・)・・・十夜ちゃんからそう言ってもらえると、私も嬉しいよ」

 

 正直なところ学校の休み時間に音楽室のピアノで弾いていたときと比べると明らかに劣る出来栄えだったけど、そんな及第点ギリギリの私の演奏を十夜は優しい言葉と甘い評価で褒めちぎる。多分これが“楽しみを希う心(十八番)”以外の曲とかだったら感想もガラッと変わっていただろうけど。

 

 「・・・マキリンは覚えてる?」

 

 ピアノにもたれかけていた身体を立て直した十夜は、トムソン椅子に座る私のほうを向いて意味深な表情を浮かべて何かを問いかける。

 

 「ん?何を?」

 

 と、私は少しだけわざとらしくとぼけたけれど、十夜が何を言おうとしているのかは一瞬で予想はついていた。

 

 「俺がマキリンに“芸能界だけは絶対に入らない”って言ったこと・・・

 

 

 

 “『でも俺・・・芸能界だけは絶対に入らないって決めてるから・・・・・・だからもしマキリンが芝居のこととかいまの俺みたいに真純さんとのことで困っても、俺は“頑張れ”としか言えない・・・』”

 

 

 

 「・・・うん。ちゃんと覚えてるよ

 

 忘れるわけがない。4年前のシアタールームで私の好きな映画を2人で観ていたときに初めて“本音”を打ち明けてくれたことは、ずっと鮮明な思い出になって私の中に残り続けている。

 

 「俺さ・・・ずっと謝ろうと思ってたんだ・・・・・・マキリンとの約束を破っちゃったこと・・・

 「・・・わざわざそれを言うためにママたちを先に上がらせたってことね?

 

 その記憶を一言の言葉で返すと、十夜は儚げな眼で笑みを浮かべながらこのスタジオで私と2人きりにした本当の理由を明かした。

 

 「正解

 

 芸能界という世界において、“有名すぎる身内”の存在は使い方によっては最大級の武器になる反面、自分自身をがんじがらめに縛り付けてしまう最大級の足枷になってしまう。もちろん十夜はこのことを痛いぐらいに理解しているし、私が芸能界で“一ノ瀬”という本当の苗字を封じられている理由もそういった側面が大きい。

 

 ついでに言っておくと私に与えられた“”という第二の苗字は、おばあちゃんの母方の祖母にあたる“文代(ふみよ)さん”の苗字から取ったものだ。だからどうしたって話に聞こえるけれど、この苗字にはママからの“強い想い”が込められている。

 

 

 

 けれどもその由来はいざ思い出すと感情が制御不能になりそうだから、意図的に“忘却”している。

 

 

 

 「・・・十夜ちゃんって意外と“おセンチ”なとこあるよね?」

 「だろ?これでも俺ってどっちかというと空元気で物事を乗り切るタイプだし」

 「なんだ自覚あったのか」

 

 本音を言うと、十夜には望んでいた普通から最もかけ離れた芸能界(この世界)に来てほしくなかったという想いは今も心の奥に残っている。それは私のように“染まって欲しくない”とか、“壊れて欲しくない”とか、“あれだけ嫌ってた癖に”って思いもあるけれど・・・私が一番恐れていたのは、そういうことじゃない。

 

 「だからどんなに“自分らしく”生きようとしてもそれを許してくれない“普通の世界”に嫌気がさしたって理由だけで“(しん)ちゃんの代役”を引き受けて芸能界に入ったときは、結構ガチで自分の選択を後悔したよ・・・・・・気が済んだら芸能界(こんな世界)なんてすぐにやめてやるってさ・・・

 「・・・そうなんだ」

 

 

 

 私が一番恐れていたことは・・・喰う必要がなかった“大切な存在”が、“喰うべき存在”へと変わってしまった現実(こと)。もしも4年前に時間を戻せたなら。あるいは3年後の未来を既に知っていたら・・・あの日の私は十夜にどんな言葉をかけたのだろう・・・

 

 

 

 「だけどマキリンの出ていたドラマの現場で“糸のない役者(にんげん)”と出会えたおかげで、俺も芸能界(この世界)で“生きる理由”を見つけたから・・・・・・今は後悔なんて1ミリたりともない・・・

 

 

 

 でも結局・・・何を言っても十夜は遅かれ早かれ芸能界(この世界)に足を踏み入れて、芸能界(この世界)に“魅了”されてしまっていただろう。どんなに未来を否定する言葉をかけても、何一つ止めることは出来なかっただろう。

 

 

 

 「・・・だったら私に謝る必要なんてないじゃん。だって“十夜”は・・・

 

 

 

 “だって十夜は・・・・・・私なんかとは違って“自分の意思”で俳優(やくしゃ)になったんだから”

 

 

 

 「・・・じゃあ何でマキリンは女優を続けてんの?

 

 十夜の一言で私はハッと我に返る。その瞬間、自分が無自覚に“心の中”に隠していた感情をそのまま言葉にして吐き出していたことを自覚した。これまで十夜に“マキリン”という盾で隠し通していた“負の感情”が、自分の意図に反して溢れ出ていた。

 

 「・・・何で、って何?

 「“自分の意思”じゃなかったら“女優”なんていつでもやめられたはずなのに、どうして続けてんの?

 

 十夜とだけはこれからもずっと何でも話せる“従兄弟の関係”でいたかったのに。あなたが“天使”のままでいたら、“こんな想い”はしないで済んだはずなのに。

 

 「それともマキリンは・・・・・・真純さん(お母さん)の“操り人形”なの?

 

 

 

 それなのに・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・十夜

 

 

 

 “・・・・・・なんで十夜まで私を“苦しめる”の・・・・・・

 

 

 

 「どうしてそんな酷いこと言うの?

 

 気が付いたら私はトムソン椅子から立ち上がり、両手で十夜の胸ぐらを掴んでいた。




10年ぶりくらいにグループ魂の『君にジュースを買ってあげる♡』をまともに聴いたら歌詞が最高にド畜生で草が生えました。〈ユウ〉
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