「どうしてそんな酷いこと言うの?」
トムソン椅子から立ち上がった私は、感情のままに十夜の胸ぐらを両手で掴んだ。7歳のときに悪夢を見たあの日以来に爆発した、十夜への
“『もしみんながイッチーのことを仲間外れにしたら・・・力ずくでも俺が“イッチー”が凄いやつだってことをみんなに思い知らせて、一人残らず連れ戻してやるから・・・』”
その正体は私にとって喰うべきではない“大切な存在”が、“喰うべき存在”に変わってしまったことへの恐れか?
“『・・・じゃあ何でマキリンは女優を続けてんの?』”
はたまた“自分と同じ”だと何の疑いもせずに信じていた特別な存在が、“自分の意思”で
「・・・マキリン・・・もしかして俺のこと“殺そう”としてる?」
「・・・えっ?」
自分を前に生まれて初めて抱いた殺意を露にした私を全く恐れたりすることなく、十夜は琥珀色の瞳を儚げに開いたまま冷静に問う。その恐いくらいの落ち着き具合に私は逆に呆気にとられ、言葉を失う。
「言える範囲で良いから・・・そうまでしてマキリンが俺に怒る理由を、教えてほしい」
そして十夜は弁明の機会を与えることなく畳みかける。もちろん一瞬だけだが十夜のことを本当に“殺そう”としていた私に、嘘を吐く権利などない。
「・・・私にだってよく分かんないよ・・・分かんないけど・・・・・・ほんの一瞬だけ十夜のことを本気で“殺してやろう”かと思っちゃった・・・ただそれだけ」
口から言葉を吐き出すたびに殺意が消えて平常へと戻っていく心に比例して、まるでカットがかかって
「でも安心して・・・私は十夜のことを恨んだりはしてないし、殺そうとも思わない・・・・・・深い意味なんかなくて・・・ただ単純に感情が抑えきれなくなっただけだから・・・・・・もう大丈夫」
“『それともマキリンは・・・・・・
そこに深い理由なんてない。全ては十夜が向けてきた一言にムカついて、感情を抑えきれなくなった私の落ち度。別にママのことを尊敬しているとかじゃないけど、“
「・・・うん、分かった。ありがとう」
“一瞬の過ち”とはいえ殺意を向けてしまったことを打ち明けた力なく胸ぐらを掴む私の両手を私の手より少しだけ大きな左手が優しく添えて、私の手より少しだけ大きな右手で私の頭を優しく撫でながら十夜は儚げな表情を浮かべたまま感謝を告げる。
「ありがとうって・・・何が?」
私を見つめる神様の悪戯かと愚痴りたくなるほどの美少年な顔立ちから放たれる真っ直ぐな感情に、私はいま“喰われよう”としている。もしこれがカメラや観客の前だとしたら、私は完全に十夜の引き立て役に成り下がっている。たった一つのアドリブで形勢が逆転されて、それまで集めていた視線を奪われていくような、理不尽な屈辱感。
「マキリンのおかげでやっと分かったよ・・・・・・人から“殺意”を向けられるときの感覚がどういうものか」
“・・・そっか・・・・・・十夜も“こっち側”の人間だったんだ・・・”
「十夜・・・・・・あなたはいま自分が一体何をしているのか分かってるの?」
心の中から湧いて出てきた感情で問いかけると、十夜は私の身体からスッと両手を離す。それに合わせて私も十夜の胸ぐらから両手を離して琥珀の瞳を見上げ凝視する。この瞬間、十夜がスタジオで2人きりにした“本当の狙い”が分かった。
「言われなくても・・・・・・俺はマキリンと同じ“役者”だぜ?」
十夜は私の感情を利用して、自らの“血肉”として私を喰った。全く、どうしていつもならとっくに気づいていたはずの“子供騙し”に、私は最後まで気づけなかったのか。私が知っている“天使”なんて4年前にはもういなくなっていたことは薄々分かっていた。
「そうだよね・・・・・・十夜はもう“十夜ちゃん”なんかじゃないもんね・・・」
「・・・ああ・・・少なくともいまの俺は、もう“その呼び名”が似合うような
でも・・・分かっていてもそれを受け入れることが私には出来なかった。心のどこかで私は、年上のくせに弟のように甘えてくる“十夜ちゃん”の存在を捨てきれないでいた。もちろん捨てきれていないのは、今だってそうだ。
そんなもの、今さら持っていたところでただただ自分だけが苦しくなっていくだけなのに・・・
「・・・ぁははっ・・・はははっ・・・・・・ぁははははははっ・・・!・・・ぁははははっ・・・!」
あまりの自分の無様さに、笑いが止まらなくなった。私と同じ
“・・・
「ははははっ・・・・・・あ~あ、何を馬鹿みたいに淡い“期待”なんかしてたんだろ・・・私」
騙されたと言われたらそれまでだ。
「やっぱり変わったよね・・・・・・十夜」
確かなことがあるとしたら、十夜はもう、隣にいるのが誰であろうと自分のためなら平然と喰えるような人間になってしまったということ。十夜はもう・・・本当の意味で役者になってしまったということ。
「・・・かもしれないね・・・・・・けど、おかげでやっと“
グランドピアノに寄りかかって狂ったように笑った後、全てを悟って逆に心が幾分か晴れやかになった私を黙って見ていた十夜が、儚い表情はそのままに静かに笑いながら私に思いをぶつける。
「・・・“近づけた”っていうのは、“役者”としてってこと?」
「半分正解で、半分不正解」
「じゃあもう半分は?」
「それはマキリンの想像に任せるよ」
もちろん十夜が私に“近づけた”もう半分の
「“私”」
「言っとくけどマキリンが何を言おうと俺は答えないよ」
頭の中に浮かんだ正解を言うと十夜はわざとらしく鼻で笑って私を欺くが、正直に私の眼を視る瞳の奥の感情が“正解”だとこの私に告げている。人様のことを喰えるように変わったのに、相変わらず私の眼を見つめる瞳は正直者の“十夜ちゃん”のままだ。
「・・・うん。十夜なら絶対にそう言うと思ってた」
これが瞳の奥までが何もかもが別人になってくれたら、どれだけ楽なことか。でもそんなのは一色十夜なんかじゃない。私のことなんか全く気にも留めない感情なんか、私が求め望んでいる十夜なんかじゃない。
「でも先輩として1つだけアドバイスをするけど、どうせ嘘を吐くならもっと芝居が上手くなってからのほうがいいと思うよ?“十夜ちゃん”?」
結局
「だったら俺は・・・嘘を吐かずにマキリンを騙す」
「どうやって?」
「それをマキリンに教えて何になる?」
「さあ・・・・・・何になるでしょう?」
“ありがとう、十夜。今日あなたに会えたおかげで・・・私はまたひとつ
「その答えはいつか共演するときの“お楽しみ”ってことにしておくよ。マキリン」
地下一階のスタジオに鎮座するグランドピアノに寄りかかりながら感情に任せて笑ってみせる私に、十夜はいつもと変わらない調子でクールに笑いながら“駆け引き”の末に自分の導き出した答えを言葉にして返す。
「そっか・・・じゃあ、ここからは“駆け引きなし”で話さない?」
「うん。いいね」
そして“駆け引きなし”の一言を合図に、私と十夜は互いに自分の“
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「十夜くんと随分長いこと話していたわね?静流」
「ごめんねママ。十夜と2人きりで話すのは本当に久しぶりだったからさ、つい盛り上がっちゃった」
夕暮れ時。城原邸を後にして私の住むマンションへと向かう車の中、左側の運転席でハンドルを握るママが視線をやや混雑気味な大通りの流れに向けたまま、ほぼ無表情で地下一階のスタジオで十夜とつい長話をしてしまったことを聞いてきた。
「別に謝る必要なんてないわ。役者を続けていく上では、たまには“息抜き”をすることも大事よ」
結局のところ私と十夜は、10分程度で終わらせるつもりが何だかんだで1時間も喋ってしまった。“ひと悶着”の後に話したことは、お互いの近況だとか、俳優デビュー作になった探偵モノのドラマの映画化が決まって私と同じように来月から撮影が始まるだとか、本当に他愛もない話を十夜が一色家から家出をした4年前と何ら変わらない感じで笑い合いながら話していた。
「言われなくても分かってるよ。ずっと張り詰めた状態が続いていたら、人は壊れちゃう生き物だから」
もちろんあくまで“変わらない感じ”というだけであって、私と十夜の間にあった関係性は4年前のあの日を境目に少しずつ変わり始めて、十夜が“絶対に入らない”と誓っていた芸能界に足を踏み入れて、“天使”から“王子様”になったことで音を立てるように変化した。
「・・・どんなことを話したのかは、聞かないでおくわ」
「あれ?いつもだったら口うるさくこと細かく聞いてくるママが珍しい」
「口うるさいは余計よ。それを聞き出してしまったら静流と十夜くんを2人だけにした意味がないしょうから」
“『じゃあ、ここからは“駆け引きなし”で話さない?』”
「・・・意外と優しいんだね。ママって」
そして十夜が他人を演じるというこれまでの現実とは“全く別の世界”に適応してすっかり“移り変わった”現実を私が受け入れたことで、
誤解のないように言うけれど、私と十夜の間に恋愛感情なんて全くない。
“『十夜』”
“『ん?今度は何だマキリン?』”
“『さっきのことだけどさ・・・』”
ともかくそうなるに至った過程については、出来るならば墓場まで持っていくつもりだ。私と十夜が交わした、2人しか知らない“瞬間”。戻れなくなったからといって関係は終わることはなく、役者同士であること以前にこれからも従兄弟同士という間柄は続いていくし、どんなことが起ころうともこの関係は壊せない。
十夜がどう感じているのか全部は知らないけれど、それだけ私にとって十夜は友達とも恋人とも“それ以上それ未満”とも違う“特別な存在”だということは・・・どんなに私と十夜が同じ世界に染まって移り変わろうとも、これだけは変わることはないと思う。
“『おかげでやっとマキリンに近づけた』”
「・・・優しさなんかじゃないわよ・・・・・・全てはあなたが
横目で左隣を見ながらわざとらしく笑みを作って揶揄い半分な言葉を向けると、ママは私を一瞥することなく“無表情”のままムスっとした口調で呟く。それがママなりの“優しさ”だというのは、優しさじゃないと吐き捨てた後の“余計な一言”のおかげで考えるまでもなく分かる。
“・・・そういうのを“優しさ”って言うんだよ・・・”
「・・・あっそ」
もちろん私は、本音を心の奥にしまってそれっぽい相槌を送り反対車線へと視線を移して、ゆっくりと感情をリセットさせていく。
「・・・にしても今日は色んなことがありすぎて疲れた」
「でしょうね。真美さんが“ご挨拶”に来たことは私にとっても誤算だったわ」
「私は撮影現場じゃ絶対に味わえない本物の修羅場を間近で観ることが出来てちょっとだけ楽しかったけど」
「あなたも随分と“
「だってああいう空気って狙って出せるようなものじゃないからさ・・・だから今日はママのおかげで良い“引き出し”が増えたよ」
「それは良かったわねと言いたいところだけど・・・・・・理由が理由だけに複雑だわ」
リラックスさせた心で、隣でハンドルを握るママと互いに視線を合わせることなく淡々と今日を振り返る。そんなベンツの運転席と助手席で繰り広げられる、“一ノ瀬家”の日常の一コマ。
「もしかして“真美さん”のこと?」
「静流、話し相手が身内だからといって何をしても許されるとは限らないことは分かっているわよね?」
「はいはい分かってますよ・・・けどさ、ほんとママって私が“名前を出した”だけでいっつも不機嫌になるよね?」
「触れて欲しくない事柄を無理やり掘り起こされたら不愉快になるのは当然のことよ。静流だってそうじゃないの?」
「まぁね。そんなことされるのはみんな不愉快だし」
「分かってるなら慎みなさい」
「安心して私はママにしかやらないから」
「それをやめなさいと言ってるのよ」
ちなみにママが“真美さん”の名前を出すと決まって機嫌を損ねるのもいつもの
「・・・そういう静流は自分のことを“操り人形”だと言われたらどう思うのよ?」
「うーん・・・人にもよるけど、そんな酷いことを言われたら私はその人のことを“一生恨む”と思う」
ただいつもと少しだけ違うところがあるとしたら、今日は2人揃って“お疲れモード”だということ。片や“この世界で一番会いたくない人”からよりにもよって自らを産んだ母親の前で屈辱的な仕打ちをされて、私も私で“この世界で一番戦いたくなかった人”から心に留めていた感情を喰われてしまった。
“『真純ちゃんは最後まで自分にすら勝てなかった・・・・・・それが“全て”よ』”
幸にも不幸にも、身の回りの人間関係には何一つ影響は起きていない。だけれど今日、私とママは親子揃って相手に“喰われた”。
「もしもその人が“十夜くん”だとしても、あなたは同じことを言える?」
十夜は何も悪くない。悪いことなんか何一つしていない。役者にとって身の回りにあるものは全て“喰い物”だから、十夜は
“『それともマキリンは・・・・・・
十夜が私に“あんなこと”を言ってきたことには、本当に何の恨みもない。悪いのは願ったところで叶うはずもないものに“依存”して、感情を抑えられなくなってしまったこの私。だから、誰も何も悪くない。
「うん。普通に言える」
誰も悪くないから、私が全く同じ
「・・・本気で言っているの?」
冷酷無比にクールを取り繕っていたママの感情が、少しだけ驚いたように感じた。きっと私のことをまだ心のどこかで“甘えと優しさを捨てきれない可愛い娘”だと思っているママにとっては、何の迷いもなく“イエス”と言った私のことが意外に思えたのだろうか。
もしもそれが本当だとしたら、私のことを“買い被り”過ぎにも程がある話だ。別に“人のことを想う優しさ”から決別できたわけじゃなく、心の中でしぶとく生き続けている“
「もちろん・・・・・・だって私は“
だけど・・・私が
「・・・・・・ははははっ」
すると私の覚悟を聞いたママが、珍しく声を上げて笑い出した。少なくともそれは“純粋に嬉しい”から笑っているというより、色んな感情が禍々しく入れ交じった先にある“笑い”だ。
「・・・何が可笑しいの?ママ?」
“・・・なるほど・・・・・・十夜には“さっきの私”がこんなふうに視えていたってことね・・・”
「可笑しいことなんて何もないわよ・・・・・・ただ・・・あなたがそういう“良い眼”を魅せれるようになれたことが・・・・・・本当に嬉しくて・・・」
心の底から溢れ出る歓喜にも似た興奮を理性で必死に抑えながら、言葉の句読点ごとに呼吸を挟むような独特な間合いを取りながらママは言葉を紡ぐ。いつもならどんなに私が良いお芝居をしようとも一瞬の薄笑いだけで終わらせるママが私に初めて見せた、“感情の綻び”。
「初めて見たよ・・・・・・こんなに心の底から“笑ってる”ママの
芸能界や演劇界においてはそういう類の
「怖いかしら・・・?・・・静流から見た今の私は?」
「ううん。ちっとも怖くなんかないし・・・ずっと剝がせなかったベールをこの手で剥がせたような気がして・・・むしろ嬉しいよ」
そんなママから輪をかけて、真美さんという人間は更に狂っている。そしてママが私を育てたのと同じように真美さんを“女優”として大人にしたおばあちゃんは・・・なんて考えたところで全部が考察になってしまうのだけど、“女優・薬師寺真美”という
「でも、これはママの為でもおばあちゃんの為でもなくて・・・全ては“自分”の為だから」
だったら私は・・・その終着点の先へ飛び超えて、“
「・・・・・・その通りよ静流・・・例え相手が誰であろうと、隙は一瞬たりとも見せてはいけない」
私の本心からの言葉で、ママは普段の落ち着きを取り戻して普段の冷酷な
「ただし・・・“捨てる”必要はないわ」
“
「・・・・・・分かってる」
そんなママに育てられた私も、所詮は“狂気を隠し持った普通の人”でしかない。どんなに
“『・・・静流ちゃん・・・・・・もしあなたに“薬師寺真波”を超えられる“自負と覚悟”があるというならば・・・私が真純ちゃんの代わりに“面倒”を見てあげても構いませんよ?』”
「・・・“
だって私は非情な心だけで“綺麗”に生きていける“
多分、1幕はあと2話ほどで終わります。
ちなみに本編の補足として、静流の“ママ”こと真純が運転している愛車はメルセデスベンツ・SLクラスのR129 500SLです。