「リリアーヌ……」
「……勇者、様……?」
おかしいですね、完全になにも告げないで王都を後にしたのですが、どうして当然の権利のようにガーソン村の前に勇者様がいらっしゃるのでしょう。
まさかヴィオラさんが告げ口をした……ということは考えづらいですね、あの人は真面目なので。
と、いうことは勇者様が直々にいなくなった僕を捜索してた途中でエンカウントしちゃった感じでしょうか。だとしたら屑運にも程があります。運が腐ってます。
「リリアーヌ……なぜ黙って王都を後にしたのだい?」
「……どうか、どうか止めないでくださいまし、勇者様。わたくしは……聖女として、救世の旅に出たく……」
「……そんなに、私と契りを結ぶことが嫌だったのか?」
あらら、完全にバレてしまいました。
いやでもどうするんでしょうこれ、素直にはいそうですって答えたら答えたでめんどくさいことになるのは明白です。
なにより結婚したくないだけで、僕は別に勇者様個人を嫌ってるわけじゃないのです。
だからこう……僕がひっそりと姿を消すことでヴィオラさんとくっついて密かに幸せになってくれないかなー、とかそんなことを願っていたのですが。
沈黙、あまりにも気まずい沈黙が僕たちの頭上に暗雲の如く立ち込めていました。
勇者様のことは嫌いじゃないけど結婚はしたくない。これをどうやって伝えるかが課題なのですが、全くもっていい方法が浮かんできません。
……というか、僕は大分勇者様に憧れているところがあるのです。
細身ながらもしっかりと筋肉がついている引き締まったその身体つき。どんな困難にも笑って立ち向かう勇気と、無辜の民のために自らを犠牲にしてでも立ち上がれるその強さ。
前世の僕がなに一つとして持っていなかったものを、勇者ギリス・バアルは全て持っているのです。
だからこそ、神誓剣ガイエルを両手に携えて戦うその姿に、正直僕は見惚れていました。
幾度となく聖女である僕を守ってくれたその勇姿に、どんな怪物にも決して怯むことなく、恐れることなく立ち向かう雄々しさに、惹かれていたのです。
つまるところ……これ以上勇者様と一緒にいたら、ましてや夫婦になってしまったら、これ以上勇者様のことを好きになってしまいかねないから、結婚したくなかったのです。
だったらいっそ、真実を打ち明けるべきなのでしょうか。
僕はリリアーヌ・クリステリアであって、リリアーヌ・クリステリアではありません。
いわゆる憑依転生ではなく、この世界に前世の記憶を持って生まれ落ちる形の転生ではありましたが、どちらにしても「僕」が──前世の名前でいえば、「四葉湊」が異物であることに間違いはありません。
それを隠して共に生きていくのは、きっとつらいことだと思います。なにより誠実じゃありません。
ここまで計画がうまく行かなかったならもう、洗いざらい真実をぶちまけて、嫌っていただくのがスマートな流れでしょう。
聖女の中身が男だったなんて知ったら、きっと勇者様も幻滅するに違いありません。
「……はい、わたくしは勇者様との婚姻を拒んでいます」
「……よければ、理由を聞かせてはもらえないだろうか。私に至らないところがあれば、直していく。私は……いや、俺は……リリアーヌ・クリステリア。君を愛しているのだ」
ああ、やっばりそうですよね。
愛されることが幸せなのはわかっています。前世じゃろくに愛されませんでしたから、尚更です。
ですが、貴方の愛するリリアーヌ・クリステリアの中身はヒョロガリもやしな男なのです。打算だらけで、楚々とした笑みを絶やさない、完璧な聖女などでは断じてないのです。
「……今から言うことを、全て信じてはくれるでしょうか」
「もちろんだとも」
「……ありがとうございます」
なぜこの人はこんなにも優しいのでしょうか。優しいから勇者なのでしょうか。
勇者だから優しいのでしょうか。それはわかりません。ですが、確実に言えることがあるとするなら、それは。
きっと僕なんかには勿体ない人。それが勇者ギリス・バアル様という存在なのです。
「……わたくしは……いえ、僕は、前世の記憶を持ってこの世界に生まれ落ちてきました」
「前世……? すまない、よくわからない」
「簡単に言えば、人が生まれて死んだ時……魂とかなんかそんな感じのものは巡り続ける輪の中に還って、新しくまたこの世に生を受けるのです」
「つまり、私にも前世があるということなのか?」
「はい、きっとあるでしょう」
それが異世界人なのか現地人なのかはともかくとして。
輪廻転生という概念はどうもこの世界では馴染みが薄いようです。ならもっとわかりやすく、直球な方がいいでしょうか。
少しだけ考え込んで、深呼吸。心の準備を整えて、僕は口を開きました。
「簡単にいえば、わたくしの……僕の中には二つの魂が同居していると……いえ、『聖女リリアーヌ』の魂は、『僕』という男の魂に上書きされてしまっているのです」
つまるところ僕は、貴方の愛した聖女リリアーヌではありません。
その事実を打ち明けたときの勇者様の顔は、見るのがとても怖くて直視できませんでした。
おかしいですね、嫌われたかったはずなのに、いざ本気で嫌われそうになると足が震えて、涙が出てきます。
「……それの、なにが問題なのか?」
ですが、勇者様の口から飛び出てきた言葉は衝撃的なものでした。
なにが問題って、なにもかも問題だらけじゃないですか、今まで信じてきた聖女リリアーヌが偽者だとか、中身は男だとか。
唖然とする僕を置き去りにして、勇者様はどこまでも真剣な目で、瞳を覗き込んできます。
「君にそういう事情があることは……そうだな、完全には理解できていないかもしれない。前世……巡り続ける輪……興味深いよ。だが、こうして私は今まで知らなかった君の一面を垣間見ることができた。それは非常に得難いことだと思っている」
「勇者、様……?」
「例え君が自らを偽者と蔑もうとも、本当に魂が男であろうとも、関係ない……私が愛したのは君の全てなのだ。君が聖女リリアーヌでなかったとしても、そのような些末なことを気にする私ではない。だから、もう一度……もう一度だけ、言わせてはくれないか」
──私と結婚してほしい、リリアーヌ。
あっ、これもうダメなやつです。
涙が零れ落ちてきて、止まりません。
だってそうでしょう。聖女だから愛されていたんじゃなくて、僕というどうしようもない中身を知っても、この人は──勇者ギリス・バアル様は、それでも「愛している」と言ってくれたのです。
「はい……!」
メス堕ちしたくありませんでした。
でもそんなの無理でした。真のスパダリ力の前には抗うことなんてできません。
なにより──僕はきっと、ずっと、愛されることに飢えていたのですから。
もしも生まれ変わったことに意味があるとするなら、きっと全てはこの瞬間のためだったのです。
何者でもない、何者にもなれなかった僕が、僕として誰かに愛される。
生前果たされることのなかった願いを、生前も偽物であり続けた人生を掬い上げて、救い上げてくれるこの出会いに、いくら感謝したって足りないことでしょう。
生まれ変わってよかったと、今は心からそう思えます。
メス堕ちしたくなかったはずですが、もう完全に僕の心は内なるメスに支配されきっています。
手遅れかもしれませんが、きっとそれでいいのかもしれません。
だってこんなに心地いいのですから。
だってこんなに、幸せなのですから。
これからはただ勇者様の妻として、僕は──いえ、わたくしは、生涯尽くすことにいたしましょう。
もう離さない。離したくない。
言葉はいらないとばかりに抱擁を交わして、わたくしは自然とその口づけを、唇と唇が触れ合う柔らかな感触を、受け入れていました。
これは僕が、本当の意味でリリアーヌになった日のこと。きっと一生忘れられない、思い出の話でございます。