ただの一般警備員がいつもの見回りをしていたら偶然に銃を持った凶悪犯罪グループと出くわしてしまった。
多分、今の俺の状況はそれと似ているだろう。頭の中が一瞬フリーズする。その刹那の間に、頭の中が幾ばくかのかの無意味な自問自答を繰り返す。
何だこれ?いきなり現れた鬼?何で鬼?さっきまで鬼瓦だったのにしかも3体なんだこれ?下級妖怪しかいないはずじゃ藍の話と違うそもそも最初から違ってたなんで鬼?かくれんぼでもしてたのかでっけぇ太いなんて迫力だ今まで解けたが違う何でこんなのがここにいるの?大丈夫なのかここ危なくね?あれと戦うのかできるかいや絶対無理だだって鬼だぜそんなん鬼じゃん無理無理不可能無理ゲーだって幽香とかルーミアと同じ大妖怪クラス詰んだ死んだだろ今度こそ2度あることは3度あるとかいい加減にしろよむしろ3度目の正直にしろよ意味沸かんねぇ
現実逃避。人間が理不尽・不条理な状況に突如として遭遇してしまったとき思考が暴走し冷静な判断が機能しなくなる。ひしがきもまた例外なく目の前の状況に否応なく目を逸らそうとする。ただ、ひしがきが常人と大いに違う点がある。
「――――――ッッ!!!」
それは潜って来た修羅場の数である。思考の底なし沼から抜け出しひしがきが行動に出るまで1秒掛からなかったのはさすがと言える。幸い目の前の鬼は状況を把握していないのか目が虚ろで焦点が合っていない。
(今の内にっ!!)
ひしがきは全速力で走り出すと同時に目の前の鬼達に全力の結界を最大出力で最大数展開する。鬼たちを中心に黒い壁が、いやそれはもはや壁と言うレベルではなく要塞のような黒い呪いの鉄壁が鬼を覆った。結界の重ね掛けで構築された牢獄。鬼相手にどこまで足止めが出来るかわからないが一瞬でも押し留めてくれるだけで十分。瞬時に転移のための結界を構築する。
逃げる。とてもではないが勝てる相手ではない。今のひしがきが結界を構築し終わるまでに要する時間は約8秒。それまでに鬼から逃げなければならない。だが、
ドガァァァァァァァァァァァァッ!!!
爆音と共に結界が破壊される。そしてその巨躯からは想像できない速度で鬼が飛び出してきた。鬼達は淀んだ目でひしがきを捉えると怒声をあげて砲弾の様に突撃する。
「あ、ぶねぇっ……!」
木々をなぎ倒しあっという間にひしがきに迫る鬼達を大きく横に飛んでかわす。森の中だというのに木も岩も鬼の遮蔽物にならず簡単に粉砕されている。それはさながらF1並の速度で走る重戦車だ。鬼達は地面を大きく削り反転すると再びこちらに突進する。
「ど畜生がッ!!」
再び横に飛び鬼をかわす。直ぐ横を通り過ぎる鬼達の風圧だけで体を削られるような感覚がする。風圧だけで体が引き裂かれそうになる。だがもう直ぐ構築が終わる。これが終われば一端ここからは離脱できる。
ひしがきは次の突進に備え振り返る。鬼は再び反転しこちらに狙いを定めている。後一度かわせば逃げられる。体を低くして飛ぶ体勢を整えたところで、違和感を感じた。さっきまで鬼は3体いたはずだ、だが目の前にいる鬼は2体。あと1体はどこに行った?
「………え?」
思わず間の抜けた声が出る。2体の鬼の向こう側に、薙ぎ倒された木々が続いている。向こうを見ると、そこには背を向けて走り続けている鬼の姿があった。
それを見た瞬間、ひしがきは全身の血の気が引くのを感じた。鬼が一直線に向う先、その方角にあるものに行き着いたからだ。
(……人里ッ!!?)
追わなければ!敵うとか敵わないとかではなくひしがきは強迫観念に追われる様に転移をしようとする。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!
2体の鬼。さっきまで一直線にしか走らなかった鬼が咆哮すると、別々の曲線を描いてひしがきに向ってきた。
「っ!!」
さっきまでは3体同時に同じ方向から来ていたからひしがきはかろうじてかわす事が出来た。しかし今度は別の方向から2体が突撃してくる。横に飛んだだけではかわせない。ひしがきは鬼を転倒させようと鬼の足元に結界を張る。だが鬼はそれをものともせずに砕いていく。
「なら、これでどうだぁ!」
結界を張り鬼の足元に新たな足場を作る。スロープ状に創った結界の下にひしがきは身を伏せた。鬼はひしがきの上を通り過ぎる…
ドガァッッ!!
…ことなくその結界の足場を踏み抜いて強引にブレーキをかける。結界を踏み抜いて地面に突き刺さった鬼の足が地面を抉りながらひしがきに迫る。
「…こ、のぉ!」
ひしがきは咄嗟に結界を解くとバランスを崩した鬼が倒れ勢いあまって倒れ落ちる。だが鬼は倒れながらもひしがき向かって手を振り下ろした。ひしがきは転がりながら無我夢中で鬼の拳をかわす。その間にも結界を常に展開し鬼の動きを少しでも鈍らせる。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!』
再び、咆哮。立ち上がった鬼達は目の前からひしがきに腕を叩きつける。2体の鬼から合計4本の腕がひしがきに襲い掛かる。
「…………!!」
それは暴風だった。それは嵐だった。他に例えるなら削岩機などの重機だろうか。その腕はあらゆるものをいとも簡単に破壊した。その足はあらゆるものを容易く粉砕した。鬼達が通り過ぎた後には、無残な残骸ともいえない破壊の跡しか残ってはいなかった。
その中で、ひしがきはかろうじて生きていた。鬼の攻撃を受け止めるなどと言う愚行は犯していない。ただ必死に避けてかわして凌いでいた。ひしがきは何も相手の攻撃を受け流すなどと言う技術に優れているわけではない。そのような技で言えばひしがきはいろはの方がずっと優れている。ひしがきが自分よりも遙かに強いはずの鬼相手に生き残っていられるのはいくつもの幸運が重なったことによるものだ。
一つはこの鬼達が至極単純な動作を繰り返していたこと。いくら強く速かろうが腕を振り上げて叩きつけるだけの単純な動作であれば、避けることに専念しているひしがきならば避けることは容易…というわけではないにしろ可能である。また、この鬼達にコンビネーションと言うものはなく、むしろお互いを押し合ってくれていたためある程度攻撃範囲が狭くなっていた。
もう一つはここが森の中だということ。常に一人で戦ってきたひしがきは誰かの助けなど求める機会がほとんどなかった。故にひしがきはあらゆる手段で持って生き残る術を磨いた。その一つが環境利用方である。その場所のあらゆる条件を駆使し、自分にとって有利な状況を実施する。ひしがきは結界を駆使し、また常に遮蔽物のある方へと移動し鬼から逃れていた。木や岩で鬼の目から一瞬姿をくらまし、足場の悪い場所で鬼の体勢を崩した。
例えば、遙か天に聳え立つ山々に挑む登山家が、天候を読み足場を見つけ山頂を目指すように。例えば、荒れ狂う大海原を旅する航海士が、風を感じ航路を見つけ大陸を目指すように。人間は自分達よりも遙かに巨大な存在から生き残る為に、その術を探し磨き続けてきた。ひしがきもまた、たった一人で生き残る術を実践で研磨し続けたからこそ、鬼の暴力からかろうじて生き残ることが出来ていた。
だが、それでもそこで手詰まり。ただかわし続けることに全神経を集中しているひしがきに、他の事に意識を裂く余裕はない。たとえ生き残ることが出来ても、この場において勝つことも逃げることも出来ないのであればいずれ力尽きてしまう。それでも、思考だけで打開策を考える。
(くっそ!どうすりゃいい!?俺の結界は効かない、この槍でも一撃じゃ無理だ。突いた隙にひき肉になっちまう。生半可な罠じゃ鬼相手じゃ通用しない。つまり俺じゃどう足掻いても直接鬼を殺せない!)
焦る。自分の危機的状況に、そして何よりひしがきには人里に向った鬼が気がかりで仕方なかった。もし、あの鬼が里を襲ったらどれだけの被害が出てしまうか見当もつかない。あそこはひしがきが今まで必死になって守ってきたものがある。何が何でも、それだけは守らなくてはならない。こんな所で何時までも足止めをくらっている訳にはいかないのだ。
行くしかない。一か八かの賭け。そのタイミングを見計らい目を凝らす。瞬きもせずに、鬼の動きに神経を研ぎ澄ます。そして、
「……っらぁ!」
ひしがきは渾身の結界を張ると同時に、鬼の間に踏み込む。暴力の渦に入るなど、どう見ても愚行である。鬼はひしがきを叩き潰すべく左右から腕を振るう。あたれば粉微塵、それが左右から同時に迫れば肉片も残らないかもしれない。
「――――――」
自分に迫る鬼の拳。一瞬それがひどくスローに感じる。今までに何度も感じてきた死と生の瀬戸際。その刹那の瞬間に、ひしがきは渾身の力で張った結界を解いた。
グシャァッ
肉が弾け飛ぶ、嫌な音が響いた。鬼の剛力で以って振るわれた拳は、肉を潰し骨を砕き血の飛沫を飛ばす。
「………あ…がっ…」
交差した鬼の腕の挟まれる形で、ひしがきが呻いた。鉄のような腕に寄りかかり体を支える。左右を見れば頭が弾け跳んだ鬼の姿があった。
「…はっ、間抜け」
ひしがきが不適に笑う。あの一瞬ひしがきは鬼の一体の足元に破られないように渾身の結界を張った。そして鬼の間に入り込み拳が当たる前に結界を解除し、拳の軌道をずらし鬼にクロスカウンターの形で自滅を誘ったのである。
もちろん狙ってできることではない。鬼の行動パターン、拳の軌道、結界を解くタイミングなど全ての条件が揃わないといけない。また2体の鬼の腕が同時に振るわれなければどちらか一体が残ってしまう。そうなってしまったらそれこそひしがきには倒しようがない。またひしがきは完全に鬼の動きを読んでいたわけではない。時間がない以上鬼の動きを読む暇がない。故にひしがきは大まかな動きしか予想はせずにこの作戦に出た。まさに一か八かの賭けである。
「…いてぇ」
鬼の腕から抜け出す。幸運にも僅かにかすっただけで済んだ鬼の拳は、ひしがきの右耳を千切り、あばらを砕くだけで済んだ。ひしがきは手持ちの軟膏を取り出し耳につけ一応の止血行う。そして、直ぐに転移の準備に取り掛かった。
(鬼が里に向ってからどれだけ経った?ちくしょう時間の感覚が曖昧だ)
出来れば勘違いであって欲しい。仮に人里に向っていたとしたら、ひしがきには鬼を倒す術がない。
(………頼む)
不安を押し殺して祈るようにして、転移する。人里の直ぐ傍、そこに用意されてある転移先にひしがきは一瞬で移動した。
転移してすぐに、千切れた耳にも届く悲鳴が聞こえた。
勝負運はあっても、他の運は底辺どころかマイナス。
ひしがきはそんな感じ。