どれだけ今に執着しても、どれだけ過去を悔やんでも、どれだけ未来を拒んでも、時間はどこまでも平等に、容赦なく過ぎ去っていく。
過去は遠くなり、現在が過去になり、未来は現在になる。
幻想郷ににおいても、外界においても、それはありとあらゆるモノにとって等しいものだ。人、妖怪、妖精、神、幽霊。あらゆる種族が住まう幻想郷においてもそれは変わらない。
時の流れとともに幻想郷は、騒々しく賑やかに移り変わっていく。
紅い霧が太陽を遮った。
春には雪が降り積もった。
人里では宴が終わらなかった。
夜が明けずに満月が昇り続けた。
花が咲き狂い霊が大量発生した。
幻想から飛び出し月へ渡った。
新たな神が幻想に降り立った。
緋色の空の下で大地が揺れた。
地底から怨霊が飛び出した。
宝船が魔界へと漕ぎ出した。
聖人の下に神霊が集った。
宗教家による人心掌握が起こった。
過ぎていく時間の中には多くの出会いと別れがある。幻想郷の巫女、博麗霊夢の周りは時間と共に賑やかになっていった。
彼女を中心に、幻想郷の住人たちが集っていく。
人、妖怪、妖精、神、幽霊、あらゆる種族が暮らす幻想郷の調停者である博麗の巫女は、新たな幻想郷の暮らしを体現していた。
しかし、時が過ぎても変わらないものもあった。時が過ぎていく中でも、ひしがきの苦境は続き、それでもひしがきは生き延びてきた。
紅い霧が幻想郷を覆う前には、吸血鬼の少女が肩慣らしにひしがきの元を訪れていた。ひしがきの実力に、興味がわかなかった彼女は、軽くひしがきをあしらい去って行った。
宴の時には鬼がやってきて力試しを申し込んできた。満月の長い夜には妖怪が徒党を組んで襲ってきた。
花が咲き誇った時は、花妖怪が気まぐれにやってきた。死に物狂いで逃げ回り、彼女が飽きて去った後も逃げ続けていた。
幻想郷に神がやって来た時は、信仰を得るために神々が勝負を挑んできた。妖怪の寺の住人からは妖怪を多く殺してきたと責められた。
異変に直接関わることはなくとも、異変をきっかけにひしがきにも変化は訪れた。ある者は無関心に、ある者は興味を持って、ある者は責め、彼女たちはひしがきの元へとやって来た。
その時、ひしがきは彼女たちと多くを語ることはなかった。半ば無理矢理に力を試された時も喚くことはなかった。興味を持って尋ねる者と言葉を交わすこともなかった。責める者に反論を返すこともなかった。ひしがきは拒むでもなく、かといって受け入れているわけでもない。ただ、諦観していた。
その中で、一部の者たちは僅かながらひしがきの事情を察して同情し、哀れむ者もあった。だがそれだけ。ひしがきに何かしようとはしなかった。
魔法の森
幻想郷で最も湿度が高く、人間が足を踏み入れる事が少ない原生林。妖怪にとっても居心地の悪い場所として知られる。 森は地面まで日光が殆ど届かず、暗くじめじめしている。森の中は多くの茸の胞子が宙を舞い、普通の人間は息するだけで体調を壊してしまう。
そんな森にも住まう者がいる。現在この森には森近霖之助、霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイドの三名が生活している。 霖之助が経営する香霖堂は森の入り口。 魔理沙、アリスの家は森の中ほどにそれぞれ存在する。
そして、この森にはもう一人、ひしがきもまた魔法の森の一角に身を置いていた。
家、と呼ぶにはあまりにみすぼらしい張りぼての様な小屋。中にはほとんど何もないその住処がひしがきの寝床の一つである。
小屋の中、あちこちにスキマや穴があるその中でひしがきは座禅を組んでいた。組んでいるとはいってもその姿は瞑想に耽る引き締まったものではない。
目は暗く淀み視点がどこに向いているかは分からない。表情は寡黙ではなく亡者を思わせるような沈痛な面持ち。纏う雰囲気は瞑想独特の静けさではなく暗い沈黙。座禅の体裁こそ保っているもののそれは悟りはおろか精神統一さえもできてはいない。
ひしがきの中にあるのは、無。自分を、心を何もかもを無くしすべてを忘れること。それが死ぬことは出来ないひしがきが唯一できる、苦し紛れの逃避方法だった。
それでもなお、心を無にしようとしてなおひしがきは、逃れることができなかい。消えてしまいそうになるひしがきを繋ぎ止める、かつて家族であり今なお大切にしたい存在。
そこに行きつく度にひしがきの心は悲鳴を上げていた。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
今のひしがきに安息の時は無かった。
鍛錬に身を削っても忘れることができない。畑を耕し実りを育てても気が晴れない。何をしても、苦しい。
体を休める睡眠でさえも、悪夢にうなされる。過去のトラウマに襲われ悲鳴を上げて飛び起きていた。今は、悪夢を見ることにさえ慣れて、体は休めても心は疲弊し続けていく。
ひしがきの目の周りには酷い隈ができていた。頬はこけており鍛えられた体に反してその姿は弱弱しい。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
時間の流れさえも、今のひしがきには曖昧だ。一日を少しでも苦痛から逃れるために費やし、気が付けば夜になっている。次の日もまた同じことの繰り返し。それがひしがきの日常だった。
ひしがきは無言で立ち上がる。瞑想や鍛錬に決まった時間はなく、ひしがきは自分の中で区切りがつくまで行っている。小屋の外に出て少し歩いた先に、暗く湿った魔法の森の一角に日が差し込んでいる。
その日が当たる場所に、ひしがきの耕した畑がある。ここでひしがきは自らの糧となる食物を育てていた。
畑を見渡すと、ひしがきは畑の整備と作物の様子を見て回る。長い間里の畑の守役務めていただけあって、その動作には無駄がない。ひしがきが丹精込めて育てた作物はすくすくと育ち、大きな実りを育んでいる。
ふと、ひしがきの視界に影が過った。上を見上げると空から何かが降りてくる。
「こんにちは」
それは畑の前に降り立つとひしがきに軽く挨拶をする。
袖が無く、肩・腋の露出した赤い特徴的な巫女服と大きなリボン。肩にかからない程度のショートの髪。まだ幼く愛嬌を残しつつも、血の繋がりのない母親譲りの面影で清らかで神秘的な印象を受ける。
現博麗の巫女、博麗霊夢はまっすぐひしがきを見ていた。
霊夢にとってひしがきとの出会いは突然ではあったが特別なものではなかった。最初は紅霧異変の時、その後も異変が起きた時に何度かひしがきは霊夢と何度か顔を会わせる機会があっただけだ。
霊夢にとってひしがきは自分の前の博麗の前任者であり育ての母の代理を務めたと言う縁のある相手ではあった。色々と悪い話を聞いている相手でもあったが霊夢自身、ひしがきにそれ以上思うことはなかった。
実際にひしがきに会った後もそれは変わらなかった。むしろ大変だったのは霊夢の友人、いろはの方だった。普段物静かないろはが、ひしがきにあった途端敵意をむき出しにした時は霊夢も驚いた。
訳を聞こうにもいろははひしがきについて何も語ろうとはしない。頑なに口を閉ざす友人に、そうさせるひしがきを霊夢はその時に初めて気にした。何となく霊夢はひしがきの元を訪れ話をしようとした。よく一緒にいるいろはや魔理沙には知られないようにして。
最初ひしがきは霊夢と顔を合わせようとはしなかった。「帰れ」だの「話すことはない」だの拒絶しかしないひしがきに霊夢はあっさりと引き返した。しかし、霊夢は何となく気が向いた時にひしがきを尋ねた。特に理由はない。強いて言うならやはり友人が気になったこと、そしてかつて自分と同じ博麗だったひしがきに霊夢もまた少なからず興味があったからだ。そうしていく内に、ひしがきは霊夢と少しずつ言葉を交わすようになった。
ひしがきは霊夢に会う気もなかったし会いたい相手でもなかったためにできるだけ避けるようにしてきたが、そうやって顔を合わす内に軽く会話をする程度の関係になっていた。もっともひしがきと霊夢が話すことを快く思わない者に気を使っていたという事もあるが。
言うまでもなくそれはいろはである。本来であれば魔理沙だけであったはずの異変解決。それにいろはが加わっていたことに僅かに驚きはしたものの、年の近い彼女たちが友人の関係になったことはおかしなことではないと思った。正直自分をよく思っていないいろはの友人である霊夢がこうしてやって来たことの方が戸惑った。
ひしがきは腰を下ろすと、持ってきていた荷物から無縁塚から拾ってきた水筒を取り出す。更に湯呑を取り出すと水筒に入っていたお茶を注ぎ霊夢に差し出した
「……ほら」
「ん……」
ひしがきの隣に腰を下ろした霊夢は湯呑を受け取る。
もし他の誰かがこの光景を見たら驚くであろう。現博麗の巫女である霊夢が忌み嫌われる前博麗のひしがきと並んで座っているのだから。
ひしがき自身、霊夢とこうやって並ぶ日が来るとは思ってもいなかった。博麗を降りた時からもう二度と主要な東方の登場人物と関わるもんかと思っていたが結局この幻想郷では彼女たちから逃げることなどできはしないと諦めて、霊夢とも言葉を交わすようになった。
話してみて、ひしがきは何故彼女の周りに多くの者が集まるか何となくわかった。誰に対しても、自分に対してさえも平等に接する霊夢の側は、拒絶されることがほとんどの自分にとって居心地がいい。周りに嫌われた自分が、久しぶりに対等に会話ができた。
その雰囲気に、今ではこうしてお茶まで用意しているのだから。何とも現金な話だと自分でも思う。だが話し相手のいない自分にとって霊夢との時間は少しだけ気がまぎれる時間だった。
「そういえば…」
「ん…」
「この間、命蓮寺の尼や道士や守矢の巫女がやってきてな。いきなり襲ってきたぞ」
「へぇ…」
霊夢は静かにひしがきの話に耳を傾ける。
「遂に俺を血祭りにでも挙げに来たのかと思ったら、競うようにして襲ってくるもんだから簡単に逃げられた。どうしてそんなことになったか知ってるか?」
「…あ~、この間宗教家の間で信仰を得ようっていう騒ぎがあったのよ。たぶんそれで人気取りにひしがきの所に来たんだと思うわ」
「……なるほどな、迷惑な話だ」
なるほど、あれは心綺楼の出来事だったわけか。さすがにただ戦って終わるだけじゃ済まないでこっちまで火の粉が飛んできたというわけだ。
「霊夢はそれに参加しなかったのか?」
「したわよ。うまくいけば信仰が増えてお賽銭も沢山入ると思ったから。…でも結局はいつも通りよ。また変なのが増えただけだたわ」
「そうか」
そういう彼女の顔は不満そうで、退屈とは無縁の生活を送っているようだった。もう少し霊夢と他愛ない会話をしたいところだが、どこに人の目があるかもわからない。そろそろ切り上げた方がいいだろう。
「そろそろ、行った方がいい。ほら、これ持ってけ」
霊夢に収穫した作物を籠に入れて渡す。
「ありがと。それじゃあ、また」
「ああ」
そう言って再び宙に浮いて去っていく霊夢を、ひしがきはしばらく見送っていた。そして、残った作物を抱えて小屋に戻って行った。
「…………」
霊夢は芋や野菜の入った籠を抱えて博麗神社へと向かう。
しばらくして博麗神社に着くと、そこには人影があった。
背中まで伸びた長く艶やかな黒い髪。丈がミニスカートの様になっている桜色の衣。凛とした雰囲気を纏った少女がそこにいた。
「あら、いろは。来てたの?」
「…ん」
その少女、いろはは小さく頷いて応える。
身長は霊夢より少し高いくらいまで伸びている。女性らしい丸みを帯びた輪郭に成長しており、胸も大きく膨らんでいる。
ちなみに歳が霊夢たちよりも近いあるメイドはその胸に心の中で深い劣等感を抱いているとか。
「…それ」
いろはは霊夢の持っている籠を指さす。
「…どうしたの?」
「これ?貰ったのよ。おかげで買い物に行かなくて済むから助かったわ」
「…そう。…なら、これも」
そう言っていろはは持っていた袋を霊夢に差し出した。
「…お菓子、持ってきた」
「ありがとう。いろはは魔理沙と違って気が利くわよねー」
「誰が気が利かないって?」
そう言って空から箒に乗った少女が降りてきた。如何にも魔女といった大きな帽子に白黒を基調とした洋服。霧雨魔理沙が霊夢といろはの前に降り立った。
「なんだ、魔理沙も来たの?」
「何だはひどいな。せっかく今日は食い物だって持ってきたのに」
そう言って魔理沙は籠に山理に入ったキノコをぶら下げる。
「へぇ、たまには魔理沙も気が利くじゃない」
「なんだよ、引っかかる言い方だな。私は気が使える乙女だぜ」
「はいはい、でもこれで当分は持ちそうね」
「おっ、なんだよいろは、うまそうな物もってるじゃないか。よし、せっかくだから休憩しようぜ。霊夢、お茶くれ」
「…魔理沙、図々しい」
霊夢たちは楽しげに話しながら神社の中へと入っていく。
ふと、霊夢はいろはを見てひしがきを思い出した。以前何故いろはがいきなりひしがきに敵意を向けたのか、かつてひしがきは霊夢に話してくれた。
『俺は…あいつの家族を、守ってやれなかったんだ』
そしてもう一つ、霊夢はひしがきから言われたことを思い出す。
『霊夢、博麗は本当は一人でいなくちゃいけない。そうしないといずれ大切なものを傷つけてしまう。けど、霊夢。いずれお前は―――』
先代博麗から、今代博麗への言葉。霊夢はその言葉をよく覚えている。
例え大切な友人であるいろはが敵意を向けていても、幻想郷の多くの住人に忌み嫌われていても、その言葉がある限り自分はひしがきを嫌うことはないと、霊夢は思う。
(今度は、お茶請けくらい持っていこうかしら……)
そう思いながら、霊夢は友と共に並んで歩いて行った。
ようやく主人公登場。
そして成長したいろはも登場です。ちなみにいろはの胸の大きさは……皆さんの想像にお任せします(笑)ただ、あるメイドが嫉妬するほど大きいという事です。
この作品では魔理沙と共に霊夢と一緒にいる存在となっております。次回はヒロインたちとのファーストコンタクトを書く予定です。