幻想郷に中途半端に転生したんだが   作:3流ヒーロー

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草の根とひしがきの話です。以前に短編と言っていましたが番外編の方があってる感じがしたので番外編とさせてもらってます。3人との絡みの比率がちょっと偏ってしまいましたが、そこはご容赦ください。

あと多分この話を読んで頂いているほとんどの方は気づいたと思いますが、前回の話でひしがきと草の根の三人のシーンが『また時は過ぎて…』の最後のシーンと重なっています。




かつて夢見た物語 (番外編)

 

 

 

霧の湖。その湖畔で水面に釣糸を垂らす人影があった。

 

その人影、ひしがきは一応人目を避ける意味もあってか無縁塚で拾ったつばの広い帽子を目深にかぶり静かにプカプカと浮かぶうきを眺めている。様々な事情もあり静寂を好むようになったひしがきにとって、一人で水面を見つめながら風の音や湖の水の音を聴くこの時間は過ごしやすかった。

 

(…いや、違うな)

 

そう。そう思えるようになったのはつい最近かもしれない。ただ苦悩から目をそらそうとする日々が、少しづつ変わっていったのは。そうでなければその静寂にも湖にある音にも気を傾ける余裕などなかっただろう。

 

ひしがきはいつの間にか流れる時間を感じる事の出来る自分に苦笑した。現金なものだ。ただ、誰かが自分の傍にいてくれるというそれだけの事でこうまで見る世界とは変わってくるものなのか。

 

……恐らくそうなのだろう。事実、自分がそうなっているのだから。

 

グイッ

 

「おっと」

 

ひしがきの持つ竿の糸が引かれて大きく曲がった。どうやら大物がかかったようだ。

 

「よし」

 

両手でしっかりと竿を持ったひしがきは逃がすまいと手に力を込める。ちなみにこの竿、迷いの竹林から取った竹で作ったものでひしがきはこれにも呪いを込めておりかなりの強度と弾力性に優れている。ただし呪いの竿である為に本人以外に触れず、これを妖怪相手に打ち付ければ立派に武器になる一品である。

 

そして糸はと言えば妖怪の毛から出来ておりただの釣糸に比べるとずっと丈夫にできておりこれもまたひしがきのお手製である。針は妖怪の骨から削り出した物で大物相手にも曲がることは無い。この竿と糸と針ならば大の大人がぶら下がっても余裕で振り回せるくらいの代物である。

 

そんな無駄に手の込んだ釣り道具一式でひしがきはヒットした大物を釣り上げるべく力を込める

 

「…っ」

 

重い。竿から伝わる感触に、どうやらこれは想像以上のサイズを引いたらしい。竿が大きくしなる。だがその程度で折れるほど柔な物ではない。

 

ひしがきは気合を入れて竿を引こうとして……突如竿を引く重みが無くなった。針が外れたのかと思った瞬間、水面が沸き立った。

 

「ばぁーーー!!」

 

「はぁ!?」

 

その中から、何とも間の抜けた声と共にわかさぎ姫が飛び付いてきた。

 

 

 

 

 

「……何やってんだ。わかさぎ姫」

 

「えへへ~、驚きましたか?」

 

「……ああ、十分にな」

 

してやったとうれしそうに笑っているわかさぎ姫に、やれやれとひしがきは濡れた顔を持ってきた布で拭く。

 

「はぁ…せっかく大物がかかったと思ったらわかさぎ姫か。今ので魚が逃げたらどうしてくれる?」

 

「大丈夫です!その時は私が今度こそ魚を捕まえて見せます!」

 

両手を拳にしてやる気をアピールするわかさぎ姫。もしかしたらそのためにあんなことをしたのかとひしがきは溜息をはく。

 

「…それじゃあ一応頼んでみるか」

 

「任せて下さい!」

 

 

………………………

 

………………

 

………

 

 

そしてしばらく時間が経った頃。

 

「………」

 

「うぅ……」

 

そこにはやや呆れた目を向けるひしがきと打ちひしがれたわかさぎ姫がいた。結局、彼女は一匹も魚を捕まることが出来なかったのだった。

 

「学習しろ」

 

「…………はぅ」

 

容赦ないひしがきの言葉に打ちのめされわかさぎ姫はその場に崩れ落ちた。呆れて再び溜息をつくとひしがきは再び糸を湖に垂らす。その後ろでわかさぎ姫はしばらく落ち込んでいた。

 

やっとわかさぎ姫は復活すると申し訳なさそうにおずおずとひしがきの隣にやってきて腰を下ろした。

 

「……うう、本当にすいません。次こそは…」

 

「……まったく、とりあえずそんな落ち込むな。」

 

ワシャワシャと少し乱暴にわかさぎ姫の頭を撫でてやる。耳の部分にあるヒレの様なものが悲しそうにシュンとして下がっている。そんなにショックだったのかとひしがきが苦笑する。

 

「ほら」

 

「え?」

 

ひしがきはわかさぎ姫に竿を差し出す。突然差し出された竿にわかさぎ姫は困惑するがひしがきに渡されるまま竿を握る。

 

「それならわかさぎ姫でも魚取れるだろ。一回やってみな」

 

「え、えっと、私がですか?」

 

人魚が湖畔で釣りをするとは何とも珍妙な話ではあるが、潜って取れないのであれば釣るしかないだろう。

 

とりあえずやってみようとわかさぎ姫は針に餌を付けようとするが……。

 

「………」

 

「…おい」

 

片手に針と餌の虫を持ったまま固まるわかさぎ姫にまさかと思いつつひしがきが声を掛ける。

 

「ど、どうやったらいいんでしょう?」

 

「………」

 

どうやら、わかさぎ姫はかなりの難敵のようだ。ひしがきはわかさぎ姫の背後に移動すると後ろから手を回してわかさぎ姫の手を取った

 

「あ……」

 

「ほら、こうするんだ」

 

ゆっくり虫に針を通して分かり易いようにしてわかさぎ姫に手本を見せる。

 

「あとは魚が来るのを待つだけ……って何笑ってる?」

 

「えへへ、何でもありません」

 

すぐ横で笑っているわかさぎ姫。ひしがきはすぐ隣に腰を下ろすと静かに釣れるのを待つ。わかさぎ姫は気を入れ直ししっかりと竿を握りしめじっとうきを見つめる。必要以上に力を入れて竿を握るわかさぎ姫にひしがきはおかしそうに少し笑った。

 

また、湖畔に静かな時間が流れ始める。

 

むむむっ、とわかさぎ姫は今か今かと魚が餌に食いつくのを待つ。その隣でひしがきはその様子を見ていた。

 

「…なぁ、わかさぎ姫」

 

「あ、はい。なんですか?」

 

「姫って呼んでいいか」

 

「はわっ!?」

 

突然のひしがきの申し出にわかさぎ姫はその場で器用に飛び上がった。

 

「ななななんですかいきなり!?」

 

「いや、何となく。わかさぎ姫よりも姫の方が呼びやすいからってだけだけど、駄目か?」

 

「べ、別にそういうわけじゃ、ないですけど」

 

わかさぎ姫は頬を赤らめて視線を泳がす。名前に姫という言葉が付いているが姫と単体で呼ばれることは今までなかったために何となく気恥ずかしい気分になる。こうやってひしがきから距離を縮めてくれることに嬉しさを感じつつも、思わぬ提案に驚いてしまった。

 

それでも、

 

「……いいですよ」

 

顔を赤くしたまま恥ずかしそうにわかさぎ姫は笑って答えた。何よりひしがきが自分を受け入れてくれているという事実が、今の彼女にとっては嬉しかった。

 

「そっか。それじゃあ姫」

 

「はい。何ですか」

 

「引いてるぞ」

 

「はい………ええっ!?」

 

 

結局、魚を逃がして落ち込んだわかさぎ姫をひしがきは苦笑して慰める事になった。

 

 

 

 

 

 

「…ねぇ、ひしがき」

 

「ん、何だ?」

 

雨がしとしとと降る中で、丸太小屋には不釣り合いと知りながらも作った縁側に腰を下ろしてひしがきと蛮奇は並んでいた。

 

「…いい加減、恥ずかしくなってきたんだけど」

 

「大丈夫だ。俺は気にしない」

 

「私が気にするんだ!!」

 

ただし、体から離れた蛮奇の頭をなぜかひしがきが膝の上に置いて撫でていた。

 

何故こうなったか。ひしがきがフワフワと浮いている蛮奇の頭部分が一体どうなっているかと聞いた所に蛮奇の確かめてみるかと言う提案に乗ったことから始まる。最初は両手に生首を持っているという状況にものすごい違和感を感じたひしがきであったが、両手にすっぽりと治まるフィット感と髪の感触が気に入ったのかまるで愛玩動物の様に膝の上にのせて撫でまわし始めたのだった。

 

「あーもう終わり!離してくれ!」

 

蛮奇が、と言うより蛮奇の頭がグルグル回転しひしがきから逃れて体に戻ろうとする。

 

「おっと」

 

しかし、ひしがきが両腕で蛮奇の頭を抱きしめる様にして抱え込んだ。

 

「っ!?むーっ!むーっ!」

 

ひしがきの腕の中で蛮奇は唸りながら頭を揺らす。離れている体も頭を取り戻そうと掴んで引き離そうとする。とうとう諦めたひしがきが名残惜しそうに頭を離すと蛮奇の頭と体が元の位置に戻った。

 

「はぁ、はぁ…」

 

「……そこまで嫌か」

 

「恥ずかしいって言ってるでしょうが!」

 

顔を赤くして自分を睨む蛮奇。

 

「個人的に、あの大きさであの感触はすごく癒されるんだが……」

 

「……限度があるでしょう」

 

「まぁ確かにやり過ぎたかもしれん。すまんな蛮奇」

 

「……何だってそう私の頭に拘るのよ」

 

警戒するように距離を取った蛮奇は口元を隠しながらジト目で睨む。はっきり言って妖怪である彼女にとって浮遊する頭部は妖怪としてのアイデンティティだ。それはつまり人を怖がらせるためのもので人間相手に撫でられたり抱えられたりするものではない。まして癒しなんてものは正反対のものだ。それ故にひしがきの申し出は妖怪としてのプライドを折るものだった。

 

「いや、だってお前はろくろ首だろ?」

 

「ええ、正確に言えば飛頭蛮っていう妖怪だけど」

 

「つまりだ、相手の生首だの単体で話したり持ったりするなんてお前以外にできないわけだ」

 

「…まぁ幻想郷でそんな妖怪私以外には知らないわね」

 

「だろ?」

 

そう言ってひしがきはそこから先何も言わずに蛮奇を見る。まだ話の途中だと思っていた蛮奇は怪訝な顔をする。

 

「…え、もしかしてそれだけ?」

 

「それだけ」

 

「他に理由は…」

 

「無いな」

 

例えば、犬が尻尾を振っていたら何となく触りたくなったり、鳥がつまり手に止まったら羽を触ってみたくなったりすることが誰しも経験があるのではないだろうか。ひしがきにとってはまさに今のやり取りがひしがきなりの妖怪との一種のスキンシップなのだ。

 

……本人にとっては思い出したくもないだろうが、嘗て八雲藍と博麗神社で暮らしていた時、妖怪と戦い以外で接することのなかったひしがきは、あらゆる面で自分をサポートしてくれる彼女とどう接したものか悩んだことがあった。そんな当時のひしがきなりに考えて出した答えが、尻尾のブラッシングである。九尾の狐にとっては象徴ともいえるべき9本の尾。それを毛繕いすることはひしがきなりの感謝と信頼の表し方でもあった。

 

だから今回、ひしがきは飛頭蛮である蛮奇と接するにあたってその象徴ともいえる宙に浮く頭を撫でていたわけである。結果としては過剰なスキンシップとなってしまったわけでが、それでもひしがきなりに自分から接しようとした結果であった。

 

「嫌ならすまなかったな。そんなつもりじゃなかったんだ」

 

「………」

 

蛮奇は何も言わずに元の位置に戻って座りなおす。しばらく、二人は黙って降り続ける雨を眺めた。

 

静かに降る幻想郷の雨は優しく大地を潤していく。雨の雫が屋根に、木の葉に、地面に落ちる音が自然の奏でるメロディーの様に流れていく。

 

(失敗したな……)

 

嘗ての様に自分なりに考えての行動だったのだがどうやらお気に召さなかったようだ。雨音が奏でる音に耳を傾けながらひしがきは内心反省する。以前は耳鳴りのようだった雨音が、今では心を落ち着かせて聞くことができている。そうしてくれた彼女たちへのひしがきの精一杯の感謝の気持ちだったのだが……。

 

(…どうすればいいかイマイチわからん)

 

彼の今までの人間関係や妖怪関係を考えれば、ある意味で仕方のない事と言えるのかもしれない。彼女たちが居心地のいいようにと小屋を作り直したりしているもののどうすればいいのかはっきりしたことが思い浮かばないのだ。

 

「……ん?」

 

内心、どうしたものかと悩んでいるひしがきの左肩に僅かな重みが加わる。顔を横に向けてみると、すぐ目の前に蛮奇の顔があった。再び体から離れた蛮奇の頭部が、ひしがきの肩に乗っていた。

 

「…うん、やっぱりひしがきの視点って私よりも高いんだね」

 

蛮奇より背の高いひしがきの肩に乗っているため蛮奇の視点は通常よりも高くなっている。しかし、頭が浮いている彼女にとっては視点などあまり関係ないようにも思えるが。

 

「珍しくもないだろ?」

 

そう思って聞くひしがきに、蛮奇は首を横に振る。肩が擦れて少しくすぐったかった。

 

「珍しいさ。こうやっていると、ひしがきの見ている世界がわかる。」

 

そう言って蛮奇は楽しそうに笑う。

 

「こうやって、誰かと一緒に見ていると自分とは違う誰かの世界が見えるんだよ。―――これが、ひしがきの見えている幻想郷なんだね」

 

(………いや)

 

すぐ耳元から聞こえる蛮奇の声に心地よさを感じながら、ひしがきは蛮奇の言葉を否定した。

 

(…たぶん、お前が見てる景色よりもいいものが見えてるよ)

 

すぐ横にある蛮奇の顔を横目で盗み見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

迷いの竹林。

 

その一角にあるひしがきの住処。夜であるにもかかわらず、その周囲は月の光に照らされ、まるで夜の闇から切り取られたかのようだ。

 

霧の湖同様新しく立て直したその小屋であったが、基本的にあの3人と会うのは霧の湖であるため必要はなかったかもしれない。それでも、同じ竹林に住む彼女のためにとひしがきは小屋を新しくした。基本的に中は無縁塚のガラクタを持ってきた現代風のレイアウトであるが、その室内は和風になっており床は畳を敷いていた。

 

そしてその室内にひしがきと、1匹の狼がいた。言うまでもなくこの竹林に住む狼女、今泉影浪の変身した姿である。彼女は今、獣の姿になってひしがきに寄り添うように寛いでいた。本を読むひしがきの側で体を丸めて呑気に大きく欠伸をする。その姿にひしがきは苦笑した。

 

頭を撫でると影浪は気持ちよさそうに目を細める。どうやら彼女にはこの接し方でも問題ないようだと内心ひしがきは小さく安心する。そろそろ、夕食にでもしようとひしがきが立ち上がる。

 

「飯作るけど、何がいい?」

 

「ワフッ」

 

狼の状態で応える影浪。当然だがひしがきには通じない。

 

「?とりあえず人狼になって話せよ」

 

会話をするためには至極当然の如く人語でなければならない。今の彼女の言葉を聞けるのは仙人か白狼天狗くらいのものだろう。しかし、影浪は困ったようにクゥ~ンと声を漏らす。

 

「…どうしたんだ?」

 

何か人狼状態に戻れないわけでもあるのだろうか。妖怪対策に書物などを読み漁ったり八雲藍から話を聞いたりとそれなりに妖怪の事を知ってはいるが狼女の生態などピンポイントの知識をひしがきは持っていない。仕方ないのでそれ以上の追及を諦め無難に影浪の好物の干し肉を勧めると嬉しそうに尻尾を振っていた。どうやら問題ないようだ。

 

実質用意するのが一人分だけなので手早く夕食の用意をする。ご飯に味噌汁、タケノコの煮物に干し肉。影浪には大きな干し肉の塊をそのまま皿に乗せてあげた。小さなちゃぶ台に自分の夕食を、隣に影浪の分を置いて手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「ワォン!」

 

影浪は待てましたと言わんばかりに肉に齧り付く。その様子にどうやら体調が悪いわけではないようだと一安心しひしがきも箸をもって飯を食い始めた。

 

(しかし、どうして人狼にならないんだ?)

 

夕食を食べながら何故影浪が狼のままなのか考える。今まで何度か狼の状態で一緒に過ごしたことはあったが食事の時には元に戻っていた。見たところ狼形態と言う事を覗けば異常はなさそうだし、本人も何も自分に訴えようとはしない。何か影浪の身に起きているのなら、言葉は通じないにしろ何か訴えようとするだろう。彼女の様子からそんな行動は見られない。

 

(つまり、ただ人狼の姿になりたくないだけか、もしくは狼のままでいたいってことか?)

 

無言で考えながら食べていたせいか箸が進み直ぐにひしがきは食事を終えた。影浪もまた干し肉を食べ終え満足げに口の周りをぺろりと舐める。

 

「うまかったか?」

 

「ワォン!」

 

「そうか」

 

影浪が肯定するように吠える姿にひしがきが満足げに頷く。夕食の片づけをした後は二人で縁側に座りながらいつも通り他愛ない話を始める。と言っても影浪が狼形態のままである以上、今夜はひしがきが一方的に語ることになるだろうが。

 

 

「……そうだな。じゃあ昔、無縁塚に行った時の事なんだが―――」

 

「ワフッ」

 

 

月に照らされて、人と妖が並んで語り合う。人が話すのは外から流れ着いた文明の利器の話。昔拾ったそれを何とか使えないかと思案した。その多くが使う事が出来なかったが、中にはそのままでも使う事ができる物があった。それを使って二人がいる家がある。それを聞く獣の姿の妖は、嬉しそうに尾を振り人の話を聞いている。時折応える様に声を上げ、感情を表すように吠える。

 

幻想郷の月の光はとても明るい。その淡い光が照らす竹林の光彩は言葉に仕様にない神秘的な光景だ。ひしがきは月光に照らされる影浪の毛を撫でる。フサフサとした感触の毛並みが実に心地いい。

 

(……ん?月?)

 

ふとひしがきは空を見上げる。空に浮かぶ月は欠けることなく綺麗な円を描いている。

 

「……影浪」

 

「ヲォン?」

 

「…ひょっとして、今人狼になると毛深かったりする?」

 

「ブフォッ!?」

 

影浪が、盛大に噴き出した。どうやら当たりらしい。彼女は狼女だ。確か満月になるとその影響で妖力が増したり狼としての特性が強くなって毛深くなるらしい。どうやら本人はそれを気にして狼の姿でいたようだ。

 

「ワ、ワン?」

 

何か窺うようにこちらを見上げる影浪。さっきの事はあまり知られたくなかったんだろうか?

 

「あ~、別に誰かに聞いたわけじゃないぞ。何となくそう思ったんだよ。今夜は満月だろ。影浪は狼女だから、ひょっとしたらってさ」

 

「…クゥン」

 

しょんぼりと耳を下げる影浪に苦笑する。人のコンプレックスは他人には理解できない者もあるが、それは妖怪でも同じらしい。ただ、狼女なのに毛深いことを気にする影浪が少し可笑しかった。

 

「ッ!ウゥ~」

 

「っと、ごめんごめん。別に馬鹿にしてるわけじゃないよ」

 

笑っているひしがきに怒った影浪が唸り声を上げる。ひしがきが謝るが影浪は拗ねたように顔を背けてしまった。どうしたものか?こうなると影狼はなかなか機嫌を直してはくれない。狼だけあって彼女は執念深いところがある。

 

しばらく考えた後、ひしがきは家の中にある引き出しに仕舞ってある物を取り出すと影狼の側腰を下ろす。影狼はこちらに顔を背けたままだが問題はない。

 

「フワッ!?」

 

驚いた声を出す影狼に構わずひしがきは持っている物、ブラシを使って影狼を撫でていく。無縁塚で拾ったこのブラシはひしがきが影狼にと持って帰って来たものだ。以前影狼にした時は大層気に入ったようだったので今回はこれで機嫌を直してもらうとしよう。しばしこちらを睨んでいた影狼はしばらくすると気持ちよさそう目を細めた。どうやら今回もこれで喜んでくれたようだ。ひしがきは一安心した。

 

だが心地よさそうにしていた影狼は、いきなり起き上がるとひしがきの後ろに回り込んだ。いきなりの事に驚いたひしがきは振り向こうとするが後ろから抱きつくように伸びてきた手によって止められた。

 

「……ねぇ、ひしがき」

 

いつの間にか人狼に変化した影狼の顔がひしがきのすぐ右横にあった。ひしがきが思わず身を竦める様に僅かに震えた。ひしがきに抱き着いている影狼はその様子に怪訝そうな顔をする。不器用ながらも自分たちと距離を縮めようとしてくれているひしがきがこういった反応をするとは思わなかったのだ。

 

「……影狼、耳がくすぐったい」

 

「え?」

 

ひしがきの言葉に影狼は顔を傾げる。耳がくすぐったいとひしがきは言った。だが影狼の耳はひしがきとは触れていない。という事は…。

 

「あ……」

 

影狼の目にひしがきの耳が留まった。そこには本来あるはずの耳がない。以前ひしがきに聞かされた鬼との死闘。その時に右耳が千切られてしまったと聞いた。

 

「ごめんね。痛かった?」

 

心配する影狼にひしがきは首を振る。

 

「いや、そうじゃない。ただちょっと、な。そこは少し敏感になってるんだ」

 

鬼によって無くなったひしがきの右耳の傷跡は刺激に対して敏感に反応するようになっていた。ひしがきとしては音もちゃんと聞こえるし問題はないのだが、さっきの様に耳元で話しかけられると音の振動だけでなく息遣いにまで反応してむず痒かった。

 

それを聞いた影狼は何を思いついたのか悪戯っ子の様にんまりと笑みを浮かべる。影狼は再び狼へと変化すると、

 

「わひゃぁっ!?」

 

ひしがきの右耳をぺろぺろと舐め始めた。

 

「ちょ、か、影狼!ひゃ…や、やめてくれ!」

 

ひしがきは身をよじって逃れようとするが、影狼は逃すまいとひしがきの上にのしかかり執拗に耳に下を這わせる。ひしがきも影狼を引きはがそうとするが影狼はまるで餌に飛び掛かる犬の様にひしがきに向かっていく。

 

ひしがきが結界を使えばそれで簡単に逃げることが出来るのだが、ひしがきはそれをしなかった。何となくそれは彼女たちを拒絶するような気がするのでそれはしなかった。二人の攻防がしばらく続いた後、影狼は人狼に戻るとクスクスと楽しそうに笑った。

 

「ふふっ、ひしがきってあんな変な声出すのね」

 

おかしそうに笑う影狼に、今度はひしがきが拗ねたように睨む。

 

「……余計なお世話だ。これ結構便利なんだぞ?気温の変化とか分かるし」

 

そう言いながらひしがきは耳に残る感触を消すようにごしごしと袖で擦る。様々な痛みを経験してきたひしがきだが人体の敏感な場所を舐められるというのは未知の感覚だった。思わず恥ずかしい声を出してしまった事にひしがきは顔を覆う。ある意味で一生の失態だった。

 

「…そういえば、さっき何言おうとしてたんだ?」

 

無理矢理話題を変えようとさっき影狼が耳元で言いかけたことを聞くと、にやにやと笑っていた影狼が曇る。触れない方が良かっただろうか?ひしがきがそう思った時、影狼は再びひしがきの後ろに移動すると手を前に回して額を背にくっつけた。

 

影狼はしばらく口を閉ざしたままだった。ひしがきも何も言わずに影狼の言葉を待った。

 

「……ひしがき」

 

「……なんだ?」

 

やがて影狼が口を開くと、ポツリポツリと語りだした。

 

「この間ね、蛮奇と一緒に人里に行ったの」

 

「そうか」

 

「うん。それでね、そこでたまたま人が話しているのが聞こえたの」

 

「…何を聞いたんだ?」

 

「……博麗の代理の話をしてたの」

 

「……そうか」

 

そこまで聞けば、言わずとも何の話を里の人間がしていたかは簡単に想像がついた。そして、何故影狼が悲しそうな声をしているのかも。

 

ひしがきはあの時、鬼に里を襲撃された後に里の人々から追われた時以来、里に行った事はない。遠くから里の様子を伺った事はあっても近づこうとは思わなかった。万が一にでも里の人間に見つかろうものなら、おそらくまたあの時と同じことが起こるだろう。霊夢によって保たれた里の平穏を、わざわざ乱す事はしたくはなかった。

 

「……ねぇ、ひしがき」

 

影狼は、躊躇う様にひしがきに尋ねる。

 

「ひしがきは、幻想郷が憎い?」

 

ひしがきは彼女たちに自分がこれまで何を経験してきたかを可能な範囲で話した。その時にひしがきは彼女たちに言ったことがある。

 

『犠牲なんてものは、つきものだ。何かを成す時、何が正義で、何が悪か。それは人の都合しだいだ。それが、この幻想郷では俺だった。それだけだ』

 

その時のひしがきの顔を、彼女たちは忘れることが出来なかった。悲しみ、苦しみ、後悔、諦観。そう言った感情を通り越した能面のようなひしがきの顔。それ以来、彼女たちはひしがきに里の事を尋ねようとはしなかった。けれども影狼は、里に行った時に見た人の顔に背筋が凍った。

 

博麗の代理

 

その言葉が出た時の人里の人々の顔は、言葉に出来ない。いや、言葉にする必要がなかった。憎悪、嫌悪、軽蔑、殺意。それらに類する単語が、そこにいた影狼と蛮奇の頭の中をよぎった。ひしがきが里の人間にどう思われているか。どうしてそうなったかを彼女たちは聞いていた。だが、それでもその光景を彼女たちは予想だにしていなかった。

 

人は、ここまで、たった一人の人間に対して負の感情を向けることが出来るのか。

 

確かにひしがきは里を守ることが出来なかった。守れるほど強くなかった。守れないほどに弱かった。それが里の人間にとって罪であったとしても、これほどまでに重い十字架をひしがきに負わせるのか。

 

 

影狼は不安だった。自分たちとひしがきは親しくなった。自惚れではなくそう思っている。蛮奇もわかさぎ姫も、自分たちは確かな絆を結んだと思っている。だが、もしひしがきに何かあったら、ひしがきはどうなってしまうのだろうか?具体的に何が起こるかなど分からない。だがそれでも、あの時の里の人々の顔が頭から離れない。何かが、とても悪い何かが起こってしまうのではないか?

 

だから影狼はひしがきに尋ねずにはいられなかった。ひしがきにこのままでいてほしい彼女は、ひしがきに里の人間のような顔をして欲しくはなかった。あんな負の感情に溢れた顔をして欲しくなかった。

 

 

 

「……なぁ、俺には昔好きな物語があったんだ」

 

「………え?」

 

少しの間を空けて、影狼の問いに応えずに、いきなりひしがきに話し出した。

 

「その物語はさ、一人の女の子が主人公で、周りにはたくさんの妖怪やら妖精やら人外がいてさ、なんて言うか、とにかくその女の子の周りは騒がしい事ばかり起こってたんだ。一つの事件が起こるたびに、その子は妖怪と戦って、最後には一緒になって騒いで、結局彼女はたくさんの妖怪たちと仲良くなってる。そんな話さ」

 

どこか遠い目をして話すひしがきに、影狼は何も言わずにただ語られる話を聞いている。

 

「ずっと昔から、俺はその話が好きだった。だから幻想郷で、俺も彼女みたいに、妖怪と……妖怪だけじゃない、妖精とか幽霊とか神様とか、そんな連中と話して一緒に騒いで楽しく過ごせたらいいなって、そんなこと、考えてたんだよ」

 

ひしがきは話を区切り、目を閉じて過去を反芻する。

 

「……けど、俺には無理だった」

 

目を開くと、そこにあるのは不安げな影狼の顔。

 

「それどころか…俺は博麗の代理として妖怪と一緒に楽しく過ごすどころかずっと殺し合いばかりしてきた。それが自分に与えられた仕事だと、それが必要な事だと……仕方ない事だと割り切って。その内、妖怪と仲良くなるなんて無理だと思うようになったよ。所詮物語は物語でしかない。現実の妖怪は、人間とは相いれない存在なんだって」

 

影狼の顔をまっすぐ見て、ひしがきは言葉を紡ぐ。

 

「けど、霊夢が博麗の巫女になってから、幻想郷は変わった。俺が無いと思っていた人間と妖怪の物語は、物語の中の話なんかじゃなくて、ただ俺に出来なかっただけで確かにこの世界でも存在したんだ」

 

初めて霊夢から異変の話や妖怪たちとの話を聞いた時、ひしがきは心から驚いた。それと同時に自分とは違う霊夢の立場に嫉妬した。自分の境遇を嘆いた。何故自分は霊夢の様にならなかったのか。そんなことばかりを考えていた。

 

だが、同時に心のどこかでほっとした。かつて自分が好きだった物語が、この世界でも存在していたことに、自分は安心したのだ。

 

「だから、たまに自分の好きだった話を霊夢から聞きながら…一人で生きていこうと思ってたよ」

 

霊夢(主人公)から語られる異変の話(東方の物語)を慰めに、一人で静かに暮らそうと思っていた。

 

「―――けど、影狼。この場所でお前に会えた」

 

ひしがきはその存在を確かめる様に、影狼に手を伸ばす。

 

「わかさぎ姫に会えた」

 

影狼は目を大きく開いてひしがきを見つめる。

 

「蛮奇に会えた」

 

その顔は、里の人間たちとはまるで違う、負の感情など欠片もない、穏やかで優しい顔。

 

「だから俺は、お前たちと居られるこの世界が、幻想郷が好きだよ。……また、好きになれたんだよ」

 

彼女たちの良く知る、ひしがきの顔だ

 

「なぁ、影狼。お前は幻想郷をどう思ってる?」

 

ひしがきからの問い返しに、影狼は満面の笑顔で答える。

 

「―――大好きよ。この幻想郷が。わかさぎ姫や蛮奇や……ひしがきと出会えたこの世界がとっても好き」

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、さっきの話、わかさぎ姫と蛮奇にも話してあげてね」

 

「……恥ずかしいから勘弁してくれ」

 

「だーめ、絶対話してあげてね!絶対二人とも喜ぶから!」

 

 

 

 

 

 





如何でしたでしょうか?少しばかりひしがきの内面が垣間見れる話になりましたね。このシーンを書きたいがために影狼の出番が長くなってしまいました。

本当は3人と一緒にいるシーンも書きたかったんですが、それぞれに焦点を当てた話にしようという事で今回の番外編は急遽書くことにしました。楽しんでいただけたら幸いです。

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