幻想郷に中途半端に転生したんだが   作:3流ヒーロー

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難産だった……。




一寸先は闇とはよく言ったもんだ

 

 

 

影狼がゆっくりと倒れていく。

 

それを、ひしがきは反射的に受け止めた。かわりに落ちた槍がドサリ音を立てる。

 

「…………………………影狼?」

 

呆然と呟くように、ひしがきは影狼を呼ぶ。何が起こったのか理解できずに……いや、理解したくとも頭がそれを本能的に拒絶したのか。ただ目を見開き、影狼を両腕で抱きかかえた。

 

「っ!藍!」

 

霊夢が藍をその場から引き離そうと符を放つが、藍はスキマへと再び入るとスキマが閉じその場からいなくなる。そして、紫後ろに控える様に再び姿を現した。

 

「紫、あんた……!!」

 

霊夢は滅多に感情を表に出すことはない。例え怒っている時でも、それは氷の如き冷たさで現れる。だが今の霊夢は怒りの感情そのまま、烈火の如く顔を怒りで歪ませる。

 

「落ち着きなさい霊夢」

 

「落ち着け?ふざけるのも大概にしなさい!!」

 

霊夢が怒りを爆発させようとする。

 

「よく見なさい。あなたが知りたがっていたことがわかるわ」

 

そう言って紫は、ひしがきを指さした。

 

 

 

 

 

 

今泉影狼は、自分が貫かれた事に気付かないまま意識を飛ばしていた。そしてビデオを再生するかのように、遠い過去の記憶を遡っていた。

 

それは、彼女がまだ幼かった日。

 

子供の狼の姿をしていた彼女はある時、別の妖怪に襲われ傷を負ってしまった。何とか逃げ出すも、小さな狼の少女は力尽き、倒れてしまった。このまま死んでしまうのか?彼女がそう思った時、そこに一人の人間の娘がやって来た。

 

その娘は幼い狼の姿の影狼を見つけると、大事に抱えて自分の家にまで連れてきた。力尽きて抵抗できない影狼はなされるがまま。娘は親に見つからない様に、床下に影狼を匿うと影狼を手当てした。

 

人間にあまりいい印象を持っていなかった影狼は自分を看病する娘に戸惑った。すぐに逃げようとしたが、怪我をしていて動くことができない。仕方がないので影狼は警戒しつつも、怪我が治るまでそこにいることにした。

 

その人間の娘は、毎日飽きもせず影狼の所に来た。来るといっても彼女の住んでいる家の下にいるのだから簡単に来れる。それでも暇になっては娘は影狼の様子を見に来てはずっと彼女に話していた。

 

自分には2人の兄がいて両親と一緒に暮らしているとか。けれど父と兄はずっと仕事で家に居なくて母の手伝いをしているとか。近くの家には同い年の子が居なくて遊び相手がいないとか。よく一人であちらこちらに行っては帰りが遅くなって母に叱られるとか。最近山で眺めのいい場所を見つけたとか。秘密の釣りの穴場を知っているとか。近くの山に住んでいる兎が子供をたくさん産んだとか。

 

そんな影狼にとってどうでもいい話を延々と聞かせれた。動くことの出来なかった影狼は、煩わしいと思いつつも仕方なく娘の話しに耳を傾けた。

 

それからしばらくすると、娘は影狼を抱えて話に出てきた山や川に出かけるようになった。影狼の傷は多少癒えてはいた。隙を見て逃げようかとも考えたが、無理をせずに完全に癒えるまで待とうと影狼は娘の腕の中で揺られながら考えていた。そんな影狼の考えなど知らない娘は無邪気に影狼を抱えながら走っていた。

 

そんな日が、しばらく続いた。

 

 

………………………。

 

 

急な夕立にそろって水浸しになった日があった。川で魚を取って並んで食べた日があった。滑って転んで川に落ちてまた水浸しになった。

 

 

……………………………………。

 

 

山で美味しい木の実を取るために木の上に登った事があった。なぜか娘は影狼を自分の背に紐で縛って一緒に登った。影狼は嫌がったが、娘は無理やり影狼を背負うと木に登り始めた。細い枝の先の実が生っていて、自分では行けないからと娘は背負っていた影狼に取って来てくれと頼んだ。影狼は嫌だと吠えた。娘は頼んだ。影狼は吠えた。そうこうしている内に、重さに枝が耐えられなくなり二人そろって落ちた。

 

 

………………………………………………………。

 

 

大分体の傷が癒えた影狼が、調子を確かめるために自分で床下から出かけた事があった。歩くのには問題ない。しかし、走ろうとするとまだ体が痛んだ。完治にはまだまだ時間が掛かるようだと、床下に戻ろうと娘の家に向かうと、家の周りで少女が必死になって辺りを見回していた。影狼が近寄ると、娘は飛びつくようにして抱きしめてきた。力を込めすぎて影狼が痛がっている事にも気づかずに、娘は涙目で影狼を抱きしめる。影狼は仕方ないとばかりに、痛むのを我慢してされるがままになった。

 

 

…………………………………………………………………………。

 

 

影狼の体の傷がほとんど癒えた。もう全力で走っても、特に支障はなかった。家に戻ると、娘がまた影狼を探していた。影狼が近くまで来ると、娘は影狼を抱き上げて、おかえりなさいと言った。

 

 

……………………………………………………………………………………………。

 

 

傷が治っても、まだ影狼は娘の家の床下に居た。影狼は、そこにいるのがもうすっかり慣れてしまった。けれど……いつまでも家に居る事は出来なかった。ある日、娘が家に居ない時、影狼は娘の家族に見つかってしまった。騒ぐ人間から逃げるようにして、影狼は山に向かって駆け出した。もう、あの家には戻れない。その事に、寂しさを感じながらも、いい機会だと影狼はそのまま山に戻っていった。

 

一夜明け、影狼がこれからどこに行こうかと考えていた時、影狼の耳に人間の声が聞こえた。もしや人間が自分を追ってきたのだろうかと影狼が身を潜める。だが、その声に影狼は聞き覚えがあった。声のする方に行くと、案の定あの娘がいた。前と同じように目に涙を浮かべ娘は影狼を探していた。そして影狼を見つけると前と同じように飛びつくようにして抱きついてきた。

 

 

……………………………………………………………………………………………………………………。

 

 

それから、影狼はその山から他の場所に行くことはなく山に住んだ。娘は毎日のように山へやってきては影狼と一緒に居た。影狼の住む場所が変わったこと以外、二人の関係に変化はなかった。

 

それから、彼女たちは何年も共に過ごした。

 

春になると山に咲いた桜を眺めた。夏には川で水浴びをした。秋には山の木の実を集めた。冬には雪の中を駆け回った。

 

共に過ごす事が、当たり前だった。

 

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

 

ある日、いつものように娘が山にやってきた。ただいつもとは様子が違った。何も言わず、影狼を膝の上に抱えて座っていた。どうしたのだろうか?影狼は頭を傾げて娘を見上げた。娘はようやく口を開くと、ゆっくりと話し出した。嫁に行くことになった、と。遠くに行かなければならなくなった、もう会いに来ることはできないと。そう言ったきり、娘は何も言わず、影狼を抱きしめ続けた。やがて日が傾き始めると、娘はシンプルな赤いブローチを取り出すと、紐を通して影狼の首にかけた。そして、さようならと言って山を下りて行った。もう、彼女が山に来ることはなかった。それでも、影狼はその山からどこか別の場所に行くことはなかった。時折山を下りては、娘の家を見つめていた。

 

………………………………………………………………………。

 

………………………………………………。

 

……………………………。

 

………………。

 

それからまた、長い時が過ぎた。成長した影狼は変わらず、娘と過ごした山で暮らしていた。いい加減どこかほかの場所に行こうか。そう思う事もあったが、結局彼女はその山に居続けた。

 

また、あの家の近くに来た。もうあの娘の両親はすでに家にはおらず、何年も誰も住んではいなかった。いずれ、この家も朽ちていくのだろうか。そう思い家にやってきた影狼は、家の中に誰かいる事に気付いた。誰だろうか?人がすまなくなって久しいこの家に誰が来たのだろう?

 

影狼がしばらく様子を見ていると、家の中に年老いた女が一人、縁側に腰を下ろしていた。その顔に、どこか見覚えがあった。その時、その老女から影狼に向けて風が吹いた。風が運んできたその匂いに影狼は思わずその老女の前に姿を現した。突然飛び出した狼の姿に老女は驚いたが、その首にかけてある赤いブローチに気が付くと、彼女は昔の様に、目に涙を浮かべて影狼を抱きしめた。

 

それから、影狼と老女はまた一緒に過ごした。前とは逆で、家に居る彼女を影狼が毎日のように訪ねた。老女は昔の様に影狼に話しかけた。

 

結婚したこと。結婚した相手は良い人間だったこと。子供が出来たこと。子育てが大変だったこと。子供たちが日に日に元気に育ってくれたこと。家族仲良く過ごしたこと。子供たちが立派に成長し、家を出ていったこと。夫とまた二人で静かに暮らしたこと。夫が病で倒れたこと。夫を看取ったこと。そして、生まれ育ったこの家に一人戻ってきたこと。

 

影狼と別れてからの事を老女は話した。けれど、まだ影狼がこの場所に居るとは老女も思っていなかったらしく、またこうして再び会う事が出来て嬉しいと、老女は言った。影狼もまたそれに同意するように一声吠えた。また二人で過ごせると、互いにそれを喜んだ。そうして、二人はまた昔の様に、同じ時を過ごしていった。

 

………………………………………………。

 

……………………………。

 

………………。

 

それから数年後、老女は床で寝て過ごす事が多くなった。影狼は彼女の為に、昔二人で取った木の実や川で取った魚を持ってきた。老女は、ありがとうと言って、影狼を撫でた。

 

 

そして、ある日。老女はすっかり床から出なくなった。影狼は老女の側にいた。老女はまた、影狼に話しかける。自分には両親がいた。兄弟がいた。夫がいた。子供たちもいた。幸せだった。……ただ、友達は一人もいなかったと。自分にとって、友と言えるのは、影狼だけだったと。だからあの時、影狼と離れた時が本当に辛かった。また、こうして一緒に居られるとは、夢にも思わなかったと、老女は言った。影狼は、横になって静かに微笑む老女に寄り添った。老女は影狼を撫でると、擦れるような小さな声で言った。

 

『ありがとう』

 

そして、それからしばらくして。老女は眠るように息を引き取った。彼女の子供たちが、彼女の遺体を引き取っていた。その夜、まるで鳴き声のような狼の遠吠えが遠くまで響いていった。

 

あの時、自分も言えばよかった。自分にとってもあなただけが友達だったと。自分も別れた時悲しかったと、また会えて本当に嬉しかったと。伝えればよかった。

 

それが、出来なかった。もし自分が妖怪だとわかれば、ひょっとしたら彼女は自分を怖がってしまうかもしれない。だから、ずっと隠してきた。けれど、彼女ならきっと自分を怖がらずに受け入れてくれたのではないだろうか?自分の気持ちを伝えれば、もっと喜んでくれたのではないだろうか?……でも、それが出来なかった。それが、とてつもなく悲しかった。

 

 

 

 

 

 

影狼の意識が浮上する。目の前に、ひしがきがいる。自分はどうやら、ひしがきに抱きかかえられているらしい。

 

「っ!影狼!!」

 

ひしがきが、影狼の名を呼ぶ。

 

ああ、そんな顔をしないでほしい。そんな悲しそうな顔をしないでほしい。どうして、そんな顔をしているのだろうか?私はあなたの、優しい顔が大好きなのに。

 

どうしてだろうか?体が、思うように動かない。自分は大丈夫だと彼に伝えたいのに、体が言う事を聞いてくれない。

 

(ああ、でも………)

 

自分を抱きしめるひしがきから伝わる温かさが、何故か影狼にははっきり感じられた。どこか懐かしい、昔もこれと、同じ温かさを影狼は感じたことがあった。

 

彼女と、同じだ。自分の最初の友達。遠い昔に別れてしまった、優しい友達。影狼はその温もりに身を任せた。

 

「―――ねぇ、ひしがき」

 

影狼は、自分を抱くひしがきを見上げ、自然と言葉を紡いでいた。

 

「やっぱり、人って温かいね」

 

今度こそ、伝えなければ。あの時、言えなかった言葉を。唐突に、影狼はそう思った。どうしてかは分からない。ただ今言わなければならないと、そう思った。

 

そして彼女はそれを言った。あの時、彼女の友人が言ったように。

 

 

 

 

 

『ありがとう』

 

 

 

 

 

「……影、狼?」

 

いきなり、影狼に伝えられた言葉。何故今それを言うのか?何故そんなことを言うのか?ひしがきには理解できなかった。

 

ただ影狼が、微笑んで目を閉じていること。その体から伝わってきた鼓動が、感じられなくなったことが、否が応にもある事実を突きつけた。

 

 

――――死。

 

今泉影狼が、死んだ。

 

「――――――」

 

ひしがきの全てがその事実を否定しようとする。だが、今まで数多くの死を見てきた、数多くの妖怪をその手にかけてきたひしがきはそれを理解してしまう。今自分の腕の中で横たわる妖怪は、もう生きてはいないという事を。

 

「―――――――――――――――!!!!」

 

そして、ひしがきは一線を越えた。

 

 

 

 

 

 

「……な、によ…あれ?」

 

霊夢は目の前の光景に思わずそう呟いた。

 

ついさっきまで、そこにはひしがきが居たはずだ。だが、今あそこにいるのは何だ?ひしがきから、黒い何かが出てきたと思ったら、それがひしがきを覆った。そこに居るのは人の形をした黒い塊があった。

 

それだけならまだいい。あれがひしがきの結界に使う呪いの一種で、それを纏っていると推測できる。だが、今ひしがきが纏っているのは違う。あれは今までのひしがきの呪いの力などではない。どこまでも暗い奈落を思わせるそれはまるで、死そのものではないか。

 

霊夢は自分の全てがそれに向けて警報を鳴らしているのがわかった。恐らく命あるものがそれを前にすれば、全ての者がそうなるだろう。周囲にある木々までもが、それに恐れおののくようにざわめいていた。

 

「………ようやく、出てきたわね」

 

八雲紫はそれを前に普段の考えの読めない雰囲気を一切出さずに身構える。先代巫女と視線で合図を交わす。

 

「藍」

 

「はっ」

 

紫の言葉に藍がゆっくりと前に出た。それに、ひしがきが反応した。目のあるであろう場所に、鈍い光があった。それが、ギョロリと藍を捉えた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

そして大きく口が割れたかと思うと、衝撃波とともに言葉にならない叫びがそこから発せられる。唯一明確に分かるのは、その叫びが怒号であるという事だけだった。ひしがきの腕から影狼がゆっくりと地面に下ろされ横たわる。

 

ひしがきは手を地面に着き獣の様に構え、藍に向かって手を突き出す。その腕が、藍を貫かんと凄まじい速さで伸びた。

 

「ッ!」

 

藍は伸びた腕を紙一重で躱す。だが伸びた腕から藍を貫かんと無数の針の様に呪いの塊が姿を変える。藍に向かって伸びる無数の針。腕の先端も再び藍に向かって襲い掛かる。藍は自分に向かってくる針と腕にも構わずに、ひしがきの周囲に陣を展開する。そしてそれらすべてを掻い潜りひしがきの真上に移動する。

 

そしてひしがきの周囲に展開された一二の陣と藍自身からひしがきを覆い隠すほどの弾幕が放たれる。驚くべきはその密度。もはや第三者の視点からはひしがきの黒い姿は見えず、藍と陣から放たれる妖力弾の光しか見えない。そしてその一発一発に込められた妖力は並みの妖怪を軽く消し飛ばすほどの威力を持つ。九尾の狐。日本が誇る最強の妖怪の一角。藍はその名に恥じない力で持って、容赦なくひしがきを滅ぼさんとする。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

しかし、その局地的な爆撃の嵐の中をひしがきは叫ぶ。それは悲鳴ではなく先ほどと同じ怒号。ひしがきは自身を襲う弾幕など全く意に介さずに藍に向かって突進するように飛び上がる。それに合わせ藍は向かってくるひしがきに極大のレーザーを放った。それは魔理沙のマスタースパークを遥かに凌ぐ程の威力を持つ。最強格の妖怪が放つまさに必殺と言っていい一撃。

 

…………だが、それでもなお

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

ひしがきは止まらない。

 

さっきよりやや勢いが落ちているものの、極光の奔流をものともせず掻き分けるようにして藍へと向かっていく。今度はひしがきの両の手が藍に向かって伸びる。

 

「これも効かんか……」

 

手を抜いていない自分の攻撃が、ひしがきには全く効いている様子がない。とはいえ愚直に突き進んでは手を伸ばすだけのひしがきに、藍は余裕を持ってまた腕を躱そうとする。だが、藍に向かう2本の黒い腕が、増えた。

 

「っ!!」

 

伸びた腕が、太さもそのままに途中で無数に分かれた。そして先ほどとは逆に藍の周囲を黒い腕が覆うようにして隙間なく藍を貫かんとする。

 

「させないわ」

 

だが紫のスキマが藍を飲み込みひしがきの腕から藍を逃がした。

 

「……やはり力の押しでは難しいようね」

 

あのひしがきを覆う呪いの塊は触れる物全てを侵食し滅ぼす。しかもそれは藍の必殺の一撃を苦も無く防ぐもの。だが、何の問題もない。予定通りだ。

 

ひしがきは姿を隠した藍を探して辺りを見渡す。だが藍を探すその目が、紫を捉えた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

ひしがきが再び咆哮して突撃する。今のひしがきにとっては、紫もまた藍と同じ、滅ぼす対象だ。

 

「……もう完全に怒りで我を忘れてるみたいね。無理もないことでしょうけど」

 

迫るひしがきを前に、紫は静かにひしがきを見てそう呟いた。ひしがきの真上に大きく隙間が開く。

 

「安心しなさい。すぐに会えるわ」

 

その隙間から、凄まじい勢いで飛び出した廃電車が、ひしがきを地面に叩きつけた。廃電車はひしがきに触れた箇所から侵され塵と化していく。だがその圧倒的な質量で持ってひしがきを地面へと押し潰していく。

 

「藍」

 

「はっ」

 

藍が紫の反対側、ひしがきを挟むような形でスキマから姿を現す。そして、紫と藍を起点とし、ひしがきを中心にして妖力が奔る。それは一瞬で複雑な文様を描き、より広くより大きくな陣を敷いていく。そして瞬く間に周囲一帯に巨大な陣を出現させた。

 

ひしがきが廃電車を消し飛ばす。ひしがきの目が再び紫を捉える。だが、紫の陣はすでに完成していた。

 

「大人しくなさい」

 

そして、それが発動した。

 

 

 

 

 

 

「っぅ!!」

 

強烈な光とともに衝撃の波が自分の身体を通っていくのを霊夢は感じた。ひしがきの豹変。紫と藍相手の攻防。そして最後の陣。次々と急激に変化する現状に霊夢はただそれを見ることしかできなかった。

 

霊夢が目を開くと、そこには立っている紫と藍。そしてひしがきの姿があった。ひしがきは獣のように四肢を地に付けている。さっきまでひしがきを覆っていた呪いの一部が剥がされて所々に生身のひしがきの体が見えた。が、それも呪いが蠢くようにして覆い隠した。

 

霊夢は目の前で起きている戦いに驚愕した。先ほどの陣。あれは陣の中心にあるものを消し飛ばす攻撃の為の滅却の陣だ。それも妖怪の賢者・八雲紫とその式、九尾の狐・八雲藍によって描かれ発動された術式だ。はっきり言おう。それはこの幻想郷のあらゆる妖怪を滅ぼすに足る術だ。それを受けたにもかかわらず、それはひしがきを覆っていた呪いの一部を消し飛ばしただけに留まったのだ。

 

「なんなの、あれ……」

 

それらをすべて正しく理解した霊夢は、思わずそう呟いた。ありえない。ここに来て初めて霊夢はひしがきに……正確にはひしがきを覆う黒い何かに得体のしれない恐怖を覚えた。

 

「ひし、がき……」

 

霊夢が呆然とひしがきの名を呼んだ。

 

それは霊夢自身、何かしようとしたわけではない。変わり果てた友の姿に、無意識で呼んだ声だった。

 

「――――――」

 

しかし、その声に僅かにひしがきが反応した。目に灯る昏い光が、一瞬だが霊夢の知るひしがきの目に戻った。

 

「……!」

 

「……―――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

だがその眼はすぐに元に戻った。再び、ひしがきが吼える。そして先ほどと同じように紫たちに向かって行く。

 

だが霊夢は一瞬戻ったひしがきの目に希望を見出した。

 

(今なら、まだ間に合う!!)

 

霊夢がひしがきを助けるべく動こうとする。が、

 

「っ! ……母さん」

 

霊夢がひしがきに駆け寄ろうとする。その前に、先代巫女が割って入った。霊夢は何か言おうとするが、その前に先代巫女が口を開いた。

 

「あれが、ひしがきの中のモノだ」

 

先代がひしがきを指差す。この幻想郷に置いて、トップクラスの実力者2人を相手に、異形の姿でひしがきは猛然と食らいつかんとしている。その姿はまるで獣の様で、理性など欠片も感じられない。今のひしがきはただの破滅を撒き散らすだけの化け物と化している。

 

「関係ないわ」

 

だが、そんなひしがきを見てなお霊夢は先代に向かってそう言った。

 

「私は、ひしがきを助けるわ」

 

霊夢はひしがきを覆う黒い何かに恐怖を抱いた。おそらく紫たちの狙いはあの何かをひしがきごと消滅させることにあると霊夢は予想した。なら、自分がやることは一つ。

 

ひしがきからあの黒い何かを引き剥がし助けることだ。

 

「………」

 

先代巫女は、こうなっては霊夢が梃子でも動かない事をよく知っていた。もう何を言ったところで霊夢の決意は変わらないだろう。たとえ、ここで全てを話したとしても霊夢はまずはひしがきを助ける。考えるのはその後でいいというに違いない。

 

「そうか……」

 

先代が、静かに霊夢の肩に手を置いた。

 

母として、霊夢の意思を尊重してやりたい。だがやはり母として、霊夢の身を先代は案じていた。アレの恐ろしさを身を持って知っているからだ。だからこそ、

 

「ぐぅ、っ……!」

 

ここで、霊夢を行かせるわけにはいかなかった。先代が手を置いた霊夢の肩に、一枚の札が貼られていた。霊夢が札を剥がそうと手を伸ばすが、体が痺れる様に硬直して動かせない。そのまま倒れる霊夢を、先代が受け止め静かにその場に横たえる。

 

「かぁ……さ……」

 

霊夢が掠れる様な声で母を呼ぶ。

 

「すまない………」

 

母はそれだけ言うと、背を向けて離れていく。今度こそ終わらせるために。

 

 

 

 

 

ひしがきの咆哮と共に、呪いの塊が紫と藍へと伸びていく。紫はスキマでもってそれを回避しながら藍と共にひしがきにあらゆる攻撃を加えていく。ひしがきはそのすべての攻撃を身に受け、けれど一瞬も怯むことなく紫たちへと向かっていく。

 

「………驚いたわね」

 

紫は勢いの衰えないひしがきを見て素直にそう呟いた。

 

本来ならば、紫はひしがきの中にある物を完全に引き出してからひしがきごと消そうと思っていた。そして、影狼の死を切欠にそれはひしがきの中から溢れてきた。

 

だが、どれだけひしがきの呪いを削っても呪いは衰えることなくひしがきから溢れてくる。またゆかりの予想ではひしがき自身の体が呪いに耐えられず壊れて呪いそのものが剥き出しになると考えていた。しかし、ひしがきの体はいまだ健在。呪いは未だ衰えずにいる。

 

「随分と、大きく育ったものね」

 

紫にとって呪い自体が大きくなることは予想通りだ。その為に今までひしがきを苦境に追いやってきたのだから。だがそれがこうまで大きくなるとは紫にとっても予想を超えていた。

 

(それだけ幻想郷が、多くを受け入れてしまっていたのか……あるいは、あの子自身のものか。できることなら、呪いを全部消し去ってからにしたかったけど、これ以上は危険ね)

 

紫は目の前の呪いに覆われた青年に、心の中で小さく謝罪した。幻想郷が、すべてを受け入れるが故に起きてしまった異変。それを解決できなかった事。不運にも得てしまった少年に全てを背負わせた事。

 

(許しは請わないわ)

 

自分が一番に守るべきものは変わらない。しかし、そのために犠牲になってきた人間に向けての、紫なりの感謝の気持ちだった。

 

「藍、呪いを剥がすわよ」

 

「はっ」

 

紫の指示に藍はすぐさま紫の隣へと並び立つ。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

ひしがきが2人目掛けて突進する。それに対して紫と藍は呪いを消し飛ばすべく極大の一撃を間もなく瞬時に放った。

 

そして、激突。ひしがきと大妖怪の放つ破壊の極光がぶつかり合う。ひしがきはそれに構わず怨敵に向かって前進していく。後退などあり得ない。防御など考えない。ただ目の前の敵を塵へと変えるべくひしがきは進む。

 

だが、その相手は大妖怪。その力は尋常ではなく超常。日本においては数多の伝説を残すその力。その奔流を真正面から受けて、ひしがきから溢れる呪いを、消し去る力が上回ってひしがき自身を徐々に露わにしていく。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

ひしがきは止まらない。止まる必要がない。たとえこの身がどうなろうとも、そんなことは知った事ではない。もはやまともな思考などできない。だが、それでいい。ただ一つ、目の前の妖怪たちを殺す。それだけを忘れなければそれでいい。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

手を伸ばす。自分がいつも手にしていた槍はこの手にはない。だがそれも構わない。この腕で奴らを貫いてやればいい。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

呪いが、剥がされていく。自分の肉が焼けるのが分かる。それさえも、どうでもいい。この身が焼かれようとも、引き裂かれようとも。

 

もう、彼女は生き返らない。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッ!!!!!!」

 

そしてひしがきは2人の前へとたどり着く。目の前まで迫った紫と藍目掛けて、その腕を伸ばした。

 

 

 

ザシュッ!!

 

 

 

そして聞こえたのは、肉を貫く音。

 

「―――――」

 

だが、ひしがきの目の前にいる2人は貫かれていない。ひしがきの腕も届いていない。

 

「―――」

 

ひしがきが僅かに顔を伏せる。その視線の先に、腕が見えた。小さなスキマから出てきた腕が、ひしがきの胸を貫いていた。

 

再びひしがきが顔を上げ、視線を彷徨わせる。そしてその先に先代巫女の姿を捉えた。その姿はまるで正拳突きを放つ様で、ただその腕は、肩の少し先からスキマに飲まれて見えなかった。

 

「」

 

何かひしがきの口が言葉を紡ごうと動いた。しかし、それは音になって出る事は無く、ひしがきは小さく口を動かしただけ。そして、先代が封印を発動させようとする。

 

「夢想……っ!?」

 

だがそれは、途中で途切れる。

 

「……―――■■■」

 

ひしがきの口から血と共に声が漏れる。

 

「■■■■■■■■ッ」

 

先代が咄嗟に腕を引く。その後すぐにひしがきのひしがきの胸を呪いが覆う。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!」

 

再び、ひしがきが吼える。標的は先代巫女。

 

「っ!!」

 

紫がスキマで先代を逃がそうとする。

 

「■■■■■■ッッ!!」

 

「なっ!?」

 

が、能力を発動させようとした紫と藍をひしがきの黒い結界が覆った。

 

(結界を!?)

 

今まで怒りのまま溢れる呪いに理性を押しつぶされていたひしがきは原始的に向かってくるだけで能力を使ってこなかった。正確には使えなかった。

 

(戦いすぎた事で呪いが弱まり理性が僅かに戻った!?しかも、この結界……!!?)

 

紫たちを覆う結界は今までひしがきが展開してきたどの結界よりも強固で強力な侵蝕力を持っていた。僅かに理性が戻ることでひしがきに戻った戦略。しかし、未だ呪いにが溢れる中で張った結界はかつてないほど強力な力を持っていた。それは紫をもってして結界から逃れることに全力を尽くさねばならない程に。

 

まずい!

 

紫は能力で持って結界で隔てられた内と外の境界を弄り結界を解いた。そしてその先に、逃れようとする先代と、先代を貫かんとするひしがきを捉えた。だが今の先代ではひしがきから逃れることは出来ない。

 

(間に合わっ……!!)

 

間に合わない。紫がスキマで先代を逃がすよりも早く、ひしがきは先代を貫き、そして今の先代は抵抗できずに一瞬で侵され塵と化すだろう。最悪の事態が紫の脳裏を過ぎった。

 

ガギィッ!!!

 

だが、響いたのは肉を貫く音ではなかった。

 

「ぐぅっ……!!」

 

寸での所で、ひしがきと先代の間に霊夢が結界を張って割り込んだ。

 

「霊夢!!」

 

先代が叫ぶ。ひしがきの呪いを前に霊夢の結界が瞬く間に浸食されていく。今の霊夢は力を十全に発揮できてはいなかった。貼られた札を、霊夢は力ずくで引き剥がしたのだ。それはたとえて言うなら両手に嵌められた手錠を力ずくで引き千切る事に等しい。そんなことをすれば手錠よりも腕が深い傷を負う。

 

霊夢はそんな状態で割って入り結界を張ったのだ。いくら霊夢でもそんな状態で張った結界では今のひしがきを前にはあまりに弱すぎた。呪いが結界を飛び越え突き出された霊夢の右腕へと侵蝕を広げていく。その痛みに霊夢が悲鳴を上げる。

 

「ああぁぁぁっ!!」

 

それでも、悲鳴を上げながら霊夢はひしがきと目を合わせた。呪いがまだ完全に覆い切っていないひしがきに向けて、霊夢は叫ぶ。

 

「ひしがきっ!!」

 

名前を呼ぶ。他に何も言うことは無くただ霊夢はひしがきを呼ぶ。

 

「■■■―――!!」

 

その声に、ひしがきが反応した。先ほどと同じくその眼に灯る昏い光が、霊夢の知るひしがきの目に戻った。

 

「――――――れい……」

 

「夢想封印!!」

 

だが、その先代の言葉を最後に、ひしがきの意識は今度こそ途切れた。

 

 

 

 

 

 

ひしがきが倒れると、体を覆っていた呪いが消え元のひしがきの姿に戻っていた。

 

「……ひしが、きっ」

 

「霊夢!無理をするな!!」

 

ひしがきの下へと行こうとする霊夢を先代が支えた。霊夢の右腕は呪いによって黒く染まっていた。呪いに侵される痛みは想像以上の激痛だ。現に霊夢の体は痛みで震えて立つことさえままならない状態だった。

 

「……残り滓が、ここまで大きくなるなんてね」

 

霊夢を先代に任せ紫たちはひしがきを囲むような形で見下ろしていた。胸の中心を貫かれ更には先代の夢想封印を受けたひしがきは、気を失うもまだ息があった。だが胸をかなり深く貫かれた以上、このままでは命が危ない。

 

「紫様、一刻も早く消し去りましょう。封印されているとはいえ前のようになっては危険です」

 

瀕死のひしがきに藍は冷静に紫へと進言した。

 

「待ち、なさいっ……!」

 

霊夢が腕を抑えながら息を荒くしてそれに静止をかける。だが紫はそれを黙殺する。

 

「ええ、出来れば全て呪いを絶った後にしたかったけれどもう猶予はなさそうね。死んでしまう前に消し去るわよ」

 

そう言うと再び紫と藍はひしがきを中心にして陣を敷いていく。呪いを纏っていないひしがきでは、その陣で跡形もなく消滅するであろう。それでも紫たちは最初の陣よりも念入りに陣を敷いていく。確実に、ひしがきの中のモノを消し去るために。より入念に陣を敷き力を込める。

 

「待ちなさいっ!!!」

 

霊夢の静止の言葉を、紫は無視する。霊夢は止めようとするが呪いの侵蝕を受けた体は未だに思うように動いてはくれない。身体を支える母を振り払ってひしがきに駆け寄ろうとする。だが、足が前に動かずにそのまま前に倒れてしまう。

 

「ひしがきっ!!」

 

霊夢がひしがきの名を呼ぶ。しかし、もうひしがきは応えなかった。

 

「これで、終わりよ」

 

紫が陣を起動させる。

 

 

 

 

 

 

「そーなのかー」

 

だが、緊迫したその場に似つかわしくない声に全員がそちらに顔を向けた。

 

「……ルーミア?」

 

そこに無邪気な笑顔で両手を広げている宵闇の妖怪、ルーミアがいた。

 

「おー、霊夢なのだー。それに他にも大勢いるのだー。こんな所でなにしてるのだー?」

 

ルーミアは不思議そうに霊夢たちに向かって近づいて来る。

 

「……ルーミア、説明している時間は無い。今はここから離れていろ」

 

「むー、仲間外れは嫌なのだー」

 

「ごめんなさいね。また今度にしてくれるかしら」

 

先代の言葉に不満そうにするルーミアを紫がやんわりと窘める。

 

「っ!!」

 

その隙に霊夢はひしがきに近寄ろうとする。だが、立ち上がることが出来ずにその場に手を付く。だが右腕が使えない霊夢は自分を支える事が出来ずに再び倒れてしまう。

 

「霊夢ー、大丈夫なのかー?」

 

ルーミアが心配そうに霊夢の顔を覗き込む。

 

「ルーミア、霊夢は私が診ているから早く行きなさい」

 

先代がルーミアの背中を押してそう言った。

 

「そーなのかー。……………そういえば、

 

ルーミアの口調が、突然変わった。

 

覚えているかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

「なっ」

 

その場にいる全員が言葉を失っていた。辛うじて声を漏らした先代はあまりの衝撃に目を見開いていた。自分の体を何かが貫いていた。それを先代は知っていた。かつてはそれと操る妖怪と戦ったことがあったのだ。

 

それは、闇。かつてと同じようにその近くには、あの時まだ少年だった人間が倒れていた。

 

はらりと、その髪に付いていたリボンが落ちる。それはリボンではなく符。妖怪を封印する博麗の術符。

 

「必ずお前を殺してあげる、あの時そう言ったわよね」

 

そこに、かつての姿を取り戻したルーミアがいた。だが、何よりその場にいた全員が驚いた理由は他にある。ルーミアが元の姿に戻った事よりも、先代を闇で貫いた事よりも、それに全員が驚愕のあまり動けずにいた。それは何か?

 

ルーミアの纏う、闇。その性質が大きく変わっていたのだ。

 

より禍々しく。

 

より凶々しく。

 

より毒々しく。

 

より驚驚しく。

 

 

それは生き物にとっては天敵ともいえるモノ。あらゆる命を脅かす悍ましき、忌むべき力。

 

 

―――生命を、貪る呪いの力を持った闇を引き連れ、宵闇の大妖怪が復活した。

 

 

 

 

 

 

 





さてさて、恐らく多くの人はルーミアの事をすっかり忘れていたのではないでしょうか。最初の方に出てきたルーミアがまさかここで出て来るなんて……一体これからどうなっていくのか?

しかし……なんだか草の根の中で影狼の話が長くなってしまった。どこかで蛮奇とわかさぎ姫の話も出していきたい。これも短編で書こうか?悩むところです。短編は基本ひしがきと草の根のほのぼのにしていくつもりです。こっちはもう少しかかります。





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