『──彼女の死は世界の損失だ』
廊下を歩いていた私に聞こえてきたのは、まだ幼い少女のものであろうそんな言葉だった。
『シンジ、どうかしたのか』
『ああ…』
連れ立って歩いていたミカにそう言われ、私は初めて自分が足を止めていたことに気付いた。
私が今気にするべきなのは彼女…類稀なる殺しの才能を持つ少女ただ一人のはずだ。しかし、私はその声の主である少女…真っ白な髪をした、静謐な雰囲気を纏わせた少女が気になって仕方がなかった。
そんな私の様子が分かったのだろう、ミカも私が見ていた少女を見つけ、さらに紹介までしてくれた。
『あの子か…名前は白園百合。他のリコリスと比べると…そうだな、随分と年齢不相応に大人びた子だ』
話していくか? と聞いてくれたミカにいや、と答え私達は再び歩き出した。
通り様、その少女…白園百合君と一瞬だけ目が合った。
『────っ』
その時に見た彼女の瞳は今でも忘れられない。
その瞳には、幼い子供とは到底思えない情念と、はっきりとした意志が見て取れた。彼女は、私と同じ瞳をしていたのだ。
彼女の死は世界の損失だ。少女はそう言った。分かっているのだ、この少女は。神が与えた才能の正しい在り方と、その使われ方を。
幼き理解者に敬意を表し、私は一言だけ彼女に声を掛けた。
『君はよく分かっているようだね』
ミカに聞いた話によれば、彼女は千束と出会ってから片時も離れることなく世話を焼いていたらしい。
これからもきっと彼女は千束に寄り添い続けるのだろう。その才能を、正しく世界へ届けるために。
『ありがとう。私もなる。救世主!』
すまん、と小声で言うミカと、私へと子供とは思えない鋭い瞳を向ける百合君。言葉こそないが、彼女は私に「この手術を成功させろ」と、そう視線で訴えかけていた。
(もちろん成功させるさ。何も心配はいらない)
この心臓もまた、アランが認める偉大な才能が作り出したものだ。現在知られている技術の数世代先を行く、最も実用に足る代物…それが、千束の新たな心臓となる。
彼女にも、ミカにそうしたように詳しい説明をしてやりたいと思ったが、そんなことではなく、直接手術の結果で示す方が彼女は安心するだろう。
去り際、私もまた百合君と同じように目線で「心配はいらない」と伝えた。私の意思が伝わったのだろう、一度目を瞑ると、彼女は安心したように息をついた。
『行くのか?』
『ああ。私の…私達アラン機関の仕事はここまでだ』
千束の手術が成功し、私はミカの元を去ることにした。
才能を支援した者は、支援された者と必要以上に関わるべきではない。あとは本人が、その才能を正しく世界へ示せばそれでいい。
それこそが我々アラン機関というものだ。
それに、千束の側にはミカと…百合君がいる。
『さようならだ。約束だぞ。才能を世界に届けてくれ──類稀なる殺しの才能をね』
──だからこそ、こうしてもう一度顔を合わせることになってしまったのが残念でならなかった。
『やぁ。ミカ』
あれから時は流れ、私は再びミカの元を訪れた。
やはり千束は私のことを覚えてはいなかった。百合君はいないようだったが、千束と、それに千束が紹介してくれた井ノ上たきな君の会話から彼女もこの喫茶店で働いているようだ。
そこでしたのは他愛もない話ばかりだったが、私はミカがかつてと随分変わってしまったらしいことにすぐ気が付いた。
(やはり情報通り、か)
失望を感じながらも、私はもう少しの間だけ、千束達の様子を見ることに決めた。
『にぎやかだね』
『最近よく来てくれるね』
『君のおはぎは美味いからね。前はコーヒーもまともに淹れられなかったのに』
『十年も経てばな』
この一ヶ月間、私はこの喫茶店をよく訪れていた。
あるいは、とそういった気持ちがなかったわけではないが、結果はやはり情報通りであり…予想通りだったと言えるだろう。
千束は、人殺しを…その才能を世界へ示してはいなかった。
そして、ようやく顔を合わせることができた百合君も、かつてとは随分変わってしまっていた。
私を見つめるその瞳には、やはりかつてのような、狂気と見紛うほどの意志の光は宿っていなかったのだから。
…この私のやり方がアラン機関として、あってはならないタブーを犯す行為であることはよく理解している。
それでも、私はこのまま千束がその才能を示すことなく終わってしまうことが許せないのだ。
『ミカ、それに百合君は…千束とここでどんな仕事をしてるんだい?』
「
Forbiddenでミカと、想定外の乱入者であった千束、それにたきな君と別れ帰路についた私を待っていたのは、私の秘書のような役回りをしてもらっている彼女、姫蒲君のそんな言葉だった。
「そうか! 彼女は大丈夫そうかな?」
「はい。この分であれば数日中にも会話ができる状態まで回復するかと」
「分かった。引き続き彼女をよろしく頼むよ」
お任せを、という姫蒲君の言葉を最後に私は電話を切った。これでもはや、他のプランは必要なくなったと言っていい。彼…真島君が
それにしても──
「千束が望む時間を与えてやろう、か…」
ミカは本当に変わった。千束と過ごしたであろう時間が、彼を変えてしまった。
出会った頃とはまるで違う千束へ向ける穏やかな瞳が、そして千束を自由にしろと言いながらも、最後まで外すことのできなかった銃の安全装置が、その変化を如実に物語っている。
──そして、彼女…白園百合君も。
かつて、間違いなく彼女は私と同じく千束の持つ才能への理解者だった。あの瞳とあの言葉を私は今でも鮮明に覚えている。
だからこそ…今の千束の現状が残念でならない。彼女はなぜ、この現状を良しとしているのだろうか。彼女の死は世界の損失だと言った、あの言葉に嘘はなかったはずだ。
「彼女もまた、狂わされたか」
才能とは神の所有物だ。情に流された程度で、その才能が世界に示されないまま終わるなどということがあってはならないのだ。
千束の望む時間を与えてやろう、か。ああ、与えてやるとも。だが、その前にやるべきことがある。順番を違えてはいけない。そしてそれを正すためなら…私は手段を選んだりはしない。
遍く総べては正しき才能の在り方のために。
それが成されるのならば、この命すら差し出そう。
◆
『おい、関係あるかもしれない情報が見つかったぞ。この間のあいつと同じように非殺傷弾を使ったやつの記録…いや、実のところ噂レベルだけど…電波塔事件って知ってるだろ?』
「ああ、あれ折ったの俺だからな」
え、どゆこと? と困惑した反応を見せるハッカーを無視して続きを促す。
「んで?」
「あ、ああ…この時のテロリストはたった二人に倒されたっていう…」
「二人は本当だが…ハハッ! なるほどな!」
あの動き、あの反応。…それに聴こえなきゃおかしいはずなのに欠落した音。
なるほど思い返してみれば一致する部分しかない。
「こりゃあ運命だな。…だが」
あの場にはもう一人、化け物がいたはずだ。俺はあの場所で二人組の小さな悪魔を相手にした。
そしてこの間戦ったとき、その片割れはいなかった。あの黒髪の女じゃないのは確かだろう、奴はあんなもんじゃなかった。それに大概、奴も奇妙な音をしていたから、あの場にいたのなら気が付いていたはずだ。
「おいハッカー。こいつが終わったら少しばかり調べてもらいてぇことがあんだが」
『え? あ、ああ』
ハッカーの返事を聞きながら、渡されていたUSB──曰く、ハッキングの足掛かりになるらしい──を持って車から降りる。
「じゃ、とりあえず通信ジャミングと逃走経路の確保、頼んだぜトップハッカー」