コウ君がちょろかった世界線 作:くるくる
「あ、お酒買ってる。いいなあ」
突然、隣から女の声がした。
魔が差した。
夜守コウが自動販売機でお酒を買った理由は、そんなものだ。あるいは、夜という非日常に浮かれていたのかもしれない。とにかく、夜守コウは自動販売機で酒類の販売ボタンを確かに押した。
押すまでの間は、緊張と興奮によって全身が熱くほてっていたが、声をかけられ、一気に全身が冷えていくのを感じる。
コウは、声のした方を向いた。顔中に冷や汗をかいているのを感じながら。
夜だというのに真っ黒な服装。フードまで目深にかぶっているが、自動販売機の明かりに照らされて、銀色の髪と色白の肌、整った顔立ちの持ち主であることは確認できた。最も、容姿に感心している余裕などコウにはない。
女は、そんなコウをさらに追い詰めるように深い笑みを浮かべて。
「あれぇ? 君いくつ? ハタチ過ぎてるようには見えないけどなぁ……?」
煽るように言って。
コウはその場から全力で駆けだそうとして、捕まった。
☆
その後、色々あってその女と同じ布団で眠ることになり、眠ったふりをしていたコウは、血を吸われた。
「その、お姉さんは……吸血鬼的な……奴なんですか」
首を抑えた時に手に着いた血液を見つめながら、コウは尋ねる。
「まあ、そうなるね……」
あっさりと肯定した女吸血鬼の言葉に、コウは流石に戦慄を禁じ得なかった。伝説にある。創作物にある。吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になると。
身体に変化は感じない。
けれど、コウはその知識を頼りに、今の自分の状態を分析した。
「じゃあ、俺は、吸血鬼になったってことなのか……?」
思わず独り言ちる。
しかし、それを聞いた吸血鬼の反応は。
「いや、なってないよ多分。だいじょうぶだいじょうぶ」
その後夜守コウは吸血鬼になるには、吸血鬼に恋をしていなければならないということを聞かされる。恋愛の話に異常に照れる吸血鬼に呆れながらも、コウは決心した。
吸血鬼になる。
そのために吸血鬼――七草ナズナに恋をしなければならない。ナズナを照れさせながらもそう宣言したコウだったが。
「………………なってんじゃん……」
家に帰って、誰も映っていない洗面所の鏡の前で、コウは絞り出すように声を漏らした。
☆
「な、七草さん! ちょ、っちょ!? 七草さん開けてください!!」
先ほど案内されたビルの、ナズナの部屋の扉をガンガンと叩きながら、コウは叫んだ。中から億劫そうな表情で出てきたナズナは、コウの顔をじっと見つめて。
「あ? なんだまた……忘れ物かぁ?」
「違いますよ! なんなの!?」
「なんなのってなんだ!? 急にやってきて、そっちこそなんだ!?」
「お、俺! 吸血鬼に! なってるんですけど!?」
「は? そんな訳……ない、だ……ろ……?」
徐々に言葉尻が小さくなっていったナズナは、顔をずいっとコウの方へ近づけて。すんすんと鼻を鳴らして。
「…………まじでぇ?」
「か、帰って鏡見たら、映って無くて……俺、吸血鬼に、なったんですよね……?」
「いや、ちょっと待って……」
「つまり、俺、気づいていないうちに七草さんのことを――」
「まっ!? わーったから!? それ以上言うな!!」
「好きになってったあばぁ!!」
「言うなって言ってんだろ!!?」
全力で殴られてコウはくるくると錐もみ回転をしながらビルの壁に叩きつけられた。
「いってぇ!? いきなり何するんだよ!? 痛い! 滅茶苦茶痛い!」
「うるさいなあ……吸血鬼になってんだからそんくらい平気だって」
コウは暫くナズナを睨んでいたが、ナズナが自分の背後を指さしていることに気が付いてそちらを見やった。言葉を失う。
壁には亀裂が入って、所々欠けていた。今まさに自分が叩きつけられてできた傷なのだとすると、途轍もない威力で殴られたことになる。それこそ、人間なら簡単に死んでしまうくらいの。
身体を確認すると、おそらくいま殴られてできたであろう傷が、逆再生されるように回復している。
その光景を呆然と眺めていたコウは、ナズナの方を見て。何か言葉を発さなければと思うが、何を話したらいいかわからないでいた。
「あー……とりあえず。いったん部屋入りなよ」
ナズナに言われて、コウは小さく頷いた。
ほんの数時間前に、ここで血を吸われた。その時にはすでに、コウは吸血鬼になっていたのだろうか。不思議な感慨を胸に、コウは床に敷かれた布団を眺める。
「いや……まさかねぇ……だって、そんな様子微塵も……」
「お、俺だって。まさか気づかないうちに七草さんのことを好きになっていたなんて!」
「ぐうう……ていうか、今日会ったばかりだぞ。数時間も話してないし、何なら夜守君……す、好き……好きな気持ちとかわからないみたいなこと言ってて」
「い、言ったね。言ったけど。しょうがないじゃん。吸血鬼になっちゃったものは」
コウとしてもいまだに実感はわかないし。つい先ほど夢として、なりたいものとして吸血鬼を目標に掲げたばかりだというのに、実はその時にはすでに吸血鬼に成れていたらしいというのは拍子抜けだ。
「えっと、とりあえず、俺は何をしたらいいんですかね?」
「何をしたらって言われたって。あたしだってわかんないんだよ……君が初めての眷属だし。誰かに聞きに行くか……?」
考え込んでしまったナズナを横に、コウは今さらというか、急にいろいろと不安になってきた。まだ夜の魅力をナズナに教わり切っていないし、ナズナ自身のことも詳しく知らない。そんな相手のことをあっさりと好きになっていたらしい自分のことに呆れるし、吸血鬼になったという動かぬ証拠を見せつけられても未だに好きだの恋だの言うものがよくわからない。
要は、初めて眷属のできたナズナと、あっさり夢をかなえてしまったコウと、それぞれ軽いパニック状態に近かった。
ナズナが考えこむように、コウもまた考え込んで、ふと尿意を感じた。
「あ、あの。すみません。七草さん……トイレ貸して欲しいんだけど」
「あー、そっち行ってそこの扉……」
ナズナに指示された通りにトイレへ行き、生理的欲求を解消し、手を洗う。そういえばもう鏡に映らないんだよなと、確認するように鏡を見たら。
「……?」
鏡には見慣れた自分の姿が。
「ななななななな七草さん!!!!」
「うわああぁ!! びっくりした! 今度は何だ!?」
「吸血鬼じゃなくなってるんですけど!!?」
「はぁ? さっきは間違いなく吸血鬼の匂いがしたし、そんな訳が――」
「だってほら、鏡! 鏡に映ってるよ俺!?」
コウが手招きすると、ナズナは素直に近づいてきて、トイレの鏡に映るコウを見た。当然、角度的に鏡に映り込んでいなければおかしいはずのナズナの姿は、鏡の中にない。
「…………わけわからん」
その後コウが考えた、不完全な吸血鬼になっているという意見。ひとまずそれを採用して、人間に戻ったコウは家に帰ることにした。
「えっと、じゃあ、また遊びに来てもいいですか?」
「まあ……また血を吸わせてくれるなら。今度こそ、眷属にしちまうかもしれないが……」
「俺の目標、あっという間に叶っちゃいましたね」
どうやらコウは、あっという間に七草ナズナに恋をしてしまったらしい。けれど、理由は分からないが、まだ完全に吸血鬼になってはいない。
それならば、最初にナズナと交わした条件と何も変わらない。
夜守コウは七草ナズナに夜遊びを教えてもらい、吸血鬼になる。この目標が叶うまでに、それほど時間はかからないだろう。
最初はあまり変化はないでしょうが、徐々に大きくなっていく気がします。
タグにある通り、原作既読推奨です。最新刊(単行本)までの。
単行本未収録の内容に関しては配慮しますが、普通にアニメ勢にとってはネタバレの設定も出ると思います。