コウ君がちょろかった世界線 作:くるくる
スニーカーを履いた時、玄関に落ちていた細かな砂が音を鳴らした。朝や昼であればまるで気にならないであろう小さな音だが、夜の静けさの中では響いた。
慎重に玄関扉を開けて、ゆっくりと閉める。
団地の、階段の踊り場。開放的になっており外が良く見えた。コウは夜の団地を眺める。
「今日もいい
団地の中は暗い。明かりをつけている部屋はなく、対照的に夜空の星が眩しいほどに煌めていた。
遠くのビルの夜景は、コウを楽しい夜の世界へといざなう誘蛾灯のようで、音を立てないように気を付けながらも、可能な限り急いで夜の街へ。
☆
「吸血鬼にとって、吸血とは食事とまぐわいを同時に行うものなのだ!!」
公園でナズナと出会ったコウは、吸血鬼についての説明を受けていた。
「ところで、やっぱり今も俺は吸血鬼になっていないんですよね」
家から持ってきた手鏡を手に、コウはナズナに確認する。手鏡にはコウが映っており、その横のナズナは映っていない。
「昨日夜守君が大慌てでやってきた時は、確かに吸血鬼だった。吸血鬼の匂いがしたし、そもそも人間だったら殴りつけた時に死んでるし」
「……あれ? ひょっとして俺危なかったんじゃ?」
「ま、まあ……細かいことはいいとして! あたしにも今の君の状態はよくわからない」
コウが冷や汗をかきながら、昨日渾身の力でナズナに殴られたことを思い出していると、ナズナは無理やり話を変えるようにして言った。
コウもそれを承知の上で、今の自分の状態について知る方が優先だろうと耳を傾ける。無論、不満顔ではあるが。
「気は進まないが……他の吸血鬼に聞いてみた方が良いかもしれない。けどまあ、もうしばらく様子を見てからでもいいだろ。約束通り血は吸わせてもらうわけだし」
ナズナのその言葉に、コウは思い出したように。
「あ、そうだ。吸います?」
コウはジャージとシャツをずらして、ナズナに向けて首筋を露出させた。吸血鬼と言えば首に吸い付く印象がある。事実、昨日ナズナに血を吸われたときは首からであった。
夜の冷たい空気が肌と服の隙間に入り込んで、心地いい気がした。
「コ、コラ!! いきなりなんてもん見せんだ!! 夜守くんのえっち!!」
「え!?」
予想外の反応にコウは思わず目をむき、驚きの声を上げる。
「うおー……びっくりしたー……お前そんなポーズしたら駄目だろ……スケベすぎる……」
「……」
女性らしさを感じない、そんな反応にコウは思わず無言になる。
「それに、タイミングってのがあるんだよ」
☆
「人の血は夜が一番美味い。血が"夜"を溜め込んでいるからだ」
高層ビルの屋上に連れてこられてコウは、ナズナからそんな話を聞かされていた。
「それに……もしかしたら次が最後かもしれないから。なるべく美味い方がいい」
昨日。たった一日で、不完全だったと思われるが、それでもコウは確かに吸血鬼になった。次に血を吸われたときが、そのまま人間をやめる時になるかもしれない。
「だからな夜守君。君にはもっと夜を溜め込んで欲しいんだ」
そう言うナズナに、コウは内心首を傾げながらも。
「夜更かしすればいいんですか? まあそのつもりですが……?」
屋上から下を見下ろす。堕ちたら間違いなく助からない。
「夜更かしというのはただ起きてればいいって訳じゃない」
言いながらナズナは、屋上の縁に立っているコウの側に近づいて、突然足で突き飛ばした。
「え」
思わずそんな言葉が零れて、コウの身体は重力に任せるまま地面に向けて真っ逆様に堕ちる。
「うわあああああああああああ」
叫びながら堕ちるコウと地面の距離はみるみると近づく。先ほど考えたように、あの高さから落ちたら確実に死ぬ。
困惑の中、ただ確実に己に待つ運命。つまり死ぬことだけが理解できた。
「死ぬじゃん!?」
コウの目の前にナズナが現れたのは、叫んだのと同時。
「死なない」
「え?」
「夜は遊ぶもんだ。遊ぼうぜ少年」
ナズナに抱きかかえられて、夜の闇を飛翔する。風が心地いい。冷たいくらいだ。
それでも、この高揚感は冷める兆しを見せない。
確かに存在した恐怖心は、その高揚感に飲み込まれて見えなくなって、次第に交じり合い。
「どうだ少年!? 夜守くん! 夜守コウくん! どんな気分だ!?」
「最高……」
最高に楽しい。
☆
ナイトフライトの行き着く先は、コウの学校だった。
「じゃ、じゃあ。吸うから……」
心なしか、コウよりもナズナの方が緊張していた。これから夜守コウは、七草ナズナに吸血される。昨日ちょっと接していただけで、吸血鬼になりかけてしまったコウが、今ナズナに血を吸われれば、ほぼ確実にナズナの眷属になるだろう。
ナズナの犬歯がコウの首筋に突き刺さり、鋭い痛みを感じる。その後血が吸われていくとともに、快感へと溶けていく。身体から血が失われる分、スッと脳が冷えるような、心地の良いだるさを全身で感じる。それからまた、波のように快感が押し寄せてきて、ナズナの牙が身体から離れると同時に、引いて行った。
「……」
「……」
暫くの間、二人とも無言だったが、コウは身体に変化を感じないものだから、思わず首を傾げた。とはいえ、それは昨日も同じこと。
ひとまず確認しようと手鏡を取り出して、自らの顔を映す。
「…………なってないじゃん……」
ばっちりと鏡に映る自分の顔を見て、コウは膝から頽れるようにして落ち込んだ。
☆
「ま、まあ……気楽に行こうや」
暫く落ち込んだ様子のコウに、気を遣うように言うナズナ。コウはそれに頷きながら、思考を巡らせる。
確かに今日は昨日より楽しかった。初めての夜よりもよほど楽しかったのだから、今度こそ完璧に、吸血鬼に成れるだろうと思っていた。
しかし、昨日は不完全ながらにも確かに吸血鬼に成っていたにもかかわらず、今日は全く変化がない。
その原因が、コウにはいくら考えても分からなかった。
「まあ、思ったより良いスタートが切れているのは確かだろうけど」
そう自分に言い聞かせても、思考は止まらない。
昨日と違う点があるとすれば、なんだろうか。コウは、ナズナに対して好意よりも憧れの感情の方が強くなっているのではないかと思った。
それならば、まずは対等な関係になる必要がある。
じっとナズナを見つめるコウに、ナズナが何を考えているのか聞いてきたところで。
「ナズナちゃん」
「ちゃっ……」
「って呼んでもいいですか? もっと仲良くなれるように………」
言いながらコウは、ナズナが思いっきり照れていることに気が付いた。それほどまでにちゃん付けが恥ずかしかったのだろうか。
「ガチ照れじゃないですか……」
赤面し、上着で少しでも顔を隠そうとするナズナは、とても可愛らしい。可愛らしいと思うし、一緒にいて楽しいと思えるし、これからも一緒にいたいとも思う。それでも、これが恋でないというのなら、今はそれでいい。
スタートダッシュが切れたからと言って、無理に急いだら転んでしまうだろう。
「ねぇ、ナズナちゃん」
「いや、さんだろそこは……さんだろそこは!!?」
「まずは友達からって言うじゃないですか」
「……友達なんかいねーくせに……」
コウの、ナズナとの楽しい夜ふかしは始まったばかりだ。
次回は多分、他の吸血鬼たちが登場するまで飛びます。それまでは基本的に原作をなぞるからです。
コウ君自体にもまだ謎がありそうですが、まずはこの設定で続けます。
漫画と違い、小説なので、三点リーダーは「…」→「……」としています。
タイトルも、なんとなく漢数字にしています。