全身がコンクリートの中に塗り込められた様に全く動かない。
眼前にはアタシに伸し掛かり、下卑た表情で体を揺すっている男がいる。
ああ、こりゃ殺された人間の記憶だ。
しかも強姦されて殺された女だな。殺された人間の記憶の中でも一段と不快なやつだ。
目を動かすと、この女の彼氏が喉を切り裂かれて物言わぬ骸と化していた。
目の前の男の両手が首に伸びて絞め上げられ、命乞いの言葉すらも封じ込められた。
男が首を絞める手に力が強くなるにつれて、男が恍惚とした表情を更に醜悪に歪めていく。
この男の事もよく覚えている。
若い女なら見境いの無い、今の様に何人も強姦して殺した色狂いのクソ野郎だ。
アタシが集落に居た頃も、夜中にアタシを犯そうと襲い掛かってきやがったっけ。
適当にぶん殴って歯や骨を何本か折ってやったが、次の日からは見掛けなくなったな。
大方アタシが報復するのを恐れた集落の連中が、この男を始末したのだろう。
女が息絶えると視界が暗転し、また別の人間が殺される場面に移った。
今度は崖の上で襲われたが、命からがら逃げ出すことが出来た人間だ。
頭や腕に傷を負っているものの、どうにか集落まで逃げおおせることが出来た。
草刈りをしていた者に助けを求めると、隣人の凶行に驚きつつも、傷の手当てをして警察を呼んでやると言っていた。
一旦身を隠せと言われて付いて行くと、背後から薪割り用の斧で頭をカチ割られた。
地に倒れ伏したところで、血痕を辿ったのか崖上で襲い掛かった住人が追い付いてきた。
追い付いてきたのは、金の亡者のババアだ。
やたらと金に対する執着心が強く、住人全員で均等に分配する取り決めだった金を、自分だけ多めに取っていた奴だ。
その金も孫の小遣いに消えて、貯蓄は殆ど無かったようだが。
斧で被害者の頭を割った者は、犯行が露見する恐れと死体を運ぶ面倒臭さを叱責していた。
自分達も大事な家族が有りながら、こいつらは何でこんな非道を平気で行えるんだ。
ババアが身勝手な説教をされるのを聞きながら、再び別の人間が殺される場面に移った。
今度は……父親と母親が殺されて泣きじゃくっている、小学生ぐらいのガキだ。。
泣き声を聞いていると、猛烈に怒りが湧き上がってくる。これだから、ガキの泣き喚く声は嫌いなんだ。
そのガキを鬱陶しそうに見下ろしているのは、集落のリーダー格の男だ。
集落の連中は欲望を満たすための手段として殺人を行っていたが、こいつだけは人間を殺す事そのものを愉しんでいた根っからの殺人鬼だ。
どんな鬱屈したものを抱え込んでいたのか、幸せな人生を送っていそうな人間を殺すことを、無上の悦びとしているようだった。
男は両親の後を追わせようとガキに距離を詰めたが、そこでガキが男の手に噛み付いた。
ガキの必死の抵抗に逆上し、情け容赦なくガキの顔に拳を叩き込んだ。
いかにガキの躾がなっていないか、まともに躾も出来ない親は死んで当然だとか、自らの悪行を棚上げして口汚く罵りながら何度も殴り付けた。
泣き喚く気力も無くしてぐったりとしたガキの襟首を掴み、ゴミを捨てるかのように崖の下に向かって放り投げた。
その後も殺された人間の記憶を見せられ続け、頭の中が憎悪で埋め尽くされていく。
こんな物を見せて、アタシにどうしろってんだ。集落の連中は全員くたばっただろ。
頭の中のドス黒い思考を打ち払おうとするが、殺された人間の恨みが消えることなく積もり続ける。
自分達を殺した集落の連中への恨みと、自分達が無残な殺され方をしたことを知る由も無く、日々を平穏に生きている無関係な人間への逆恨み。
明瞭な言葉ではないが、そういった感情が尽きることなく伝わってくる。
こいつらの望み通りに見境なく殺せば、さぞかし倒錯した悦びに浸れるんだろう。
その甘美な誘惑に負けて一人でも殺せば憎しみに呑まれ、こいつらの狙い通りの殺人人形と成り果てるのは予想出来る。
集落の連中と同類になるのも、殺された人間どもの八つ当たりの道具になるのも御免だ。
何よりも、真依を悲しませるようなことはしたくない。
そうだ、真依は……真依はどうなったんだ。
こんな奴らの我儘に付き合ってる暇は無いんだ。
しかし、頭の中を埋め尽くす怨嗟を振り払うことも出来ず、意識が覚醒し始めた。
目が覚めると視界がぼやけながらも、意識を失う前と同じく真依がベッドに横たわっているのが目に入り、電子音が定期的に病室内に響いていた。
寝ている間に見せられた物のせいなのか、手に力を込めようとしていたが、力が入らずにただ真依の手を握ったままだった。
握っていたのが真依の手で良かったな。
他の人間だったら握り潰してしまって、真依から大目玉を食らうところだった。
そんな馬鹿な考えが浮かぶと、頭の中の邪念が薄まり始めたので、気分を沈めるべく深呼吸した。
ふう……真依が居なけりゃ抑え切れなかったかもな。
安堵しながら瞼を擦って再び真依に視線を向けると、相変わらず目を見開いたまま息継ぎの様な呼吸を繰り返しているが……靄が消えている。
……上手く行ったのか?
真依の手を握って意識を集中するが、特に体に異常は起きない。
急に全身から力が抜けて、尻餅をつく勢いで椅子に座り込み、大きく息を吐いた。
はは、アタシなんかが人の命を助ける事が出来たんだな。
未だかつて感じたことの無い達成感で、全身が小刻みに震える。
後は真依が起きるのを待つだけだ。
病気が治ったと知ったら、どんな顔をして驚くだろうか。
真依が行ってみたいと言っていた、遠くの観光地やキャンプなんかにも行けるんだな。
ああ、でもラブホテルに付き合うなんて言っちまったよな。これだけは、都合よく忘れててくれないもんかな。
これからのことに思いを馳せながら、真依の顔を覗き込んだ。
……? 何か変だ。
薬を打った直後は大きく吐き出していた息が、今は弱々しく小さく吐き出すだけになっていて、心電図が描く山も心細くなるほどに小さい。
……上手く行ったんだよな?
冷や水を浴びせられた様に、浮かれた気分が萎んでいく。
不安に押し潰されそうになっていると、虚ろに開かれていた真依の目が、ゆっくりと閉じられた。
まだ呼吸はしているが先程よりも更に弱くなり、心電図もさらに小さくなっている。
早く起きてくれ……この不安を打ち消してくれよ……。
手を握って祈り続けていると、定期的な間隔で音を鳴らしていた心電図の機械が、耳障りな電子音を響かせ始めた。
何だこれ? 機械の故障か?
何が起きたのか頭が理解することを拒否して、真依の手を握ったまま震え続けた。
さして時間を置くことなく看護師が病室に現れ、真依の肩を叩きながら声を掛けたが返事が無い。
医者を呼んでくると言い残して、看護師は部屋から出て行った。
何だそれ、まるでヤクザのおっさんがくたばった時みたいじゃないか。
体の震えと動悸が激しくなり、歯もカチカチと音を立て始めた。
病室現れた医者は、定められた手続きの様に声を掛けて瞳孔を確認する。
縋るような気持ちで医者に視線を向けると、沈痛な面持ちで「残念ですが」と告げて、家族に連絡を取ると言い残して去って行き、医者と入れ替わりに訪れた看護師が心電図の機械を片付け始めた。
残念って何がだ? 靄は消えたんだから、死ぬ筈が無いだろ。
もしも本当に死んだって言うなら、何で家族も親族も誰も来てないんだ?
近しい人間に誰一人として看取られること無く、人知れず苦しみ抜いて死ぬなんて、そんな酷い話があってたまるかよ。
「なあ、起きてくれよ。医者とグルになって、アタシを嵌めようとしてるんだよな? そうだって言ってくれよ……頼むからさ……」
茫然と返事を待ちながら真依の顔を見つめ続けていると、瞼が一瞬ピクリと動いたように見えた。
「おい、今動いたよな? ほら、今日も晴れて良い天気だぞ。昼飯食ったら、また公園に散歩に……いや、退院するんだし色々やる事が有るか。それが済んだら遊びに行こうぜ、どこでも付き合ってやるからさ……」
窓の外は、日が昇ってすっかり明るくなっている。
もう一度真依に声を掛けようとしたところで、病室の扉が開いて看護師が入って来た。
アタシがまだ居たことに少々驚きつつ、家族が来たので席を外す様にと遠回しに言われ、外に出ると真依の両親と真っ青な顔の晃樹が居た。
悲痛な顔で両親と晃樹は頭を下げ、病室に入って行った。
心臓の鼓動が早くなり、全身が急激に冷え込んでいく。
ふらつく足で廊下の壁に両手をついて体を支えて息を整え、病室の方を振り向くと晃樹が泣きながら真依に呼び掛ける声が聞こえてきた。
足から力が抜けて壁にもたれ掛かり、そのままズルズルと床にへたり込んだ。
受け入れたくなかった事実が、じわじわと胸の内に広がって行く。
ああ、死んだのか。本当に死んだんだな。
――そりゃそうか。
何でアタシなんかが助けられると思ったんだ、馬鹿みたいだな。
いや、正真正銘の馬鹿だ。所詮は人間を殺すために作られた道具だってのに、何を夢見てたんだろう。
死にかけの悪党どもに僅かな希望をチラつかせて絶望に叩き落してたアタシが、自分でそっくりそのまま同じ目に遭うとは間抜けな話だ。
助ける事は出来なかったが、真依の苦しみをほんの少しでも和らげることは出来たんだろうか。
いや、薬で寝てたんだから何の意味も無いか。つくづく役に立たないな。
「うっ……ぐ……」
堪え切れずに涙が溢れてきた。
泣き声を押し殺そうと膝に顔を埋めるが、抑え切れずに喉の奥から嗚咽が止め処なく漏れ続ける。
身動きできずに蹲っていると、肩に手が置かれた。
顔を上げると、目を赤く泣き腫らした晃樹だった。
何でアンタだけでも来てやらなかったんだと、つい口を衝いて出てしまった。
病院からの連絡は県外に居た両親だけに届き、今朝になって帰ってきた両親から聞かされるまで、真依が危篤だったことも知らなかったらしい。
「えっと、姉ちゃんの側に居てくれて……礼を言えばいいのか謝ればいいのか、分からないけど……その……」
そこまで言って、晃樹は再び涙を流し始めた。
真依の両親も目を赤くして、グスグスと鼻を鳴らしている。
こいつらも一応は悲しんでいるのか。本当は嬉し涙なんじゃないだろうな。
疑惑の感情を抱いていると、都合が合えばでいいから通夜と葬儀に出てくれと、斎場の場所と日時が書かれた紙を渡された。
紙を受け取ると晃樹達は去って行ったが、真依の遺体が運び出されるまで、その場に蹲って泣き続けることしか出来なかった。
―――――
真依の通夜と葬儀は滞りなく進んでいった。
一体どんな効果があるのか、読んでいる本人すらも意味を分かってるのか疑わしい、坊主の経を聞いて焼香を済ませる。
地位のある人間の親族の弔事のためか大勢の人間が訪れているが、この中の何人が真依と直接会ったことが有るだろうか。
坊主の経が終わると棺を祭壇から下ろし、飾られていた花を遺体の周りに添えてやるようにと促された。
真依の親族は神妙な顔をしているものの、涙を流している者は誰一人おらず、花を棺に入れて義理は果たしたとばかりに離れて行った。
真依の父親が弔問客にお決まりの挨拶をして、葬儀は終わりとなった。
出棺の際に真依のジジイが挨拶をしていたが、真依の人となりよりも病院のスタッフがいかに尽力し、そのお陰でこの年まで生きることが出来たかを語っていた。
真依の棺が霊柩車に乗せられて、けたたましいクラクションを鳴らして火葬場に出発していった。
「なあ、アタシも行っていいか? 最後まで見送りたいからさ」
親族が火葬場に向かうバスに乗り込む中、晃樹に声を掛けた。
「うん、姉ちゃんも喜ぶよ。て言うか、一緒に来てくれないかって俺も言うつもりだったし」
晃樹は生気の無い顔で、力なく笑みを浮かべて頷いた。
バスに乗り込んで晃樹の隣に座り、親族共がアタシの方を見てヒソヒソと話しているのを聞きながら、お互い言葉を発さずに火葬場に到着するのを待った。
真依に糞以下の縁談を持って来た親戚は、通夜だけ出席して葬儀には来ていなかったらしい。
この中に居れば、一発だけでも殴ってやったんだがな……。
火葬場に着くと告別室に案内され、棺の側で最後のお別れだと告げられた。
親族共は事務的に棺に近付いて真依の顔を一瞥し、すぐに離れて行った。
「なあ……本当に死んじまったのか……。また声を聞かせてくれよ……もう一回……名前を呼んでくれよ……」
晃樹と並んで棺の側に行き、これが悪い夢であってくれればと願いつつ、真依に語りかけた。
最初は馬鹿馬鹿しいと思ったが、今では真依の考えてくれた名前を呼ばれる事を恋しく思う。
花に囲まれた真依の顔との間にある薄っぺらい棺のガラスが、凄まじく分厚く高い壁のようだ。
職員から予定の時間になったからと、棺から離れるように促され、火葬炉に棺が運ばれて行った。
炉の扉が閉じると、目眩がして倒れそうになり、晃樹に支えられて控室に向かった。
控室では、親族共が何事も無かったかのように雑談している。
従兄弟らしき学生ぐらいの年の奴等も、ドラマの内容や好きなアイドルだとか、他愛の無い日常の話に花を咲かせている。
こいつらにとって真依が死んだ事は、そんな下らない事よりも取るに足らない事なのか。
段々と怒りが湧き上がってくる。
聞きたくもない親族共の話が耳に入ってくるのを耐えていると、誰かが真依の父親も肩の荷が下りただろうと言っているのが聞こえた。
何だよ肩の荷って。
いくら金のかかる病気でジジイの資産を使わせたとは言え、そこまで邪魔者扱いすることはないだろ。
余りにもあんまりな言い分に、怒りがさらに膨れ上がる。
――殺すか。
今までは植え付けられた憎悪だからこそ抗っていたが、この感情はアタシ自身の物だろう。
まあどっちでもいいか。
元から人間を殺すために作られた道具なんだ。本来の用途通りになるだけだ。
こんなことを真依が聞いたら悲しむかな、それとも怒るかな……。
考えるだけ無駄か、事が済んでからゆっくり考えりゃいいや。
椅子から立ち上がると、晃樹に腕を掴まれた。
「……何だ? 離せよ」
「姉ちゃんがさ、葬式の時に、君が暴れるかもしれないって……言ってたからさ」
「ふぅん。で? それがどうした? アタシを宥めろとでも言われたか?」
晃樹は怯えた様に顔が妙に引きつり、手は小刻みに震えている。
こいつだけは見逃してやろうと思ったが、邪魔をするならまずこいつから――。
「いや……あの子、色んな格闘技やっててとんでもなく強くて、切れたら手が付けられないから、全力で走って逃げろって、言ってたよ」
……は? あいつはまた、そんな適当なこと言ってたのか。
アタシがいかに狂暴かを真依が語っていた姿を想像すると、何だか笑えて気が抜けてしまった。
「……はっ、嘘だよそりゃ。アタシは格闘技なんかやってないよ。まあアンタぐらいには負けることは無いけどな。つうか、逃げろって言われてたんじゃないのか。何で止めようとしてんだ」
「だって、姉ちゃんにも俺にも恩人だしさ。だから、そんな警察沙汰になるようなことは、して欲しくないんだ」
真依みたいな事言ってんな。
仲良し姉弟だけあって、似たような物の考え方してんのかね。
はあ、止めだ止めだ。馬鹿らしい。
しかし、真依に言われたとはいえ、何でアタシが暴れるかもしれないって話を簡単に信じたんだろうか。
晃樹に尋ねてみると、今にも人を殺しそうな程に恐ろしい顔をしていたらしい。
以前真依に集落の連中の事を話した時に、物凄く怖い顔だと言われたが、どんだけ酷えツラをしてたんだかな。
自分自身に呆れながら晃樹と駄弁っていると、火葬が終わった旨を知らせる館内放送が流れ、収骨室へと向かった。
悪戯が成功した真依が笑いながら待っていないかと、愚かな願いを抱いていたが当然叶うことは無く、真依だった物の残骸が在るのみだった。
台の上の真依の遺骨を見た途端、再び涙が溢れ始めた。
燃え残った骨は何ヵ所も緑や紫に変色しており、職員が投薬の影響だと説明していた。
骨壺に遺骨を詰める最中、辛うじて形を保っていた頭蓋骨を職員が砕き始め、耐え切れずに両膝をついて嗚咽を漏らしてしまった。
アタシの様子を見かねたのか、晃樹に連れられてロビーに向かった。
ソファに座り、晃樹が元気付けてくれているみたいだが、何を言っているのか全く頭に入ってこない。
アタシってこんなに弱かったんだな。それとも弱くなったのか。
気分が落ち着いた頃に親族共がロビーを抜けて、バスに乗り込み始めた。
一度斎場に戻り、晃樹と両親で納骨に向かうということだった。
一緒に行くかと聞かれたが断り、火葬場からも歩いて帰ると伝えた。
気が向いた時にでも墓参りをしてやってくれと言われ、墓の場所をしたためた紙を渡され、晃樹もバスに乗り込んでいった。
バスを見送ってからアタシも歩き始めたが、帰る所も行く当ても無い。
重い足取りで歩いていると、真依が入院していた病院の玄関前まで来ていた。
何やってんだろな、と自嘲の笑みが浮かびつつも、足は自然と真依の病室へと向かう。
真依の病室の名札は取り外され、空き室になっていた。
部屋の中には当然誰も居らず、ほんの数日前まで真依がここに居たことが嘘のようだ。
――次は本当に死ぬかも、か。
窓を開けて外の様子を眺め、初めて真依に会った日に言われた事を思い出す。
いっそアタシも死ぬことが出来れば、この苦しみから解放されるんだろうか。
そう思いながら、窓の外に飛び出した。
何度となく味わった浮遊感を全身に受けながら、徐々に地面が近づいて来る。
落下している最中、これまで真依と過ごした短い日々が頭に次々と浮かんでくる。
これが死ぬ前に見る走馬灯ってやつかな。もしそうなら、このまま楽になれるんだろうか。
だがアタシの期待に反して、地面に激突して全身が潰れても死ぬことはなく、真依に引っ掻かれた手の傷程も痛みを感じない。
くそ、やっぱり駄目か。暗澹たる気持ちでその場を離れた。
そもそも既に契約は終わったのに、何で真依が死んだ事を引き摺っているんだ。
塗り替えられた精神が、以前の様に戻ってないのはどういう事だろうか。
やっぱり、本当はどこかで生きているんじゃないのか?
火葬場でも抱いた愚かな望みと、それを冷静に否定するものが頭の中で争っている。
思考が定まらないままに、真依の姿を求めて歩き始めた。
アタシもとうとう狂っちまったかな。
―――――
居ない。
先日真依と訪れたショッピングモールの中を探すが、見付からない。
映画館の中にもカフェの中にも、クレープを食ったフードコートにも居ない。
前に来た時はアタシの服を買うつもりだったらしいし、服飾品の店にいるのか? それとも、ここじゃなくて水族館に行くべきだったか? 等と思案しながら、念のためにフードコートの脇を通り抜けてゲーセンに向かった。
やはりゲーセンにも居らず、他を探そうとしたところで、この前の二人組のチャラ男が目についた。
二人の間に挟まれた中学生ぐらいのガキが、肩を抑えられて人気の少ない場所へ連れて行かれていた。
あいつらクソ鬱陶しいナンパだけじゃなく、カツアゲまでしてんのか。
真依を探さないといけないし放っておくかと思ったが……この前は折角のデートを邪魔されたし、お返しでもしといてやるか。
息を止めて後を追った先は、防犯カメラの死角になり、人がほぼ通ることの無い搬入口の辺りだった。
こんな所を選ぶあたり、手慣れてるみたいだな。
チャラ男は自分たちの顔の傷を指し示しながら、ヤクザと喧嘩した時に付いた傷だと言ってガキを脅していた。
おまけに4対2の劣勢で喧嘩して、自分たちが勝ったと大法螺を吹いてやがる。
「へえ、アタシはヤクザになった覚えなんざねーけどな」
背後から声を掛けると、チャラ男は振り返り言葉を詰まらせた。
「おい坊主、こいつらがヤクザと喧嘩したなんざ大噓だぞ。アタシと連れにちょっかいかけやがったから、ぶん殴ってやったんだよ。こいつらはアタシがどうにかしてやっから、さっさと行きな」
ガキは隙を突いて、チャラ男どもの横をすり抜けて逃げて行った。
どれ、軽くお仕置きしてやるかね。
「くそっ! 何なんだお前! 邪魔すんなよ! 不意打ちしか出来ねえ卑怯者が、俺らに勝ったとでも思ってんのか!」
「はあ? こないだは人の邪魔しといて、寝言抜かしてんじゃねえぞ。大体アタシは、お前らみたいなのが大嫌いなんだよ」
怒声を上げる金髪に冷ややかに答えると、下卑たニヤケ顔に変わった。
「ほぉん、成程な。ツレに良いとこ見せようって張り切ってんのか。んで? もう一人はどこ行った?」
「ああ? あいつは――」
――死んだよ、と言いそうになったところで急激に現実に引き戻され、頭が冷えて口を閉じた。
そうだよ、真依は死んだんだ。
息を引き取るところを目の前で見て、火葬された遺骨だって目の当たりにしたのに、何でまだ生きてるかもなんて寝惚けてるんだか。
「あいつは……死んだよ。元々持病があったからな」
「うわ、マジかよ勿体ねえ。すげえ好みだったのに」
真依のことを物扱いする様な金髪の物言いに、怒りが募る。
「おー、そんじゃ寂しいんじゃないの? 俺らが慰めてやるからさ、そうツンケンしないでくれよ」
「いいなそれ。俺らの友達も呼んで、仲良く遊ぼうぜ」
茶髪もニヤつきながらアタシの肩に手を置き、金髪が同調しだした。
こいつらの頭の中は、脳味噌の代わりに生ゴミでも詰まってんのか。
こんな奴らがのうのうと生きてるのに、何で真依が死ななきゃならなかったんだ。
「……そうだな。一人でいるのもつまんねえし、アンタらに相手して貰おうか」
茶髪の頬に両手を添えて軽く微笑んでやると、一瞬の驚きの表情から再び不快なニヤケ面に変わった。
手に力を込めて茶髪の頭を引きながら、鼻に向かって額を打ち付けた。
くそ、今の感じだと折れてないな。手加減しすぎたか。
もう一発頭突きを食らわそうとしたが、汚らしい鼻血が噴き出てるのを見て気が変わり、鳩尾に膝を何回か叩き込むと茶髪は倒れ伏した。
「何しやがんだテメエ!」
「遊んでくれるんだろ? お前の仲間も呼んでいいぞ?」
「調子乗んなよクソガキ! ぶっ殺すぞ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りながら、金髪はポケットからナイフを取り出した。
今時こんな古い脅しをする奴がいんのかよ。思わず冷笑が浮かんだ。
「ククッ、いいな。是非殺してくれよ。けど、殺せなかったらアタシがお前を殺すからな」
間合いを詰めると、金髪は若干怯んで後退りした。
脅しじゃねえぞと凄むが、構わずに更に距離を詰めると、金髪は壁に背中をぶつけて焦りの表情に変わった。
「ほれ、さっさとやれよ。出来ないなら手伝ってやろうか?」
ナイフを持った腕を掴み、こちらの喉元に引っ張って喉笛を切り裂くと、金髪の顔が一気に青ざめた。
「ここじゃ駄目みたいだな。次は心臓でも刺すか」
喉の傷が塞がり、次は胸にナイフを導いた。
金髪は腕を引こうと抵抗するが、こいつ程度の腕力に負けることは無い。
ゆっくりと心臓に突き刺し、駄目押しの様に掻き回して引き抜くが、当然死ぬことはない。
恐怖に顔を歪ませる金髪に構わず、今度はナイフを右目に刺して、刃の根元まで押し込んだ。
軽く手を捻り、眼球を抉りながらナイフを引き抜く。
「ばっ、化物……」
アタシの傷が治るのとナイフに刺さった眼球が崩れて消えるのを見て、金髪は歯をガチガチと鳴らしながら震えている。
「御名答、アタシは死神だよ。それも人間を殺すしか能の無い、どうしようもない奴だ。さて、そんじゃ約束通り殺そうかね。首を折られて死ぬのと絞め殺されるの、どっちがいい? 選ばせてやるよ」
金髪の首を掴み、力を込めて両膝を床につかせた。
手に込める力を少しずつ強めると、苦し紛れに頬にナイフを突き立てられた。
脳や心臓を刺しても何とも無いのに、こんなもんで怯むとでも思ってんのか。
口内の刃を噛んで圧し折って吐き出すと、軽快な金属音を響かせながら床を転がった。
「たっ、助けて……」
さっきまでの威勢はどこへやら、金髪は涙を流しながら命乞いを始めた。
ほんの少し前までは、こういうしょうもない奴等を叩きのめすのが楽しかったのに、面白味を感じるどころか心が冷え切っている。
金髪の耳障りな泣き声を聞きながら背後をチラリと見るが、茶髪が倒れているだけだ。
血相を変えた真依が慌てて止めに来るんじゃないかと、この期に及んでも期待している自分の間抜けさに呆れてしまう。
はあ、アホくさ。
馬鹿馬鹿しくなって、金髪の首から手を放して床に下した。
「おい、気が変わったから今日は見逃してやる。けど、またカツアゲなんかしてんのを見付けたら、お前らの腕と脚を捥いでから首を捩じ切って殺す。脅しじゃねえからな」
金髪は顔を歪ませたまま、何度もこくこくと頷いた。
「よし、そんじゃ今日は指一本折るだけで勘弁してやる」
左手の小指を掴んで圧し折ると、金髪は情けない悲鳴を上げて、恨めしそうな視線をこちらに向けた。
「何か文句あんのか? 利き手は折ってないんだから、むしろ感謝しろよ。指を引き千切ってやっても良かったんだぞ?」
軽く睨んでやると、金髪はすぐに大人しくなった。
チャラ男共に背を向けて表の通路に出ると、さっきのガキが警備員のおっさんを連れて戻ってくるのが見えた。
一旦身を隠して息を止め、ガキと警備員の横を通り抜けた。
あのチャラ男共の様子を見たら、どんなツラをして驚くかな。
チャラ男共も、あれだけ脅せば流石に懲りただろう。
もし性懲りもなく下らない真似をしているのを見付けたら……次は指を引き千切ってやるかな。
そんなことに思考を巡らせても、冷え切った心が更に冷え込んでいく。
モール内を適当に歩いて周るが、真依のいない今となっては何を見ても、ただただ虚しさしか感じない。
あーーあ、くだらねえ。
何もかもくだらねえ。
モールの外に出ると太陽は既に沈んでおり、空は星一つ見えない暗黒に染まっていた。