死神娘の苦悩   作:山葵炭酸水

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 晴れ渡った青空の下、目に入るのは完全に散った桜と名前も分からない野生の花、そして多数の墓石。

 微風に揺られる草木の声と自分の足音を聞きながら、静まり返った墓地を進む。

 麻倉家之墓と刻まれた墓まで来て、しゃがんで両手を合わせて目を閉じる。

 真依が死んで何年経っただろうか、命日の度に墓参りなどと言う人間の真似事をしているが、穴が開いたような空虚な心は何一つ埋まらない。

 墓前に差された花は萎れて変色し、落ち葉が周囲に散乱しているところから、暫くの間誰も訪れてないことが見て取れる。

 真依の弟の晃樹とは命日の墓参りで何度か顔を合わせたが、高校を出て県外の大学に進学してからは一度も会っていない。

 薄情な訳でもなく、環境の変化や時間と共に心の傷も癒えていくものなんだろう。

 アタシもいつまでも引き摺り続けているから立ち直れないんだろうし、もう来ない方がいいのかもしれないが……。

 墓の前にしゃがみ込んだまま、暫くの間考え込む。

 

「……また来るよ」

 

 真依の遺骨が納められているとは言え、こんな石の塊なんかの下に真依が居る筈も無いが、一声かけて振り返ると、男が一人こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 

「お久しぶりです、シアさん」

 

 男はアタシに気付くと、早足で目の前まで来てニコリと微笑んだ。

 

「……? ああ、晃樹か。久しぶり。前と雰囲気が変わってたから分からなかったわ」

 

 前に会った時よりも背が伸びており、大学で変な遊びでも覚えたのか、随分と垢抜けたもんだ。

 ほんの数年見なかっただけで、人間こんなに変わるもんなのか。

 いや、単にアタシが変わらないだけか。

 

「つうか、何で敬語でさん付けなんだよ。気持ちわりぃから止めてくれ」

 

 いつまでも子供じゃないですから、と晃樹は笑いながら言う。

 さん付けは我慢するが、そんなに畏まった間柄でもないし、敬語だけは止めろとどうにか言い含めた。

 

「アンタの親は今日も来なかったのか」

 

「うん……仕事もあるし、まだ姉さんの事を思い出すと辛いらしくて」

 

 嘘くせえ。

 ジジイの御機嫌取りのために、どこの馬の骨とも知れない輩に嫁がせようとして、そのせいであいつは悲惨な目に遭ったってのによ。

 

「それも物凄く後悔してたよ。良いとこの人と結婚すれば入院費用も出して貰えるし、もっと良い病院に移って病状も良くなるかもって思ったらしいけど……。何より、爺ちゃんから援助して貰わなかったら、姉さんもあの年まで生きられなかったかもしれないし」

 

 以前帰省した時に両親と酒を飲んでいると、もっと他に出来る事はあったんじゃないかと、二人とも泣きながら話していたらしい。

 初めての子が生まれつき重病を持っていたため、どう接していいか分からずに、図らずも突き放す様な形になってしまったそうだ。

 せめて不自由しないだけの金は渡していたと言うが……。

 

「あいつは……金よりも、偶にでもいいからって親父に会いたがってたけどな。母親とも上手く行ってないって言ってたけど、本当は仲良くしたかったんだろうさ。けど、あいつが危篤の時にアンタに知らせなかったぐらいだし、本当は疎んでたんじゃないのか。そんなんじゃ家族仲良くなんて土台無理な話だな」

 

「その事は俺も親と喧嘩したよ。姉さんの死に目に俺一人だけで立ち会わせるのは、耐えられないだろうってことで連絡しなかったんだってさ。俺の親が気に食わないのは分かるけどさ、あれでも姉さんの医療費のために必死だったみたいだし、あんまり悪く思わないでやってよ」

 

 晃樹は墓の周りの落ち葉を片付けていた手を止め、寂しげな目をこちらに向けた。

 晃樹の言うことが本当だとしても、今更遅いがな。

 アタシが肩を竦めると、晃樹は墓の花を取り換えて線香に火を点けて、手を合わせて目を閉じた。

 アタシもそれに倣い、晃樹の隣にしゃがんで再び手を合わせた。

 黙祷が終わると、互いの近況を話しながら、二人並んで墓地の出口に向かった。

 

 晃樹は医薬品会社の研究職に就くため、大学院に進んだということだった。

 医者になるのは諦めたのかと尋ねると、自分が医者になるよりも治療薬を作ることが出来た方が、より多くの人間を助ける事が出来ると考えたそうだ。

 仮に作れなくても、研究が少しでも進めば未来に繋がるという考えらしい。

 

 ふぅん、御立派なことだ。

 時間が経てば、色々と考え方が変わるんだな。

 対してアタシは、何の目的も無くブラブラしてるだけなので、花嫁修業中の家事手伝いという事にしておいた。

 

「へぇ、じゃあ誰かそういう人が居るんだ?」

 

「いや、全然。まあその内見つかるだろ」

 

 意外そうに驚く晃樹を適当にあしらうと、心配そうな視線を向けられた。

 一応真依より年上という事にしておいたし、30近い女が独り身というのが気にかかるんだろうか。

 そもそも、そんな相手なんざ求めてないから、どうでもいいんだが。

 

「ところで時間ある? もし良かったら、ちょっと昼飯に付き合って欲しいんだけど」

 

「んあ? 何だ、ナンパの真似事か? 随分物好きだな」

 

 墓地の出口まで来て、別れようとしたところで晃樹から何やら誘いが来た。

 晃樹は慌てて否定し、行ってみたい店があるが、女性客ばかりで男一人で入るには少々ハードルが高いらしい。

 そんなもん彼女と行けばいいだろうと返したが、まだ実家に呼ぶほどの仲ではないという事だった。

 何だかんだでやる事はやってんだな。変な気を起こした訳では無さそうだし、それなら別にいいか。

 承諾すると、安心した表情の晃樹に駐車場に先導され、車に乗り込んで目的地に向かった。

 

 車に揺られながら雑談していると、かつて真依に最低最悪な縁談を持って来た親戚の話になった。

 そいつの会社が潰れて路頭に迷ってれば良かったんだが、晃樹が大学の友人の伝手を利用して口添えし、取引会社が増えて以前よりも成長しているそうだ。

 何でそんな真似をしてんだと晃樹を睨み付け、やっぱり例の親戚だけでも見つけ出して、一生寝たきりになる程度に全身の骨を砕いておくべきだったか。

 苛立っているアタシを見て、まだ続きがあると晃樹は薄く笑いながら続けた。

 支店を増やした頃合いを見て、晃樹の口添えした会社との取引が無くなると多大な損害が出ると判断して、晃樹の口利き一つで、紹介した幾つかの会社との関係を即座に断てると揺さぶりをかけたらしい。

 最初は鼻で笑っていた親戚も、晃樹の交友関係からしてハッタリではないと察すると、態度が一変して御機嫌取りを始めたそうだ。

 

「まあ、会社同士の繋がりをそんなに簡単にどうこう出来ないけどさ、ささやかな復讐ってやつかな。最近は随分大人しくなったし、生え際も結構後退してて中々いい気味だよ」

 

 はあ、こいつも意外にいい性格してんな。

 しっかし、何とも回りくどい仕返しだ。アタシには到底無理だな。

 策を弄する頭なんて持ち合わせちゃいないし、そんな狙い通りにいくかも分からない迂遠な真似をするより、殴って片を付けた方が簡単だ。

 アタシが知らないだけで、複雑な駆け引きがあったのかもしれないが、かなり杜撰な計画な気がするが。

 何よりも晃樹の企みが上手く行ったとは言え、親戚の商売は順調な訳だ。

 やっぱり火葬場に居合わせた真依の親戚全員、こいつも含めて皆殺しにしとけばよかったかな。

 苛立ちのせいか、怒りと憎しみが湧き上がったが、頭を振って打ち払った。

 

 真依を襲ったクソ野郎どもの裁判に関しては、父親は悪い結果にはなっていないと言うだけで、詳しい事は全く聞けないという事だった。

 豚箱にでもぶち込まれてて欲しいもんだが、期待は出来そうにもないな。

 

 いまいち釈然としない気分のまま、かつて真依と訪れたショッピングモールに到着した。

 車から降りてレストラン街に向かうが、男一人で入り難い店なんて有ったかな。

 晃樹の後を付いて行き、目当ての店に着いて一瞬言葉を失った。

 真依と映画を観た後に昼食を取ったカフェが、看板も外装も全く別の物になっていた。

 このモールには時々来ていたが、用の無いレストラン街の様子は全く見ていなかったので、あのカフェが閉店していたのは露ほども知らなかった。

 僅かな喪失感を覚えながら、晃樹と共に店内に入り席に案内された。

 周囲に軽く視線を巡らせると、確かに客は女ばかりだ。

 一組だけ男女が居るが、男の方はどうにも居心地が悪そうだ。

 晃樹も今になって気後れし始めたのか、表情は硬く動きもぎこちない。大人ぶってた割に、ガキっぽい所も残ってるんだな。

 笑いそうになるのを抑えてメニューを開き、適当に料理を選んで注文した。

 頼んだ品が来るまで晃樹の彼女の事なんかを尋ねたりしたが、緊張が解れないのか口数は少なく、大したことも聞けないままに料理が届いた。

 彩の鮮やかな手の込んだ料理で数年ぶりの食事だが、何処となく物足りなさを感じる。

 晃樹も緊張のせいか、念願が叶った割には余り浮かない表情だ。

 話が弾むことも無く食べ進み、グラスの水を飲み干すと、晃樹に促され席を立った。

 

「ほれ寄越しな。車出して貰ったし、奢ってやるよ」

 

「えっ、いや、俺が払うよ。態々付き合って貰ったんだし」

 

 晃樹から伝票を引っ手繰ると、慌てて制止された。

 

「学生が見栄張るなって。金なら心配いらないよ、アンタの姉貴から預かった金が有るしな」

 

 ポケットから金の入った封筒を引っ張り出し、レジに向かった。

 真依から預かった金もアタシには無用の物なので、中身は一切手付かずで残っている。

 真依の墓参りの時に顔を合わせた晃樹に返そうとしたが、姉に似て頑固なのか決して受け取らなかった。

 あの時はこんな風に使うとは思わなかったが……まあ、あいつも納得してくれるだろう。

 支払いを済ませて店を出ると、晃樹が支払いを任せたことと微妙な雰囲気で食事を続けたことを謝ってきた。こういうところも姉に似てんだな。

 適当に宥めてこれで解散かと聞くと、ゲームセンターに行きたいと言い出した。

 真依が生前に好きだったキャラのぬいぐるみがクレーンゲームの景品で入荷されているが、晃樹の住んでいる地域にはまだ入っていないらしい。

 ここら一帯のゲーセンを何件か見て周ったがどこにも無く、残るはここだけだそうだ。

 どうにか手に入れて仏前に供えてやりたいが、いい年して子供が多い所に一人で行くのは、少々気が引けるらしい。

 見た目がガキなアタシなら、一緒に行くのは打って付けって訳かね。

 予定なんてものも無いので、もう少し付き合ってやることにしてゲーセンに向かった。

 

 プライズゲームのコーナーで、景品を吟味していると「あった!」と晃樹が嬉しそうに声を上げた。

 筐体の中を見ると、何種類かの動物のキャラのぬいぐるみが雑然と積み上げられている。

 真依が生きていた頃はマイナーな作品だったらしいが、最近になってそこそこ人気が出始めているそうだ。

 付き合いの年季の差もあるし、アタシが知らない事の方が多いのも当然か。

 

 晃樹は早速金を突っ込み、夢中になってクレーンゲームを遊び始めた。

 ……が、晃樹の努力も虚しく一向に取れる気配が無い。

 千円、二千円と注ぎ込み、遂に三千円を超えたが、やはり取れない。

 アームの掴む力が詐欺じみた弱さという訳でもなく、単に晃樹が下手なだけのようだが……。

 かと言ってアタシがやったところで、余計に金をドブに捨てる事になっちまうから、代わる訳にもいかないし。

 

「お、おい、もう諦めた方がいいんじゃないのか? ちょっと使いすぎだろ。真依のためっつっても、あんまり散財するとあいつも喜ばないぞ」

 

「いや……ここまで使ったからには、後には引けないから……」

 

 晃樹は額に汗を浮かべ、鬼気迫る表情で絞り出すように唸った。

 晃樹は退屈だろうし何か他のゲームを遊んでていいよと青い顔で言い、再びクレーンゲームに向き直った。

 言ったところで聞き入れそうにもないので、フードコートで一休みしとくと言い残して、不安に思いながらもその場を離れてフードコートに向かった。

 

 晃樹にあんな弱点があるとは意外だったな。

 あれはギャンブルにハマったら、身を滅ぼすタイプだろうなー。

 呆れつつフードコートに目を向けると、普段はあまり意識してなかったが、いくつかの店が以前とは様変わりしているのが分かった。

 クレープの店は今も健在だが、真依と行ったカフェの様にいつかは店仕舞いをし、晃樹と行った店もまた別の店に変わる時が来るのだろう。

 アタシだけが何一つ変わらない中、無情な時間の流れと共に周囲が一瞬も足を止めることなく、変化していくのを実感する。

 

 ――やっぱり、いい加減にこの街を離れるべきかな。

 そんな考えが浮かび、すぐに真依の墓参りの事が浮かんで打ち消される。

 この数年の間、何度も自問自答したが結局ズルズルと居座ったままだ。

 壁に寄りかかって感傷の様なものに浸っていると、クレープの焼ける甘い匂いが鼻腔を刺激した。

 真依との思い出が辿れなくなる前に、もう一回ぐらいはクレープ食っておくか。

 

「ああっ! あああああああっ!」

 

 カウンターに向かい、以前食った物と同じ品を注文していると、突如大きな声が上がった。

 声の方に目を向けると、ベビーカーを押す女と娘らしき幼稚園ぐらいのガキがいる。

 ガキは目を見開き、愕然とした顔でアタシを凝視している。

 アタシの白髪頭が、大声上げて驚くほど珍しいのかね。

 

「ねえ、おかーさん! クレープ! クレープ食べたい!」

 

 ガキは母親から何事かと声を掛けられると、我に返ってあたふたと周りを見渡してから、クレープ屋の看板に目を止めて母親にねだり始めた。

 

「お願い! お皿洗いとお風呂掃除するから!」

 

 母親は昼飯を食べたばかりだからと窘めるが、ガキは引き下がらず食らい付いている。

 たかがクレープで、何をそんなに必死になってんだよ。

 呆れながら注文を終えて近くのベンチに腰掛けると、根負けしたのかガキの母親がクレープを注文していた。

 

「ねえ、お姉ちゃん。隣座っていーい?」

 

「構わないよ」

 

 注文を終えるとガキはこちらに歩み寄って、声を掛けてきた。

 ガキの要望を承諾すると、満面の笑みで隣に腰掛け、母親が申し訳なさそうに頭を下げて謝意を示した。

 

「わたしね、あおいって言うの! お花の葵ね! 小学校の一年生なの! お姉ちゃんは何て名前?」

 

「……シアだよ」

 

 無駄に元気なガキの質問に答えると、心底嬉しそうな顔で両手を握り締めて、うんうんと頷いていた。

 ……何なんだ? 友達いないのか?

 怪訝に思っていると、ベビーカーの中の赤子がぐずりだした。

 

「大変! オムツかな? お腹すいたのかな? 早くやってあげないと可哀想だよ」

 

 葵は母親を急かすが、まだ注文したクレープが出来上がってない。

 葵を一人置いて行くことも出来ないと離れることを躊躇していたが、激しさを増す赤子の泣き声に遂に観念したようだ。

 知らない人間に付いて行ったり一人で歩き回らないようにと、葵に何度も言い聞かせていたので、アタシが見とくと告げてやったが不安はやはり残るようだ。

 

「シアちゃんも一緒だし、大丈夫だよ。危ない人が来ても、死神おばあちゃんが助けてくれるし! ねっ?」

 

 アタシの方を向いて同意を求めた葵に、適当に相槌を打った。

 

 葵の言う死神ババアってのは、勿論アタシの事だ。

 真依に出会う前の自分に戻れないものかと、虚無感のドン底に沈みながら、以前と同じく気に入らない奴をボコっていたんだが……。

 どこで捻じ曲がったのか、自分を死神と名乗る頭がおかしい上にやたらと喧嘩の強い白髪のババアが、若い頃にモテなかった僻みからかナンパを邪魔しに現れると言う、都市伝説じみた与太話が広まったようだ。 

 カツアゲしてる輩も殴り倒してやってたんだが、そっちの噂は余り広まっていないらしい。

 白髪のババアってところだけは、間違っていないが。

 しかし、こんな小学生にまで広まってんのかよ。そこまで暴れまくったつもりは無いんだけどな。

 

 葵の母親が赤子を授乳室に連れて行くのを見送り、フードコートに設置された大画面テレビに目を向け、放送されているローカルニュースを見ながらクレープの出来上がりを待つ。

 

「うーん、なるほどね」

 

 葵が隣で腕を組んで、さもしっかりと理解出来ているかのように大きく頷く。

 

「何だ? あれが何言ってるのか分かるのか?」

 

「全然分かんないけど、分かった振りをすれば頭が良さそうに見えるかな、って思って」

 

「……っふ。何だそりゃ、いい加減なこと言うやつだな」

 

 臆面もなく屈託の無い笑顔で答える葵に、軽く噴き出した。

 ガキの相手は好きじゃないが、こいつは不思議とあまり嫌じゃないな。

 

「あっ、やっと笑ってくれた。ずっと寂しそうな顔してたから、心配したよ?」

 

 寂しい? アタシが?

 そんな訳無いだろと頭を過ぎったが、存外当たってるのかもな。

 

「ぅー、あのおじさん、やーだぁ」

 

 上機嫌な葵が、急に顔を顰めた。

 モニターを見ると、市内の催し事で真依の親父が挨拶をしていた。

 白髪が随分と増えて皴も深くなり、この数年の間に随分と老け込んだもんだ。

 最後に火葬場で見た時はもっと若々しかった記憶があるが、晃樹の言っていた通り真依の死が堪えてるんだろうか。

 

「何だ? あのおっさん知り合いなのか?」

 

「ううん、全然知らない人。でも、あのおじさん見ると、お腹のあたりがきゅーってなって嫌なの」

 

 辛そうな顔の葵と共にモニターを眺め続けていると、クレープの出来上がりを知らせるアラームが二人同時に鳴り始めた。

 

「ほれ、焼けたみたいだし、クレープ食って気分変えなよ」

 

 ベンチから立ち上がると、葵が手を伸ばしてアタシの手を掴んだ。

 ほんの数メートル先のカウンターまで手を繋いで向かい、クレープを受け取ってベンチまで戻り、二人揃って食べ始めた。

 

「美味しいね!」

 

「そーね」

 

 さっきまでの暗い表情もどこへやら、すっかり機嫌も直ったようだ。

 以前真依と一緒に食べた物と同じ物の筈なのに、やはりどこか物足りない。

 きっと、もう二度とあの時と同じ味には有り付けないんだろうな。

 

「あれ、シアちゃんほっぺにクリーム付いてるよ。拭いてあげるから目を瞑って動かないでね」

 

 葵は小さい口ながら、口の周りを汚すことなく器用に食べ終わり、ハンカチを持った手をこちらに伸ばしてきた。

 何でか断る気にならず、言われるがままに目を閉じた。

 前にもこんなことあったような……。

 

「相変わらず食べるの下手ねえ」

 

 ん? 相変わらず? そりゃどういう……。

 

「ひぅっ! ……っん……ぐっ!」

 

 既視感に頭を巡らせるよりも早く、生暖かい湿った感触が頬を撫でた。

 咄嗟に両手で口を塞ぎ、変な声が出そうになるのを堪えた。

 

「えへへ、大成功」

 

「んなっ、何すんだこの……!」

 

 したり顔で舌なめずりする葵の頭をはたこうと手を振り下ろすが、力が入らずにただ手を乗せるだけに留まった。

 あれ? どうなってんだ?

 

「んもー、これだけやっても思い出してくれないの? 恋人の顔を忘れるなんて酷くない? わたしのこと絶対忘れないって言ってくれたのにぃ。……まあ、わたしも今日シアちゃんに会うまで思い出せなかったけど。死神おばあちゃんもシアちゃんの事でしょ? すぐ分かったよ」

 

 葵は笑顔を一転させて、ブー垂れながらおかしなことを言い出した。忘れるも何も今日が初対面だろうがよ。

 困惑しながら葵の言葉を反芻して、一つの結論が頭に浮かんだ。

 

「思い出したって……まさか、アンタ……真依……なのか?」

 

「真依って誰!? もしかして浮気したの!?」

 

 有り得ないと思いつつ尋ねると、葵の表情が険しくなり怒声が上がった。

 んん? ……どういう事なんだ。

 

「待て待て、落ち着け。アタシは浮気なんてしねえよ」

 

 ぷりぷりと怒る葵をどうにか宥め、じっくりと話を聞きながら情報を整理すると、やはり葵は真依のようだ。

 自分自身や家族の事等の以前の記憶は残っておらず、幾らか抜け落ちている部分はあるものの、何故かアタシの事だけは覚えているらしい。

 ついさっき真依の父親に不快感を示していたのも、記憶は無くても頭の奥底に蟠りが刻み込まれているんだろうか。

 晃樹の言っていた通りに親としての愛情があったとしても、それを伝えて真依の誤解を解くことも出来ないんだな。

 僅かに憐れみを覚えながらモニターに目を向けると、画面は既に別のニュースに切り替わっていた。

 

「ほら、これって生まれ付きなんだけどさ、小指と小指がうんめーの赤い糸で繋がってるみたいじゃない?」

 

 葵は右手を突き出し、血の様に赤い小指の爪を指し示した。

 確かに契約の証だが……死んで生まれ変わった後も続くものだったのか。

 

「それで、真依ってだあれ? ほんとに浮気してない?」

 

「覚えてないみたいだけど、アンタの昔の名前だよ。浮気なんてしないから心配すんなって。アタシにはアンタだけだよ」

 

 やっべ、とんでもなく恥ずかしい事を無意識に言ってしまった。

 葵の方はと言うと、顔を真っ赤にして足をバタバタして喜んでいる。

 このチョロさは、やっぱり真依なのか。

 

「あー、えっと、ところで、さっきの赤ん坊はアンタの弟か? それとも妹?」

 

「わたしの名前は生まれた時からずっと葵だよ? あの子はね、ももちゃんって言って妹だよ」

 

 以前の自分の名前というものが、今一つ理解出ていないようだが、いつか分かる様になるだろう。

 

「へぇ、それで、アンタの親とは仲良くやってるか? 爺さんや婆さんは優しいか?」

 

 葵は楽しそうに両親や祖父母の事を語り始め、その口振りから如何に愛されて育っているかが窺える。

 友達はいるのかと尋ねると、指折り数えながら自慢げに友人の名前を挙げていった。

 

「そっか……良かったな……」

 

 幸せそうに語る葵を見て一瞬声が詰まり、声が震えて上手く言葉が出せないながら、葵の頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。

 真依が求め続けて得られなかった物とは違う代替品のようにも思えるが、家族から注がれている愛情は本物のようだし、これはこれで良かった……と思っていいのかな。

 今度の人生が、このまま上手く行くといいんだが。

 

「これからはずっと一緒に居られるし、毎日遊べるね!」

 

「えっ? いや、折角友達いるんだし、そっちと遊びなよ」

 

 これからの展望に目を輝かせる葵を軽く窘めると、不満そうな悲しそうな顔をこちらに向け、胸がチクリと痛んだ。

 一緒に暮らすなんて無理な話だし、友達も葵と一緒に遊びたいだろうと説得し、友人たちが都合のつかない時はアタシが遊んでやると言うと、漸く引き下がった。

 葵は自分の住んでいる場所の説明を始めたが、いかにも子供らしく要領を得ない説明で何が何やらだ。

 通っている小学校は聞けたので、下校時に待ってりゃまた会えるだろう。

 真依の生まれ変わりと言っても、精神年齢は体と同じ子供なんだな。

 

「あっ、いたいた。見てよこれ、最後で一気に二個取れたよ。その子は? もしかして迷子?」

 

 葵と会話を続けていると、ぬいぐるみを両手に持ち、疲労感の滲む笑顔で晃樹が声を掛けてきた。

 

「ああ、ちょっとした知り合いだよ。この子の親が赤ん坊のオムツ替えに行ってるから、アタシが見てるんだよ」

 

 流石に真依の生まれ変わった姿だなんて言う訳にもいかないし、そもそも信じられないだろうな。

 晃樹の質問に答えて葵に目を向けると、雷に打たれたかのように目を見開いて晃樹を見つめたまま、身動き一つせずに固まっている。

 軽く肩を揺するとハッと我に返ったが、どうにも落ち着きがない。

 晃樹の事だけを、都合よく覚えてる訳でも無いだろうが。

 

「えっと、お兄ちゃん凄くカッコいいから、ちょっとびっくりしちゃった。そのぬいぐるみ可愛いよね、わたしもそれ好きー」

 

 葵はあたふたと取り繕って、晃樹に笑顔を向けた。

 

「はは、良かったな。モテモテじゃん」

 

「じゃあ、一つあげるよ」

 

 アタシが揶揄うと、晃樹は呆れた様に笑いながら、葵にぬいぐるみを一つ手渡した。

 

「いいのか? 苦労したんだろ」

 

「うん、一つあれば十分だしね。それに、何でか分からないけど、この子になら譲ってもいいかなって思って」

 

 葵は目を潤ませて何度も礼を言い、晃樹は大袈裟に喜ぶ姿に困惑しながらも、優しい眼差しで見ていた。

 互いに分からなくても、何かしら感じ入るところがあるんだろうか。 

 姉の仏前に供える筈の物が、まさか本人に渡すことになるとは思いもしなかっただろうな。

 

「ところで、そろそろ俺は帰るけどシアさんはどうする? 送っていくよ」

 

「アタシはいいよ。この子の親が戻るまで面倒見ないとだし、もう少しブラブラしたいしな」

 

 晃樹の申し出を断ると、意外にあっさりと引き下がり「それじゃ、また」と言い残して去って行った。

 

「ねね、あの人ってもしかしてシアちゃんの彼氏?」

 

「はあ? そんな訳無いだろ。大体浮気するなって言ってたのは誰だよ。つうか、あいつのこと知ってるのか?」

 

「ううん、初めて会った人だけど……凄いイケメンだから、シアちゃん取られちゃっても仕方ないかなって思っちゃった」

 

 安心したようにも残念そうにも見える表情で、葵は元気のない作り笑いを浮かべた。

 

「あいつとはそんなんじゃないよ。彼女いるって言ってたしな」

 

 アタシの言葉に葵は目の色を変え、美人なのかとか年は幾つかなんてことを必死に尋ねてきた。

 大したことも聞き出せてないから、人となりは全く分からないと言うと、演技かと思う程にがっくりと肩を落として落胆の色を示した。

 姿形は全くの別物なのに、所作や言動の端々が真依を思い起こさせる。

 

 感慨に耽りつつ葵と会話を続けていると、母親が焦り顔で戻ってきたが、葵の楽しげな表情を見て安堵の色を見せた。

 葵は母親にぬいぐるみの事を説明し、母親はアタシに礼を述べて、二人並んで去って行った。

 少々名残惜しく思いながら二人の背中を見送っていると、葵が何かを思い出したかのように小走りで戻ってきた。

 

「ねね、ちょっと耳貸して」

 

 何事かと思いながら体を傾けると、葵の顔が近付いて吐息が耳にかかり、くすぐったさに体が震えた。

 

今はまだ子供だから無理だけど、大人になったら一緒にラブホテル行こーね? それまで浮気しちゃダメよ?

 

「はぁあ!? 何言ってんだアンタ! 言ってる意味分かってんのか!」

 

「んー、よく分かんないけど、一緒に行くって約束したでしょ? それより、大変だよ! あそこで女の人が絡まれてるよ!」

 

「あのなあ、そんな手に引っかかる訳……」

 

 呆れて聞き流そうとしたが、段々と緊迫した表情に変わっていったので、指さす方を向くと一人の男がナンパに精を出していた。

 見た感じの年齢は高校生ぐらいだろうか。

 下心全開の笑顔で近付くが袖にされ、去って行く女に悪態をついているばかりだ。

 あの程度なら、止めに入る必要も無いだろうな。

 葵の方に向き直ると、いつの間にか母親の隣に駆け寄っていた。

 「またね!」と元気良く手を振って、今度こそ二人揃って去って行った。

 

 はああ……マジかよ……何だってよりによって一番余計なことを覚えてるんだよ。そこだけは忘れといてくれよ。

 脱力してベンチにもたれながら、葵の言葉を反芻する。

 ……ん? あいつ今は子供だから無理って言ってたよな……。

 つーことは、ラブホが何をする場所か分かってるんじゃねえのか?

 子供らしく振る舞うために惚けてるだけで、もしかしたら本当は全部覚えてるんだろうか?

 真依も何を考えてるか分からんやつだったが、そんなところをしっかり受け継ぐんじゃねえよ……。

 

 しかし、それよりも気になるのは、アタシに会うまで思い出せなかったと言う所だ。

 今日ここで会ってしてしまったせいで、本来はもっと別の人生を歩むはずだった、あいつの人生を狂わせてしまったんじゃないだろうか。

 何よりも、死んだ人間が以前の記憶を持って生まれ変わるなんて、都合の良い話が在るものなのか。

 真依と交わした契約が、何かしらの爆弾を抱えた呪いの類になっていないだろうか。

 取り返しのつかない失敗をしたような気分になり、妙な不安感が胸の内に湧き上がる。

 

 はぁ、止めよ止めよ。

 考えたところで何をどうこう出来る訳でも無し、この先あいつが平穏無事に過ごすことをただ祈るのみだ。

 顔を上げて周囲を見回すと、さっきのナンパ男が缶コーヒーを片手にフラフラと歩いており、気の弱そうな女にあからさまに態とぶつかっていた。

 あーなるほど、ナンパが上手く行かないから強硬手段に出た訳か。

 そんな恫喝してまで女と遊んで何が楽しいんだか。ほんっと男って奴は碌でもないな。

 

「そこら辺で止めとけよ、迷惑してんだろ。大体アンタ、自分からぶつかってたじゃん」

 

 女に文句を言っているナンパ男に背後から近付き、襟首を掴んで軽く引っ張っると、男はグエッと呻き声を上げてこちらに振り向いた。

 その隙に顎をしゃくって女に逃げるように促すが、やはり見た目通り気が弱いのかオロオロしている。

 女を軽く睨みながらもう一度顎をしゃくると、頭を下げて足早に去って行った。

 

「おい、逃げんなよ!」

 

「だから止めろっつってんだろ」

 

 女を追いかけようとしたナンパ男の襟首を掴んで引っ張ると、再びグエッとみっともない呻き声を上げて、こちらを睨みながら怒り出した。

 

「まあまあ、落ち着けよ。代わりにアタシが相手してやるからさ」

 

 スカートの裾をたくし上げて太腿をチラリと見せると、ナンパ男の怒り顔が下卑た笑みに変わった。

 自分が逆ナンされたとでも思ってんのかね。これだから男って奴は……。

 呆れながらも、人気の少ない場所まで先導した。

 

「ここでいいよね。ここなら人もあんま来ないし」

 

「随分積極的だな。溜まってんのか?」

 

 下劣な質問にニコリと笑顔で返し、ビンタを食らわせた。

 ナンパ男は頬に手を添えて呆気に取られていたが、すぐに怒りを滾らせて腕を振りかぶった。

 アタシの顔目掛けて振られた手首を掴み、もう何度かビンタを食らわせると、ナンパ男は尻餅を突いてへたり込んだ。

 

「な、何なんだお前……」

 

「んー、死神ババアのこと聞いたことあるか? アレ、アタシの事なんだよ。アンタみたいなロクデナシを時々張り倒してんだけどな」

 

 信じられない様子のナンパ男の首根っこを掴んで立ち上がらせ、無理矢理正座させた。

 不満顔のナンパ男に何度かビンタを食らわせながら説教をし、次に同じことをしてたらビンタ程度じゃ済ませないと脅しをかけて脳天に拳骨を食らわせ、のた打ち回るナンパ男を尻目にその場を立ち去った。

 

 はあ、やっぱりこの手の輩をしばいても、何一つ面白くないな。

 けど、これまでみたいな押し潰される様な虚しさは、多少軽くなったかな。

 悩みの種も不安の種も尽きないが、葵へと姿を変えた真依が漸く掴み取った幸せが、夢と消えないことを願いながらモールを後にした。

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