死神娘の苦悩   作:山葵炭酸水

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「ひっ! なにこれ!」

 

 シーツから伸びた赤い手に掴まれた麻倉が怯えた声を上げた。

 あああああ――なんてこった。なんてこった。

 

「あー……怖がらなくていいよ、契約のハンコ押すようなもんだから」

 

 額に手を当て顔を伏せ、どうにか声を絞り出した。

 赤い手は形を変え麻倉の右手に浸み込む様に消えて、小指の爪がマニキュアを塗ったように紅く染まった。

 

「はぁーあ、契約かんりょー。これでめでたくアタシはアンタの恋人になりましたとさ……マジふざけんなよ」

 

「な、何だか不満そうね」

 

 小指の爪が変色した右手を摩りながら、おずおずと麻倉が声をかけてきた。

 

「はあ!? そりゃそうだろ! アンタは女だろ!」

 

「う、うん」

 

 麻倉の鼻先に人差指を突き付けながら指摘すると、目を白黒させながら頷いた。

 

「人間じゃないっつってもアタシも女だぞ! なに? アンタそっちのシュミがあんのか!?」

 

「あ……うん、その……実はそうなの……」

 

 麻倉のいかれた言葉に目の前が一瞬闇に染まり、膝から崩れ落ちそうになる。

 何だろう、絶望ってのはこういう感覚なのか。

 

「マジかよ……。だからって会って30分も経ってないのに、恋人になれはねーだろ……友達になれとかならまだ分かるけどさ……」

 

「えぇー……だって願い事は何でもいいって言うから……。死ぬ前に一回ぐらい恋愛してみたかったし、年も近そうだし、取り敢えずこの人でいいかなって……」

 

「そんな適当に決めんなよ……もっと他にあるだろうがよ……。てか見た目はこんなんでもアンタよりずっと年上だっつの」

 

 頭を抱えて抗議の呻きを上げた。

 病気を治してくれって願うとばかり思ってたのにすっかり当てが外れたわ。

 とんでもねー奴のとこに来ちまった。

 しかも自分が十日以内に死ぬってのを、あっさり受け入れてんなよ。

 

「ごめんね、やっぱり嫌だった……? 無理しなくてもいいよ……」

 

 麻倉が申し訳なさそうな顔で、絞り出すように声をかけてきた。

 

「ハァ……契約が成立しちまった以上はどうしようもない、どうせアンタが死ぬまでの少しの間の我慢だ」

 

「もしかして怒ってる? なんだか口調もさっきと違うけど……」

 

「怒ってるっつーより呆れてるよ。あと口調はこれが素だよ、さっきまでのは警戒されないように喋り方変えてただけだ。ガキっぽい話し方すりゃ油断して舐めてかかる奴は多いからな」

 

「はぁ……色々大変なのね」

 

 麻倉は感心とも呆れともつかない、ポカンとした顔で返した。

 

「立ったまま話すのもなんだし、どうぞ座って座って。そうだ、自己紹介してなかったね。わたしは麻倉 真衣って言うの。遠慮無く真衣って呼んでね。歳は18歳でスリーサイズは秘密ね」

 

 麻倉に促されるままにベッドの横の椅子に腰掛けた。

 用が済んだらさっさと引き上げるつもりだったんだがな……。

 

「さっき入り口の横の名札を見たから名前は知ってる。スリーサイズとか知りたくもねーよ。18ってことは高校を出たばっかか」

 

「それが……まだ中学生なの。昔から何回も入院してるせいで、なかなか進級できなくて……」

 

 麻倉は頬を掻きながら、ばつが悪そうに言った。

 

「そっか、アタシのことは死神なり悪魔なり好きに呼んでいいよ」

 

「えー、死神ちゃんとか悪魔ちゃんとかじゃ可愛くないよお」

 

 麻倉が不満げな声を上げた。

 死神とか悪魔なんて縁起の良い物でもないし可愛い呼び方なんて必要無いだろうに、変なことを気にする奴だな。

 

「つっても名前なんて無いし、気にしたことも無いしな。昔はアタシのことをカミサマとか呼んでた連中もいたけど」

 

「うーん……じゃあ、私が名前考えていい?」

 

「お好きにどうぞ」

 

 麻倉は腕を組んで暫く思案したのちに、こちらに顔を向けた。 

 

「死神の"し"と悪魔の"あ"で"しあ"ってどう?」 

 

「何だそりゃ、可愛くないって言ってたモノから取るのか。まあ何だっていいけどさ」

 

「じゃあ決まりね! やっぱり何の関係も無い名前より馴染みのある言葉から取った方がいいかなって思って」

 

 アタシの投げやりな返事も気にせず、手をパンと叩き嬉しそうな声を上げた。

 

「次は字を決めよっか。どんなのがいいかな」

 

「死神の"死"と悪魔の"悪"の死悪でいいじゃん」

 

 碌でもない字を当てられそうな予感がするし、適当に決めちまおう。

 中二病臭い案だとは思うが、アタシには一番合ってるだろう。

 

「ええー、人の名前に使う字じゃないよ! じゃあ……心を音読みの"しん"と愛の字で心愛ってどうかな?」

 

「アタシは人間じゃねーし。てーかそれって"しあ"じゃなくて"ここあ"って読むやつじゃねーの」

 

 予想通り碌でもない案だったので却下したが、麻倉は真愛とか深愛とか気持ち悪い候補を挙げてくる。

 

「いや、まず愛の字から離れろよ。アタシには一番縁遠い字だろ」

 

 こいつのセンスは何なんだ。

 それともこれぐらいの年の女は、皆こういう頭お花畑なのか。

 

「えぇー、そんなことないよ。髪は真っ白だけど凄く綺麗な白色だし、肌も白いし睫毛が長くて鼻筋も通ってて、お人形みたいで凄く可愛いしピッタリだと思うよ。」

 

 あまり自分の顔の事など意識したこと無いが、べた褒めされる程ではないと思うんだが。

 痘痕も靨ってやつだろうか。

 

「そんな月並みな文句で煽てた所で何も出ねーぞ。それに顔のつくりならアンタも良い方だろ」

 

「えっ……えへへ、お世辞でも嬉しいな」

 

 麻倉は両手を頬に当て照れ笑いを浮かべた。

 なんだこいつ、いくらなんでもチョロ過ぎだろ。詐欺とかにコロっと騙されそうだな。

 

「うーん……でもパッと思い付く良い漢字も他に無いし、ネットで良さげな字がないか検索してみよっか」

 

 名案を思い付いたように麻倉はタブレットを手に取った。

 

「いや、もう勘弁してくれ。平仮名か片仮名とかでいいだろ」

 

「えー……仕方ないかぁ……じゃ、片仮名にしよっか。平仮名よりそっちの方が可愛いし」

 

 アタシのうんざりした言葉に、渋々と言った感じで麻倉は了承した。

 

「それじゃこれからよろしくね、シアちゃん」

 

 麻倉は嬉しそうに笑顔をこちらに向けた。

 

 これから……ねぇ。

 長く持っても九日、下手すりゃ次の瞬間にも死ぬかもしれないのに呑気なやつだ。 

 

「そうだ、契約ってことはやっぱり魂取られちゃうの?」 

 

「いいや、さっきも言った通りアンタの寿命が一日減るだけだ。魂なんてもんが有るのかすら知らね」

 

「えー……じゃあ死んだ人はどうなっちゃうの? 天国に行ったり生まれ変わったりなんて出来ないの?」

 

「アタシが知るかよ、そういう宗教的な話はパスだ。ま、生まれ変わりなんて無い方がいいと思うけどね。どんな悪人も死んだらチャラで一からやり直せるなんて面白いもんじゃないし」

 

 そっかぁ、と麻倉は納得したのかしてないのか、よく分からん反応だ。

 

「じゃあ一日減った私の寿命は何に使うの? 高く売れたりとか、食べると美味しかったりするの?」

 

「んー、アタシは別に何もしないな。寿命を触媒にして願い事を叶えるだけだから、アタシにゃ何の得も無いボランティアみたいなもんだよ」

 

「へぇ、やっぱり優しいのね。それじゃ、もしシアちゃんが契約を守らなかったらどうなっちゃうの?」

 

 感心したような声を上げて、再び麻倉からの質問が来た。

 つーか、さっきからどうでもいいような質問ばっかだな、少々ウンザリなんだが。

 

「さあな、昔願いを叶えてやった奴は使い切れない額の金をくれって内容だったし、長期的なのは試したことが無いからどうなるかは分からねーな。契約に合わせてアタシの意識も少しずつ塗り替えられちまう位しか判らねえし」

 

「えっ、じゃあそのうち私のことを好きなってくれるの?」

 

「ヤメロ、考えたくもねえ」

 

「うーん、でも片想いのままだと寂しいし、できれば両想いになりたいなぁ」

 

 目を輝かせて期待に満ちた笑顔で悍ましいことを言いやがる。

 そもそも適当に決めたんだから片思いですらない、ただの恋人ごっこみたいなもんだろうに。

 

「アンタが長生きすればなるかもな。アタシは出来れば御勘弁願いたいけど」

 

「じゃあ頑張る! 最初は乗り気じゃなくても、付き合ってる内に本気になるってよくある話らしいし!」

 

 アタシの言った皮肉が分かってないのか気にしてないのか、麻倉は拳を握りしめて目に決意を漲らせた。

 

「ふう、久々にお喋りしたら喉乾いちゃった。シアちゃんもお茶どうぞ」

 

 冷蔵庫から取り出したペットボトルを差し出されたが、丁重にお断りした。

 

「ジュースの方が良かったかな? ごめんね、お茶しか置いてないの。あっ、お菓子あるけど食べる? わたしは食べられないから遠慮しないでね」 

 

 麻倉は美味そうに茶を飲んで、再び開いた冷蔵庫を指し示した。

 

「いらない。何で食えもしないもんを置いてんだ」

 

「弟がお見舞いに来てくれた時のために用意してるの。わたしと違ってスポーツ万能で勉強も出来て凄くカッコイイのよ」

 

 麻倉は自慢げに鼻を鳴らし、それを皮切りに弟自慢が始まった。

 将来医者になって姉ちゃんの病気を治してやる!と意気込んでたとか。

 バレンタインに沢山のチョコを貰ってきたけど、姉ちゃんのチョコが一番嬉しいって言ってくれただの。

 県外のもっと上のレベルの高校にも進学できたのに、姉ちゃんを置いていけないからと地元で一番偏差値の高い高校に進学しただの。

 恋する乙女のような顔で、弟が如何に魅力的か熱弁が続く。

 

 何なんだこいつ。もしかしてかなりヤバイ奴なんじゃないか。

 言葉が出てこず、ゲンナリしながら「ハァ、ソウッスカ……」としか返せなかった。

 余計なことを聞くんじゃなかったと後悔の念が湧き上がる。

 アタシの反応を見て、麻倉は何を思ったのか釘を刺すような視線を向けた。

 

「あっ、だからって浮気しちゃダメよ? シアちゃんは今はわたしの恋人なんだからね!」

 

「んなことしねーよ。興味も無いわ」

 

「えー、優しくて凄くいい子なのにぃ」

 

 麻倉が不満気な声を漏らした。

 

「いや、どっちなんだよ。アンタの弟とアタシをくっつけたいのか」

 

「そういう訳じゃないけど、自慢の弟だから少しぐらい興味持って欲しいかなーって」

 

 一体何を聞かされてるんだろうか。

 何が悲しくてブラコンとシスコンのノロケ話なんか聞かにゃならんのだ、と段々と苛立ちが募ってきた。

 

「そんなに弟が好きなら、アタシじゃなくて弟と付き合えばよかったじゃねーか」

 

「えー? やだあ、いくら何でもそんなアブナイ趣味はないわよ」

 

 散々弟の魅力を力説しておきながら、麻倉はあっけらかんとして答えた。

 からかわれてるような気がして、更にイラっとくる。

 

「はぁーあ……本当の事を言うと、アンタの願いを叶えてやるつもりなんて無かったんだけどな」

 

「えっ……どういうこと?」

 

 大きく溜息をついて漏らしたアタシのボヤキに、麻倉は笑顔から一転して困惑した表情を浮かべた。

 

「アンタの周りに黒い靄が見えるんだけどな、これが出るのは死んで欲しいって思われるほどに憎まれてて、死期が近い人間だけなんだよ。アタシはな、そういう悪人どもに病気を治して生き延びれると思わせて、突っぱねてやるのが楽しみなんだよ」

 

「えっ……じゃあ、願い事を叶えてくれるっていうのは嘘だったの? 私の恋人になってくれるっていうのも嘘?」

 

 腹立ちまぎれのネタばらしに、麻倉が縋りつくような顔で疑問を投げかけてきた。

 重要なのはそこなのか、やっぱなんかズレてんなこいつ。

 

「いいや、残念ながらそこだけは嘘じゃないよ。さっきも言った通り実際に金持ちにしてやった奴も居るし。けど死ぬこと自体は変えられないから、死因になる病気は治せないんだよ。死ぬのはアタシが決めたことじゃないから、こればっかりはどうにも出来ない」

 

「そうなんだ……良かったぁ」

 

 一体何が良かったのか、麻倉は安堵した顔で胸を撫で下ろした。

 そんなに恋人が欲しかったのか? いくら何でも飢え過ぎじゃねえか。

 

「アンタのとこに来たのも、病気を治してくれって言うのを期待してたんだがな。で? アンタは何をやらかしたんだ? 心当たりが無いなんてことは無いだろ?」

 

「あ……うん……」

 

 少々意地悪なアタシの詰問に、麻倉は露骨に表情を曇らせた。

 

「わたしね……昔、学校でいじめられてたの」

 

「いじめられてた? いじめをやってた方じゃなくてか?」

 

「うん、生まれ付きの持病があるって言ったでしょ? それで学校もよく休んでたからバイキン呼ばわりされちゃって……。体育の授業も見学しか出来なかったから、運動が苦手な子達からもサボリだって嫌味を言われちゃってね」

 

 よくある話だな。

 ガキのすることだし殺したい程の恨みじゃなく、気軽なストレス解消程度にしか思ってないだろうが。

 

「最初は我慢してたんだけど、段々酷くなっていってね。歩いてたら突き飛ばされたり、どうせサボるんだから要らないだろって体操服をゴミと一緒に焼却炉で燃やされたりして……。さすがに辛くなってきたから先生に相談したんだけど、それが一番拙かったかな」

 

「……話すのが辛いなら別にいいよ」

 

「ううん、大丈夫。ありがと」

 

 段々と声に力が無くなってきた麻倉を制止したが、暗い笑顔を向けて話を続けた。

 なんだか雲行きが怪しくなってきたな。

 今まで見てきた靄が出る連中は何人も殺したり、あくどい商売で大勢を破滅させたりと欠片も同情できない奴ばかりだったが。

 

「私のお爺ちゃんが県の議員やっててね、お父さんも市の議員なの。この病院もお爺ちゃんが関わってるし、色んなとこに顔が効くのよ」

 

 他にも親戚が社長をやっていたり大企業の役職に就いているだの、複雑な表情を浮かべながら淡々と語る。

 名士の一族なんてもう少し誇らしげにしそうなもんだが、さっきの弟自慢とは真逆にどこか忌々しさすら感じられる。

 

「そのせいか校長先生にまで話が行ったみたいで、わたしのクラスみんなの保護者まで呼び出される大事になっちゃったらしくて……」

 

 なるほど、保身のためか。こいつの親族が一般人なら握り潰されていただろうな。

 地元の有力者の娘がいじめられてるのを黙殺してるのがバレたら、自身の職を失いかねない危機感からのもんだろう。

 担当してるクラスで権力者の娘がいじめ被害に遭ってたって事実だけでも、相当に頭を抱えることになっただろうが。

 

「それからはもう大変だったよ。何人もうちに家族で謝りに来てね。わたしをいじめてたわけじゃないのに、親から殴られて顔が腫れてる子もいたし、こっちが申し訳なくなっちゃった」

 

 麻倉は悔恨の表情で続ける。

 いじめに加担してないにしても、助けようともしなかった連中に負い目を感じる必要が有るんだろうか。

 

「そんなことがあったから、腫れ物扱いで皆から避けられちゃってね。一人だけ仲良くしてくれる子がいたんだけど、家が近いってだけで先生やクラスの子から言われて、わたしの係にされてただけだったみたいで……」

 

 殊更辛い記憶なのか、段々と声が震えてきた。

 目には薄っすらと涙も浮かんでいる。

 

「暫くは一緒に遊んでたんだけど、その子の親の仕事の都合で転校していってね。最後のお別れの時に本当は一緒に遊ぶのは嫌だったとか、病気がうつって死んだらお前のせいだって言われちゃって……」

 

 もしかしたら、その遊び相手に恋愛感情でも抱いてたのだろうか。

 唯一優しく接してくれる人間が本心ではそんな風に疎んでいて、罵倒までされたとなればさぞ辛かろうな。

 

「いや、もういい。大体分かった。……さすがにそんな話を続けるのもしんどいだろ」

 

 悪党が上機嫌に語る武勇伝を聞いた後に絶望の底に叩き落すのは楽しいが、非の無い人間が理不尽に酷い目に遭った記憶を聞くのはさして面白くもない。

 

「平気だよ。誤解されたままで嫌われちゃうのも嫌だし」

 

 強がってはいるが、泣きそうな顔で言ったんじゃ説得力が欠片も無いな。

 恨みの心当たりを尋ねてパッと出てくるあたり、長い間気に病んでいたんだろう。

 

「けど完全に勘違いと逆恨みじゃんか。アンタがそんな奴らに負い目を感じる必要なんて無いだろ」

 

「でも両親が離婚しちゃった子とか、遠くの親戚に引き取られた子もいるらしいし、やっぱり気にしちゃうよ。わたしが我慢してれば家族で暮らせて、仲の良い友達とも別れずに済んだんだし……。恨まれるのも当然よね。どうせ私の方が先に死んじゃうんだしさ」

 

「御人好しにも程があるだろ。ブラック企業に洗脳された社畜でも、そんな自己犠牲精神は身に付かねえぞ。そこまで行くとただの馬鹿じゃん」

 

「えぇー、酷くない?」

 

 麻倉は不服そうに頬を膨らませ、抗議の声を上げた。

 はぁ、そんな理由で恨まれるとはな。何もかもが予想から大きく外れてるな。

 恨みを買うってことは、それ相応の悪事を働いてるもんだと思ってたわ。

 

「他にも、親戚からも早く死んで欲しいって思われてるかも」

 

「んん? どういうことだ?」

 

 麻倉は口を滑らせたのか、一瞬「しまった」と言った表情になって言い淀んだ。

 親族の悪口は気が引けるんだろう、言い難いなら別にいいと言ったが麻倉は少々悩んだ後に話し始めた。

 

 曰く、難病のせいで多額の費用が掛かるため祖父が援助してくれているが、親族は目減りしていく財産に良い顔をしないそうだ。

 

 加えて、つい最近縁談を持ち掛けられたが、麻倉が台無しにしてしまったと言う。

 なんでも会社経営をしている親族が、繋がりを深めたい会社の社長の息子との見合いの話を持って来たそうな。

 病気もあるから中学を卒業したら進学せずに結婚しろと祖父からも言われ、麻倉は昔からの病気の負い目もあり承諾してしまった。

 だが肝心のお相手は四十過ぎおっさんで、庭園付きの御高い料亭での顔合わせの日に二人きりされ、庭園を二人で歩いてる最中に強姦未遂の目に遭ったらしい。

 泥で目つぶしを食らわせて逃げたものの、被害を訴えても祖父や親族は信じてくれず、縁談を御破算にしたことに激怒し散々に罵倒されたそうだ。

 そこで体調が悪化し、緊急入院して現在に至るらしい。

 実の娘が襲われたというのに、麻倉の両親は祖父に逆らえず何も言えなかったと言うから救いが無い話だ。

 

 いくら先が短いとは言え、未成年の娘を政略結婚のために使い捨てにするとは酷い話だな。

 こいつの祖父も入院費用を出すあたり孫は可愛いのかと思ったが、この病院に関わってる以上は単に世間体のためなんだろうか。

 それに麻倉の病気の事もすぐに相手方にバレるだろうし、縁談がダメになったのもこいつだけの責任じゃないだろ。

 

 色々と頭に浮かんでは消えるが、面倒臭いので考えるのは止めた。

 頭を使うのは苦手だ。

 

「はぁ……マジかよ……。アタシが言えた義理じゃないが、アンタの親族は人の心がねーな」

 

「けど昔から皆には迷惑かけてるから……。初めて皆の役に立てそうだったし、縁談も凄く苦労して漕ぎつけたんだから、わたしが我慢しなきゃいけなかったんだよ……。結婚したら、その……そういう事もするものだし。……あっ、この話は内緒にしてね? 変な噂が広まったら大変だから」

 

 麻倉は相も変わらず自分の事よりも、散々自分を蔑ろにした他人の事を気にかけている。

 昔から周囲の顔色を窺い続けてこんな性格になったんだろうか? と疑問が過ぎるが確かめる術も無い。

 

「お父さんとお母さんも、私には早く死んで欲しいって思ってるかもね。治らない病気なら長く苦しむより、早く楽になった方がいいって。まあ、そうだといいなって私が思ってるだけなんだけどね」

 

 死を願われるにしても、金のかかるお荷物として疎まれるのではなく、あくまで家族として気遣われていて欲しいという事か。

 けどそれは諦められて、見放されてるだけなんじゃないかとも思うんだが。

 実の親なら少しでも長く生きて欲しいとか、無理な願いだとしても病気の完治を望んだりするもんじゃないのか? そんな風に実の娘の死を願う事なんてあるんだろうか? と疑問を呈しても麻倉は「人間は複雑なのよ」と諭す様に笑顔で答えるのみだ。

 

「まあ本心は本人にしか分からないし、くよくよ考えてもしょうがないよ」

 

 やや諦めの混じった笑顔で強引に打ち切られた。

 確かにこいつの家族の事情なんざアタシにはどうしようもないし、考えても仕方ないか。

 

「そっか……あー、その、なんだ……よく知りもしないのに極悪人って決め付けちまって悪かったな」

 

「えっ、信じてくれるの?」

 

 麻倉はさも意外そうに、キョトンとした顔で返してきた。

 

「……なんだ? 今話したの全部嘘だったのか?」

 

「違う違う! わたしの病気がうつったりしないとか乱暴されそうになった時の事とか、今まで誰も信じてくれなかったから驚いただけ!」

 

 まんまと騙されたのかと思い、低めの声で麻倉に問いかけると、手をわたわたと振りながら弁明し始めた。

 こいつの今迄の人間関係が如何に悲惨だったのかと哀れみを感じて、一瞬だけ湧いた怒りも霧散してしまった。

 

「ごめんね、紛らわしい言い方しちゃって……」

 

「あー……気にしてないから別にいいよ。アタシもアンタを早とちりで勘違いしちまってたし、だからって訳じゃないけど恋人ごっこに付き合ってやるよ」

 

 麻倉の慌てぶりと涙目になりながら謝る姿からして嘘ではないんだろう、と思うアタシも少々単純すぎるだろうか。

 

「よかったあ、嫌われちゃったかと思っちゃった。それじゃ改めてよろしくね、シアちゃん」

 

 目元を服の袖で拭って、笑顔で手を差し出してきた。

 

「ん-……ああ、よろしく。麻倉」

 

 あまり、と言うか全く気は進まないが、少しは合わせてやろうと返事をして手を握り返そうとすると、麻倉は不満気な顔で手を引っ込めアタシの手は空を掴んだ。

 

「恋人同士なんだし、真依って呼んでよ」

 

 名前なんざ互いを識別する記号程度のもんだし、呼び方なんざどうでもいいだろうと返したが、麻倉は頑として譲らない。

 面倒臭いやつだなあ。

 

「……はぁ。分かったよ、真依」

 

 押し問答するのもかったるいし小さく溜息をついて名前を呼ぶと、麻倉は満面の笑みでアタシの手を両手で握り満足そうに何度も頷いた。

 こいつの考えた名前を呼ばれても何の感慨も無かったし、何がそんなに嬉しいのかアタシには全く解らない。

 

 麻倉の喜色に染まった顔とは真逆に、アタシは暗澹たる気分で満たされていく。

 気分の悪い話を聞かされて、おまけに頭のネジが何本か外れてそうな奴と恋人ごっこをする羽目になるなんてな……。

 しかも女同士でだってんだから、たまったもんじゃない。

 

 いつもと同じパターンだろうと高を括って、軽率に行動してしまった自分を呪わずにいられなかった。

 次からは獲物はしっかり吟味しよう……。

 

 まったく、何でこんな事になっちまったんだ。

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