「しかし、恋人ったって何すりゃいいんだ。アンタも入院中じゃ何も出来んだろ」
「うーん、取り敢えず毎日じゃなくてもいいから、会いに来てくれて話し相手になってくれれば十分かな」
ベッドの上でニコニコと微笑む麻倉に問いかけると、予想外の答えが返ってきた。
そんなんでいいのか。突拍子もない変な要求されないだけ楽でいいけど。
「ねえねえ、シアちゃんのこと教えてくれない? 歳とか住んでる場所とか家族構成とかスリーサイズとか色々!」
「最後のは何なんだ、そんなもん測ったことねーよ。歳は数えてないから覚えてないし住所も不定で家族もいない」
「じゃあどこから来たの? 昔からこの街にいるの?」
「この街に来たのは1年ちょっとぐらい前かな。昔自殺の名所とか呼ばれてる崖の下で目が覚めて、近くの集落に暫く住んでたよ。そこの連中は全員死んだからな、残っててもしょうがないし色んな街を渡り歩いてるよ」
「その前の事って何も覚えてないの? もしかして記憶喪失?」
「覚えてることは覚えてるけど、聞いて楽しくなる話でもないぞ」
釘を刺したが何を期待してるのか、それでも聞きたいと麻倉はせがんでくる。
後で期待外れだったとか文句言うなよ? と前置きをして話を始めた。
――アタシが覚えてるのは、集落の連中に殺された人間の死ぬ前の記憶だ。
集落の連中に崖から突き落とされた者、袋叩きにされて崖下に投げ捨てられた者、猟銃で腹を撃ち抜かれもがき苦しみながら死んだ者。
崖から落とされても奇跡的に命が助かった者もいたが、そのまま集落の連中に殴り殺されていた。
大き目の石を拾い上げ、容赦なく振り下ろした時の面倒臭そうな顔は妙に印象に残ってる。
心霊やオカルトが流行ってた時代だったせいか、ホラースポットの噂を聞きつけて観光気分で訪れる人間に対して、見守りと案内を買って出て付いて行って殺していたってわけだ。
自殺者の霊が仲間を求めて引き摺り込もうとすると脅かしたり、崖に向かう道中に自殺を思い止まらせる文言を書いた立札をいくつか設置しておきながら、自分たちが連続殺人犯だってんだから笑える話だ。
自殺の名所と言うのも、集落の連中が自分たちで流した与太話だった。
「酷い……何でそんなことしてたの?」
「金のためだよ。噂を聞いて遊びに来た連中から金目の物を取って山分けしてたのさ」
とは言え物見遊山に来た連中が持ち歩く金なんてたかが知れてる。
十軒ほどの小さい集落だったとは言え、十等分すれば一軒当たり数百から数千円程度だ。
子供の小遣い程度の僅かな金のために大勢殺していた、ドブネズミのクソにも劣る連中だったな。
集落の連中も訪れた人間全員は殺さず、一切手を出さず無事に返すこともあった。
そうして生きて帰った人間が現地の様子を吹聴し、更に広まった噂を聞いた新しい犠牲者が訪れるって寸法だ。
警察も山奥の捜査が面倒なのか費用が惜しいのか、全て死体の見つからない行方不明で処理していたようだ。
崖の下も集落の人間しか知らない抜け道を通らないと辿り着くのも難しいから、そのせいもあるかもしれない。
「そんな人たちと暮らしてて、よく無事だったね……」
「連中も何回かアタシを殺そうとしてたよ。目が覚めた時に丁度集落の連中が死体漁りしてたから、口封じしたかったんだろうな。崖の上に連れて行かれて突き落とされたぜ。残念ながらアタシは頭を潰そうが全身を挽肉にしようが死なないけどな」
それから集落に戻ると、アタシが足を踏み外して落下したということにして、心配していたとか無事で良かったとか白々しく抜かしていたっけ。
同じ手は通用しないと思ったのか、次は毒入りの茶と饅頭を寄越したが、少し気分が悪くなって血を吐いた程度で当然死ぬことは無かった。
加えてアタシは人間基準で言うと、怪力の部類に入る程度の腕力が有る。
毒入りの茶を淹れていた湯呑を握り潰すと、慌てて必死に申し開きをしていた。
そこで直接手を下すことは諦めたのだろう、連中はアタシを神様とか呼び始めて遜るようになり、住処として8畳程度の狭い仏堂を宛がわれた。
祀り上げてしまえば自分たちに危害を加えることも無く、手元に置いておけば自分たちの悪事が外部に漏れることも無いし、どんなに頑丈な体でも食料を与えなければ何れ餓死するとでも考えたのだろう。
しかし、一週間経っても一ヶ月経っても死なないどころか、衰弱する様子すら見られないことから連中は本格的にアタシを恐れ始めた。
「ちょっと待って、集落の人たちがみんな死んじゃったのって、もしかして……」
困惑した表情の麻倉が口を挟んで、途中で言い淀んだ。
もしかして、何だってんだ? と少し考えて何を言いたいのか察した。
「ああ、アタシが殺したわけじゃないよ。誰かが変な病気に罹ったみたいでな、全員にうつって御陀仏さ」
連中が流したデタラメとは言え、自殺の名所として地名が広まったせいか本当に自殺をした者もいる。
大方不治の病に冒されて自殺した者からうつされて、集落に広まったのだろう。
「人間を殺したこともねーな。一思いに楽にしてやるより、少しでも長く苦しませた方が楽しいしな」
麻倉は一筋の冷や汗を垂らしながら引き笑いを浮かべた。
何よりも本能の様なものか、もし一度でも人間を殺せばタガが外れて歯止めが効かなくなるだろうことを漠然と感じる。
病気が広まってからは中々に面白かった。
大勢殺してる連中だから、黒い靄が出始めたのは当然の事だった。
はした金しか得てこなかったせいか入院費用を捻出することが出来ず、半分以上が死んで次は我が身かと怯える連中に願い事を叶えてやると声をかけてやった。
当然死ぬ運命の者の病気は治らず、自分達が助からない現実を突きつけられた絶望は如何ほどの物だったろうか。
ほんの数分前までアタシのことを神様仏様と呼んでいたのに、逆上して鬼だ悪魔だ疫病神だと掌を返して罵ってきたのは本当に傑作だった。
その内の一人が使い切れない額の金をくれと言ったので叶えてやったが、恐らく医者に掛かっても手遅れだっただろう。
「で、それからあっちこっちほっつき歩いてるってわけだ」
「そうなんだ……ごめんね、嫌なお話させちゃって」
随分と簡単に信じるんだな。
てっきりホラ吹き扱いされるかと思ったが。
「別に何ともないから気にすんな。身の上話なんてしたこと無かったから、ちょっと新鮮だったよ」
「でも、話してる間ずっと物凄く怖い顔してたよ……?」
麻倉が少し怯えた表情で答えた。
マジか、全然意識してなかった。麻倉が簡単に信じたのはそのせいか。
殺された奴らの死ぬ前の記憶が有るあたり、多分死者の怨念が集まってアタシが出来たんだろう。
そう考えると、集落の連中への恨みが精神の奥底に残ってるのかもしれないな。
尤も復讐するべき相手は全員死んだし、今更何をすることも出来ないが。
何より多数の死者が出ている場所に、面白半分で訪れるような奴らに同情する気は欠片も無い。
「もしかしたら、病気が治ってどこかで生きてるかもしれないよ?」
「ああ、そりゃ無いな。あの時で一番若いやつでも40半ばぐらいだったし、もし治ってても老衰で死んでるだろ」
「えー、それって何十年前の話? もしかしてシアちゃんって結構なお婆ちゃんなの? ロリババアってやつ?」
「ロリってほどガキでもないだろ、ババアなのは否定しねーけど。自販機の缶ジュースが一本100円で買えてた頃だし昭和の中頃かね。アンタの両親より長く生きてるのは間違いないよ」
怯えたような表情から一転して、楽しそうに笑いながら問う麻倉に答える。切り替え早いな。
長く生きてるとは言ったが、全身がバラバラになっても死なないし年も取らないんだから間違い無く生物ではないよな。
つうか、小学校の低学年ぐらいのをロリって言うんじゃないのか?
アタシの認識が間違ってるんだろうか。
「年上とは聞いたけど、想像以上の年の差カップルね」
「差があり過ぎだろ、ババアでもいいとか見境い無いのかアンタ」
「素敵な恋人ができてわたしは嬉しいよ。それにシアちゃん凄い美少女なんだから、もっと自信持っていいよ!」
「アタシはアンタの御眼鏡に適う見た目だったことが呪わしいよ」
別に謙遜でも卑下してる訳でもない。
ただ単に自分のツラの出来なんぞに興味が無いだけなんだが、こいつには言っても通じなさそうだ。
「照れなくていいのにぃ。それでそれで、普段は何してるの?」
アタシの悪態を気にもせず、相変わらずニコニコしながら質問が続いた。
「適当にぶらぶらしてるよ。図書館行って本読んだり、アンタみたいに死期が近い人間がいないか見に来たり、気に入らない奴がいたらぶん殴ったり」
「殴……ええぇ……気に入らない奴って、例えばどんな人?」
麻倉が少し怯えたような声を出した。
「カツアゲしてる奴とか迷惑がられてるのにしつこくナンパしてるような奴とか、そんなしょうもない連中だよ」
「あっ、人助けしてるんだ」
やや鼻白んだ麻倉の顔が一転して明るくなった。
いや、そうはならんやろ。変なバイアスかかってないか。
「そんな殊勝なもんじゃねーよ、ああいう自分は何をしても許されるって勘違いしてる、イキった連中をボコるのが好きなだけだよ。正義感みたいな気持ち悪いもんは欠片も無いし」
「でもそれで助けられてる人もいるし、やっぱり人助けってことでいいんじゃない? 暴力は……良くないと思うけど、そんなに強いなら何かあった時に心強いかな」
都合よく解釈するやつだな、脳みそお花畑か。
馬鹿正直に話さずに小さい子供を虐めて回ってるとでも言えば良かったか。
「何かって病院の中で何があるってんだ。命を狙われてる訳でもあるまいし」
「激しい運動は出来ないから、もし出掛けてる時に怖い人に絡まれても走って逃げたり出来ないの。でもシアちゃんが守ってくれるなら安心かなって」
「そんな有様じゃ病院からも出られないだろ、変な夢を見てないで大人しく寝とけよ」
「少しぐらいなら外に出ても大丈夫だよ。寝たきりだと運動不足になるから、病院の中を歩いてるけど飽きて来ちゃったんだよね。でもシアちゃんと一緒なら隣の公園でお散歩出来そうだし」
ふーん、と適当に返事をして、隣の公園で何回かカツアゲやしつこいナンパを見かけたことを思い出した。
見かけたのは数えるほどだったが、取り敢えず全員叩きのめしてやったっけ。
「ま、アンタが散歩してる時にそんな連中がいたら張り倒してやるよ」
「悪い人が嫌いなのは仕方ないけど、暴力はダメだってば。ちょっと脅かして追い払ってくれるだけで十分だよ」
「別にアンタのためでも小悪党が嫌いなわけでもないし、むしろ大歓迎だよ。さっきも言った通りそういう奴らをぶん殴るのが楽しいだけだ。それにこのナリじゃ脅しなんて効かないしな」
アタシの見た目は十代半ばで身長は140ちょっとしかない。
こんなんじゃチンピラやヤンキーどもを脅すどころか、ちょっと生意気な小学生にも舐められるだろう。
「うーん……じゃあ、せめて殴るのは最後の手段にして! ね? お願い!」
麻倉は両手を合わせて縋る様に懇願してきた。
こりゃしつこく食い下がりそうだな。
「へいへい、分かったよ」
「良かったぁ、話せば分かってくれるって信じてたよ」
押し問答が面倒になって適当に返事をすると、麻倉はホッと胸を撫で下ろし安堵の笑みを浮かべた。
自分に危害を加えようとする人間の心配をするとは、どこまで御人好しなんだか。
呆れていると不意に病室の扉がノックされ、麻倉が返事をすると扉が開かれた。
「失礼しまーす。今から担当交代しますね。あら? 珍しいわね、お友達かしら? こんにちは」
「こんちは」
30手前ぐらいか、若い看護士が微笑みながら挨拶をしつつ部屋に入ってきた。
看護師に顔だけ向けて一声かけた。
アタシを見て珍しいと言うのは、友達と思わしき人間が見舞いに来るのが珍しいのか、それとも見舞いに来る人間がいることが珍しいのか、どちらだろうかと穿った考えが浮かんだ。
「はーい、よろしくお願いしまーす。あ、この子はシアちゃんって言ってわたしの……恋人なんです」
「ぉおい! 何言ってんだ!」
幸せそうな顔で突飛なことを言う麻倉に思わず声を荒げた。
「えっ……あはは、麻倉さんもそんな冗談言うのね。ほら、お友達も困ってるじゃない」
「えー、別に隠すことでもないんだし、別にいいじゃない」
「隠すことだろうが! それは!」
「えっ」
あ、やべっ。
アタシの剣幕に看護師が凍り付いた。
麻倉の言ってることが冗談ではなく、本気だと伝わってしまったようだ。
くそお、アタシだって好き好んでこいつの恋人になった訳じゃねえよ。
少し間を置いて我に返った看護師は、体調や体の痛みは十段階中どれぐらいか等のテンプレ的な質問を始めた。
「それじゃ若い二人のお邪魔しちゃ悪いし退散しましょうかね。何かあったら呼んでね」
「はーい」
応答が終わると看護師は冗談めかして言って部屋から出て行った。
随分と気軽なやり取りだし、何回も入退院を繰り返してるって言うし長い付き合いなんだろうな。
「アンタなあ、変なこと言うなよ。さっきの看護師ちょっと引いてたじゃねーか」
「それ位いいじゃない、この街にずっといる訳じゃないんでしょ? 旅の恥は書き込めって言うしさ。そんなことより、もう交代の時間なのね」
書き込んでどうすんだ、かき捨てだろうが。なんで一時の恥を一生残る恥にせにゃならんのだ。
ゲンナリしながら麻倉の呟きにつられ時計を見ると、午後5時を回っていた。
「んあ? 何か予定があるなら帰るぜ」
「ううん、何も予定は無いからゆっくりしていって。もうすぐ晩御飯の時間だけどシアちゃんはどうする? 何か食べたい物ない? 御馳走するよ」
「何もいらない。食わなくてもいいし、金なんて持ち歩いてないしな」
「遠慮しなくていいのよ? 一階にコンビニと食堂があるんだけど、ここの食堂のご飯は美味しくて病院の外からも食べに来る人が結構多いんだよ」
「遠慮してる訳じゃないよ。さっき話したろ? 何も食わなくても死なないから食事を取る必要はないし、ここから飛び降りても何ともない。実践してみようか?」
病室の窓に近付き開け放つと、夕刻の冷たい空気が部屋に流れ込んで来た。
風に揺られる髪が鬱陶しいことこの上ない。自分で切ってもすぐに元に戻るから、こればっかりは不便だ。
背中に風を浴び、髪をなびかせながら窓枠に腰かけると麻倉は慌てて制止の声を上げた。
「えっ、ダメダメダメ! ここ六階だよ!? 死んじゃうよ!」
「だから死なないっての。さっきも五階から飛び降りたばっかだよ」
「でも次は死んじゃうかもしれないじゃない! お願いだから止めて!」
ベッドから降りて今にも泣きだしそうな顔で必死に呼びかけてくる。
悪人が慌てふためく様を見るのは楽しいけど、特に瑕疵の無い人間じゃ面白くもない。
余計なお世話とは言え、アタシのことを気遣ってるとなると尚更だ。
「はあ、わかったよ」
窓を閉めて椅子に座り直すと、麻倉もよろよろとベッドに腰を下ろして大きく息を吐いた。
「もう……意地悪しないでよ……」
「アンタが痛い思いするわけでもないし別にいいじゃんか」
「本当に死なないにしても痛い思いなんてして欲しくないし、そんなの見たくないよ」
「はん、お優しいこって」
「それが普通だよ……誰だって好きな人が酷い目に遭うのは嫌だよ」
小馬鹿にした様に言ったが、麻倉は怒りもせずに諭そうと語りかけてきた。
そういう契約はしたが、本当に好きなわけじゃないだろうに。
「とにかく! もう二度と飛び降りたりしようとしないでね! シアちゃんが死んじゃったら悲しいもの……」
「へいへい、すいませんでしたねっと」
肩をすくめて捻くれた悪ガキのような態度で返事したが、麻倉はニッコリと笑って満足気に頷いた。
アタシは死なないって教えてやったのに、変なことを心配するやつだ。
――けど、次は死ぬかも、か。
並の人間ならとっくに死んでる目には何度も遭ってきたから気にしてなかったが、いつか死ぬ時が来るんだろうか。
まあ、そんなことを気にしても仕方ない。死んだら死んだでその時だ。
アタシが死んで喜ぶ人間はいても悲しむ奴はいないし、別にこの世に未練があるわけでもない。
「ね、それより晩御飯!」
アタシの思案をよそに麻倉は晩飯の方が大事なようだ。切り替え早すぎないか?
「いや、だから食う必要は……」
「でも食べられない訳じゃないんでしょ? 一人で食べるの寂しいから一緒に食べよ? ね? お願い!」
アタシの言葉を遮って、麻倉は両手を合わせて縋る様な目で懇願してきた。
こりゃ何を言っても引き下がらなさそうだ。
諦めて承諾すると、麻倉は早速食堂に注文しに行こうと言い出した。
見舞客が患者と一緒に食事を取れるように、態々病室まで料理を運んでくれるらしい。
ややふらつきながら歩く麻倉に付き添って廊下に出ると、手を繋いで行こうと手を握られた。
振り解こうとしたが、何故か力が入らず手を軽く揺する程度に留まった。
おかしい、本気を出せば人間の手なんざ綿のように握り潰せるのに、全く出来そうにない。
もしかして契約した人間には力負けして、手出し出来なくなってしまうのか?
うぅむ、自分の能力を把握できてないとは何て間抜けな話だ。
まあ麻倉と殴り合いの喧嘩なんてすることは無いだろうし、問題は無いか。
ふと、さっきのヤクザのおっさんのことが脳裏に浮かんだ。
骨折を治す契約を結んだ以上は、あいつに腕力で勝てなくなるのだろうか。それはあまり面白くないな。
まあ、アタシを探すにしても病院内をうろつくことも無いだろうし、死にかけの人間が街中まで出るのも無理だろう。
少々の懸念は残るが、気にする程ではないか。
考えを巡らせているとエレベーターは一階に着き、麻倉に手を引かれ食堂に向かった。
「ねね、何にする? 食べたい物ある? 料理担当の人は二人いて和食と洋食で交代でやってるんだけど、今日は和食の日みたいね」
「何でもいい、任せるよ」
毒饅頭を食って以来、何も食ってないから何がどんな味がするかも知らないし、どんな味が自分の好みなのかすら分からない。
毒饅頭すらどんな味だったかも覚えてないし、そもそも味覚が有るかすら怪しい。
改めて考えると、自分のことなのに分からないことだらけだな。
思わず自嘲の笑みが浮かびそうになった。
「何でもいいが一番困るのよね~」
まるで自分が作るかのように嬉しそうに言いながら、ホワイトボードに書かれたメニューを眺めている。
しばし悩んだ後、麻倉はカウンターに向かい料理を注文して病室を伝え、こちらに戻ってきた。
何を注文したのか聞いたが、届いてからのお楽しみと答えるのみだ。
食堂を出てエレベーターの到着を待っていると、物々しい雰囲気でロビーにストレッチャーが運び込まれてきた。
ストレッチャーの上で気を失っているのは、さっきのヤクザのおっさんだ。
アタシを追いかけて外に飛び出して、それからぶっ倒れたわけだ。
ふん、いい気味だ。懸案事項があっさり片付いたな。
エレベーターをストレッチャーに譲り、次に到着したエレベーターに乗り麻倉の病室に戻った。
病室に入って程なくして、まるで行動を監視されてるのかと思う程にタイミングよく、先程の看護師が食前に飲む薬を持ってきた。
どんだけあるんだこりゃ。薬の飲み過ぎで逆に体調が悪化するんじゃないのか。
麻倉が悪戦苦闘しながら薬を飲み終えると、見計らっていたかのように食事が運ばれてきた。
……割とマジで監視されてるんじゃないのか?
麻倉は室内のテーブルに食事を置くように頼み、互いに向き合って席に着いた。
「いただきまーす。シアちゃんの今日のご飯は天丼でーす! あっ、お箸は使える?」
「馬鹿にしてんのか。箸の持ち方ぐらい知ってるわ」
得意気にアタシの前に置かれた丼の蓋を取った麻倉の質問に見得を切ったはいいが、初めて持つ箸が上手く扱えない。
あれ? これ意外に難しいぞ。
死んだ人間の記憶の賜物か、誰からも習うことなく文字の読み書きが出来たから、箸も問題なく扱えると思っていたんだが。
麻倉はアタシの苦戦を見てくすくすと笑っていたが、流石に見かねたのか手を添えられてレクチャーが始まった。
暫しのレクチャーにより箸の扱いは何となく分かったが、いまいち力加減が上手く行かず口に運んだ料理が狙いを外し頬や鼻に当たる。
「食べるの下手ねえ。ほら、お弁当付いてるよ」
楽しそうにも呆れているようにも見える笑顔で、麻倉はアタシの頬に付いた米粒を指先で摘まみ取って自分の口に運んだ。
気恥ずかしさと悔しさで、無言で飯をかき込んだ。
なんだか顔が熱を帯びてきたような気がする。もしかしたら顔が赤くなってるんだろうか。
……くそお。
一方で麻倉は額に汗を浮かべつつ、息を荒げながら食べ進めている。
余裕そうに見えて、食事にも苦労するほどに重症なのだろう。
死がすぐそこまで迫っているし当たり前か。
「ふう、ご馳走様でした。どうだった? 美味しかった?」
「んー、まあ美味かったよ」
具材の質の良し悪しすらも分からないが、味覚が正常に機能していることは少々意外だった。
期待の篭ったキラキラとした眼差しを向ける麻倉の質問に答えると安堵の表情を浮かべたが、アタシが「いただきます」と「ごちそうさま」を言っていないと不平を申し始めた。
なんでそんな事を言わなきゃならんのだと反論しそうになったが、問答も面倒なので次からは気を付けると述べると、意外そうな表情で引き下がった。
こりゃ大人しく従う振りして適当にあしらうのが賢明か。
食事を終えて少し間を置いて、先程の看護師が食前と同じほどの量の飲み薬を持って再び現れた。
麻倉が食べた夕食の量を確認して、完食していたことに驚いていた。
どうやら普段は半分以上を残していたらしい。
麻倉は少しでも元気になるためだと意気込んでいるが、果たして効果はあるのか。
「さっきの人、大丈夫かなあ」
大量の薬を飲み終え、リクライニングで起こしたベッドにもたれていた麻倉がポツリと呟いた。
「さっきのって食堂から戻るときに運ばれてた奴か? 心配しなくてもあいつなら近い内に死ぬぞ」
怪訝な顔をした麻倉に昼間の出来事を説明してやると、不可解そうに眉を顰めた。
「いくら悪い人だからって、そんな酷いことしちゃダメだよ……。そんなこと止めようよ」
「何が酷いもんかよ。アンタと違って何人も殺してる外道だぞ? あいつがやってきたことに比べりゃ、骨の二、三本なんざ可愛いもんだろ。大体死神のアタシに何を期待してるんだ」
適当に選んだ靄の出ない人間の願い事が叶うか、過去に何度か試してみたが当然何も起こらなかった。
死にかけの悪党の願いを叶えて、無辜の人間に迷惑をかけて害悪を振りまくのがアタシの存在意義なんだろう。
集落の連中に殺された人間の恨みが、無関係な人間にも矛先を向けているのかもしれない。
尤も大人しくそんなものに従うのも癪だから、真逆のことをして遊んでるんだが。
「そんな寂しい理由でシアちゃんが生まれたんじゃないと思うよ。悪い人を懺悔させて改心するチャンスをあげるためとか、多分そう言うのじゃない?」
「それで心を入れ替えて、何もかも赦された気になって安らかな心持ちで死ぬってか? 冗談じゃねえ。殺された人間は生き返らないし、人生をぶち壊されて死ぬより辛い思いをした人間だって元の生活には戻れねえんだぞ?」
大人しく従う振りをすればいいんだろうが、アタシの生まれ持った物に自分の意志で逆らうと決めたことを否定された気がして、妙に苛立ちが湧いてきた。
こいつのお人好しを通り越した、偽善者じみた物言いにもイラつく。
「アンタがアタシにどんなイメージ抱いてんのか知ったこっちゃねえし、恋人ごっこに付き合ってやるとは言ったが理想像を演じてやる積もりまでは無いからな? アタシが何者なのかは自分で決める。余計な口出しすんじゃねえよ」
軽く睨んだが、麻倉は物怖じもせずにじっと見据えてくる。
「どうしても止めさせたいなら、力ずくでやればどうだ? 今なら契約のせいか腕力でアンタに勝てなくなってるみたいだしな、サンドバッグに出来るぜ?」
挑発してやると麻倉の目が悲哀に染まるが、尚も目を逸らさない。
そのまま暫し無言の睨み合いが続いた。
――面倒くせえ。
「ハァ、わかったわかった。アンタが生きてる間は止めといてやるよ」
「えっ、ちょっと、どこ行くの!?」
根負けした振りをして、言いながら出口に向かうと麻倉が狼狽えた声を上げた。
「この病院の面会時間は8時までだろ。もう時間過ぎてる」
時計を指差すと午後8時を10分ほど過ぎていた。
「えっと、その……無理にとは言わないから、もしよかったらまた来てね」
「……考えとく」
部屋の外に出ようとすると、懇願するような声がかかった。
背を向けたまま返答し、そのまま振り返らずに室外に出た。
エレベーターで一階に降り、正面玄関は施錠されているので時間外通路を通り、病院の外に出て公園に向かう。
「……何なんだあいつ」
公園のベンチに腰掛け、ぽつりと口から漏れ出た。
こんな時間でも懐中電灯を片手に、ジョギングや犬の散歩をしている者がいる。
時折目の前を通るそいつらがかけてくる挨拶に、煩わしさを覚えながらも挨拶を返す。
不審者や家出少女扱いされて警察を呼ばれるのも面倒だ。
胸にモヤモヤしたものを抱えたままベンチに深くもたれて天を仰ぎ見る。
アタシの心中とは真逆に、雲一つ無い空には無数の星が煌めいていた。