死神娘の苦悩   作:山葵炭酸水

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 車窓の外に目を向けると、徒歩とは比べ物にならない速度で景色が流れていく。

 文明の利器には感心するね。

 これまでは移動は徒歩のみで車等の乗り物に乗ったことは一度もないと言ったら、麻倉は大袈裟に驚いていた。

 

 病院を出発して30分ぐらいは経っただろうか、目的地に到着し、支払いを済ませて降車する。

 

「なんだここ、水族館?」

 

 街の中心部からはやや離れた場所で、この近辺には殆ど近付いたことは無かった。

 

「うん、ここ結構人気なんだよ。ペンギンとかイルカとか可愛いよ」

 

「はぁー、興味ねえ。魚とか飛べない鳥なんか見て何が楽しいんだ」

 

 入ってみれば意外に楽しいよ、とアタシの悪態も笑って流され、入場ゲートをくぐった。

 まったく、ガキじゃあるまいし誰がこんなので喜ぶかよ。

 

―――――

 

「うおお、はやっ! はええ! 何だこいつ、すげー速いぞ!」

 

 ペンギンが水槽の中を所狭しと泳いでいるのを見て、思わず驚嘆の声が出てしまった。

 こいつはペンギンの中で特に泳ぎの速い種類らしい。

 周囲を泳ぐ魚の何倍ものスピードで駆け巡る姿は、精巧に作られたラジコンを飼育員が動かしているんじゃないかと疑ってしまう。

 

「ねえねえ、他のも見てみようよ」

 

 呆気に取られてペンギンの泳ぎを目で追い続けていると、麻倉に手を引かれた。

 

「うお、でっか! これ本物か!? 本当はガキンチョに着ぐるみ着せてるんじゃねえのか?」

 

 大きさはまちまちだが、ガラスの向こうにいるペンギンで一番でかいのはアタシと同じぐらいの大きさがある。

 いくらアタシの背が低いとは言え、鳥なんかと大差ないとは思わなかった。

 さっきのやたらと速く泳ぐペンギンの何倍もある巨体で、腹を使って床を滑る様は同じペンギンとは思えない程だ。

 

「こっちにはチンアナゴがいるよ! チンだよチン! チンのアナゴだよ!」

 

「若い女がチンを連呼すんじゃねーよ!」

 

 一緒にいるのが恥ずかしくなってくるんだが。

 麻倉が指差した水槽の砂底から、細長い生物がニョロニョロと顔を出している。

 やたらと可愛いと連呼しているが、アタシには何が良いのかよく分からん。

 まださっきのペンギンの方が見てて面白いんだが。

 

 館内を一通り見て周った頃に、10分後にイルカのショーが始まる旨がアナウンスされた。

 ショーを見に行くのかと聞く間もなく、手を引かれて会場に向かった。

 

 平日だというのに会場の席は半分以上埋まっており、適当に空いてる場所に座り、暫し待つとステージ上に係員が現れ口上を述べ始めた。

 口上が終わると、音楽と共にステージと観客席の間にあるプールに数頭のイルカが現れ、アクロバティックな動きで芸を披露し始めた。

 ほー、大したもんだな。言葉も通じないのに、よくこれだけ芸を仕込めるな。

 

 一通りの芸が終わり、ステージに現れた係員の挨拶に合わせて拍手が起こった。

 イルカ達は会場を去る観客を見送るように、プールの水面から顔を覗かせていた。

 

「凄かったね! イルカ達もすっごく可愛かったね」

 

「そーね」

 

「アザラシも可愛かったよね! 丸々してて寝顔も幸せそうで」

 

「そーね」

 

「……ペンギンも可愛かったよね! あの羽をパタパタしながら歩くのとかお腹で滑ったりとか」

 

「そーね」

 

 適当に返事をしていると麻倉は急に立ち止まり、手を繋いでいたせいでつんのめってしまった。

 

「もう! 何よ! 折角のデートなのに!」

 

 麻倉が怒りの声を上げ、周囲の来館客の好奇の視線が集まる。

 何組かがあからさまに歩くスピードを落としたり、立ち止まって面白そうにこちらを見ている。

 何なんだこいつら、野次馬根性出してないでさっさと消えろよ。

 

「んだよ、ノリが悪いぐらいでそんなに怒んなよ。付き合ってやるだけいいだろうが」

 

「えっ? シアちゃんずっと機嫌良さそうだったし、楽しんでくれてると思ってたけど」

 

 麻倉を宥めようとすると、アタシがてんで見当外れなことを言っているかの様に、キョトンした表情で答えた。

 

「はあ? じゃあ何がそんなに不満なんだよ」

 

「そう、それ! わたしはイルカが可愛かったって言ったよね?」

 

「あ? ああ」

 

 麻倉は再び目に怒りを宿らせ、こちらを見据えながら怒気の籠った声で話し始めた。

 

「ペンギンもアザラシも可愛かったって言ったよね?」

 

「お、おう」

 

「だったら! 肩に手を回したり、こういう風に両手を握ったりして!」

 

「お、おい。真依? 真依さん?」

 

 アタシの両手を掴み、胸の辺りまで持ち上げて距離を詰めてくる。

 顔が近えよ。おまけに妙に目が血走ってないか。

 

「お前の方が可愛いよ♡って言う流れでしょぉーが!」

 

「はああ!? 何言ってんだアンタ! 頭イカレてんのか!」

 

 いや、ほんと何言ってんのこいつ?

 頭のネジが何本か飛んでそうだとは思っていたが、余りにも予想外だった。

 

「どうしてよ! こういう可愛い生き物がいる場所でデートする時のお約束でしょ! だから水族館を選んだのに!」

 

「そんなお約束聞いたことねーよ! ネットに毒され過ぎだろ!」

 

「むぅー、いいじゃない。昔からの夢だったからさぁ。ね? お願ぁい」

 

 さっきまで怒り顔はどこへやら、急に猫撫で声で懇願し始めた。

 情緒不安定にも程があるだろ。やっぱこいつ頭おかしいぞ。

 

「いいじゃねえか嬢ちゃん。それぐらい言ってやれよ」

 

 野次馬の中の夫婦らしき中年の夫の方が囃し立ててきた。

 うるせーよ、部外者は引っ込んでろ。

 なんか「間に挟まりてー」とか言ってるドアホまでいるし、この国はどうなってんだ。

 

 うう、どうすりゃいいんだ。

 契約のせいで手を振り解くことも出来ない。

 こいつが諦めるまで根比べするか?

 それだと諦めるまでずっと、この羞恥に晒されなきゃならんのか。

 

 ……言うしかないのか。

 

「あーくそ! 分かった、分かった。言えばいいんだろ、言えば!」

 

 アタシの諦めの声に麻倉は期待に顔を輝かせ、野次馬が「おおっ」と声を上げた。

 面白がってんじゃねーよ、くそったれどもが。

 

「えっと……。お、お前の方が、か、可愛い……よ……

 

「ぜんっぜん聞こえない! もっと大きな声で!」

 

 必死に絞り出した声にダメ出しをされ、リテイクを要求される。

 勘弁してくれよ、泣きたくなってきたんだが。涙なんてものが出るのか分からんけど。

 チクショウ、もうヤケだ。

 

「お前の方が! 可愛いよ!!!」

 

「ありがとう、シアちゃんもすっごく可愛いよ♡」

 

 半ば叫ぶように言い終えると、麻倉は天にも昇る様な至福の笑みで礼を述べ、野次馬が小さく歓声を上げた。

 何で無理やり言わせたのでそんなに喜んでんだよ……。

 地獄の底で責め苦を受けてるような気分だ。

 

「やったな嬢ちゃん!」

 

「ありがとうございます! わたし達幸せになります!」

 

 野次馬どもから祝福され、麻倉は嬉しそうに礼を言っている。

 

 何なんだ、この茶番は?

 

「なあ……。こいつらもしかして、アンタが雇ったフラッシュモブか何かの類か?」

 

「ううん、違うよ。みんな普通に通りすがりの人たちだよ?」

 

 マジかよ。こいつら全員イカレてるだろ。

 頭がおかしいのは麻倉だけかと思ったが、偶然居合わせただけの連中までもが同類なのかと思うと目眩がしてきた。

 やべーなこの国。もう終わりだよ。

 余りの出来事に項垂れていると、野次馬どもは「面白い劇だったね」とか「変わった出し物だな」等と口にしながら去って行った。

 

 ――何だ? 水族館の仕込みとでも思ってるのか?

 ああ、だから麻倉のイカレた言動も笑って観てたのか。

 だとしても相変わらず「間に挟まりてー」とか言ってる大ボケ野郎がいるし、やっぱりこの国は駄目かもしれん。

 

―――――

 

 レーンの上を流れる皿が時折ガチャガチャと音を立て、周囲の席からは大勢の話声が聞こえてくる。

 そんな耳障りな音も気にならない程に、疲労感に苛まれる。

 肉体的な疲労ではなく、精神的なものだ。

 

「ほらほら、大トロ来たよ。ウニと鰻も! あっ、このホタテ大きくてすっごい美味しそうだよ!」

 

 麻倉の楽しそうな声に反応する気も起きず、両腕をだらりと垂らしテーブルに顔を伏せたまま聞き流す。

 水族館を出てから、近くにある回転寿司の店に来ていた。

 チェーン店ではなく地元の水産会社が営んでいる店で、少々値は張るが味は良いらしい。

 

 ……が、そんなことはどうでもいい。

 

「どしたの? なんだか元気が無いけど。お寿司嫌いだった?」

 

 まるで心当たりが無いと言わんばかりの物言いに僅かに怒りが湧き、テーブルの端を掴んで体を起こした。

 

「アンタなあ……。あんな大恥かかされりゃ元気も無くなるわ」

 

 とぼけている訳でもなく本当に心当たりが無いようなので、さっきの狂った小芝居の苦情を告げると、やっとのことで合点がいったようだった。

 何で分かんねーんだよ。

 

「だーいじょうぶだって。みんな今頃はお昼ご飯のことで頭が一杯になってるって。それより食べようよ」

 

 その昼飯を食いに来た寿司屋に、さっきの野次馬が何組か居るから気が気じゃないんだが。

 それより、何で水族館で魚を観た後に魚を食いに来てんだよ。どういう神経してんだ。

 

「つーか、高い皿ばっか注文してるけど大丈夫なのか。アタシは一文無しだぞ」

 

 タクシーの代金も水族館の入館料も、全て麻倉が出している。

 ここの代金もそこそこの額に行きそうだ。

 

「平気だよ、小さい頃からお年玉は全部貯めてるからね。入院中に必要な物を買えるようにって、お父さんも結構お金くれてるし」

 

 得意気に胸を反らすが、明るい表情が一転して僅かに暗くなった。

 

「でも、お金よりも週に一回、……ううん、月に一回だけでもお見舞いに来てくれた方が嬉しいかな……。お父さん、仕事で忙しいから仕方ないけど」

 

 いつも頭空っぽの様に振る舞う麻倉が珍しく吐いた弱音に、こちらも一瞬言葉に詰まってしまった。

 

「そういや看護師もアタシがいたのを見て珍しいとか言ってたけど、母親とか弟は会いに来るんだろ?」

 

「お母さんも滅多に来ないかな……わたしの病気のせいで嫁いびりって言うの? お爺ちゃんや親戚から結構嫌味を言われてたみたいでね。昔、わたしのせいでごめんねって謝ったんだけど"今更どうしようもないから"って言われちゃって、それからちょっと壁が出来て話し難くなっちゃった」

 

 事実は別として、自分のせいじゃないと言って欲しかったんだろうな。

 暗い雰囲気を払拭しようと、いつもの弟自慢を始めることを予想して水を向けたが、思惑通りにいかず更に暗い話になってしまった。

 そう言えば、こいつと知り合ってほんの数日だが、弟が一度も顔を出してないのも気になるな。

 何か隠してるのか? かと言って弟が見舞いに来てイチャつかれても迷惑だけど。

 

「あー……、まあ母親もその時は参ってただけで本心じゃないだろ。本気でアンタのことを憎んでることは無いだろうし、そう悪い方に考えるなよ」

 

「……うん、そだね。ごめんね、変な話しちゃって。ささ、食べて食べて」

 

 能天気に見えても悩みは抱えていたのかと憐憫の情が湧いたが、その暗い表情も寿司を食い始めてからは、あっさりと身を潜めた。

 何となく麻倉の人となりを理解できていたような気になっていたが、言葉を交わし共に行動すると全くの見当違いだったと実感する。

 

 ――ほんっと、変な奴だ。

 

「ごちそーさん」

 

「えっ、もういいの? 遠慮しないでもっと食べていいよ?」

 

「アンタが食い終わったんなら長居する必要もないだろ。それよりそれだけで足りんのか。小学生でももっと食うだろ」

 

 既に10皿ほど食ったが麻倉はたったの3皿だけで、何が楽しいのかアタシが食うのを眺めている。

 医者から食べていい量と種類まで細かく決められているらしく、これ以上は駄目だということだった。

 アタシは元より食事の必要が無いし、延々と寿司を食い続けるだけというのも、時間が勿体無いだろうと説き伏せ、会計を済ませて外に出た。

 

「ねね、他にも行きたいところあるんだけど、いいかな?」

 

「構わないよ。どこでもお供しますよ、お姫様」

 

 アタシのふざけた口調も気にせず麻倉は小さく快哉を上げ、タクシーを拾って駅前へと行き先を運転手に告げて走り出した。

 10数分ほどで到着した駅は、新幹線も停車する駅だけあって人通りも多い。

 周囲にはコーヒーやファストフードのチェーン店や、ビジネスホテルに準備中の居酒屋など様々な店が立ち並んでいる。

 駅ビルの中には服飾品や宝飾品の店もあるし、ネット通販で買えない物でも買いに行くつもりなのか。

 

 手を引かれて駅ビルも周囲の店も素通りし、何故かビジネスホテルの前で立ち止まった。

 

「じゃ、入ろっか」

 

 ――?

 

「は? どういうことだ?」

 

「デートの後はホテルが定番でしょ? 本当はラブホテルに行きたかったけど、この近くには無いからビジネスホテルで我慢してね?」

 

 ――???

 

「いや、待て待て待て。おおお落ち着け、狼狽えるな早まるな冷静になれ考え直せ。まだ間に合うから落ち着け正気に戻れ」

 

 こいつの企みを頭が理解するのを拒否したがっているが、ここで負けたら取り返しのつかないことになってしまう。

 必死に意識を保ち早口で制止の言葉を並べるが、やはりと言うか聞く耳を持ちそうにない。

 

「シアちゃんこそ落ち着きなよ。心配しなくても大丈夫だって、何もしないから」

 

「嘘つけ! それ下心がある奴の常套句じゃねーか!」

 

「まあまあ、先っぽだけだから」

 

「ざっけんな! 何もしないって今言ったばっかだろうが! 大体何の先っぽなんだよ!」

 

 ヤバイヤバイヤバイ。

 頭がおかしいとは思ったが、ここまで狂ってるとは思わなかったぞ。

 どこでもお供してくれるって言ったじゃない、と麻倉は文句を垂れるが、まさかホテルに行くとか言い出すなんて思わないだろ。

 

「んー。じゃあ、通りすがりの人に助けてーって言ってみる? それぐらい嫌なら諦めるよ」

 

 冗談じゃねえ、人間なんかに助けを求めるなんて真似ができるかよ。

 そういうアタシの性格も見透かされているのか、挑発するかの様な笑みを浮かべている。

 

 結局声を上げることも出来ず、ホテルへと引き摺り込まれて行った。

 何でこんな目に遭わにゃならんのだ。アタシが何したってんだよ……。

 

―――――

 

 開け放たれた浴室の扉の奥から、浴槽に湯を溜める音が聞こえてくる。

 タオルをしまってある場所等を検めている麻倉は、機嫌が良さそうに鼻歌交じりだ。

 ベッドに腰掛けアタシは逃げ出す算段をつけようと必死に思考を巡らせるが、全く良い考えが浮かばない。

 この部屋の窓は突き上げになっている上に僅かにしか開かないので、窓から逃げるならぶち壊すしかないが、そんな悠長なことをしていれば間違いなく捕まる。

 ベッドは御丁寧にダブルベッドだし、ホテルもしっかりと予約を取ってやがったあたり、今日唐突に思い付いた訳ではなく計画していたデートコースとやらにここも入っていたんだろう。

 死期が近いのに、何でこんなに無駄に行動力有るんだよ……。

 

「それじゃ、お風呂入ろっか」

 

「い、いや、アタシはいいよ。一人で入りなよ」

 

「そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃない。銭湯とか温泉に入る様なものだよ」

 

 麻倉は当然首を横に振る。

 こいつが風呂に入ってる隙に逃げるしか手段は無さそうだが、やはりそう甘くはなかった。

 

「脱ぐのが恥ずかしいなら脱がしてあげよっか?」

 

 手をワキワキとさせながらにじり寄って来るのを見て、全身に悪寒が走った。

 

「い、いい! いい! じ、自分で脱ぐ!」

 

 震える手でボタンを外し脱ぎ始め、麻倉も服を脱ぎ始めた。

 どうすりゃいいんだ……さすがに全裸で外に飛び出す訳にもいかんし。

 不味い、どんどん退路が断たれていく。

 

「あれ? シアちゃんってノーブラ派? ちゃんと着けないと垂れちゃうよ?」

 

 こんなまな板より平らな胸がどうやったら垂れるんだよ、と軽口も叩こうにも口が上手く動かず言葉が出てこない。

 

「シアちゃんって幼児体型かと思ってたけど、腰もくびれててスタイルいいね。へー、下の方も真っ白なんだ。ところでこれどお? 勝負下着着けてきたよ。胸もDぐらいはあるよ! まあ、薬の副作用のせいなんだけどね」

 

 上から下まで嘗めるように全身を観察され、病気の割に大きい胸を自慢気に反らす麻倉に「ああ、そう……」と返事をするのがやっとだった。

 アタシの薄い反応に不満を漏らしつつ下着を外し、手を引かれて浴室に入った。

 妙に慣れた手つきでタオルで髪を纏め上げられシャワーを浴び、狭い浴槽に二人並んで入る。

 

「お湯加減どお?」

 

へーき……」

 

「はぁ……。病気じゃなかったら、修学旅行に行けてこんな風に友達とお風呂に入れたのかな……」

 

 天井を眺めながら寂しそうにぽつりと漏らすが、アタシは刻一刻と迫る身の危険のことしか頭にない。

 

「それじゃ上がろっか」

 

 まだ風呂に入って数分しか経ってないのに、浴槽から出て身体を拭き始めた。

 少しでも最期の時を先延ばそうと浴槽で微動だにとするが、腕を掴まれ半ば強引に浴室の外に連れ出された。

 仕方なく体を拭き、バスタオルを巻いてベッドに座らされ、隣に麻倉が腰かけた。

 

「ほっ、本当にするのか……?」

 

 声が震え心臓がバクバクと鳴っているが、全身は冷え切っている。

 

「もしかして初めて?」

 

「あ、あたっ、当たり前だろ!」

 

 必死に声を出すが、強がりさえも真面に言えない。

 麻倉の手が肩に置かれ、顔が近付いてくる。

 

 くそお、何でだ。何でこんなことになったんだ。

 

「……ぶふっ」

 

 麻倉は急に顔を背け、堪り兼ねた様に大笑いしだした。

 

「冗談よ、ジョーダン。そういう雰囲気を味わってみたかっただけよ。あー--もう可愛いなあ」

 

 人差し指でアタシの頬をつつきながら、尚も笑い続けている。

 

 ……は?

 何だよ、また揶揄われただけかよ……。

 怒りよりも安堵の感覚に支配され、全身から力が抜け危うくベッドに倒れ込みそうになった。

 

「止めろよ……そういう質の悪い冗談は……」

 

「あはは、ごめんごめん。わたしも無理やりされそうになった時は物凄く怖かったし、そんな酷いことしないよ」

 

 これは恐怖感と言うか、集落の連中に殺された人間の記憶のせいだろうか。

 集落の連中に殺された人間の中には若い女も何人か居た。

 そいつらが強姦された挙句に殺された記憶があるせいか、忌避感を抱いてしまうようだ。

 仕返しにそのことを話してやろうかと思ったが、こいつは気に病んでしまうだろうし黙っておこう。

 

 ――何でこんな目に遭わされてんのに気を使ってんだろうな。

 

「ささ、風邪ひいちゃいけないし着替えよ」

 

 麻倉に促され、風邪なんかひかねえよと思いつつ衣服を身に着ける。

 着替えが終わり、最悪の災難をやり過ごすことが出来た思うと、気分が少し落ち着いてきた。

 

「さて、チェックアウトまでまだ時間あるし一休みしましょ」

 

 ベッドに腰かけ、未だかつて感じたことの無い疲労感からそのまま横になる。

 

「ねえ、シアちゃん」

 

 隣に腰掛けている麻倉から声がかかった。

 

「……何だ?」

 

「えっと、あのね……」

 

 言いかけて口を噤んだ。

 まさか、やっぱり気が変わったとか言い出すんじゃないだろうな。

 再び全身が悪寒に包まれる。

 

「その……ハグ……してもいい?」

 

「はぁあ!?」

 

 あまりにも間抜けな物言いにベッドから飛び起き、思わず声が荒くなった。

 

「っと、やっぱり嫌だよね。ごめんね、忘れて!」

 

「いや、それぐらい別にいいけど……」

 

「えっ? 嘘! 本当にいいの!?」

 

 寂しげに俯いた麻倉に了承の返事をすると、心底驚いた様子で顔を上げた。

 

 ……何でアタシもオッケーしてんだろうな。

 無理矢理ヤられるのに比べりゃマシなもんだと、心の中でハードルが下がってしまったんだろうか。

 

「いや、ホテルに連れ込んで裸に剥いてたのに今更じゃねえ?」

 

 ハグごときを躊躇うあたり、本当に何もする気は無かったのか。

 とは言え十分に散々な思いをしたが。

 

「ほれ、やるならさっさとしな」

 

「それじゃ、お言葉に甘えて……」

 

 両腕を広げると、麻倉は脇の下に腕を通して背中に回し、アタシの肩に顎を乗せて大きく息を吐いた。

 

「はぁ……幸せ……。生きてて良かった……本当、生きてて良かった……」

 

 大袈裟に喜んでいるが、何が良いのかさっぱり分からん。と思ったが体が密着すると、妙に心臓の鼓動が早くなってきた。

 しかし、さっきの様な悪寒は無く、顔も熱くなってきたのを感じる。

 

「んだよ、自殺でも考えてたような言い方だな」

 

「……うん、何回も考えたよ。家や親戚の集まりじゃ針の筵だし、薬の副作用も凄く辛いしね。髪はパサパサで伸び難くなって、爪もすぐ割れたり欠けるようになっちゃったし。

 でも、自殺なんてしたら病院の先生たちに迷惑かかるし、お父さんとお母さんも本当はわたしに長生きして欲しいって思ってくれてないかな、なんて思ったら勇気が出なくてね……」

 

「……そっか……辛かったな……」

 

 自殺を考えるほどの絶望の中でも他人の事を気に掛けるあたり、やっぱり筋金入りだな。

 麻倉の背中に腕を回して軽く抱きしめると、一瞬体が強張ったがすぐに脱力したのが分かった。

 

「……ありがと」

 

 抱き合ったまま暫しの時間が経ち、麻倉は腕を解いて体を離した。

 

「もういいのか?」

 

「うん、これ以上は我慢できなくなって押し倒しちゃうかも」

 

「そりゃ困るな。こんな所に連れ込まれるなんて思いもしなかったから、さすがに心の準備が出来てなかったし」

 

「じゃあ体の方は準備出来てたんだ?」

 

「そう言うことじゃねえよ馬鹿!」

 

 冗談めかした言い方に冗談で返すと、更に質の悪い冗談が返ってきた。

 声を荒げて平手を振り下ろすが、力が入らずペチンとも音を立てずに額に止まった。

 

「あははは。は……ふぁ……。ちょっと眠くなってきちゃった。少し寝ていい?」

 

「はぁ……構わないよ。何なら膝枕でもしてやろうか?」

 

「えっ、いいの? それじゃお願い!」

 

 冗談で言ったんだが、こんなに乗り気になるとは思わなかった。

 仕方なくベッドで正座すると、幸せそうな顔で本当に頭を乗せてきた。

 

「ねえ、シアちゃん。初めて会った日のことなんだけどね、あの時一つだけ嘘ついちゃった」

 

 重大な告白の様に、妙に改まって話し始めた。

 

「本当のこと言うとね、一目惚れだったの。シアちゃんが死神って言うのも正直信じられなかったなあ。こんなに可愛いんだから本当は天使なんじゃないかなって思ったもん」

 

「……はぁ」

 

「言葉遣いは乱暴でちょっとガサツだけど、何だかんだ言って我儘に付き合ってくれるし、口では悪く言ってても優しいし。だから、いい加減な気持ちじゃないってことだけは知ってて貰いたくて」

 

 まるで遺言の様に話し続けるが、なんて答えりゃいいんだ。

 どう返事をすればいいかも分からず、間の抜けた声しか出せない。

 

「シアちゃん……大好きだよ」

 

「……そりゃどーも」

 

 アタシの適当な返事に怒ることもなく、緊張の糸が切れた様に目を閉じて寝息を立て始めた。

 ただのごっこ遊びなのかと思ってたが、マジで本気だったのかよ……。

 

 不思議と嫌だと思わないのは、情が移っちまったんだろうか。

 それとも契約の精神汚染が進行してるのか。

 

 暫くしてスマホのアラームが鳴り始めたので、麻倉を起こしてホテルを後にした。

 駅前のタクシー乗り場でタクシーを拾い病院に向かうが、麻倉は妙によそよそしく一言も発さないし顔も向き合わせようとしない。

 

「どうしたんだ? なんか変だぞ?」

 

「うん……今日はテンション上がって舞い上がっちゃってたけど、冷静になったら結構とんでもない事しちゃったなって思って。もしかしたら嫌われちゃったかもって……」

 

「んなことかよ。別に気にしてねえよ」

 

 肩に腕を回して軽く引き寄せると、一瞬間を置いて寄りかかってきた。

 タクシーの運転手が、ルームミラーでチラチラとこちらの様子を窺っているのが少々鬱陶しい。

 

「ごめんね……ありがと」

 

 弱弱しい言葉に応えず、肩を抱いたまま病院に着くのをただ待ち続けた。

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