死神娘の苦悩   作:山葵炭酸水

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 ナースコールで呼び出されたのであろう看護師が廊下を行き来する音と、真依の寝息を聞きながら暗闇の中で時間がただ過ぎていく。

 次第に窓の外が明るくなり始め、廊下にも明かりが灯り始めた。

 習慣になっているのか、真依もほぼ同じぐらいに目を覚ました。

 寝ている間も真依は時折苦し気な息を漏らし、その度に肝を冷やしていたが、容態が急変することなく無事に朝を迎えられたことに安堵の息が漏れた。

 

「おはよう。よく寝れたか?」

 

「おはよぉ。こんなにグッスリ寝られたの初めてかも。本当に朝まで居てくれたんだね、ありがと。けど、どうせなら夜這いとかしてくれても良かったのにぃ」

 

「朝っぱらから冗談きついっての」

 

 瞼を擦りながら質の悪い冗談を言う真依の額に、突っ込みのチョップを軽く振り下ろす。

 こいつは本当にブレねえな。悪い意味で。

 呆れていると看護師が薬を運んで来て、朝食を運ぶ台車の音が廊下から聞こえてきた。

 

「食堂もコンビニも開いてないから、わたしだけ食べちゃうけど、ごめんね」

 

「食わなくても平気だから、気にしなくていいって何回も言ったろ? 変に何回も謝られる方が気にしちまうぜ」

 

「それもそうだね、ごめんね。……あっ」

 

 言ったそばから謝り、しまったといった表情の真依と顔を見合わせて二人同時に噴き出した。

 そうこうしている内に朝食が運ばれ、食事を取る真依をのんびりと眺めた。

 口に箸を運び、時折色艶の無い唇を舐め、茶を一口飲んで一息つく。

 そんな一連の動作を見ているだけで、妙な感情が湧き上がってくる。

 

 昨日チャラ男どもに絡まれた時に口走ったのが切っ掛けなのか、少しずつ感情が抑え難くなってきている。

 初めて会った日と違って真依のことは憎からず思うようになってはいるものの、友情のような物だろうと考えていたが、これってまさか恋愛感情なんだろうか……?

 確証も自信も無いが、どんどん自分が自分でなくなっていく様だ。

 けどまあ……不思議と嫌じゃないかな。そんな風に思ってしまう自分自身に困惑する。

 

 悶々としていると真依は食事を終え、今日中にアタシをモデルにした絵を完成させると腕まくりして意気込み始めた。

 椅子に座り直して背筋を伸ばすが、後はほぼ仕上げのみで今日はもうモデルをする必要は無いそうだ。

 それを聞いて、真依がタブレットに向かうのをただ眺めるだけになった。

 描いてる途中で腕を組んで考え込んだり、急に明るい表情に変わって手を動かし始めたりと、いつもと変わらぬ様子だ。

 そして、これまたいつもの様に時折ハッと顔を上げてニコリと微笑み、こちらも笑顔で返す。

 

 こんな風に自然に笑顔を作れるようになるとは、真依と出会う前は欠片も想像しなかったな。

 何より、こんな落ち着いた気分になるのも初めてだ。

 悪党をいたぶって遊んでた時の愉快さとも、真依と遊びに出かけた時の楽しさとも全く違う、じんわりと満たされる様な幸福感が心に染み入る。

 

 暫く真依の作業を眺め、昼食の時間が近付いてくると食堂に向かい、昼食と夕食を注文して部屋に戻る。

 昼食後も真依は作業を続け、午後3時を過ぎたあたりで完成を告げられ、完成品を見せてもらった。

 落ち着いた色合いで、かつ決して地味ではなく華やかさを感じる絵だ。

 とてもアタシなんかをモデルにしたとは思えない出来だ。

 

「へえ、上手いじゃん。けど、うーん……」

 

「えっ、何か拙かった? どこか駄目なところが有った?」

 

 思わず出た唸り声に真依が狼狽え始めた。

 

「いや、流石にこれは美化しすぎじゃねえ? アタシのツラはここまで良く出来てないだろ」

 

「えー、そんなこと無いよ? むしろ本物の良さの半分も描けてないぐらいだし、もっと自信持っていいってば!」

 

 力説する真依に若干引きつつも、どこか嬉しさを覚えてしまう。

 真依から完成した絵をSNSに上げてもいいかと聞かれ、少し嫌な予感を覚えつつも承諾した。

 他にも真依が以前描いた絵も幾つか見せてもらったが、プロ顔負けに上手い。

 真依が言うには、自分ぐらいのレベルは掃いて捨てるほど居るらしい。

 昔はプロを目指していたが、すっかり諦めて今は趣味で描く程度になってしまったそうだ。

 

 タブレットを操作し終えて疲れた様子の真依に昼寝を促すと、やや渋ってはいたものの申し訳なさそうに横になって眠りについた。

 幸せそうな顔で寝ている真依を見ていると、こちらも幸せな気分になる。

 同時にこの時間を味わえるのが、ごく僅かしか残されていないことも頭の中に付き纏い、焦燥感と重圧感に押し潰されそうになる。

 

 ――こんな辛い思いをするなら、知り合わない方が良かったかな。

 ――けど、こんなに穏やかな気持ちになれたのも真依のお陰だしな。

 ――何よりも、一番辛い思いをしてるのは真依なんだよな。

 

 色んな考えが頭に浮かんでは消えて行き、思考が纏まらないまま時間が過ぎていく。

 寝ている真依の頬に触れようと何となく手を伸ばした時に、見計らったかのように病室の扉がノックされた。

 予想外のことにビクリと体が跳ね、寝ている真依に代わって応対するために入口に向かった。

 扉を開けると看護師がおり、夜の人員に交代するという事だった。

 考え込んでいる間に随分と時間が経ってしまったようだ。

 真依を起こして夕食が運ばれるまで駄弁って過ごし、ともに食事を取った。

 

 食事が終わると真依はタブレットを取り出し、昼に上げた絵の反応を確認し始めた。

 

「やった! 師匠に褒めて貰えたよ!」

 

 真依が師匠と呼ぶ人物はプロのイラストレーターで、たまに行き詰った時にアドバイスを貰うそうだ。

 タブレットの画面を覗き込むと、朝桜というアカウント名が目に入った。

 真依曰く、名字の麻倉をもじったものだそうだ。

 絵の方を見ると「私の大事な人にモデルになってもらいました」というキャプションが付けられていた。

 恥ずかしいことしてんなよと真依に抗議するが、当然のように笑ってスルーされた。

 絵に付けられた師匠とやらのコメントを見てみると、実に碌でもないものだった。

 

『素晴らしく可愛い。もっとおっぱいが大きかったら即求婚してた』

 

『は? ちっぱいの良さが分からんとかド素人にも程がある』

 

 師匠の下劣なコメントと、合わせて下劣なそれに対する突っ込みに思わず顔を顰めた。

 真依にアドバイスしてんのも、下心があるだけじゃねえのか?

 そもそも、これって絵の出来を褒めてんのか?

 

「何なんだよこいつら。はぁ、これだから男は……」

 

「この人たち二人とも女の人だよ?」

 

 呆れて溜息を吐いたアタシに、真依から予想外過ぎる声が届いた。

 嘘吐けよ、女がこんなコメントを普通は付けないだろ。

 アタシが疑っていると、師匠の方のプロフィールを開いて個人ブログに移動した。

 ブログの内容は育児日記で、顔は隠しているが母親らしき女と赤ん坊の写真がいくつも出て来た。

 

 ……マジかよ。

 絶句していると別のページを開き、師匠に突っ込みを入れていた方のプロフィールを表示した。

 こっちはどこぞの劇団の役者で、師匠とは昔からの友人同士らしい。

 役作りのためかジム通いをしているそうで、何枚か自撮りを上げていた。

 背が高く体は筋肉質で引き締まり、そのくせ出る所はしっかりと出ているモデルでもやっていけそうな整ったスタイルだ。

 

「素敵よねぇ。美人だしスタイル抜群だし、憧れちゃうなあ」

 

 ――ムカッ。

 

「ふーん、こういうのが好みなのか。ふーーーん」

 

 うっとりとした表情で甘い声を出す真依に、なんだか腹が立った。

 

「やぁだ、ヤキモチ焼かないでよ。わたしはシアちゃんが一番だから浮気なんてしないってば」

 

「はぁあ!? 別にヤキモチとかじゃねーし! アンタが誰に惚れようが知ったこっちゃねーし!」

 

 苛立ち混じりに吐き捨てたが、真依は嬉しそうに笑いながら拗ねた顔も可愛いなんて呑気に抜かしてやがる。

 ダメだこりゃ。なんか怒るのも馬鹿らしくなってきた。

 

 真依がコメント一つ一つに返信しているのを覗いていると、二人はどういう関係なのかという質問があった。

 真依はこちらを一瞥してニヤッと悪巧みを思いついたような笑みを浮かべ、タブレットを隠して何やら返信のコメントを打ち始めた。

 ……なんだか物凄く嫌な予感がする。

 

『一緒にホテルに行って裸の付き合いをしたり、一夜を共に過ごした仲です♡』

 

「ぉおい! なんつーこと書いてんだ!」

 

 返信を打ち終わった真依にタブレットを見せられると、とんでもない事が書かれていた。

 

「えー、でも嘘じゃないでしょ。それに画面の向こうの人達と会ったりすることは無いんだし、別にいいじゃない」

 

「語弊が有り過ぎるだろ! それに会う事は無くても何か嫌なんだよ!」

 

 真依はアタシが慌てふためく様すらも、可愛い可愛いと言って取り合わない。

 くそお、完全に手玉に取られてんなあ……。

 

 真依がイカレた返信をしてから、なにやらコメントが急に増え始めた。

 悉くが碌なもんじゃないが。

 

『朝桜たそはワイが嫁に貰うはずだったのに寝取られてしまった……!』

 

 師匠がまたおかしなコメントを付けてんぞ。

 真依の性格って、こいつの影響受けてんのか? 間違いなくこいつが悪影響及ぼしてるよな。

 

『あんたそんなこと言ってたらまた旦那が泣くぞ』

 

 役者が師匠に突っ込みのコメントを付ける。

 旦那がいるってことはマジで女なのか……。

 と言うか"また"なのかよ。常習犯じゃねえか。

 

『しょっちゅうベッドでヒィヒィ言わされてるし、たまには泣かせてもええやろ』

 

 師匠がまた碌でもない事を言い出しやがった。

 その後も旦那と嫁の両方を貰えるように法改正するべきとか、一夫多妻制にすれば真依とアタシも纏めて嫁に貰えるのにとか、正気とは思えないことをつらつらと述べている。

 いくらプロったって、何でこんな変人を師匠なんて呼んでんだ。

 アタシの呆れた様子を見て、真依が師匠のイラストのページを開いた。

 真依の落ち着いた色調の絵と違って、明るい色合いの煌びやかな絵や透明感のあるものや儚げな絵など、様々なイラストが並んでいた。

 あのおかしなコメントを打ってた人間が描いたとは思えない出来だ。

 

「はー、流石プロだな。けどまあ、アタシは真依の絵の方が好きかな」

 

 何の気なしに漏らした一言で、真依は顔を赤くして照れ始めた。

 ……ほんっと、お互い単純だよなあ。

 

 真依が返信を打っているのを眺めていると、病室の扉がノックされた。

 看護師がこの時間に来ることは無いし、いったい誰だ?

 

「やあ、真依。体調はどうだい? おや、真依のお友達かな? こんばんは」

 

 真依が返事をするより先に扉が開けられ、中年の男が一人病室に入ってきた。

 

「……お父さん、お母さん」

 

 真依がやや緊張した面持ちになり、父親に続いて入ってきた中年の女を見て呟いた。

 こいつらが真依の両親か。以前聞いた話を思い出し、思わず身構える。

 真依の両親に続いて高校生ぐらいの男が一人、病室に入って来た。

 

「……あっ、こうくんも来てくれたんだ! シアちゃん、紹介するね。わたしの弟で晃樹(こうき)って言うの。こうくん、この子はわたしのお友達でシアちゃんって言うの。仲良くしてね」

 

 真依がいつも自慢話をするだけあって、長身で中々の男前だ。

 これで勉強もスポーツも出来るなら、さぞかしモテるだろう。

 

「……あっそ。外で晩飯食ったついでで来ただけだよ」

 

 真依は強張った顔を綻ばせて弟の晃樹とやらに語りかけるが、弟は突き放す様に言ってそっぽを向いた。

 

「……えっと、学校はどう? こうくんモテるし、もう彼女も出来たんじゃない?」

 

「うるさいな、関係ないだろ」

 

 晃樹は不機嫌さを隠そうともせず、鬱陶しそうに撥ね付けた。

 いつも聞かされる弟自慢とは随分と話が違うな。

 尚も晃樹に声をかけようとする真依を遮って、父親が真依に大事な話があると言うと、晃樹は下で待ってると言い残して病室から出ていった。

 アタシも席を外すようにと声を掛けられ、真依は申し訳なさそうに両手を合わせてこちらに頭を下げるので、嫌な予感を覚えつつも病室の外に出た。

 エレベーターの方に向かって歩いて行く晃樹を追って、一緒に乗り込んだ。

 

「何で付いて来るんだよ」

 

「真依のことを色々聞きたくてさ。それより何で一階まで降りるんだよ。折角来たのに、もう顔も見せずに帰るつもりか?」

 

 晃樹は「お前には関係ないだろ」と取り合おうともしない。

 一階に着き、最低限の明かりのみが残された薄暗いロビーの椅子に晃樹は腰を下ろしたので、少し間を空けて隣に座った。

 晃樹はこちらを一瞥し、不愉快そうに明後日の方を向いた。

 

「何か聞いてた話と違うな。真依はいっつも迷惑なぐらいアンタの自慢話してたぜ。将来は医者になって真依の病気を治すって言ってたとか」

 

「旦那に良い医者見付けて貰うんだから必要無いだろ」

 

 眉根を寄せて、憤懣やるかたない様子で吐き捨てた。

 

 ――ああ、成程。大好きな姉ちゃんを取られて不貞腐れてんのか。

 真依がしつこく自慢する割には、一度も見舞いに来なかったのはそのせいだろうな。

 この手のは変に揶揄うと頑なになっちまうだろうし、どうしたものか。 

 ん? と言うか、あの見合いの話は立ち消えになったんじゃないのか。

 

「あー……あんな事あったんだし、流石にお互い破談にするだろ」

 

「は? あんな事って何だよ」

 

 晃樹は怪訝な顔で尋ねてきた。

 真依からは誰にも話すなと言われているが、こいつにも秘密にした方がいいんだろうか?

 自分が襲われたなんてことを、大事な弟には知られたくないだろうし。

 しかし、経緯を教えないと真依との仲も拗れたままかもしれない。

 

「勿体ぶってないで、さっさと言えよ!」

 

 晃樹は痺れを切らしたのか、声を荒げて食ってかかった。

 ……仕方ない、話すか。このまま黙ってても真依との蟠りは解けないだろう。

 

 説明を続ける内に晃樹の険しかった顔から少しずつ力が抜けていき、沈痛な面持ちで俯いた。

 

「だから断れって言っただろ……」

 

「あいつも病気じゃなけりゃ断ってただろうさ。……それと、あんまりこんなこと言いたくないけどさ、あいつはもうあまり長くはないかもしれないんだ。だからさ、真依と何があったか知らないけど、あんまり邪険にしないでやってくれよ」

 

 晃樹は両手を握り締め、床を見つめたまま歯噛みしている。

 真依に向かっていた怒りの矛先が、別の誰かに変わったんだろうか。

 それは真依を襲った野郎か、縁談を持ち掛けた祖父や親戚か、それとも事情を説明しなかった両親か。

 椅子に腰かけたまま、状況は何も変わらず沈黙が続いた。

 何かもう一押しするべきかと思案していると、エレベーター乗り場の方から足音が聞こえ、真依の両親が現れた。

 

「帰るぞ晃樹。もうすぐ面会時間も終わる頃だし、そろそろ君も帰りなさい。タクシー呼んであげようか?」

 

 真依の父親に声を掛けられたが、迎えが来るからタクシーは必要無いと告げて断った。

 晃樹は無言で立ち上がり、両親の後をついて行こうとした。

 

「なあ、帰る前にもう一回ぐらい顔見せてやれよ」

 

 去って行く晃樹に声を掛けたが、こちらを振り返ることも無く、肩を落としたまま両親と共に去って行った。

 

 ……くそ。こうしてる間にも真依に残された時間は刻々と失われているのに。

 早足でエレベーターに向かい、真依の病室に戻った。

 扉をノックしても返事が無く、何度か繰り返した後に我慢できずに扉を開けた。

 真依はベッドの上で俯いたまま、憔悴した表情を浮かべていた。

 

「どうしたんだ? 何があったんだ?」

 

「……この前、お見合いのこと話したでしょ? あの時わたしが顔にぶつけた泥が目に入って、相手の人が失明するかもしれないって怒ってて、訴えるって言ってるんだって」

 

「ああ? そう簡単に失明しないだろ。そりゃ交渉を有利にするための嘘だな」

 

「うん、でも確かめようが無いから……。それでね、あの時に何があったか証言しなさいって。もし裁判になって負けたりしたら、お爺ちゃんに迷惑がかかるし、お金も沢山払わないといけないからって言われて……」

 

 何だよそれ……。

 娘の名誉や心のケアよりも、ジジイのご機嫌と金の方が大事なのか。

 

「あーあ、馬鹿みたい。やっぱりお父さんもお母さんも、わたしのことなんてどうでもよかったのに、何を期待してたんだろうね。はぁ、何であんな人たちのために、人生棒に振ろうと思ったんだろ。やっぱり早く自殺しとけばよかった」

 

 真依は自虐的に笑って頭を掻きむしり、力を込め過ぎたのか爪の間に赤い物が見えた。

 こんな時、どうやって元気付けて、何て慰めの言葉を掛ければいいんだ。

 無駄に長い間生きてるくせに、そんなことも全く分からない自分が情けない。

 

「……そんなこと言うなよ」

 

「触んないでよ!」

 

 真依の肩に手を置いたが振り払われ、爪が手の甲に当たって鋭い痛みが走り、思わず呻き声が出た。

 

「あなただって他の人たちと同じじゃない! わたしのこと何も知らないのに、勝手に人殺しみたいに言ってたくせに!」

 

 我慢が限界を迎えたのか、真依は堰を切ったようにボロボロと大粒の涙を流し始めた。

 真依の言葉に胸がずきりと痛み、二の句が告げられなかった。

 

「……ごめんよ。本当に、ごめん……」

 

 ああ、やっぱり初めて会った日の事を気にしてたのか。そりゃそうだよな。

 人間なんてどいつもこいつも同じだと思い込んで、軽い気持ちで傷付けてしまった過去の自分の愚かさを悔いた。

 慰めや励ましの言葉なんて、どの口で言うんだって話だ。

 

「っ、あ……ご、ごめんなさい。気が動転しちゃって……。シアちゃんだけは優しくしてくれたのに。本当にごめんなさい、嫌いにならないで……」

 

 項垂れて謝罪を述べるアタシに、今度は真依が謝り始めた。

 

「嫌いになんてならないよ、アタシこそ恨まれて当然なんだしさ」

 

「でも、酷い事言っちゃった……。弟にも嫌われちゃったし、わたしにはもうシアちゃんしか居ないのに……」

 

 泣きながらうわ言の様に謝り続ける真依を、どうやったら落ち着かせることが出来るんだろうか。

 頬を張ってショックでも与えればいいんだろうかと思うが、契約のせいでそれも無理だろう。

 何より、これだけ打ちのめされている真依に手を上げたくない。

 

 他の手段を考え暫し逡巡した後、真依の両頬に手を添えてこちら向かせた。

 涙で濡れた真依の顔を見て覚悟が僅かに鈍ったが、再び決心して顔を近付けて唇を重ねた。

 

「んぐっ」

 

 真依は目を見開いて、喉の奥からくぐもった音を漏らした。

 

 ――ああ、やっちまった。やってしまった。急激に心臓の鼓動が激しくなる。

 顔を離すと、真依の顔が見る見る内に真っ赤に染まっていく。

 アタシも顔が真っ赤になってるだろうな。

 

「っはあ。……な? 嫌いな奴にこんなこと、しっ、しないだろ? 信じられないなら、もういっ、もう一回、しようか?」

 

「えっ? ちょっと待っ……」

 

 どもりながら語りかけ、あうあうと悶えている真依に再び唇を重ねた。

 勢いが付き過ぎたのか、歯がぶつかりガチッと音を立てた。

 

 しまらねえな、ほんと。

 

「わりぃ、歯が当たっちまった」

 

 真依は焦点の合わない目で、こちらに視線を向けたまま茫然としている。

 

「おい、大丈夫か? つい勢いでやっちまったけど、やっぱり嫌だったか?」

 

「ううん、ううん、だだだ大丈夫! 全然平気! むしろ凄く嬉しい!」

 

 真依は目を回しながら早口でまくし立てた。

 落ち着かせるどころか、別に意味で動揺させてしまったようだ。

 真依は胸を押さえて、深呼吸をして息を整え始めた。

 

「……はぁ。ごめんね、シアちゃんこそ嫌だったでしょ? それに、いつも一緒にいてくれるのに酷い事言っちゃって……。本当にごめんなさい」

 

「嫌じゃないって。アタシらは……その、恋人同士なんだしさ。何より、初めて会った日に、よく知りもしないで傷付ける事言っちまったアタシの方こそ悪かったし」

 

「ううん、違うの。本当はシアちゃんに疑われてるんじゃないかって、ずっと不安で……。つい、変なこと言っちゃった。本当にごめんなさい」

 

 そういう言うことか。それはそれで、やっぱりアタシが元凶じゃんか。

 

「謝らなくていいっての。つうか、何かお互い謝ってばっかだな。程々にしないと、いつまでも話が進まないぜ」

 

「それもそうだね。それじゃ、この話はお終いにして、仲直りして貰える?」

 

 自嘲的な笑みを浮かべた真依に勿論と返し、無限ループに陥りそうな流れを軌道修正できたようだ。

 

「ありがと。シアちゃんがいてくれて、本当に良かった。独りぼっちになっちゃうとこだった」

 

「弟もいるし、一人じゃないだろ。アンタのことを完全に嫌ってる風でもなかったし、何かあったんだろ?」

 

 真依は渋っていたが、弟と何があったのかを話し始めた。

 

 なんでも縁談の話が来た時に、弟だけは猛反対したらしい。

 だが両親は聞く耳を持たず、真依も両親が親戚内で肩身の狭い思いをせずに済む様にと、本心を隠したまま乗り気な演技をして弟と喧嘩になってしまったそうだ。

 その時にシスコンは卒業しろとか、いい加減に姉離れしろなんて口を滑らせてしまったと言う。

 

「……そりゃ怒るのも無理ないわ。けど、見合いの時に何があったかも知らなかったみたいだし、じっくり話せば分かってくれるだろ」

 

「もしかして、お見合いの時のこと話しちゃったの!?」

 

「あー、悪い。迷ったんだけど、何も知らないままだと仲違いしたままになるかと思ってな……」

 

 弟に心配をかけたくなかったなあと、真依は無念そうに呟いた。

 

「そうだ、頭掻きむしったせいで血が出てるぞ」

 

 傷を治すべく真依に手を伸ばしたが、妙に必死に遠慮して避けようとする。

 ベッドの上で碌に身動きの取れない真依に半ば強引に触れて、どうにか傷を治すことが出来たが、腹の辺りにほんの一瞬だけ違和感が生じた。

 

 今の変な感覚は何だ? いや、どうもでいいか。

 

 真依も少し不思議そうな表情で腹の辺りを摩っているが、すぐに申し訳なさそうに謝りだした。

 この程度何ともないって何回も言ってんのになあ。

 

「あれ? でも手の甲に傷が残ってるよ」

 

 真依のことで頭が一杯で意識してなかったが、さっき真依の爪が当たった場所の傷が消えずに残っていた。

 改めて意識すると、疼く様な痛みが鮮明に生じてきた。

 どうなってんだ? 傷が消えないことと、指を切り落とした時よりも強い痛みに困惑した。

 

 暫し思案して一つの考えが浮かび、傷のある部位を嚙み千切った。

 真依が小さく悲鳴を上げたが、傷が塞がる様子を見せて宥めた。

 噛み千切った部分は、やはり大した痛みも無いしすぐに元に戻る。

 しかし、真依の爪が当たった傷は残ったままだ。

 

 これは……契約した相手なら、アタシに普通の人間と同じような傷を負わせることが出来るってことか。

 より大きな傷を自分で付けて、上書きするって真似も出来ないみたいだな。

 

 手を振り払った時に付いた傷だと察したのか、真依は泣き出しそうになりながら再び必死に謝り始めた。

 死ぬような傷でもないし、真依の苦しみに比べりゃ些細なもんだ。

 却ってこっちが気に病んでしまうと言い聞かせると、漸く引き下がった。

 

「それより、疲れたろ? ちょっと早いけど寝るか?」

 

 真依の目は光が弱く、心なしかやつれた様な印象も受ける。

 ただでさえ残り僅かな命を、余計に消耗させたくない。

 

「それじゃ、寝る前におやすみのチューして?」

 

「ん、分かった」

 

「えっ」

 

 困惑の声を上げた真依の両頬に手を添えて、軽くキスをした。

 言われるがままにやってしまったが、顔を離すと再び心臓がバクバク言い出した。

 当の真依は顔を赤くしているが、何故か不満そうだ。

 もっとアタシが恥ずかしがって、慌てふためく姿を期待していたらしい。

 普段通りの調子に戻った真依に、呆れる様な安心する様な複雑な気分になる。

 

「ありがとね。シアちゃんがいなかったら、正気じゃいられなかったかも」

 

「礼なんて必要ないよ。傷付けること言ったのに、許してもらったアタシの方が礼を言わなきゃだしな」

 

 明かりを消し、廊下から僅かに光が差し込む薄暗い部屋の中で少しだけ会話を交わし、お互いに「おやすみ」と言って真依は寝息を立て始めた。

 

 真依が眠りについて、こちらも少し落ち着いてきたが……よくよく考えたらキスとかしなくても、脅かすだけなら猫だましでもよかったんじゃなかろうか。

 今更思い付いても手遅れだが、我ながら頭の回転が悪いな。

 まあ、真依は嬉しいって言ってくれたし良しとするか。

 小さく溜息を吐いて、天を仰ぐ。

 

 真依に残された時間は、あと良くて一日か二日ぐらいか。

 

 真依の弟が見舞いに来なかった理由も何となく分かったが、明日の学校が終わった後にでも来ないかな。

 せめて、親族の中で唯一の味方だった弟と和解出来ればいいんだが……やっぱり望み薄だろうか。

 いっそ力ずくで無理矢理引き摺ってでも、真依に会わせるべきだったかな。

 そんな無益なことを考えながら、夜は更けていった。

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