死神娘の苦悩   作:山葵炭酸水

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 窓の外が明るくなり、廊下を看護師や配膳の台車が行き交い始めた。

 しかし、昨日の朝と違って真依は目を覚まさない。

 昨晩のことを思えば無理も無いか。

 出来ればもっと寝かせてやりたいが、肩を揺すって声を掛けると真依はゆっくりと目を開いた。

 

「ん……おはよう、もう朝か。……昨日のって夢じゃないよね?」

 

「ああ……残念だけど」

 

 両親が訪れた時の話だと思ったが、真依はニンマリと笑みを浮かべて「ん」と口を突き出した。

 

「……何だ?」

 

「んもう、鈍いなあ。おはようのチューに決まってるでしょ」

 

「え゛っ。いや、勘弁してくれ。昨日はテンパってたせいもあったからさ……」

 

 そっちの方かよ。

 一晩経った後では、流石に恥ずかしさを覚えてしまう。

 拒否すると、真依は両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。

 そんなに落ち込む事じゃないだろ……。

 

「あーくそ、分かったよ。だから、泣くなよ」

 

「やった! じゃあお願いね!」

 

 渋々ながら承諾すると、眩い笑顔をこちらに向けた。

 ただの泣き真似かよ。そういうやつだよな、まったくよお。

 

「っと、目……、目ぇ瞑ってくれよ」

 

 真依は言われるままに目を閉じ、こちらに向かって顔を突き出した。

 こちらも顔を近づけようとするが、心臓の鼓動が早くなり躊躇してしまう。

 何で昨日はあんな真似が出来たんだろうな。やっぱりアタシも冷静じゃなかったか。

 二の足を踏んでいると真依から催促の声がかかったので、半ば自棄になって唇を重ねた。

 

「ふふ、ありがと。お陰で朝からギンギンのビンビンになってきたよ」

 

 こいつ……キスよりも、絶対アタシの反応を愉しんでるだろ。

 真依は非常に満足気な笑みで下品な冗談を抜かすが、言葉とは裏腹に顔色はあまり優れない。

 こんな遣り取りも、明日には出来なくなるんだろうか。

 真依のふざけた言動を聞いていると、まだまだ死なないんじゃないかと思いそうになるが、湧き出る靄を見て現実に引き戻されてしまう。

 陰鬱な気分に浸っている間に朝食が運ばれ、真依は食事を取り始めたが、半分も食べない内に手の動きが鈍り始めた。

 

「食欲無いのか? また吐いちまうかもしれないし、無理に食わない方がいいんじゃないのか」

 

 真依は少し考えた後に箸を置いた。

 食後の薬を飲み終わった後も具合が悪そうで、息も荒い。

 否が応でも、別れの時が近いことを痛感させられる。

 

 いつもの様に駄弁ろうにも、何を言えば分からずに思い悩んでいると、扉がノックされた。

 真依が返事をすると、目の下にクマの出来ている制服姿の晃樹が、思い詰めたような表情で部屋に入って来た。

 

「おはよう。……具合はどう?」

 

 晃樹はアタシの方をチラリと見て一瞬怪訝な顔をして、真依に声を掛けた。

 

「おはよう。うん、こうくんの顔見たら凄く元気が湧いてきたよ。それより学校はどうしたの?」

 

「サボった。ちょっと姉ちゃんと話したい事があるからさ」

 

「ええっ! 駄目だよ、ちゃんと行かなきゃ。学校から家にも連絡行くでしょ? お父さんとお母さんに怒られちゃうよ」

 

「今日から父さんは仕事で県外に出てるし、母さんも付いて行ったから平気だよ」

 

 晃樹は悪戯を思い付いた悪ガキの様な笑みを浮かべ、ベッドを挟んだアタシの向かい側の椅子に腰かけ、何か言いたそうにこちらを一瞥した。

 席を外せってことか。

 

「邪魔しちゃ悪いし、アタシは適当にぶらついて来るわ」

 

 病室を出ようとすると真依に呼び止められたが、折角だから二人でゆっくり話せと言って一階のロビーに向かった。

 ロビーの長椅子に腰掛け、見舞いに来た者や診察を受けに来た者が行き交うのを眺め続けるが……暇だ。

 人間がただ目の前を通り過ぎて行くのを見ていても、何も面白い事は無い。

 退屈に思いながらも人間の流れを見ていると、ガラの悪い男が何人か目に付いた。

 襟や袖の裾から刺青が覗いているあたり、こいつらもヤクザだろうか。この前のヤクザのおっさんの見舞いにでも来たのか。

 それにしてはどいつも変に緊迫した表情をしている。もしかしたら、あのおっさんが危篤なのかもしれない。

 暇つぶしがてら、少し様子を見てみるか。

 

 5階に移動し、廊下に漏れ出す靄を目印に病室に向かう途中で、靄が薄れ始めて完全に消えてしまった。

 息を止めて近付き病室の中に入ると、心電図は平らな線を表示して、機械から鳴り止まぬ電子音が響き続けていた。

 

 ふん、やっとくたばったか。

 もう少しスカッとした気分になるかと思ったが、特段何の感情も湧かないな。

 過去に痛め付けてやった悪党どもが死ぬところを見物した時は、そこそこ愉快な気分に浸れたもんだが。

 

 部屋の中では何人かのヤクザらしき男達が、おっさんの名前を必死に呼び掛けていた。

 おっさんの妻らしき女と、中学ぐらいのガキも「パパ、パパ」と声を掛けている。

 何がパパだ。そんなガラじゃねえだろ。

 アタシが病室に入って間もなく看護師が現れ、既に死んでいるおっさんに声を掛け、反応が無いことを確認して医者を呼んでくると言い残して去って行った。

 すぐに医者が現れ、声を掛け瞳孔を確認した後に「御臨終です」と告げた。

 

 医者の言葉を聞いて妻とガキだけでなく、ヤクザ共も泣き始めた。

 ヤクザ共はおっさんの妻に、「この人は男の中の男だった」とか「立派な人だった」なんて涙ながらに語っている。

 その姿を見ていると、胸に何とも言えないモヤモヤした感情が去来した。

 ここにはもう用は無いし引き上げるか。なんか気分悪いし。

 こいつら全員を半殺しにしてやろうかとも頭に浮かんだが、無駄に騒ぎになっても面倒だ。

 

 ロビーに戻ると椅子が全て埋まっていたので、壁にもたれてモヤモヤを打ち消すべく思考を整理する。

 

 あれだけ慕われている人間を、いたぶって遊んだことへの後悔や罪悪感なんかではない。

 妻子を遺してこの世を去ることにも、残された妻子にも欠片も同情する気なんて起きない。

 あんな何人も殺してるクソ野郎でも、死んだら悲しんで貰えるという事に納得がいかない。

 病室に来ていたヤクザ共も、おっさんの同類だろう。

 そんな他人を平気で虫けら扱いする連中ですら、身内が死ねば流す涙を持ち合わせているのか。

 

 ――真依が死んだら、涙を流す人間がどれだけいるだろうか。

 

 真依は何一つ悪い事はしてないのに、逆恨みや金惜しさから早く死ぬように願われ、挙句は使い捨てにされてボロボロだ。

 何なんだよこの差は、余りにも不公平だろ。

 

 何となくモヤモヤの正体が分かってきた気がする。

 あんな社会のはみ出し者のおっさんの方が、真依よりも周囲の人間に愛されてるのが悔しいんだ。

 あんなヤクザなんかよりも、真依の方が劣った人間だと言われてるような気がして、不愉快な気分が湧き上がる。

 SNSで遣り取りしていた真依の絵の師匠や役者なんかは、訃報を聞けば少しは気の毒に思うかもしれないが、所詮は画面の向こうの赤の他人だ。

 お悔やみの言葉を述べても、数日もすれば記憶から消えるだろう。

 何より訃報を知らせる手段も無いよな。

 

 あーあ、何でこんな下らねえこと考えてんだろな。

 小さく溜息を吐いて、天を仰いだ。

 真依と晃樹は、まだ話し込んでるんだろうか。

 晃樹の様子からして、悩んだ末に顔を出したんだろうし、また喧嘩をすることは無いだろうとは思うが。

 

「あっ、シアちゃん、ここに居たんだ」

 

 不意に声が掛かり顔を向けると、恥ずかしそうに顔を顰める晃樹と、恋人の様に腕を絡めた真依が居た。

 その姿を見て安心すると同時に、僅かに嫉妬のような感情が湧き上がった。

 やっぱり知り合って数日のアタシより、長年一緒に過ごした弟の方が心が安らぐんだろうな。

 

「もうすぐお昼だしさ、三人で一緒にご飯食べようよ」

 

「アタシは別にいいよ。姉弟水入らずの方が良いだろ」

 

「やーだ! 三人一緒がいいの!」

 

 真依は案の定食い下がって来た。

 言い出したら聞かないし、渋々ながら承諾して三人で食堂に向かい、アタシと晃樹の昼食を注文して病室に戻った。

 真依がアタシの分の代金も支払っていたことに、晃樹は怪訝な顔をしていたが、特に何も言われることは無かった。

 

 病室で駄弁っていると昼食が届き、三人で談笑しながら食事を取った。

 話の主な内容は、晃樹の通っている学校での出来事だった。

 真依は嬉しそうに頷きながら聞いているが、稀に女の話題になると悔しそうに眉根を寄せていた。

 真依から水を向けられアタシの事も少々話し、こんな見た目でも真依より年上だと言うと、露骨に疑いの視線を向けられた。信じられないのも無理は無いだろうが。

 アタシと真依が知り合った経緯を尋ねられ、親戚の見舞いに来た時に出会って仲良くなり、親戚が退院した後も真依の見舞いに来るようになったと、適当にでっち上げておいた。

 

「さて、それじゃ学校行くよ」

 

「うん、勉強頑張ってね。車にも気を付けてね」

 

 朝と同じく真依はあまり箸が進んでいなかったが、食事を終えて真依が薬を飲み終わるのを見届けると、晃樹が立ち上がって名残惜しそうに告げた。

 

「あれ? サボるんじゃなかったのか」

 

「午後の授業だけでも受けとけって、姉ちゃんがしつこいからさ」

 

 決まりが悪そうに苦笑いを浮かべ、また来ると告げて部屋を出ようとした晃樹に、見送りをすると言って真依がベッドから降りた。

 晃樹は遠慮していたが姉の性格をよく知っているのか、すぐに諦めた様に肩を竦めた。

 一階に降り、玄関の外まで出て別れを告げて晃樹は去って行った。

 途中何度か振り返って手を振り、真依も手を振って、姿が見えなくなるまで何度も繰り返した。

 

「なあ、本当に帰しちまってよかったのか?」

 

「うん、無断で休むより遅刻ってことにした方が少しはマシでしょ? わたしのせいで勉強が遅れちゃうのも申し訳無いし」

 

 本当にそれでいいのか?

 真依の意向を無視して、晃樹を追いかけて呼び戻した方がいいんじゃないのか。

 それとも真依の言う通りに、このまま見過ごしていいんだろうか。

 迷っていると公園を散歩しようと手を引かれ、そのまま公園に向かうことになった。

 

「桜は全部散っちゃったけど、ツツジが咲き始めてるね」

 

 明るく話す真依に釣られて植え込みを見ると、大半がまだ蕾のままだが、赤や白の花がいくつか開いていた。

 もう暫くすれば、植え込みを花が覆いつくして鮮やかに彩ることだろう。

 真依がそれを見ることは叶わないんだろうが。

 

「ね、ちょっと一休みしていい?」

 

 額に汗を浮かべて息が荒くなった真依と共に、芝生の上に腰を下ろした。

 

「大丈夫か? そろそろ戻った方がいいんじゃないか」

 

「平気だよ。折角のいい天気なんだから、もう少しのんびりしたいし」

 

 気持ち良さそうに陽光を浴びる真依とは真逆に、アタシは気が気でない。

 

「こんな感じの芝生を植えてるキャンプ場で、キャンプしてみたかったなあ。昼はテント立てて夕方に一緒に晩御飯作って食べて、夜は二人で芝生に寝転んで星空を眺めたりするの。すっごく素敵じゃない?」

 

「そういやキャンプ動画とか好きだったな。アタシはあんま興味ないけど……アンタと一緒なら最高に楽しいだろうな。虫とか蛙とかを獲って食うのは勘弁だけど」

 

 芝生を撫でながら、屈託の無い笑顔で語る真依に返事を返すと、嬉しそうに目を細めた。

 

「はあ、それにしてもいい天気だね。ちょっと眠くなってきちゃった」

 

 雲一つ無い青空を見上げながら、真依はしみじみと言う。

 芝生の上で正座に座り直し、ぽんぽんと膝を叩いて「ほれ」と声を掛けてやる。

 

「えっ、うーん……。嬉しいけど、外じゃちょっと恥ずかしいかな……」

 

「平日だからあんま人いないし、誰も気にしないさ」

 

 恥ずかしそうに迷った後、結局芝生に横たわってアタシの脚に頭を乗せた。

 

「ねえ、わたしが死んじゃったらさ……わたしの事は、忘れちゃってね」

 

「何だそりゃ? 普通は自分の事は忘れないでくれ、って言うもんじゃないのか」

 

「やっぱりシアちゃんには、いつも笑顔でいて欲しいもの。わたしのせいで、嫌な気分を引き摺ったりしたら悪いしね」

 

「……嫌だね。アンタはアタシの恋人だろ? ぜってえ忘れてやらねえよ」

 

 真依の両頬に手を添え、目をじっと見据えながら言うと、僅かに憂いを含んだ笑みを浮かべた。

 

「今まで良い事なんて殆ど無かったけど、シアちゃんのお陰で生きてて……良かったって心の底から、思えるよ。弟とも、仲直り……ふぁぁ……あ……出来、たし……」

 

 幸せそうな顔で途切れ途切れに話しながら大きな欠伸をし、真依は目を閉じて寝息を立て始めた。

 そんなに感謝されるようなことはしてないがな。

 真依の金で飯食って遊びに行って、我ながらただのヒモとしか思えない。

 世話になってばっかで、本当に何もしてやれてないな。

 

 アタシがフィクションの悪魔の様に、魂を代償に願いを叶えてやれりゃ良かったのにな。

 それなら病気を治せたし、真依が死んだ後も一緒に居れたのに。

 やっぱりアタシは、人間をいたぶって殺すぐらいしか能の無い、死神でしかないんだな。

 

「……ごめんな」

 

 気持ち良さそうに寝ている真依の顔を見下ろし、軽く頭を撫でた。

 昔暇つぶしに図書館で読んだ恋愛物の小説で、いちゃつく主人公とヒロインが「このまま時間が止まればいいのに」なんて抜かしていたのを思い出す。

 あの時はクソ下らねえとしか思わなかったが、今となっては痛切に時間を止めることが出来ればと思う。

 何の解決にもならないが、少なくとも真依が死ぬことは回避できる。

 

 ――はぁ、そんなこと考るだけ無駄だよな。

 

 公園の時計に目を向けると、無情に時が刻まれて行く。

 真依の死へのカウントダウンをされているようで、胸が締め付けられる。

 天を仰ぐと、憎らしいほどに空は青い。

 穏やかな陽気を振り撒く太陽からも、嘲笑われているような錯覚を受ける。

 ネガティブなことしか考えられない自分が、段々と嫌になってくるな。

 

 膝枕をしたまま真依の寝顔を眺めつつ、時計や空に時折目を移していると5時の時報が鳴り始めたので、肩を揺すって真依を起こした。

 

「ん……もう夕方になっちゃった? 足痺れちゃったでしょ? ごめんね」

 

 目を覚ました真依に、平気だから謝らなくていいと言って病院に戻った。

 食堂で夕食を注文し、真依がまだ用事があると言うのでそちらに向かった。

 向かった先はATMで、手際よく操作して引き出した金を封筒に入れて、こちらに突き出した。

 

「……何だこれ?」

 

「全部下したから、20万円ぐらいあるよ。今までは、わたしの行きたい所に付き合って貰……」

 

「は? いらねえよ。礼が欲しくて一緒に居た訳じゃねえし」

 

 思わず真依の言葉を遮った。

 金も食事も必要ないと何度も言ったのに、通じてなかったのか。

 おまけに謝礼目当てとでも思われていたのか。

 少し苛つくような、ガッカリしたような気分だ。

 

「そうじゃなくて! 次のデートコースは、シアちゃんに決めて欲しいの! これで支払いもお願いね?」

 

「へっ? ……ああ、そう言うことか。悪い、また早とちりしちまった。けど、アンタの金でアタシが支払いすんのって、何か意味あんのか?」

 

 ちゃんと最後まで聞いてよね、と真依は頬を膨らませつつ、そういう気分を味わいたいから問題無いのだと言うが……。

 

「もしかして、それまでわたしの命が持たないと思ってる? シアちゃんと会ってから、凄く元気が湧いてきてるから大丈夫だよ。多分寿命も何日か延びてるから、もう一回ぐらいはお出掛けできると思うよ」

 

 真依は明るい笑顔で語るが、言葉とは裏腹に体調が良さそうには全く見えない。

 明らかに無理をして気丈に振る舞っているのであろう、その姿に言葉に詰まりながら承諾して部屋に戻った。

 

「ところで、貯金全部下しちまってよかったのか?」

 

「うん、いいのいいの。今までは少しでも残そうと思って、なるべく使わなかったけど……もう、いいかなって。もし余っちゃったら、シアちゃんが持ってて美味しい物でも食べてくれると嬉しいな」

 

 やはり昨日の事で、両親や親族に完全に見切りを付けたのか。

 だとしても、弟に残してやればよさそうだが。真依なりに色々考えた末の事なんだろうか。

 

「やっぱり両親とかジジイの事、恨んでるのか?」

 

「えっ、そんなこと無いよ! わたしがこの年まで生きれたのは、お爺ちゃん達のお陰なんだもの。入院費用も保険の効かない外国の凄く高い薬の代金も出して貰ったし、本当に感謝してるよ。……全然何も思わない訳じゃないけどね。あっ、昨日わたしが"あんな人たち"って言っちゃったのは内緒にしてね?」

 

 ジジイが金を出したのも、この病院と関わりが有ることからの、世間体のためじゃないのか。

 真依はこの年まで生きることが出来たと言っているが、ジジイのために苦しい思いをさせられながら、無理矢理生かされ続けただけに思えてしまう。

 真依から聞いたジジイ共の仕打ちを思い出すと、どうしても邪推してしまうな。

 

 腑に落ちないまま悶々としていると夕食が届き、いつもの様に食事を取り始めたが、やはり夕食も半分以上を残していた。

 真依は今日はたまたま食欲が無いだけだと取り繕っているが、心配を掛けさせないための嘘だと見抜けない程間抜けじゃない。

 

「ねね、それより次のデートの候補選びしようよ」

 

 空気を変えようと思ったのか、ベッドの上でタブレットを指差し、近場のデートスポットを探し始めた。

 近場には博物館や美術館ぐらいしかなく、他に日帰りで行けそうなのは少々遠いところにある森林公園や、果物狩りなんかが出来る農園ぐらいか。

 

「なんなら、ラブホテルに連れてってくれてもいいよ?」

 

「お断りだっつうの」

 

 軽くデコピンをして、いつもの調子の冗談に突っ込みを入れた。

 色々と見ている内に、到底日帰りでは行けない市外や県外の観光スポットに検索範囲が広がっていた。

 結局どこに行くかは決まらず、真依と共に興味が湧いたり行ってみたい場所を延々と話すだけで時間が過ぎ、消灯時間が近くなってきた。

 

「そろそろ寝ないといけないし、また明日考えよっか」

 

 残念そうに笑いながらタブレットを引き出しにしまい、就寝の準備を始めた。

 

「ねえ、嫌じゃなかったらだけど……一緒に寝ない? ほら、椅子に座ってるだけってのも辛そうだし」

 

 部屋の電気を消すべく壁のスイッチに向かうと、真依からおずおずと声が掛かった。

 

「ぅえ? い、いや、アタシは何ともないから別にいいよ。何より狭いだろ」

 

「シアちゃんスリムだし、このベッド大き目だから平気だよ。それに何だか今日は妙に心細くて……」

 

 寂しげな表情の真依を見ると、変な罪悪感を感じて拒否する気が失せてしまった。

 

「分かった分かった。取り敢えず電気消すぞ」

 

 アタシの返事にパッと顔を輝かせた真依に少々呆れつつ、部屋の明かりを消してベッドに向かった。

 了承したものの、いざベッドに入ろうとすると緊張してきた。

 

「……変なことするなよ?」

 

「しないしない。でも、シアちゃんはしてくれてもいいからね?」

 

 ……やっぱり断るべきだったか。

 若干の後悔の念が浮かびながら、ベッドに潜り込んだ。

 

「えへへ、ありがとね。んー、前も思ったけど、シアちゃんって良い匂いするよね」

 

「そうか? アタシの生まれからして、野晒しの白骨死体みたいな臭いがするもんだと思ってたけど」

 

 鼻を鳴らす真依に、率直に返す。

 自分の体臭は自分じゃよく分からんが、真依は凄く落ち着く匂いだと言う。

 

「安眠効果みたいなのが、少しでも有りゃあ良いんだがな。ともあれ、早く寝なよ」

 

「はぁい。おやすみなさい」

 

「おやすみ」

 

 ベッドに横たわり、暗い部屋の天井を眺める。

 真依の寝息を耳元で聞きながら、このまま無事に朝を迎えられる事を祈り続けた。

 しかし……落ち着かねえな。

 

 どれぐらいの時間が経っただろうか、暗闇を見つめ続けていると、真依の呼吸が段々と荒くなってきた。

 何か良からぬことを企んでいるのかと身構えたが、荒い息に混じって苦しげな呻き声が聞こえ始め、慌てて飛び起きた。

 部屋の明かりを点けると、真依は額に脂汗を浮かべ、苦しそうに唸りながら歯を食いしばっていた。

 全身から血の気が引き、ナースコールのボタンを押した。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 真依に声を掛けるが返事は無く、息をするのも辛いのか、ヒューヒューと空気が漏れる様な音が喉の奥から聞こえてくる。

 駆け付けた看護師が、苦しみの度合いは10段階のどれぐらいかと真依に尋ね、口を震わせながら絞り出すように10と告げた。

 看護師はやや緊張した面持ちで、医者の指示を仰ぐと言い残して部屋から出ていった。

 

「ごめん……もしかしたら……駄目かも」

 

「そんなこと言うなよ……。次に出かける時は、ラブホでもどこでも付き合ってやるからさ……弱音吐かないでくれよ……」

 

 顔が土気色の真依を見ると、遂にこの時が来たかと心に突き刺さり、視界がぼやけ出した。

 

「じ、じゃあ……頑張る、よ……。だから……泣かないで……」

 

 真依に言われて、自分が涙を流していることに気付いた。

 涙を拭って真依の手を握り必死に元気付けたが、アタシの言葉なんかにどれほどの意味が有るだろうか。

 

「ありがとね……大好き」

 

「……アタシも」

 

 真依の掠れた声に、震える声で応えた。

 暫くして扉がノックされ、看護師ではなく医者が訪れた。

 医者が言うには、このままだと苦痛で真依の体が持たないので、強めの薬で眠らせて凌ぐという事だった。

 医者が注射器を真依の腕に刺す様は、安楽死の薬を注入している様にしか思えて仕方なかった。

 

「じゃあ……少し、寝るね」

 

「ああ、体調が戻ったら、また、二人で……遊びに行こう」

 

 真依から返事は無く、そのまま目を閉じて眠りに就いた。

 薬を打ち終わって間を置かず、真依は少し痙攣して目を見開き、いつかと同じく息継ぎの様に間隔を開けて大きく息を吐き始めた。

 医者は今夜が峠だから側に居てやってくれと言って去って行き、入れ替わりに入って来た看護師が心電図の機械を繋ぎ始めた。

 真依の命が尽きることは分かっていた筈なのに、喪失感が募る。

 無駄なことだと思いつつも、奇跡が起きることを願わずにいられない。

 

 心電図は小さい山を定期的に描くが、真依の呼吸は不規則で間隔が大きく開く時もあり、その度に肝が冷える。

 心臓が縮み上がる気分で真依を見守っていると、喉に何かが詰まったように苦しげに息が止まり、少し間を置いて赤い滴が口の周りに散った。

 吐血したのかと思ったが、喉の奥が切れただけだったようだ。

 いつもの様に傷を治すべく喉元に触れて意識を向けると、腹の中をまさぐられ、肺を締め付けられるような感覚に襲われて反射的に手を離した。

 何だ今の? 昨日も腹の辺りに違和感があったが……。

 もしかして喉の傷だけでなく、真依の苦痛も肩代わり出来てるんだろうか?

 そんなことは一度も出来なかったのに、どうして急に出来るようになったんだ。

 何度も傷を治している内に、治せる範囲が広がったのか?

 もしそうなら、真依の病気も肩代わり出来るんだろうか。

 

 ああ、クソ。もっと早く気付けていれば。

 痛みに鈍いこの体を、初めて恨めしく思った。

 

 いや、そんなことを考えてる場合じゃない。

 真依の手を握り意識を集中すると、再び腹をまさぐられ肺を締め付ける感覚が起こった。

 加えて頭の天辺から足の先まで、何かが這いずり回る様な不快感と、全身に倦怠感が生じた。

 手を握ったまま時間が経つにつれて、全身を襲う不快感はより強くなっていき、少しずつ視界が暗くなり始めた。

 痛みを感じ難いアタシにこれだけの異常が出るんだ、真依の苦しみは計り知れないものだったろう。

 自身の死が一瞬頭に過ぎるが、真依が助かるならアタシの命なんざ道端の石ころよりも軽い。

 

「頼む……助かってくれ……」

 

 懇願の言葉が口から出ると同時に、アタシの意識も闇に呑まれた。

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