アクセルの中心街は、今日も活気の良い呼び込みが飛び交っている。
「安いよ安いよ! 栄養満点、肥沃な畑で採れた鯵が食べごろだよ!」
「いまから三十分間、三千エリス以上お買い上げの人は全品10パーセントオフ! この機会を逃す手はないぞ!」
時刻は夕方。
今日の献立を考えながら歩く主婦の人をターゲットにした食品関連のお店は、ここが書入れ時だと言わんばかりに気合を入れている。
そんな中で俺は、
「えー、魔道具いかがっすかー? 世にも珍しい魔道具がそろい踏みのウィズ魔道具店をごひいきにー」
なぜかウィズの店の手伝いをやらされていた。
「まいどあり! おい小僧、なんだそのまるで覇気を感じぬ腑抜けた客引きは。普段あの娘達に突っ込みを入れるぐらいの声量でやらんか」
先程まで他の客を相手にしていたバニルが後ろから鋭く声を飛ばしてくる。
「そうは言ってもな、食品関連の稼ぎ時に魔道具を売るとかアウェイ過ぎるだろ。客もそんなに来ないからモチベーション上がんねえし」
昼寝から目が覚め、特段やる事もなかった俺は暇潰しに街へ出たのだが。
商店街をふらついている所をバニルに捕縛され、流れで客引きをする羽目に。
「連れぬことを言うでない、何だかんだで身内に激甘のツンデレ小僧よ。モチベーションが上がらぬと言ったが、あれを目の当たりにして同じセリフを吐けるか」
そう言ってバニルが指差す方向に渋々視線を向ける。
「ウィズ魔道具店を、ウィズ魔道具店をお願いします! もう一週間もパンの耳だけの生活なんです! どなたか、ウチの商品を買って下さい‼」
そこには口に手を添え、涙目になりながらも懸命に声掛けをしているウィズの姿が。
いや、改めてみるまでもなく誰がいるかなど分かり切っていた。
分かってはいるのだが、あの逼迫感溢れるウィズは正直見たくない。
大概の通行人はドン引きしてるし、買って行ってくれる人も皆一様に憐憫の表情を浮かべている。
「……こんなやり方で本当にいいのかよ」
「吾輩とて可能ならこのような惨めな商法は使いたくなかったわ。だが、普段は全く売れない商品が、若干数とは言え捌けるので、使わん訳にもいかなくてな」
白い視線を向ける俺に、バニルは大きな溜息をつく。
こいつも苦労が絶えないようだ。
「なあ、ちょっと思い付いたんだけど――」
二時間後。
「フハハハハ、フハハハハハ! なんてことだ、まさかの完売! 礼を言うぞ小僧、通りすがりの汝をヘッドハンティングした甲斐があったという物だ」
「ま、まあ俺にかかればこんなもんよ」
今回持ち出していた商品を何とか捌き切った事でバニルは大満足らしい。
俺としてもここまで上手くいくとは正直思っていなかったので驚いている。
やはり俺は商売で食っていった方が良いのではないだろうか。
ただ……。
「ううっ、カズマさんてば酷いです。私、汚れてしまいました……」
自分の体を抱きしめ、仮設店の端ですすり泣くウィズ。
彼女を見ていると、間違った事など何もしていないはずなのに罪悪感が芽生えてくる。
「わ、悪かったって、現状を巻き返す案がこれ以外に思いつかなかったんだよ」
謝罪する俺の言葉に、ウィズは涙目のまま顔を上げ、
「でも、私はじめてだったんですよ。それをこんな……こんな人通りが多い場所で……っ」
「言い方! 別に変なことは頼んでないだろう? あれは単に」
「単に大衆の面前で素肌を晒し、むくつけき男共にその柔肌を触れさせ至らしめただけであるからな。悪魔の吾輩ですら及びもつかぬ鬼畜の所業、大したものである」
「だから人聞きの悪い言い方は止めろって⁉」
違うのだ。俺は単にバニー服のウィズに客引きさせた上で、一定額以上の商品を購入した奴にはオプションで膝枕をする権利を付加しただけなのだ。
こいつらの言い方だと色々と語弊がある。
「というかバニル、お前俺がバニー膝枕戦法を提案するのを事前に見通してただろ」
「そうなんですか⁉ 確かにバニー服とか膝枕用シートとか、随分用意がいいなとは思っていましたけど」
恨めし気に睨みつけるも、バニルは全く悪びれる様子もなく、
「目標さえ達成できれば、多少過程が変動しようが気にしないのが我々悪魔族のやり方。吾輩はその理念を順守したまで」
それにとバニルはすっと指を立てる。
「ついでに美味なる悪感情も頂けそうだったのでな、おぬしの案を採用してやったのだ。これぞウィンウィンの関係と言うのではなかったか、普段は見られない客引き店主の露出の多さに邪な想いを募らせていた小僧よ?」
「過ぎた事をいつまでも責めたってしょうがないよな、さっさと店終いしようぜ!」
ウィズの冷たい視線を背に受けながら慌てて撤収作業に取り掛かろうとする俺を、バニルは手で制し、
「いや、汝はもう上がってよいぞ。丁度迎えの者が来たのでな」
「迎えの者?」
意図が読み取れず首を傾げていると、
「お兄様!」
とても聞き覚えのある声に通りの向こうを注視する。
そこでは沈んでいく太陽を背に、煌めく長い金髪をなびかせた一人の美少女が、手を振りこちらに駆け寄ってきていた。
「よおイリス、どうしたんだよこんなところで?」
「はい。今日お頭様にお会いした際、またお兄様のお屋敷で夕食はどうかと誘われまして。折角なので食材を持参しようとお買い物に来ていたのです」
ウィズやバニルに挨拶していたイリスが、手に持った袋を開いて見せてきた。
中には種種の野菜や魚が小刻みに動いており、ついさっき購入したばかりなのだと伺い知れる。
「そろそろ冷蔵庫の中が空になりそうだったから助かったよ。流石はイリス、俺の自慢の義妹だ!」
「い、義妹だなんてそんな……」
嬉しさからか、ほんのりと頬を赤らめて赤面するイリス。
そんなちょっとした仕草ですら可愛らしいのだから、妹とは本当に良いものだ。
「お兄様は魔道具店のバイトですか? もしかしてまだお仕事中だったでしょうか?」
「いや、丁度さっき終わった所だよ。だから一緒に帰れるぜ」
念の為にバニルに視線を送るが、何も言わずにせっせと撤収作業をしている。
これは承諾と受け取って良いだろう。
俺の言葉にぱあっと顔を明るくしたアイリスは、さっと俺の腕にギュッとしがみ付き、
「それじゃあお兄様、帰りましょうか。ウィズさん、ハチベエ、ごきげんよう」
「はい、またいつでもお越しくださいね」
「昨日に限らず、汝の依頼ならばいつでも受け付けておるぞ一日主よ」
二人に見送られながら、俺達は影が長く伸びている方へと歩き出した。
道中、今日あった出来事を沢山話してくれるイリス。
お昼にはアクセルハーツのライブを見ただとか、ミーア達が新鮮な野菜をくれたので今晩は美味しい食事になりそうだとか。
目を輝かせて話すイリスの表情はとても生き生きとしており、こちらも何だか嬉しい気分にさせられた。
自然と歩く速度は遅くなり。
陽の光が外壁の向こうへ落ちるぐらいになってようやく屋敷へと辿り着いた。
「帰ったぞー」
「お邪魔します」
広間の扉を開くと、ソファーに座ったアクアが膝の上にゼル帝をのせ、柔和な表情で優しく撫でていた。
「カズマおかえりー。あら、イリスも来たのね。その手に持っているのはもしかしてお土産?」
「はい、何も持ち合わせないでご相伴に預かるのも申し訳ないと思いましたので。よろしければお使いください」
目ざとくもイリスの手荷物に食いつくアクア。
今日は宴会よと勢いよく立ち上がり、軽やかに廊下の方へと歩き出す。
大方、自分の部屋に酒でも取りに行くのだろう。
「ダクネスはいないのか?」
「さっき出掛けていったわよ。なんかダクネスの家の人が手紙を持ってきて、王都から召喚がかかったからって慌てて出て行ったわね。明日には帰るって」
「ふーん、召喚ね」
あれでダクネスは大貴族の娘だ。
貴族としての務めか何かなのかもしれない。
「んじゃ、そろそろ晩飯の準備はじめるかな」
「私もお手伝いします」
台所へと向かう俺についてくるイリスはやる気満々。
真っすぐに見つめてくる碧眼はサファイアの様にキラキラと輝いていた。
「それじゃあお願いしようかな。今日はイリスが買って来てくれた夏野菜をふんだんに使ったカレーを作ろうと思う」
「私もカレー大好きです」
ふんすと気合を入れるイリスに内心ほっこりしながら、料理の準備に取り掛かる。
じゃがいもに反撃を食らったり、イリスが玉ねぎに泣かされたり。
多量のトラブルは起きつつも概ね順調に調理は進んで行き、
「――よし、いい具合だな」
「はい、野菜の旨味とコクの深さが混ざり合ってとても美味しいです」
イリスの評価も上々。
後は一度冷ましてから温め直せば完成だ。
火を止め一度広間へ戻ったその時、玄関をノックする音と共に扉が開かれた。
「ただいま帰りましたよ。おや、いい匂いがしますね」
「こ、こんばんは」
入って来たのは、ぐったりとしためぐみんを背負ったゆんゆんだった。
今日は爆発音は聞こえなかったから、またどこか遠くで打って来たのだろう。
「おかえりー、今夜はカレーだ。ゆんゆんもいつも悪いな、面倒だろうに」
「いえ、もういい加減慣れましたから」
「おい、私を厄介者扱いするのは止めてもらおうか」
ソファーにめぐみんを座らせるゆんゆんに労いの言葉を掛ける。
俺の言い方に不満でもあるのかめぐみんが睨んでくるが、実際厄介者以外の何物でもないので気にしないでおく。
「もしかしてゆんゆんさんも晩御飯へ招かれたのですか?」
「えっ⁉ いいい、いやいやそんな、私はただめぐみんを連れ帰って来ただけで……」
明るい笑顔で尋ねてくるイリスに、ゆんゆんはあからさまに取り乱し手を前でバタバタと横に振る。
「そうですか。でも折角お越し下さったのですし、よろしければ食べていかれませんか? いいですよねお兄様?」
「カレーも沢山作ったし全然いいぞ」
「で、でも……私なんかが混じったら、話が盛り上がらなくて場が白けちゃうんじゃ……」
指をもじもじとさせチラチラッとこちらを窺ってくるゆんゆん。
この間は最前線の砦まで一緒に冒険したのだし、だいぶ打ち解けられたかと思っていたのだが、まだまだ足りなかったようだ。
煮え切らないその態度にイライラしたのか、めぐみんはソファーに寝そべったまま、
「本当にこの子は面倒臭いですね。一緒に食べたいなら食べたいとハッキリ言えばいいじゃないですか。初めから貴方が面白い話をできるなどと誰も期待していませんから、堂々と参加すればいいんですよ」
「それはそれで傷つくんだけど⁉」
涙目になったゆんゆんに更なる追撃をあたえるめぐみんを横に、イリスがちょいちょいと俺の服の裾を引っ張って来た。
「お兄様、私はもう一セット食器を取りに行ってきますね」
「俺も副菜の準備とかがあるし一緒に行くよ」
背中に二人の紅魔族の声を浴びながら、俺とイリスは連れ立って広間を出た。
ゆんゆんとイリスを含めた五人での夕食が終わった。
帰宅するゆんゆんを見送ったり深酒で眠りこけたアクアの世話をしたり。
諸々の用事を済ましたところで自室に戻った俺はそのままベッドに寝転がった。
今日も充実した一日だった。
よく働きよく食べ、慕ってくれる可愛い妹と楽しい時間を過ごす。
まるで夢の世界にいるみたいだ。
こんな毎日が明日からも続いてくれたら。
そんな事を考えながら、俺は目を閉じて深い眠りに……。
「いや、ちょっと待て」
むくりと体を起こし顔に手を当てる。
動揺を悟られない様にこれまで平静を装ってきたがそろそろ限界だ。
一度冷静になって、じっくり俯瞰してみなければ。
大きく息を吸いこみ、時間をかけてゆっくり吐き出す。
……よし、いってみようか。
まず第一に、というかこれが全てと言っても過言ではないが。
なんでアイリスこの街にいるの?
始まりはいまから一週間前。
俺達がいつも通り朝飯を食っていたら、突然アイリスが尋ねてきたのだ。
お付きの二人も連れていなかったし、もしかして俺に会うためにこっそりと王城を抜け出してきたのか。初めはそう予想した。
だけど、その仮説は誤りだとすぐに気付かされる。
俺以外の全員がアイリスを、当たり前のようにイリスと呼んだのだ。
何が起こっているのか理解できなかった。
手の込んだ悪戯かとも疑った。
全員で俺にドッキリを仕掛けているのだろうと。
そこで軽く探りを入れてみたのだが、返ってきた反応は全員が怪訝な顔を浮かべるばかり。
この線も薄いらしい。
一瞬、俺の方がおかしいのかとも考えた。
でもそれを言い出したら元も子もない。
自分を信じられなくなったら、本当の意味で終わりを迎えることになりかねないからだ。
そこでとりあえず、一日様子を見てから判断しようと開き直った。
その甲斐なく、次の日もアイリスは変わらず訪ねてきて、なぜか一緒にクエストへいく流れに。
その上、夜は屋敷で一泊していく始末。
頭の混乱がピークに達しそうだった。
いっそ誰かに相談しようかとも思った。
しかし、街の連中までもがイリスを当たり前のように受け入れていたのでそれも叶わず。
おまけに、アイリスとの生活が楽しくない訳がなく事ある毎に思考を放棄してしまい。
結局一週間もずるずると過ごしてしまった。
これまではなんとかなったが、しかしこの辺りが潮時だろう。
王族であるアイリスが一週間も王城を留守にして、問題がない訳がないのだ。
いつクレアが怒鳴り込んできてもおかしく無い。
最悪、首ちょんぱだって考えられる。
そうなる前に、せめて原因だけでも突き止めておかなければ。
とはいえ、考えられる理由はあれしかないんだけどな。
一通り思考を巡らせた後、俺は今回の事件の発端であろう事象について思い返した――
「ねえカズマ、いったい何を注文したの? 随分と細長いものみたいだけど」
長さ三メートルはあるであろう郵便物の梱包を解く作業を、アクアがソファー越しに覗き込んでくる。
めぐみんとダクネスも興味津々の様で、椅子に腰かけたまま視線をこちらに向けていた。
「これはな、今日という特別な日を最大限楽しむ為のマストアイテムだ」
「えッ⁉ それってもしかしてシュワシュワなの?」
「こんな長いシュワシュワがあってたまるか」
他に思い付くものがないのか、後ろで頭を悩ませているお酒の神様は放置しつつ最後の包み紙を剥がす。
「おっ、結構立派なやつが届いたな」
「「……竹?」」
めぐみん達がキョトンとする中、両手で抱える様にしてゆっくり竹を立ててみる。
運ぶ時もそれなりの重量感だったが、こうしてみるとやっぱ迫力があるな。
品質の高さに俺がうんうんと満足しているとアクアがあぁと呟いた。
「七夕ね!」
「そう言うこと」
ひとまずは竹を部屋の壁に立掛けておく。
後は短冊を吊り下げればそれらしくなるだろう。
「なあ、そのタナバタというのはなんなのだ?」
「またカズマの国の祭典行事ですか?」
そういえばこいつらにはまだ話していなかったか。
以前、アイリスに話した時も似たような反応だったし、この世界では七夕が浸透していないのかもしれない。
「七夕っていうのは、織姫と彦星が一年に一度だけ会うっていう伝説にちなんだ祭りだ。この日の夜に短冊へ願いを書き込んで笹に吊るせば、その願いが叶うとされている。本当は笹の方がいいんだろうけど、値段が竹の数十倍はしたから諦めた」
「竹の王である笹は稀少なだけじゃなくて狂暴性も高いものね」
そう、どうもこの世界の笹はとんでもなく狂暴で、自身を刈ろうとする対象を竹達に排除させるらしいのだ。
注文をした際に卸売りの人に竹と笹の違いを聞いたのだが、その時は何の冗談だとつい真顔になってしまった。
だが、こういうのは考えたら負けなのだ。
この世界に来て一番身に染みた教訓の一つである。
「オリヒメとヒコボシ? なぜそこでその二人の名が出てくるのだ?」
「いや、なぜと聞かれても」
七夕というのはそういうものだからとしか言いようがないのだが。
ダクネスへの返答に困っていた俺にめぐみんが、
「知らないのですか? オリヒメとヒコボシという名前が同時に挙がれば、それは『羽衣強奪事件』を置いて他にないでしょうに」
「羽衣強奪事件?」
そんな事件初耳なのだが。
七夕伝説と言えば、織姫と彦星がイチャ付きすぎて働かなくなったから、怒った天帝に引き剥がされ、一年に一度だけ会う事を許されたって話だろ。
それがなんで事件とかって話になるんだ。
と、俺達の間で視線を行き来させていたアクアがトントンッと俺の肩を叩いた。
「あのねカズマ。羽衣強奪事件って言うのは、大昔にこの世界で起こった事件が伝承された物でね。オリヒメはその事件の被害者なのよ」
「はあ?」
訳が分からない俺に、アクアが『羽衣強奪事件』とやらについて話し始めた。
「昔、天帝の娘であるオリヒメが地上へ遊びに来たんだけど。水浴びをしている隙に、偶然通りかかったヒコボシに羽衣を奪われたのよ。その羽衣は、天上と地上を行き来する為に必須のアイテムだったから、オリヒメは必死にヒコボシに頼むんだけど。その条件として、自分と結婚するように強要されたのよ」
なんだ、そのクズ野郎は。
相手の弱みに付け込んで交渉してくるとか外道の極みじゃねえか。
「……思ったのだけれど、ヒコボシってカズマとそっくりね」
「「確かに」」
「お前ら喧嘩売ってんのか?」
清く真っ直ぐに生きているこの俺が、なぜそんな卑怯な手を使う奴と同列扱いされないとならないのだ。
心当たりなんてこれっぽっちも……。
「前に私の羽衣売り飛ばそうとしてきたわよね」
「つい最近も、ちょむすけを引き合いにお姉さんを涙目にしてましたし」
「結婚式場では大金で買った私に、体で払わせるとも言っていたな」
「で、その後ヒコボシはどうしたんだ? まだ話は終わってないんだろう」
キリッとした目付きで話を促す。
別に自分の立場が危ういからとか三人の視線が痛いからとかが理由ではない。
若干一名は顔を火照らせていたがそれも今は置いておこう。
なんだか納得がいっていないようだったが、それでもアクアは話を先へと進めた。
「それで、泣く泣くオリヒメはヒコボシと共に生活するようになるんだけど。娘が家に帰らないものだから、天上は大騒ぎ。数年がかりでなんとかヒコボシを見つけた天帝は、彼をヘルモン山の山頂へ磔にして、未来永劫、その身をワシに啄まれる呪いをかけたの。今でもその刑は執行され続けているって話よ」
未来永劫って、そこまでキツい刑を科されたのかよ。
いや、天帝の娘を攫った罪に対しての報償なら妥当なのか?
「オリヒメは無事に天上に帰ることが出来て万事解決。その日を星祭りと位置付けて、毎年お祝いをするようになりましたとさ。めでたしめでたしというのが事件の概要ね」
「俺の知ってる七夕と全然違う」
毎度のことではあるが、この異世界とのカルチャーショックには辟易してしまう。
いつの日か、この感覚に慣れる日は訪れるのだろうか。
……いや、なんとなくそれは超えてはいけない線のような気がする。
「ま、まあその話と七夕とは関係ないんだろ? 折角だし短冊を飾るぐらいはしようぜ」
わざわざ高い金を払って竹を取り寄せたのだ。
このまま何もやらずに捨てるというのは流石に勿体ない。
「それもそうですね。オリヒメ周りの話が気にはなりますが、天帝も個人的な祝いにまで口を挟まないでしょう」
「ああ、カズマの国の風習のようだし、異文化交流として捉えれば問題はないはずだ」
「それじゃあ、私は短冊用の紙を用意してくるわね」
三人とも俺の案を否定する気はないようだ。
未知の経験ができるとワクワクしている三人の様子に、俺は内心ほっと息を付いた――
その後は皆で短冊を竹に吊るした以外には、特段変わった出来事もないまま床に入り。
目が覚めた翌朝にはアイリスがいる生活が始まっていた。
このタイミングから言って、あの日俺が短冊に書いた願い、『アイリスがいる日常を過ごしたい』ぐらいしか原因が思い浮かばない。
真面に考えたら頭が痛くなるが、現状はこの線を辿るしかないだろう。
問題はこの状況がいつまで続くかだ。
今の状態が一生続くのであれば、それはそれで俺としては文句はないが。寧ろ理想的でさえあるが。
そこまで俺に都合の良い展開が続くはずがない事は経験則で分っている。
ならば、いつ元通りの世界に戻っても対応できるように、今から対策の一つでも講じておくべきなのだろうが……。
……うん、どのような対策を考えればいいか見当もつかん。
ほんとこれからどうしよう。
グルグルそんな事を考えていると、コンコンッと部屋の扉を軽く叩く音がした。
こんな時間に一体誰だ?
訝し気に思いながらも返事を返すと控えめな声が返って来た。
『あの、お兄様? 少しお話よろしいでしょうか?』
「アイリス?」
あまりに意外な人物に驚きつつ扉を開く。
そこにはアイリスがうつむき気味に手を組んで立っていた。
心持ちなんだかそわそわしているようにも見える。
「どうしたんだこんな時間に?」
なかなか話し出さないので尋ねてみると、アイリスはビクッと体を震わせ、
「えっと……その、ですね……」
しばらく黙ったまま、視線を泳がせたり何度も指を組み換えたりして。
チラッと上目遣いでこちらを見上げたアイリスは、なにかを決心したように耳まで顔を赤くしながら、
「今晩、一緒に眠ってもよろしいでしょうか?」
「…………はい?」
そんな爆弾を落としてきた。
どうしようこの状態。
体がガチガチに固まりながらも、意識を横に向ける。
時刻はそろそろ日をまたぐ頃合い。
現在、月に照らされ金糸の髪をキラキラと煌めかせている美少女が頭を俺の腕に乗せ、ぎこちなさそうに寝転がっている。
距離感はほぼゼロ。
胸やら足やらに柔らかい感触が時々当たるばかりか、お互いの心臓の音も聞こえてくる。
風呂から上がったばかりなのだろう、シャンプーの甘い香りが鼻腔を擽り、精神へ幾度となく揺さぶりをかけてきて。
正直、理性が大ピンチです。
しっかりしろ俺。相手は妹、気立てが良くて素直で可愛らしいただの妹だ。
いま自分の身に何が起こっているかもちゃんと把握できてないってのに、ここで手なんか出してみろ、絶対に悪夢のような面倒事が群れをなして振り掛かるぞ。
「な、なあアイ……イリス、今日はどうしたんだ? なんで唐突に俺と一緒に寝ようだなんて思ったんだ?」
何か話していなければいろんなところがあれしてあれしそうになるので、ひとまず経緯だけでも思い切って尋ねてみた。
するとアイリスは少しだけ寂しそうに、
「ご迷惑でしたか?」
「い、いやいやいや、そんな事は全然ないんだけど。むしろ可愛い妹ならいつでも大歓迎だけど⁉ いきなり前触れもなかったからなんかあったのかなと思ってな、いや何もないならないで全然いいんだけど」
ああもう、思わず早口になってしまった。
話してる内容もなんか重複してるし、このままでは兄としての威厳が。
頭の中がしっちゃかめっちゃかしている傍ら、アイリスは恐る恐ると言った感じで俺の体に腕を回し。
ギューッと俺に抱き着いてきた。
「あ、あの、イリスさん?」
「……いいじゃないですか」
気が動転している俺の胸に顔を埋めたアイリスはボソッと呟き、
「偶にはこういうのもいいじゃないですか。だって私達は……兄妹なんですから」
顔を上げたアイリスは暗がりの中で、にっこりと微笑んだ。
それを見て俺は思った。
もう、なるようになってしまおう。
何が起こっているか分からない? そんなのどうでもいいだろ。
分からない明日の事よりも、確かな今を生きた方がいいに決まってるじゃないか。
「そうだな、俺達は兄妹だもんな、こんな日もあるよな。よし、それじゃあ今日は抱きあって眠るとするか」
「……はい!」
アイリスの声を受け俺は優しくギュッと抱き寄せた。
併せてアイリスもギュッと抱きしめ返してくる。
以前の俺だったらこれだけで目が冴えに冴えて冷や汗ダラダラだったろう。
しかし幸か不幸か、この一週間アイリスが何度も積極的にくっ付いてくるので、多少の免疫ができていた。
世界中に鬼畜のカズマさんの名が轟かないですんだ事を感謝しておこう、内心はかなり複雑だが。
「お休みなさい、お兄様」
「お休みイリス」
短い言葉を交わし、俺達は安らかな眠りについた。
翌日。
「お、おはよ。もう朝飯食ってんのか」
気さくに挨拶をする俺に、めぐみん達が呆れた目を向けてくる。
「これはお昼御飯ですよ。相変わらずの不摂生ですね」
「まったくよ、少しはこの私を見習って早起きを心がけなさいな」
「そう言うアクアもほんの三十分前に起きて来たばかりじゃないですか」
秒で口を挟まれたアクアが、私の面目がとか文句を言っているが、お前には初めからそんな物はないので気にする必要はないと思う。
朝から騒がしいアクアは放っておき、空いている椅子へと腰かける。
一呼吸置いた所へ、机の上に一杯のコーヒーがカシャリと置かれた。
「おはようございます、お兄様。お食事はすぐにお召し上がりになりますか?」
朗らかな笑みを浮かべ尋ねてくるアイリス。
メイド服に身を包み、綺麗な佇まいで接待をする姿は、一流の給仕人そのものだ。
「あ、ああ、頂くよ」
「はい!」
嬉しそうに返事をしたアイリスは足早に踵を返した。
直に食器の触れ合う音が響いてくる。
音のする方をなんとなく見ながら、俺は湯気のたつコーヒーに口を付けた。
苦味は少なくコクが強め、俺好みの味だ。
初めの頃は味が安定していなかったが、この一週間でアイリスのコーヒーを入れる腕も随分と上達してきた。
元から要領はいい子だったが、成長の速度が本当に速いな。
これならプロのメイドを目指すのも夢ではないかもしれない。
「カズマ、昨日の晩あの子と何かありました?」
「ぶっ!」
向かいの席からめぐみんが、どこか不機嫌そうな視線を送ってくる。
「……なんのことだか。おお、俺はいつも通りだぞ」
「声も手もものすごく震えていますよ」
いちいち指摘しないで欲しい、自分でも分かってるから。
しょうがないだろ、あんな可愛い子にいきなり添い寝しようだなんて言われたんだ。
ただの妹だと分かっているが、それでも意識するなというのは無理ってものだろう。
というか、なんでアイリスはあんなにも平然としてるの?
昨夜はあれだけ情熱的だったのに、なんで今までと同じような態度でいられるんだ?
意識してるのが俺だけみたいで何だか悔しいのだが。
「私は知ってるわよ」
いきなりのアクアの発言にドキッとさせられる。
「し、知ってるって……何を?」
まさかこいつ、昨日アイリスが俺の部屋に入っていく場面を見ていたのか。
ゴクリと唾を飲み込む俺を知ってか知らずか、口に入っていた物をごくりと飲み込んだアクアは真面目な表情で、
「カズマさんは冷蔵庫の奥に隠してあるプリンが食べたくて仕方ないのよね。でも駄目よ、あれは数量限定で四個しか買えなかったんだもの。誰が食べるかを決めるのはダクネスが帰って来てからよ」
「違わい」
いつも通りのアクアだった。
変に焦って損した。
人知れず俺がホッと一息ついていると突然、玄関のドアがバンッと開かれた。
何事かと思っている間にも、ドタドタと荒々しい靴音が響き、
「た、大変だ! カズマ、大変なんだ!」
貴族の令嬢が着そうなひらひらのドレス姿のダクネスが、すっかり表情を青ざめさせて声を張り上げた。
「どうしたんだよそんな剣幕で。また見合い話でも来たのか、ララティーナお嬢様?」
「ララティーナと呼ぶな! この服装は王城で挨拶周りをしていたからで……いや、そんなことはどうでもいい。いまは本当に大変なんだ! 実は……」
ダクネスがなにか話そうとしたその時、黒髪ロングの女性が数名の騎士を引き連れて広間へと入って来た。
「ご無沙汰しております、サトウさん」
それは以前、俺が国家転覆罪の容疑を掛けられた時に散々お世話になった女性、国家検察官のセナさんだった。
なんだろう、嫌な予感しかしない。
「どうしたんですかセナさん、そんなに騎士をぞろぞろと引き連れて。一応言っておきますけど、俺達は何もやってないですよ」
「第一声でそう言う発言をする人ほど疚しい事があるものですが。安心してください、今日はカズマさんのパーティーにご用はありませんから」
そうなのか。
遂にこの幸せな生活への報復がきたのかと冷や冷やしたが、取り敢えず一安心だ。
……ん、だったらなぜセナさんがここに来る必要が?
「あの、何かあったのですか?」
騒がしさが気になったのだろう、盆の上に俺の食事を乗せたアイリスが、戸惑いながらも台所から出てきた。
「おう、なんか知らんが王国検察の人が来てな。でも、イリスは気にしなくても……」
大丈夫と言おうとしたその時、背中がゾワッとする感覚を覚えた。
慌てて振り返るとそこには冷たい眼差しのセナさんが。
沈黙が広がる中、セナさんは一枚の紙を前へと突き出す。
「チリメンドンヤの孫娘イリス。貴殿には現在、王族偽証罪が課せられている。自分と共にきてもらおうか」