エンドレスネーク 作:ぽん
時刻は22時半を過ぎていた。
やっと、終わりを迎えた。
とうとう、終わりを迎えた。
僕たちはこの長い戦いに、ついに終止符を打ったのである。
「ついに課題が終わったぞ!」
僕は喜びに打ち震えながら、ベッドに座っている日菜海ちゃんに抱きつく。
「お兄、お疲れ」
日菜海ちゃんは僕の頭をぽんぽんと叩きながら続ける。
「でもお兄、ほとんど何もしてないけど……」
「そうだよ、お兄ちゃん。何もしてないくせに、何やりきった感だしてんだよ!」
というか、さっさとひーちゃんから離れろよ、と海月は言う。
「なんだよ二人揃って。僕にしてはかなり真面目にしていたと思うのだけど、それを何もしてないっていうのは酷くないか? 兄に対しての敬意ってやつが無いんじゃないか?」
「答えを写してるのを真面目にしていたって、言っていいのかは分からないけど、まあ、確かに集中してはいたと思うよ。だけど、お兄ちゃん、遅すぎるよ! 答えを写すだけなのに、時間かけ過ぎ! そんなお兄ちゃんに対しての敬意なんてあるわけないに決まってんだろ!」
「お姉の言う通り。結局お兄、生物と化学の問題集以外してないでしょ。あ、でも、私はちょっとくらいは敬ってるよ?」
敬ってる人の頭をぽんぽんと叩くのは違うと思うが、海月よりかは敬意というやつを感じる気がする。まあ、誤差みたいなもんだけど。
それはそうと、言われてみれば、確かに平均よりかは少しだけ――ほんの少しだけ、遅いかもしれない。そんなふうに思いながら、日菜海ちゃんに抱きつくのをやめ、今度は膝の上に乗せる。
「けどさ、そんなのどうしようもないだろ。別にふざけてるわけでもないんだしよ」
「確かにお兄ちゃんの基本スペックが低すぎるのは、どうしようもないかもね。いくら私たちシスターズが優秀でも、お兄ちゃんの基本スペックをあげるのは無理だよ」
「アップデートすら来なくなった、10世代くらい前のiPhoneを使ってる感じ?」
「僕の基本スペックはそこまで低くねーよ! というか、その例え、分かりにく過ぎるわ!」
ここで、10世代くらい前のiPhoneがiPhoneいくつなのかを明言してもいいのだが、それをすることによって、今の西暦を露呈することになってしまう。別に、そこまで隠したいわけでも、隠す必要もないのだが、そういう
「ところでお兄ちゃん」
海月は話題を変える。ありがたいことに、僕の基本スペックについての話は、ここで終わりにしてくれるみたいだ。
「お兄ちゃんって、やっぱりシスコンなの?」
全然ありがたくなかった。土下座してもいいから、さっきまでの話に戻して欲しい。
「僕がシスコンなわけないだろ。シスコンっていうのは、もっと妹に甘くて――例えば、欲しい物を好きな時に、好きなだけ買ってあげたりとか、そういうことをする兄のことをいうんだぞ?」
厳密に言えば、兄じゃなくても、弟や姉、妹だったら、誰でもシスコンになりえるのだが、今回の話はあくまでも僕の話なので、兄のこと、と言っているのだ。
「だったら、今日好きなだけケーキ買ってくれたお兄ちゃんはシスコンってことになるよね?」
「あれはそういうのじゃねーよ。課題の対価であって、プレゼントとかではないからセーフだ。そもそも、僕がシスコンだったら、妹に課題を手伝わせたりしないだろ」
「確かにそれもそうだね。悪かったよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはシスコンじゃない。それは認めてあげる」
一瞬、自白のようなことをしかけたが、ギリギリのところでなんとか助かった。
補足だが、自白ではなく、自白のようなこと、と言った理由は、僕がシスコンだということが事実ではないからだ。
「だけど――だけど、ひーちゃんからは離れろよ! てか、そこ変われ!」
少し間を開けて、海月はそう続けた。
「僕に散々、シスコンとか言っておいて、結局はお前も日菜海ちゃんを膝の上に乗せたいだけじゃねーか! シスコンは僕じゃなくて、お前の方だろ!」
「私はシスコンじゃねーよ! ただ、ひーちゃんが大好きなだけで、たった一人のかわいい妹が大好きなだけだ」
それをシスコンって言うんじゃないのか? でもそれだと、僕もシスコンになってしまう。となると、海月はシスコンではないということになるのだろう。
「ちなみに海月――日菜海ちゃんのこと、どれくらい好きなんだ?」
「ひーちゃんのためなら、死んでもいいくらい?」
重っ……!
想像してた答えの数十倍は重いぞ……。
「なら海月、僕のためだったら?」
「死ねるよ? それがどうかしたの?」
即答だった。
冗談というか、お兄ちゃんのために死ぬとか、死んでも嫌、みたいなおかしな答えが返ってくると思っていたから、正直反応に困る……。
「いや、別に――なんでもない」
「あっそ」
海月の素っ気ない返事を最後に、部屋は静まり返る。そして、静まり返った部屋には、いつの間にか、僕の膝の上で寝ていた日菜海ちゃんの寝息だけが響く。
それから暫くして、沈黙を破るように、海月が声を発した。
「あ、そうだ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは私たちのために死ねる?」
私たちのために死ねる?
海月の言葉が僕の頭の中で繰り返される。
そしてまた、沈黙が続き――
「今は――分からない……」
僕は曖昧な答えを返した。
いつもなら、冗談で返すような、他愛もない話なのに、なぜかすぐに答えることができなかった。
家族のために死ぬ。
誰かのために死ぬ。
昔の僕にはできたかもしれないが、今の僕にはきっと――できないだろう。たとえそれが、大切な妹のためでも。
「先、風呂入ってくる……」
僕は膝の上から日菜海ちゃんを降ろし、ベッドに寝かせてタオルケットを被せる。
「お兄ちゃん、いってらっしゃい。その間、私はひーちゃんを守ってるよ!」
よく分からないことを言う海月を無視して、僕は部屋を出る。そして、そのまま風呂に向かう。洗面所で服を脱ぎ、浴室に入って、シャワーを浴びる――冷水のまま。
シャワーを浴びながら、今日あった出来事を振り返る。
まず、蛇のこと。
環になって死んでいた――殺されていた蛇のことを、もう一度、思い返す。
蛇が死んでいた場所は玄関の前。頭と尾を五寸釘で固定され、環にされて死んでいた。死んでいた場所は玄関の前だが、殺された場所は多分――違う。
そして、二人から聞いた話。
ウロボロスについての話も思い返す。
自分の尾を飲み込み、環になった蛇や竜。永遠や無限、不老不死などを意味する古代の象徴。そして――呪い。
呪いという、非現実的なもののためだけに、蛇を殺した。五寸釘で何度も刺して、残酷に。そんなことをした犯人が、また、悪意を込めた呪い――あるいはそれ以上のなにかをしてくるかもしれない。僕たちは今、そんな状況にいるのだということを再認識すると同時に、シャワーを止める。浴室内には、ポタポタと水滴の落ちる音だけが静かに響く。
シャワーを止めた僕は、水の温度を冷水から、ぬるま湯くらいの温度まで上げてから、髪を洗う。
髪を洗いながら、蛇の話とはまた別の話を思い返す。
ついさっきまで、していた話。
私のために死ねる?
そんな海月の言葉が、僕の頭の中に染み付いて消えない。
誰かのために死ぬ。自分の命で、こんな命で他の誰かが助かるのなら、それは素晴らしいことなのだろうと、そんなふうに言えば、聞こえはいいのかもしれない。だけど、そんなのただの綺麗事で、偽善で、自己満足でしかない。少なくとも、僕はそう思う。だから、僕は誰かのために死ねない。そうなりたくないから。そうなるのが怖いから。
こんな話をしていると、僕はふと、自分が生まれてきたことに意味なんてあるのか――そんなことを考えてしまう。けど、そんなこと、どれだけ考えても正解なんて見つからないし、生まれてきた意味も見つからない。だから多分、自分が生まれてきたことに意味なんてないのだろうし、そんな自分が死んだところで、世界に影響なんて、これっぽっちもないのだろうと思ってしまう。だけど、そう思うと、どうしようもないくらい、虚しくなる。自分がちっぽけな存在に思えてきて、死にたくなる。死にたくなるのに――そのくせ、僕は誰かのために死ぬことは、きっとできないのだろう。
とまあ、いろいろ言ってはみたが、結局僕は、ただ単に他人が怖くて、他人を信じることができないから、他人のために死ねない。それだけなのに、僕はそのことを――そんな過去を思い出したくないから、言い訳じみたことを適当に並べているだけに過ぎないのだ。そして、今言ったことも、きっと僕は頭の中の深くに閉じ込め、思い出さないように――蓋をする。そうすることしか、僕にはできない。だって、過去を変えることは、できないのだから。
僕はシャワーを出して、髪を洗い流す。さっきまでは冷水だった水は程よい温度になっている。髪を流し終えた後、最後に体を洗い、僕は風呂から上がる。体からぽつぽつと垂れる水滴をバスタオルで拭き取り、適当な寝間に着替える。髪はいつもはドライヤーを使って乾かしているが、今日はなんとなくする気になれない。まあ別に、そんな日だって、たまにはあるだろう。それに、僕の髪はそこまで長くない。自然乾燥でも、十分に乾く量なのだ。
風呂を後にした僕は、キッチンに行き、水を一杯だけ飲み干してから部屋に戻り、部屋のドアを開けながら、2人に言う。
「風呂上がったから、お前たちも入れ――って、寝てる……」
もとから寝ていた、日菜海ちゃんのお腹にもたれかかるようにして、海月が寝ていた。静かな寝息を立てながら、幸せそうな寝顔をしている。起こして風呂に入らせてもいいけど、それもなんか可哀想な気がする。
そんなことを考えながら、僕は二人を起こさないよう、音を立てずに、目覚まし時計をセットする。現在の時刻は23時を少し過ぎたくらい。明日は学校だから、7時半にセット………いや、明日はテストだから、少し早めの7時にセットしておこう。
目覚まし時計をセットした後、明日の学校の準備もしておく。せっかく課題を(ほとんど妹たちが)終わらせたというのに、持っていくのを忘れる、なんて馬鹿みたいなことは絶対にしたくない。前日の夜から前もって準備しておけば、さすがに忘れることは無いだろう。
アラームのセットよし、明日の準備もよし、テストが全然できなくて心が折れる準備もよし。あとは寝るだけである。
寝るだけ。ベッドで寝るだけ――って、二人が寝てるから、僕がベッドで寝れないじゃん!
…………仕方ないし、床で寝るか。布団を敷けば床でも、寝れなくはないだろう。僕の部屋なのに、どうして僕がベッドで寝れないのか考えるのは明日にするとして、とりあえず、クローゼットから引っ張り出してきた、敷布団を床に敷いていく。敷いている最中に、一瞬、床が凹んでいるのが見えた気がしたが、きっと気のせいだ。僕は何も見ていない。
明日の準備も終わったし、布団も敷けたし、そろそろ寝るとしよう――と、思ったけど、その前に海月にもタオルケットをかけておく。断っておくが、これは優しさとかではない。風邪でもひかれたりして、伝染されたらめんどくさいというだけで、それ以外の理由はない。
タオルケットをかけた後、僕は部屋の電気を消し、布団に寝転がる。そして、そのまま、目を閉じて、小さな声で呟く。
「おやすみ」