~ 44年前 ~
「おい、おい――
「その呼び方は止めろ、俺はもうガキじゃねぇ」
「じゃあ、小僧」
「変わってねぇじゃねぇかよ」
蝋燭の明かりだけが灯る、ほの暗い船内の監獄で、少年が毒を吐く。少年と言うには、その身体は大きすぎるが。側頭部から伸びる大きな角と、生まれついての才・戦場で育て上げた隆々とした肉体。それも7mは優に越えようかという巨体である。
10代の少年と説明されても、最初はすんなり信じる人間はいないのではなかろうか。
少年の名を、カイドウと言う。
偉大なる航路の"ウォッカ王国"という国に生まれ、戦争の絶えない母国のために戦い、終には国売り渡されるという手酷い裏切りにあい、脱走して海賊へと身をやつした経緯をもつ。その後はその屈強な肉体を生かして生きてきた。
2年の後、この海賊団へと身を置いたのである。見習いとして。それが何故こういうハメになっているのかと言えば、答えは至ってシンプルで……
「悪い、でもカイドウでも失敗となりゃぁ、しばらくは無理かねぇ」
「……そういうアンタも同じ口か? リンリン」
「ハ~ハハハハ! そうさ、お前の1日前にな」
「お互いアイツを
同じ牢の中で、カイドウと同様に繋がれている人物と同様、この船の船長を殺そうと挑み、こうして牢屋にぶち込まれたのだ。
そしてその人物もまた、巨漢・カイドウに負けず劣らず……いや、さらに大きい女性である。それを女性と称して良いのかはこの際置いておくが、端から見れば見た目麗しい桃色のロングヘアを靡かせ、しなやかで見事なバランスで仕上がった肢体。張りのある肌から発せられる尋常ならざる生命力。
シャーロット・リンリン。カイドウの先輩であり、同じくこの船に属する船員でもある。
「単純な力業じゃぁ、アイツは
「俺ぁ、あの人に呼ばれたから行ってみりゃ、かかってこいって誘われた」
「あの"ロクデナシ"らしいやり口だねぇ。その『入団試験』で生き残った時点で大したタマだよ、お前」
「これが試験? 殆ど死ぬだろ、頭おかしいのか」
「人によるね。アイツは興味を示した奴にしか、試験をしねぇのさ」
2人が属する海賊団の名を、『ロックス海賊団』と言う。
近隣のみならず、世界各地で悪名轟く最悪の海賊団。悪逆無道、残忍酷薄、冷酷無比。海賊であるならばあしざまに罵られる事は避けられないが、これ程までに忌み嫌われる名前はそうそう無い。
船内の雰囲気、とりわけ人間関係も、ハッキリ言って快適とは言い難い。
仲間殺しが当たり前のように起こるのは、良く考えれば異常極まりないし、それによって空いたポストに勝者が座っても何の問題も無いのだ。それは船長の座とて例外ではなかった。故に、リンリンは挑んだのだという。
「後悔してるのか、小僧」
「してねぇ」
即答した。隠しようが無い、本音である。戦って、あんなに胸が躍ったのは始めてかもしれない。それは聞かれたら断言しようと彼は思っていた。物心ついてから戦場にいて、ずっとこんな生き方であった中、自分の攻撃が通じなかった相手というものに始めて出会ったから。
きっと、この船でも一際目立つ連中とも、
隣で縛られているリンリンもそうだし、自分をこの船に誘ってくれた『エドワード・ニューゲート』。乗船した時に目が行った、シキとか、王直、銀斧といった者達。ここでなら、"俺"というものをハッキリとできるかもしれない。
「"楽しい"ってのが、始めてわかった」
「……妙な奴だなぁ、お前」
リンリンは、物珍しげにカイドウを見ている。奇妙な共同生活になりそうだな、と、彼は内心思った。どう考えても仲が悪いものばかりの、歪な海賊団というのもわるくないかもしれないと。
その時の事である。
―― ガコ……ン
牢獄の入り口が開かれる音がする。誰かが入って来る。それが誰なのか、2人はすぐに理解した。
蝋燭の明かりしか無い筈の、船内の牢獄。それなのに、赤い光で満ちていくのだ。入り口の方から光が差している。紅色の光は、それこそ血のようでもあり、ほの暗い地下の奥にゆらめく炎のようでもあった。
足音が聞こえる。1人だ。
2人が入れられている牢の端から、その身体が見え始める。自ら淡い光を放っているようにも見える摩訶不思議な存在。
間違い無い。アイツだ。
「……よぉ、船長。お風呂はもう終わりかい?」
「やぁ。元気そうだね、リンリン」
この船の船長。ロックス・D・ジーベックである。
やはり、おかしいとカイドウは思う。ニューゲートも、リンリンも、コイツの事を『野郎』だの『ろくでもない男』だの言っていた。だがどう見ても変だ。
繊細さを感じる細く長い首、丸みを帯びた肩。固く上向いた乳房。間違えようも無い、女の身体だ。瑠璃細工の如く煌めく肌の上に、薄絹を一枚纏っているのみであった。
紅色の光の中に浮かぶ裸体が、そこにはあった。
夜空を輝く蛍のような光が、透き通る布地の上を這い回り、その身体を紅色の中に浮かびあがらせている。染み一つ無い素足が見える。夕日が照らす海の中で見た、珊瑚の如く光るもの。そしてカイドウの鼻腔を、嗅いだことの無い香りがくすぐる。これは一体何の香りだろう。
(身体がふわふわして来やがる。何なんだコレ)
この巨体ががあくがれて、身心が浮きあがるような感覚にカイドウは戸惑った。戦っている時とはまた別の高揚感、いや"多幸感"といった方が正しい。
普段、船上で振る舞っている時の"ロックス"とは、まるで違う。
最凶にして最悪の海賊らしい、下劣で獣じみた気迫がなりを潜め、瑪瑙のように鮮やかで、優美にして高貴な光が見えるのだ。
ただ、その全てがひたすらに邪悪である。
冷酷さを極め暴虐の頂に登ると、一週廻って優しく、麗しくすらあり得る事。純粋なる悪の貫徹は、崇拝に値する程の貴さを内包しうるのだと。この巨躯が、その波動を浴びて悦んでいる。
「カイドウ。調子はどうだい?」
心が浮き立つ。声音はとても穏やかで、優しい。船長として叫ぶ命令の中にあった、凶暴さや荒さというものがそこには無く、身体を労る母のような安らぎを覚えてしまう。
一体全体、どういう生物なのだ? この船長は。
安らぎと共に、冷ややかな刃の肌触りをのど元に感じる。存在という刃の燦めき、恍惚と受け入れてしまいそうなソレを必死に心の中で押し返す。
「別に、どうにも」
「そうか……心配していたんだぞ」
ほんの僅か、瞬きをする一瞬。ロックスが牢の中に立っていた。
扉が開く音も聞こえなかった。錠の音も無論しなかった。紅色の光の中をゆらめく艶やかな黒髪。その中に、業炎にあぶられた金色が混じり、艶やかな赤にも見紛う代物。
ガラス細工のように脆そうで、金剛が如き頑強さを併せ持つ腕が、カイドウの頬に伸びる。頬を撫でるこの感触も、覚えたく無いのに脳にすり込まれそうだ。かぶりを振って、手を払った。
「非道いな、君は」
「アンタほどじゃねぇよ」
目を合わせてしまった。この海賊団に入って、最初にこの船長と顔合わせした時にも思った、不思議な感覚がわき上がってくる。瞳が重なって見えるのだ。まるでそこに、何人も
リンリンが、見たことの無い表情でこちらを見ている事にカイドウは気づく。呆れているようでもあり、怒っているようでもあり、妬んでいるかのよう。きっと、全てだろう。リンリン自身気づいていないが。
「ふふふ、お前に褒められると嬉しいよ」
「褒めてると思ってんのか、コレで」
「うん♪」
あぁ、まただ。この妖しく蠱惑的な笑みをする。無邪気な童のようでもあり、魑魅魍魎を従える狐狸の親玉の悪辣さも併せ持っているのに、柔和なその唇の曲がりかた。
ロックスは、蝶が離れるかのようにカイドウの胸の上から離れる。
「あっ……。
――っ!?」
名残惜しい。
いや,待て。俺は今何と思った!?
我らが船長はふわりと、リンリンの肩の上に座る。リンリンの目は揺れ動いていた。先ほどカイドウに戯れるロックスの姿を見て何を考えていたのか、ようやく自分でも気づいたらしい。この、異様で人界の生き物からかけ離れた存在の張り巡らす糸に、絡め取られている事に。
「妬いたのかい、リンリン」
「ハッ! 冗談を言うんじゃないよ。誰が……」
ロックスは、薄絹をはだけて、リンリンの横顔を抱く。悪態が止まった。
カイドウはまだ、このおっかない先輩の"琴線"というものがいまいちわからない。船の厨房に勤めるシュトロイゼンとかいう男と、ロックスが今見せているこの"モード"を相手にした彼女は、不気味さを覚える程に素直なのだ。
「俺がお前の事をかまわない筈が無いだろう? こんなにも小さくて可愛いお前を」
「う……ぅ……」
理性が、この艶美でありながらも醜悪なモノを退けようと抗っているのがわかる。そうでありながら、もっと奥底にある自身がこの艶やかな抱擁を悦んでいる事。それそのものが許しがたく、屈辱的。怒りと慶びが同居した表情。
リンリンの浮かべているそんな顔を、ロックスは優しい目で見ている。
振り払いたいのに、振り払いたくない。突き放したいのに、放したくない。そんな矛盾した自分に苦しむ姉貴分の姿。カイドウも、自分が一瞬あんな顔をしていたのかと思うと、この底冷えする波動を纏う生き物がなんなのか、つい考えてしまう。
「常々言っていた、お前の夢。面白いと思っているんだよ?
『家族全員、同じ目線で食卓を囲む』……だっけ。実に良いじゃないか」
紅色の天魔が、桃髪の鬼をを撫でている。一瞬カイドウにはそう見えた。
「お前の子は確か今、18人……だったね」
「――っ!」
ようやく、蠱惑から抜け出る事が出来たようだ。その一言がある意味決定打だったのか。家族が、この姉貴分にとって最も大切な領域という事なのだろうか。意外な一面だとカイドウは思う。リンリンはロックスを振り払って、睨み付けながら言う。
「アタシの家族の事は、触れないでもらえるかい? 船長」
「おや、残念。食卓に混ぜて欲しかったんだけどねぇ」
「船長のお口には合わね~なぁ。ウチの味付けは」
クスクスと笑いながら、ロックスはまたも蛍のような光を纏わせながら牢の中を舞う。ゆらめく薄絹の向こうに光る裸身と、紅色の光の反射はまるで地獄の中を踊っているかのようだ。その細身が、音も無く降り立つ先に、金色に輝く何かが見える。
(……金塊か? ……!? いや、コイツぁ)
それは、ドクロだった。金色に塗られたドクロ。
何時の間に、こんなモノが牢の中にあるんだ?
いや、間違い無くこの
漆と金箔の化粧。死化粧にしてはいやに高い代物とも思ったが、その正体は思いの外早くわかった。ロックスがそのドクロを左手に掲げた時、頭蓋の頂点部分が取り払われて細工されているのに気がついたからである。
「そりゃぁ、酒杯か」
「そうさ、いいだろう♪ 先日寝首をかきに来た奴さ。
気に入ったから席を共にしようとおもってね」
既にその酒杯には、なみなみと注がれている液体。周囲の紅色の光のせいなのか、それとも元々そういう色なのか。カイドウにはそれが血のようにも見えた。それを口に含むロックスの唇を見る。
酒に照らされて艶が増した、薄紅色の2枚の肉。この頬の熱はきっと酒気にあてられたものに違いない。
「
「どうだい、カイドウも一献」
もう一度、この魔縁の蝶が胸の上にとまる。怖気と多幸感が共に胸中でわき上がり、混ぜ合わされる。あの2つ重なっている瞳から目が離せない。
「……バケモノだな、アンタ」
「君が言うのかい?」
口元に近づいた酒杯。淡い紅色が多く重なった縁の部分に、カイドウは口を付けた。