~ 44年前・偉大なる航路 ~
「一体全体、何なんだってんだ、こりゃぁ……」
甲板の上で【白ヒゲ】こと、エドワード・ニューゲートは呆然としたまま、眼下に広がる光景を見ていた。縁に手をかけて、脚の力が抜けそうになるのを耐えている。そんな彼の横で、既に力なく座り込んでいる男が1人。
金色の髪を鬣のように蓄えた、荒々しい風貌の剣士である。男は船の外の光景を見まいと、甲板側の方へ向いて葉巻をふかしていた。
「何だって……
「そりゃぁ俺だってわかるぞ、【金獅子】。
俺が言いたいのは、ここまでする必要なんて無かったろって意味だ」
島のあちこちから、煙が立ち上っている。轟々と響き渡る燃焼の音と、微かに聞こえてくる絶叫と泣き声。そして鼻腔をくすぐる硝煙と、肉の焼けるニオイ。最悪な気分だ。どうしてこんな事になったのか、まだ白ヒゲには理解が追いつかない。
「今日は嫌に、船長の機嫌が良かった。だからだろ」
「普通逆だろうがよ、機嫌良くなればなる程コレってのは」
行動基準がまるで読めない。何処が地雷原で、どこが悦ぶポイントなのかも、日によって違う。
事実、船長の機嫌はこの所良かった。
先日、リンリンに続いて、カイドウが船長に挑んでからずっと。
あの目を見張る巨体と怪力から繰り出される金棒の一撃は、何度も、何度も船長:ロックスの身体に直撃した筈だった。効いているのに、効いていない。可笑しな話に聞こえるだろうが、おかしくない事実。
ロックスの上半身が吹き飛んだ――次の瞬間には"生えている"のだから、事実上効いていないに等しい。
規格外の再生力と言う他に、彼らには表現する語彙も無かった。オマケに、船長の膂力もあの体躯からは想像出来ない程強いのだ。金棒ごとカイドウの巨体を蹴り上げ、角を持ったまま風車のように振り回し、"その場で鍛造した刀"で金棒と競り合った。金棒に加えてその身体から繰り出す攻撃をいなし、受けて、はじき返す芸当。
結果としてカイドウが体力切れを起こしてロックスに押さえ込まれ、牢屋にぶち込まれたのである。
それはこの船に長くいる者程慣れて感覚が麻痺してしまう光景。数日おきに、誰かが船長に挑んでいく。船の中にいると、自然と"そういう気分"になる奴が定期的に現れるのだ。そして生き残れば良し、死ねばそのまま"酒の肴"である。
か細く儚さすら感じさせるあの身体の中に、底冷えするあの圧倒的なパワーがどのようにして詰まっているのか、気にならない者は誰1人としていない。
それが、ロックス・D・ジーベック。
そんな船長が、今回の"挑戦"はとても楽しかったんだろうなと、今朝方のアイツをみて白ヒゲ達は思ったものである。2人が放り込まれた牢屋から出てきた時の船長の顔は晴れやかで、今日は仲間内で船長の手にかかる奴が出ることは無いなと思った。
だが今回の
曇った表情の2人の元へ、2つの人影が近づいて来る。今朝まで牢屋に繋がれていた、リンリンとカイドウであった。
「降りねぇのか、おっさん共」
「「 喧嘩売ってるのかクソガキ 」」
「おいおい、やっと出られた矢先に衝突かよぉ。俺も混ぜな」
「冗談も休み休み言え、リンリン」
ロックス海賊団旗下でも最強の4人が、その場に揃っている。他の船員達もその絵面に目を奪われる者達はいたものの、大半の目線は島の上に注がれている。そして、ニューゲートは島に降りようとしたカイドウを留めた。
「それになぁカイドウ、島に降るのはちょっと待った方が良いぞ」
「……? 何でだ?」
「死ぬからな。熱気に当てられて一緒に降りてった奴等を見てみな」
血気盛んな事は良い事だが、時と場合による。島の光景をちゃんと見ろと顎でしゃくって伝える。カイドウは、言っている意味を理解しかねたまま、ニューゲートの差した方角を見やる。
カイドウの目に映ったのは、海賊の服を着た骸骨達だった。骨の所々にまだ肉と血が付いているのもわかる。ああなって、そう時間が経っていない事も。
何より、カイドウも見たことがある服だ。それに気づくのにもそう時間はかからなかった。
「あれ、確かアグスティンと、イーヴォの」
「そうだよ、ついさっきまで生きてた。
あのどエロいモードの船長のケツにホイホイついてっちまってあの様さ」
【フワフワの実】の能力でシキは浮かび上がって、カイドウの肩をポンポンと叩く。正直、この中の面々では一番気さくで放しやすい部類に入る先輩だが、ずっと頭の中で何か計算して一線を引いているような感じがして、カイドウにとってはちょっぴり苦手な相手である。
まぁ、"エロい"という単語には同意する。意味自体は最近理解し始めているが、牢屋で見たあの船長の事を、この食えない先輩がそう称するという事は、そういう事なのだろう。ぐっと目が食い入ってしまうような感覚と言うのなら……
「……って事はリンリンもエロい女なのか?」
「 ――ばっ!! おま!! 」
「グラララララ! お前、そういう!」
「ジハハハッハハハ、腹が! 腹痛ぇ! いって!」
思いっきり、頭を殴られた。先ほどまで曇っていたニューゲートとシキは破顔一笑。シキに至っては腹を抱えている。ニューゲートも口元を抑えていた。カイドウとしては、なんで叩かれるのかいまいち解らないので、リンリンを睨み付けた。
「痛ってぇな、何しやがる!」
「やっぱ解ってねぇな!? 手前ぇがバカな事言うからだよ!」
リンリンは顔を引きつらせたまま、笑っている2人の頭にもげんこつをみまった。ようやく場が収まって、島に降り立つべきかを皆で考える。
この場に降りても、被害は受けないかも知れないと判断出来るまで、すこしかかったが。
「で、どうする。降りる?」
「お3方は走ってこいよ。俺は上から見下ろせるから」
「「「 ……手前ぇ! 」」」
島の方々の光景が、目も当てられない様へと豹変している中に降り立つのは、いかに海賊として名を上げ始めているこの4人といえども、堪えるものがある。シキの能力が、空を自力で飛べない彼らには、この時ばかりは本当に羨ましく思えた。
暴力沙汰だの、戦場ならではの見るも無惨な光景だの、そういうのは慣れっこだ。
ニューゲートは、世界政府非加盟国家の生まれで、人権なんてものの存在しない空間で生きていた事がある。
カイドウはそれこそ戦場で育ったようなもので、死が隣にあるのが当たり前。
リンリンは、過去を語ることは無いが、荒事に動じない節がある。
シキも、海賊稼業に脂がのり始め、平穏から遠い精神になっている。
しかし目の前に広がるのが【怪異】となれば、話は別である。
―― ぐちゅ
「うえ、踏んじまった」
「それ、腸だな」
「"食い残し"かよ。最悪」
「……早く行くぞ」
足の踏み場に困る惨状だった。原型を留めている者が、降り立った3人と浮いている1人以外存在していない。生きとし生けるもの、すべからく鏖殺。言葉で表現すればたった数文字であったとしても、ここで失われたモノの重みが、4人にふりかかってくる。
略奪の課程で殺したとか、戦場で武器を持って向かってきた敵だったとか、それならばまだわかる。
「何度見ても、船長の
「慣れてたまるかよ、こんなもん」
シキとニューゲートのぼやきを、傍らで聞きながら、カイドウはこの海賊団の船長が、やはり自分が見聞きしてきた【人間】のカテゴリーから大きく逸脱した生物なのではないかと思い始める。
方々に、なにやら赤黒い液体のようで、もやの罹った気体のようでもあるモノが蠢いている。ゴポリ、ゴポリと時折泡を弾かせて、中で何かが起こっていた。
「なんだコレ」
「「「 ……! 待った! 」」」
液体に触れようとしたカイドウを、咄嗟にニューゲートとリンリンは引き戻した。
カイドウはリンリンを見た。横顔に汗が出ている。
そしてニューゲートを見た。血相を変えている。
一体、この赤黒い液体が何だというのだろう。
「――
「……はぁ?」
シキの言う事の意味がわからない。船長? コレが?
「悪魔の実の能力か?」
「そうなんだろうが、わからん」
「いや、わからないって変だろ」
「――
いや、悪魔の実って、能力は1個しか持てない筈だろ。カイドウはそう反論しかけたが、その時、目の前の赤黒い塊が大きくうごめいた。寝返りを打っているようでもあり、はたまた食べられるだけ食べた後、大きく身をよじる巨漢のようにも見える。
―― ぷっ
という音がして、赤黒い塊は8~10個くらいの何かを吐き出した。ニューゲートの顔が大きく歪んだ。リンリンとシキも嫌そうな顔を隠さない。そしてカイドウは、目を疑った。
それは、
骨の髄までしゃぶられる、と別の意味で聞いた事はある。だが言葉通りとは恐れ入る。大きな骨もあれば、小さな骨もあった。老若かまわず、無差別か。
続いて、動物のものと思われるものも次々と吐き出されてくる。どれもこれも、表面の肉や皮が食い尽くされて、骨と、あって衣服程度になっていた。つまり、同じ船に乗っていた筈の船員達のアレは、赤黒い塊に飲まれたという事。
べしゃ
カイドウの前に、純白のドレスを着た骨が落ちてくる。周囲を見回して見て、ここは結婚式の会場だった事にも彼は気がついた。片目がまだ残っている。それが真っ直ぐ、カイドウの方を見ているような気がして、目をそらした。
「コレが、島の全土に?」
「そうだな。船長が1人で行くって決めたら、その島は大概こうなる」
「おっと、動き始めたぞ」
腹を満たしたのか、赤黒い物体が、何かに引き寄せられるように地べたを移動し始める。まるで、傾けた皿の上を流れる黒蜜のように、滑らかな動きで街だった場所の間をすり抜けていく。
それを、4人は追いかける。方々の建物から吹き出して、所々でその液体は合体したり、分裂したりしながら街の中心へ向かっていく。
大きな街だった。そう、街
政庁だったらしい建物の前の広場に、赤黒いソレが集結している。直径数十mどころでは無い。巨大なドームが出来上がっている。
4人が追いかけていたモノは、最後の欠片だったようだ。それが赤黒いドームに吸い込まれたと思った時、ドームがしぼんでいったのだから。
圧縮されていくかのように、口を開けた風船から、ゆっくりと空気が抜けていくかのように、巨大な円形の塊が小さくなっていく。
やがてその中から、人の姿が見え始める。
ロックス・D・ジーベック。
男でも無く、女でも無い。どちらで見ても正解とは思えないモノ。
人間のようであり、獣のようでもある。そのどちらで見てもいけないモノ。
「なぁ、一つ疑問なんだけどよ。あんたらは何であの人に従ってんだ?」
カイドウは思わず、真一文字に口を結んでいる3人に聴いた。カイドウは誘われて船にのり、矛を交えて思った事と言えば、戦って楽しいからというのがある。だがしかしこれは流石に理解が追いつかない。
3人は、ロックスとの距離がまだ十二分にあるからこそであったのだろう。
皆、カイドウの方を見て、口をそろえる。せーのと合図をしたわけでもないのに。
「「「 いつかアイツを殺すためだ、他にあるか? 」」」
ますます、わからない。殺すために従う?
海賊団のルールで、勝てば成り代われるから挑むというのならまだ納得できる。だが3人の目は本気だった。
最初から殺すつもりで船に乗った?
それとも途中から心境の変化があったのか?
―― キャアァ
少女の悲鳴が聞こえた。生き残りがいたらしい。
助けてお父さん、お父さんと声高に叫ぶ声が聞こえてくる。ニューゲートの顔に、怒りにも似た何かがわき出ている事に気づく。この男もまた、"家族"というものに並々ならぬ感情があるらしい。
ロックスの身体から、赤黒い犬のような何かが飛び出して行った。
あの少女の声もまた……
プチュ
という音と共に聞こえなくなった。赤黒い犬が、ロックスの元に戻ってくる。そしてロックスの元にたどり着く頃にはまた、液体のように形を変え、彼女が一息にソレを飲み込んでいく。
信じがたい光景だった。
そして、3人が先ほどあんな物騒な事を言った理由を、すぐにカイドウも理解する。
「 あっ―― おトうさン 」
ロックスの口から、さっきの少女の声が聞こえた。