~ テイワ=ラグ島 ~
混沌のつるぼ。
島の港が今どうなっているのかを表す言葉が、これの他に浮かばない。サンジは、目の前に立ちふさがった異形の顔を蹴り上げながら考える。人間ほどの大きさの熊のような生き物だった。その背中には幾本ものカミソリ状の刃が生えていて、毛髪の大半が金属のように燦めき逆立っている。
顔の眼は退化していて、鼻と耳で得物を探しているようだ。腹部などの柔らかい所は金属板の装甲で覆われている。まさに戦闘するためだけの生物。似たような造形で、犬や猫のように俊敏な生き物から、空を鳥が飛んでいる。殺す為だけに存在している生き物が。
「キャアアアァ――」
それが今、先日まで薄氷の上の平穏を保っていた街の中を縦横無尽に動き回っている。氷が割れたのだ。氷下に潜んでいたカオスの顕現というべきか。
女性を喰い殺さんと大口を開けていた、カバのような生物の後ろに回り込む。何と言う悪臭だろうか。腐った脂の臭い、手入れを怠っている機械から漂う臭いだ。脚に炎を纏いながら、ソイツの首筋に一撃を加えた。
「
頸椎の折れる音が聞こえる。耳障りな断末魔をあげながら息絶える生き物を見やり、女性が無事である事を確認する。怯えきっているレディに手をさしのべて、
「お手をどうぞ、レディ。立てますか?」
「あ、ありがとうございます……」
立たせる。普段であればもっと気の利いた一言で気を解す所であるが、今はそういっていられる状況では無かった。1人でも多く、助けなければ。
「こっちです、落ち着いて、列を崩さないで!」
「女子供を優先しろっ! 男は後だ!」
港では、街中で湧いてくるバケモノ達から逃げてくる民衆を、海軍や海賊達が船に誘導しているのが見える。普段であれば殺し合いも辞さない者同士が、互いに逃げてくる人々をバケモノ達から護っている。
両腕が鎌となっている、蟷螂と人間とカラスを混ぜたような生き物が、海賊の胸を鎌で突き通していた。ソイツの首を、海兵がのしかかってへし切る。その海兵はその生き物の返り血を浴びて苦しみだし、別のサイと鳥のキマイラが踏みつぶす。
「島が、島が地獄に」
女性が泣いていた。サンジはそれを優しくぬぐってやって、サニー号の上で、上空の連中を打ち落としているウソップを見やる。彼も、サンジが見ている事に気づき、彼の言わんとしている事を察したようだ。
フランキーとジンベエが、サニー号が停泊している側の泊地への進入を防いでいる。そこから零れ出た奴を、ブルックが切り捨てていた。ルートが出来上がっている。近くに停泊していた海軍や海賊の船からも、増援が来ていた。魚人達も加わっている。
「こっちにもまだ避難できるぞ、誰か誘導してくれ!」
「さ、レディもあちらに。大丈夫、俺の仲間は強いですから」
サンジに何度もお礼を言う女性は、誘導する海賊にしたがってサニー号に避難していった。そう大型の船では無いので大人数はかくまえないが、あの様相の街にいるよりは遙かに安全だろう。
「ナミさん、ロビンちゃんは無事なのか?
ルフィにマリモ野郎とチョッパーも戻ってこねぇ」
街のむこう、医院の方で足止めを喰らっているのかもしれない。そう易々とやられるような仲間達では無いと解っている。だがこの局面で心配するなという方が無理というものだ。一刻も早く仲間を探しに行きたい。
しかし今、目の前で泣き叫んでいる女子供を護らないとなれば、自分で自分を許せなくなる。
「コイツ等、どこから湧いて出てやがる!」
流石に植物のように地面から出てきている訳では無かった。街のどこか、建物の中など様々だが、突如悲鳴と共に現れたのである。赤い空、赤い海という何か事が起こる前兆から、あの不気味な少年の消失。それとほぼ同時に、街の中から聞こえてきた。
女の悲鳴。それと同じくして方々から聞こえてくる男の、老人の、子供の。
堰を切ったかのようになだれ込んでくるカオスの奔流が、命を押し流していく。
家々から、路地から。方々から現れた、金属質の怪物達。生物のようでもあり、機械のようでもあり、それでもない何か。
ジンベエがたたき壊した巨大なサソリ。フランキーが上空から引きずり落とした怪鳥。ウソップが打ち抜く大百足。ブルックが両断した大蜘蛛。そして先ほど自分が蹴り倒したカバ。
地獄の生物だ。
その場、その島を逃げ惑い、または戦う者達の共通認識。
「お父さん! お父さん! やめて!」
聞こえてきた少年の悲鳴。サンジはそちらへ目をくれて、疑った。
家の中から、9つくらいの少年が出てきた。涙に頬をぬらし、額に傷を負っているのか肩まで真っ赤に染めながら。その少年を追って、
(こんな事があっていいのか)
男の身体の各所に、ヒビが入っている。左腕は既に大きく裂けて、中から金属の鎌の如き刃が露わになっていた。
『
男の口からは何語かもわからない言語が紡がれる。
奥に見える、遺体。女性の遺体。うつろな目で、少年と変異しつつある男の方角を見ながら事切れていた。つまりはそういう事だ。サンジの頭にカッと血が上っていく。
「やだ、やだ、おかぁさん……おとうさん」
サンジは地を蹴った。宙を蹴り、距離を一気に詰めていく。
男が大きく腕を振りかぶった。間に合う。まだ間に合う。
「
少年に心の中で詫びながら、男の腹部を蹴りつける。バケモノになりつつある男はきっと、既に妻を手にかけたのだ。そして今息子までもそうしようとした。それだけはさせない。妻殺しに加えて子殺しまでさせてたまるものか。
「お、おと……」
「……ごめんな」
そうとしか、少年には言えなかった。現実を未だ受け入れられていない少年の背中を支えてやる。こちらの以上に気づいたフランキーが駆け寄ってくる。
「サンジ、今のは!?」
「アレを見ればわかる」
そう言って、叩き着けられ、地に伏せる男を指さした。フランキーは男に目線をやり、少年を見て、おとうさんと小さく繰り返している事から事情を把握する。叩き着けたのは先ほど少年が出てきた玄関の脇。その向こうに見える女性の遺体。
「あの男、腕が……マジかよ」
「あぁ、考えたくなかったが。街のバケモノ共は
地べたに伏せていた男の身体が、大きくのたうった。
『
男の口からだけでは無い。方々からこの呪言が聞こえてくる。底冷えのする悪意が漂ってくる。浴びせられてくる。少年の脚が竦んでしまった。
「気をしっかり持て! 立つんだ!」
背中に廻した手に力を込めて、少年に叱咤する。聞こえていて欲しい。そう思いながらサンジは周囲の家々を見渡す。
男の背中が割れた。まるで蝉が羽化するかのように。
その直前に、少年の目を手で隠した。距離をとって、サニー号へどう避難させるか考える。割れた背中から出てくるのは、骨を外骨格に象った人型の異形である。
『オーン
「おどうざん……っ!」
「「 ―― っ!! 」」
サンジとフランキーは歯を食いしばる。身体が一つしか無い事が口惜しい。
街のいたる箇所で、こんな光景が広がり始めているのだと思うと怒りを抑えるのが困難だ。サンジは手で合図した。ウソップがそれを見て、上空の迎撃の手を一時的に止めて、2人の経路を確保するため援護射撃に入ってくれる。
街の彼方、医院の方角から透き通るような美しい声が響く。
『オーン
凜とした鈴の音色のようであり、耳障りな羽音のようであった。
『オーン
流れる川のせせらぎの如くありながら、こすり合わせる金属の不快感があった。
『オーン
天に敷き詰められる羽毛に包まれる心地がありながら、虫が背を這う悪寒があった。
『オーン
医院のある区画で、巨大な光の柱が立った。
その中に、人影が映っているように見える。
あれは何だ? あれは何だ?
「あれは、何だ?」