老いた龍虎は新時代の夢をみるか   作:松ノ木ほまれ

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第2話

 

 

~ テイワ=ラグ島 ~

 

 

「どうして、此処に?」

 

 そう、ルフィを見下ろしながら言った女性の名は、【ウタ】。

 "世界の歌姫"と称される程の歌声で、時の人へ躍り出た超新星。先日"エレジア"で起こった事件の首謀者にして、最大の被害者。

 そして、ルフィにとってかけがえのない、"幼馴染み"

 彼女の目元から一筋の涙が垂れ、ルフィはそれを見て建物へ駆け入ろうとする。流石に、止めるべきだと二人は思った。いかに相手が相手とは言え、そこはおそらく病院だ。さすがにマズい。

 

 そう思った矢先に、建物の一階。入り口からふらりと、人影が現れた。

 

 濡れたカラスの羽の色。漆を塗ったかの如く艶やかな黒髪を、一つ編みにして胸元にたらした女性。白衣の下には、薄紅色のワイシャツと、ジーンズ、ヒールタイプのサンダルというややラフな出で立ち。

 寝不足なのだろうか、目の下にはすこし陰りが見える。

 薄絹を思わせる肌であるだけに、そこが嫌に目立ってしまう。控えめに言っても、一味の女性陣や、今までの船旅で出会ってきた女性達と比較しても、相当上の部類に食い込んで来る。そう確信できる顔立ちだった。

 そうでありながら、異様な点もある。妙に、背が高い。

 見立てでは2m弱はあった。この広い海で、3mを越える者もゴロゴロいる中ではそう高い方では無いが、女性というくくりで見れば別だ。あの"四皇"のような例外はともかく、相当珍しい。

 

「やぁ、上の子のお友達かい?」

 

 まるで、男に声をかけられたかのようだと、ウソップとサンジは思った。

 声音も、高さも何もかも、見た目通りの若い女性の声。なのに異様な違和感が全身を取り巻くような感覚に陥る。だまし絵を見ている時のような、そんな感じ。

 

「あぁ、あぁ! そうだ!」

 

 ルフィはやや、冷静さを欠いている。

 無理も無い事だが、初対面の女医に対する態度としては、眉をひそめられても仕方が無い。血相を変えて、サンジはすぐさまルフィの傍らへ駆け寄って、彼の脳天へ軽く一撃を入れながら女医へ一例した。

「申し訳ありません、麗しいドクター。うちの船長の、古い知り合いで」

「―― ふむ。その眼からして、そうだろうとは思ったけれど」

 気にしていないと、手をひらひらと振ったその女性は、

「入りなさい。丁度仕事も一段落ついた所でね。お茶菓子しか無いけど、いいかな?」

 

 小さな待合室には、他の患者の姿が無かった。

 診療時間の合間という事か、それとも単にこの医院が閑古鳥なのか。そんな失礼な事を考えながら、女医に案内されるまま廊下を奥へ進み、階段を上がっていく。

 薬湯の薫りであろうか、チョッパーがたまにこういう匂いのする植物を潰していたなと考えながら、三人は周囲を見回しつつ歩く。ルフィも、サンジも、ウソップも、こういう場所にはとんと縁の無い優良な健康男であるが故、なんとも居心地が良いのか悪いのかわからないもやもやを抱く。

 チョッパーと出会った頃のドラム王国を思い出す。目の前に女医がいる事も共通している、一つ違う所と言えば、こっちの女医は間違い無く若い。

 

「あの子がウチに担ぎ込まれて来た時は驚いたよ」

 

 黒髪の女医は、先頭を歩きながら話し始める。

 

「何せ、あそこまで()()した状態の人間を診るのは久方ぶりでねぇ」

 

 そうであろう、とは口が裂けても言えない。二階の患者こと、ウタの所行を思えば。

 極めて特異な"悪魔の実"の能力者であり、その能力の特性から生じる消耗。能力のリスクを無理矢理踏み倒す手段を行使した事による、通常の人体にあってはならない高負担。

 

「睡眠不足、という単語ではいささか表現が難しい。

 覚醒時間を"前借り"した上で、ソレを踏み倒そうとして失敗した、というべきか」

 

 女医の語気には、強いトゲがあった。さもありなん。命を預かる『医師』にとってみれば、彼女の身体を診たとき、自分の命を粗雑に扱ったという第一印象が拭えないであろうから。いかにその動機に重い理由があったとしても。

 

「―― アイツの歌には、力があるんだ」

 

 ルフィが、女医にそう答える。この大海原に浮かぶ島々で、そう意味深に表する"力"とは、"悪魔の実"を暗に伝えているに等しい。

 

「道理で。担ぎ込んできた"彼ら"とは、ゆるりと話せなかった。

 是非とも話を聞かせて欲しいんだが、かまわないかな?」

「あぁ」

 

 仲間達も滅多に聞く事が無い、船長の声音。感情の処理がしきれなかったり、何かしらの感情がメーターを振り切った時、恐ろしい程平静になるのがルフィだ。今の彼は、まさにその状態である。

 やはり、自分達が聞いている以上の何かが、船長とあの歌姫の間にはある。

 サンジとウソップは、一歩下がった所で立ち止まるべきかと逡巡する。ルフィにとっては大恩人・大先輩にあたる"赤髪のシャンクス"、その娘=養女という事は聞いている。つまる所、幼少期に交流があったであろう事はわかる。あのライブステージでのやりとりからしてもそう。

 

 しかし、()()()()()()()

  誰しもが持っている、心の神聖なテリトリー。

   仲間といえどそうそう踏み入ってはならない、聖域。

 

 ルフィにとっての"ウタ"とは、そこに存在する少女なのだろう。

 

 2階にあがって少し歩いた所の、扉の前に着く。ルフィの背中・全身が、焦燥を隠せていない。女医が扉を開けるのと、ルフィが部屋に飛び込むのも、ほぼ同時に見えた。女医にとっては慣れたもののようで、表情一つ変えずにルフィが脇を通り過ぎるのを見やっている。

 

「……ウタっ!!」

 

 ルフィは部屋に駆け込んで、ベッドの脇へ駆け寄った。上半身を起こしているウタを確認し、たじろぐ。頭の中で、整理が追いつかないのか、少し手足にも震えが見られる。どんな言葉をかければよいかもわからず、口元にも震えは波及しているのがわかった。

 たどたどしく腕を伸ばして、ウタの上腕に手を触れさせる。吹けば飛んでしまう灯火に触れるかのよう。今にも消えてしまうのでは無いかという不安がない交ぜで、

 

「今度こそ、久しぶりだね、ルフィ」

「お前、なんで……生きて……」

 

 言葉の所々から、処理しきれない"情"が溢れ出してくる。

 そしてルフィは、言葉を喉から出す事も出来なくなって、ゆっくりと、ウタを抱きしめた。暖かく、柔らかで、フーシャ村を思い出す香り。形容しがたい、安堵の念。

 

 彼の頬を、熱い液体が一筋垂れた。

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

「落ち着いたかい?」

「ごめんなさい」

 

 コトコトと、お湯の沸く音がする。ほんのりと漂ってくる紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、ルフィは平静を取り戻していた。サンジは香りの元である茶葉の香りと、湯を注ぎ茶を入れる女医の背中の両方を堪能し、ウソップはそれを横目で呆れつつ見つめている。

 ウタの方も、ルフィの反応に虚を突かれ、ほんの少しばかり頬を赤らめ、恥じらうように頬をかいている。

 

「この香り、ニルギリですか、マドモアゼル」

「良い鼻をしているね、君」

 

 女医は、五人分の茶を入れ終わると、用意したテーブルの上に並べ始める。

 窓際のベッドにウタ、脇の椅子に女医、正対する位置にルフィ。その横に控えるようにして、サンジとウソップ、の並びになった。

 

「さて、此処に至るまで名乗っていなかったね。

 私は【ジブ】と言う。この医院で院長を務めている者だ」

「女っぽく無い名前だ(ry……痛った!!」

 

 ルフィの歯に衣着せぬ物言いは、美点であると同時に欠点だ。相手が相手、失礼極まりないタイミングで時に、この船長はやらかす。

 

「すみません、ウチのバカ船長が」

「ハハハ、ストレートな物言いが出来るのは良い事だよ。私自身そう思う。ま、私の身の上話なんかより、知りたいことがある筈だろう?」

 

 そう言って、ジブと名乗った女医は、ティースプーンで紅茶にミルクを混ぜながら話を続けた。目線は、ウタに向けられている。ルフィは、ずいぃと上半身を前へと乗り出して、

 

「ウタの、体調は?」

「"峠"は越えた。まずはそこからかな」

「―― よかった、本当に。よかった」

「個人としては祝いの言葉をかけてあげたい所だけど」

 

 そう言って、ジブはウタの横顔をじっと見る。ばつの悪そうな表情で、ウタは目線をそっと窓縁に向けた。

 

「ほぼ、体力が尽きていた。限りなくゼロ、小数点以下の%と言えば良い?

 医師として言えば、どこから叱れば良いのかわからないよ」

「ご、ごめんなさい」

 

 しゅんと、ウタの後ろ髪が下へと垂れる。身体に異常がある様子は見られず、ルフィは一応の安堵感で肩の力を抜いた。そして、出されたカップを手に取り、紅茶を一口含む。

 そんな彼の様子を、珍しい事もあるものだとサンジは驚いて見ていた。ルフィはそんなに、日頃から紅茶を嗜む人間では無い。

 付け加えるなら、猫舌だ。常日頃、夜の暖かい飲み物タイムになった時には、大抵ある程度冷ましてぬるくなってから飲んでいる。そんなアイツが、それも失念して、さらには気づかぬまま入れ立ての茶を飲んだ。

 意識をそれ程までに持っていく状況なのか、それとも単に男児としてのやせ我慢か。

 後者、の意味もありそうだ。何せ、ずっとルフィの視線はウタと、主治医であろうジブに交互に向けられている。

 

「退院は何時出来るんだ、センセ」

「ウタちゃんはいわば、"借金返済中"でね。

 リハビリを始めてから2週間は経つし、経過は順調だよ。そうは言っても、あと最低でも1週間……」

「しゃっ……!? 金が足りないのか?」

「―― 言い方が悪かったね。ごめんよ」

 

 そう言うと、ジブは一枚の大きな紙に簡単な図面を書いていく。

 可愛らしいウタが、何か大きな袋を担いでいる絵。荷物を買いすぎて苦しがるようで、重たそうに顔に汗をかいている所まで再現しながら。

 最後にジブは、袋の部分へ【Sleep Debt】と書き込んだ。

 

「"睡眠負債"と言う。

 人間は誰しも、最低限必要な時間だけ寝なきゃいけないよね?」

 

 ルフィは、難しい話は極めて苦手なたちであるが、流石に寝る事の重要性はわかる。

 それに、そう時が経つ前に、他ならぬウタの一件で突きつけられたばかりだ。

 

「ウタちゃんの身体は、簡単に言えば眠っている時間が足りなくて、足りなくなった分が『借金』のように残ってしまっている状態なんだ」

 

 ジブはそう言うと、もう一つ紙に絵を描いていく。

 それはウタが【借金(Debt)】と書かれた袋を、【返済(Pay back)】と書かれたエリアにおいて、元気になる様子。

 

「普通の睡眠不足なら、足りない時間眠って、解消して終わりさ、こんな感じにね。

 ただ、ウタちゃんの場合事情が違う。普通の人体にはあまりに高すぎる【借金(Debt)】を一気に背負ってしまったようなものでね」

 

 今度は、巨大な袋に押し潰されそうになっているウタを書いた。

 巨大な袋から、借金の袋を1個返済エリアにおいても、袋が少しばかり小さくなっただけ。重たそうになっているのはそのままだ。

 

「返しても返してもなくならない。それが【睡眠負債】なんだ。

 本来だったら常日頃夜更かししたり、仕事だなんだで寝る時間が遅くなりがちな人が陥る病気なんだよ。コツコツと積み重ねていって、巨大なものになるような。ただこの子は尋常じゃない方法で一気に溜めちゃったみたいだね」

 

 "エレジアの事件"の詳細は、ジブには伝わっていないのだろう。

 シャンクス達が何をどう最初に説明して、この女医に預けたのかは知る由も無いが、何もかも明らかにした上で、預かってくれる医師がどれ程いるのであろうか。

 ただルフィ達は、なんとなくだが此処を選んだ理由はわかった気がする。

 のっぴきならない事情がある場合、一定の線から先を詮索しない。そんな気配りが出来るような人という印象があったから。そして、船の上にある設備だけでどれ程の事が出来るのか。

 先ほど、ウタが"能力者"である事を暗に言ったときも、治療に役立ちそうだ以上の感想を抱いていないような反応だった。

 

 そしてまた、サンジとウソップの度肝を抜く台詞が、船長の口から零れ出た。

 

「センセ、俺も少しの間、ここにいて泊まって良いか?」

 

 

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