東西南北の海々・偉大なる航路・新世界
世界各地の天が真紅に染まり、各々がそれぞれの思いで天を見上げる中、声が響き渡る。
『オーン
心胆を寒からしめるその声は、咲き誇る花の美しさと、まき散らされた臓腑への嫌悪感。相反する二つの感想を人々の心にわき上がらせる。若き者は怯え、壮年者は警戒し、そして老年の者達は一様に、かつて抱いた恐怖を思い出していた。
「帰ってきた! "奴"が帰ってきたぁっ!!」
【
【
【
【
ある者は祈り、ある者は怯え、ある者は思い出の中の恐怖に耐えられず発狂する。鮮度を一切落とすこと無く、大海賊時代を生き抜いてきた古強者達ですら子犬のように震えるトラウマ。若者達が、老翁達のそんな怯えように戸惑う。
孫が祖父母の狂いようにどう対応すれば解らず右往左往する様子が随所で見られた。
海から恐怖がやって来ると叫ぶ老人を、海兵が必死になだめる様子が見える。
海賊達の中でさえ、海に出ることを取りやめ、アジトに引きこもる事を選ぶ者が出始めた。海兵も同様だった。
皆、60代より上の者達だ。
海兵としのぎを削り、海賊と命を賭けた戦いを繰り広げ、町の発展に貢献し、または破壊してきた者達。今、この世界を作り上げてきた老人達。皆、一様に顔に"恐怖"を貼り付けて、狂う。
『オーン
「うわぁっ! わあぁっ!! 嘘じゃあっ!」
「皆家の中に隠れろ! 奴が来たんだ! 死が!」
恐れ狂う、悲観に狂う。秩序が崩れていく。
そして、崩壊の一歩は意外なところから始まった。
「―― !? がっうッ……リリ……レ」
それは少年だった。
それは少女だった。
それは青年だった。
それは壮年だった。
それは老人だった。
所々の海で、それは起こった。外遊から帰ってきた者。傷を負って退役した者。海賊稼業から脚を洗ったものと様々だったが、異変は突如として降りかかる。
大病の治療から帰った少女が、母親の首を噛みちぎった。失った手の治療を受けた海兵に腕が生えて、妻の腹を突き破った。老婆の腹が口になり、孫の頭をおかずにした。日常が一転して地獄へと変貌していったのだ。
皆の共通項は一つ。この10年の間に、ある島に療養に行っていた者達。
ただそんな事は、非日常にたたき落とされた周囲の人々にとっては気にできる事では無かったし、思い至る者もいなかった。
※※※※※※※※※※
~ ?????? ~
「ゴムゴムの、
ルフィは、目の前で笑う、ぶっ飛ばす以外にもはや無い相手めがけ、拳を突き出した。
コイツは絶対に許されない、コイツは絶対に許さない。今もなお身体に感じる衝撃と、手に伝わる感触からもわかる。"自分の身体"は今、誰かを殴っている。誰かの攻撃を受けている。
それが仲間だったら? 無関係の人だったら?
そう考えるだけでも十分、目の前のコイツをぶっ飛ばす理由になるだろうが、それ以上に腹立たしいのは"自分の大切な人の恩人"を無下に殺した事。殺す前提だったとあっけらかんと言い切った。
硬化させた腕が、真っ直ぐ奴の腹を捉える。
「……やはり」
拳が、奴の腹にめり込んでいく。その感触が伝わってくる。骨を砕き、肉を潰す独特な感覚だ。夢の中が如くありながら、現実と繋がったままでもある奇妙な代物。これも奴によって此処に引き入れられてからひとしおだ。
劇場の椅子を吹き飛ばしながら、壁にめり込ませる。
嫌な戦い方だ。自分で無く、アイツの受け入れ方が。避けようとか、防ごうという意思が最初から存在していないかのよう。悪魔の実の能力にかまけた、
「効いてるのか効いてねぇのかわかんねぇ!」
「効いてるよ、しっかり。痛かった」
崩れかけの壁の中から、奴がひょこりと顔を出す。ひしゃげた腹部から出血し、ズボンを血で濡らしているのがわかる。ソレすらも意に介す事が無い。効いているように見えないのに、奴は効いていると言う。
「ゴムゴムの、
様子見。それに終始すれば死ぬとカンが囁く。
ひしゃげている腹部への追撃にと、脚をふるって奴の胴体を捉える。また、奴は避けなかった。右足の甲に伝わってくる感触は、奴の骨をまた砕いた事を察す。砕けた壁にめり込んだ身体を引っかけて、真一文字に壁面が壊れていく。
奴は笑っている。笑っている。避けることも無く、防ぐ事も無く。
―― ベキキッ、バキッ
横顔に突き刺さった木片を引き抜いて、奴はまだ動いている。流石にルフィもおかしいと思い始めた。今まで戦ってきた相手の中で、タフな相手というのは沢山いた。それこそ、直近で拳を交えたカイドウと、ビッグ・マムの異常耐久のような。
だがコイツはどこか違う。耐久力は、あの規格外の連中と比較すると普通だと思った。あくまで彼奴等基準に考えればである。通常とは比較にならない体力・持続力は持っている筈なのに、どこかおかしい。
攻撃も確実に効いている。急所に当たってもいる。
だがどこかがおかしい。何がおかしい?
「シンプルだなぁ。それでいて力強く、早い。素晴らしい」
身体に突き立った破片を抜き、鉄棒を取り除きながら口を動かすソレ。何故動く。何故意識を保っていられる。痛みで顔をゆがめるでも無く、怒るでも無い。
悦に入っている。気色悪い。
何時動いても良いように、構える。それすらも、微笑んで見てくる。掌で蠢く生き物を愛でるように。気色悪い。
「気を落とさないでくれ。君の技はしっかりと俺に入った。臓腑はいくつか破裂したし、あばらも半分ほどイったかな。多分、4回か5回くらいは死んだと思う」
「死んだ? 何変な事言ってんだお前」
「変な事。まぁ変な事か」
そう、変だ。死んだ? まさか。今もそうして動いている。
頭に木片が突き刺さっていても生きている。
胴体が潰れるほどの衝撃を加えても生きている。
あばら骨が折れて肺に突き刺さっても生きている。
そうだ。何故生きている?
「この変な部屋の中だからか?」
余裕ぶっていられるのはそのせいか。いや、それだけでは無い。
この部屋に感じる命。三つだと思っていたがどうやら違う。だがその正体がわからない。何処にいる。集中して気配を探るが、わからない。全周囲から見られているようでもあり、自らの内からも見られているような気配が拭えない。
気色悪い。
「……残念。不正解」
そう言った瞬間。奴の姿が目の前にあった。地を蹴りもせず、見聞色で察知した時には既に移動していた。
何が起こった?
高速で動いたのか?
いや、コイツは
力を込めて引きはがそうとしても離れない。離せない。何て力だろう。
「恥じなくていい。昔、船に乗っていた者達も、皆初見では見破れなかったよ。
ニューゲート。リンリン。シキ。カイドウ。みんなそうだった」
「―― っ!!?」
口から出てきた声に、愕然となった。カイドウ? 今カイドウと言ったのか?
確か、リンリンとはビッグマムの事だ。何故、コイツの口からそんな言葉が出てくる。
「君の動きが懐かしい。その眼も、しゃべり方もよく似ている。愛しの君に」
触れている奴の身体が、蠢いた。文字通りの意味だ。背中が盛り上がり、のたうち始める。波を打つ海面のように動くそれは見るもおぞましく、どんどんと高エネルギーが集積し始めているのを察知する。
何か、デカい一撃が来る。
離れなければ! そう考えて、自由が利く手足を用いて跳ねたり飛んだり、ふりほどこうともがく。奴の身体を殴りつける。蹴りつける。それでも離れない。力を緩めることも無い。万力に捕まれているかのよう。
「だから最初はコレにする。
愛しの君も耐えた。そして彼らも耐えた。君も耐えてくれるだろう?」
「くそっ! 離れ――」
目の前が、光に包まれた。
「汝に吉祥あれかし ――
超高温。他に言い表す言葉があるとすれば、火球。メラメラの実の炎や、マグマグの実のマグマとはまた別種。"炎"の概念そのもの。肌を焼き、肉を焼き尽くされると身体が錯覚する程の何か。
「ああぁ……熱ッヅウァアアっ!!」
身体が燃え始めている訳では無い。だが、逃れようが無いこの"熱さ"は何だ!?
眼を開いていられない。まぶしい。まるで日の光を直接見てしまった時のような痛みも一緒にやって来る。
身体が反応してしまう。海老反りにそろうと身をよじり、奴ごと壁に体当たりしてみたり、四方八歩へ飛び回ったり。それでもなお奴は離れない。
「離れ! あっ熱!! 熱っぢいぃい!」
そして、一際強い光がほとばしった時、ルフィの全身を熱さと言い表すには生ぬるい痛みが走った。朦朧とし始めていた意識が、刈り取られそうになるのをすんでの所で耐える。熱湯の中に落ちた上で、頭を抑え付けられて出られない状況のようだ。
「……クぁ……ッ……ブ……」
ろれつがまわらない。頭が茹だる。飛び回る程の気力が一気に削がれていく。スライスして鉄板の上に"魂"が切り分けられていくような感じ。
「良いね。まだ意識がある」
「……ゲ……あ」
巫山戯んな。そう言ったつもりだったが、上手く発音できていない。
眼の焦点が合わない。うまくピントを合わせられない。頭がうまく働かない。一気に襲いかかって来た熱のせいだ。強制的に体温までも挙げられて思考が定まらない。それに肌が痛い。肉が痛い。実際に炎であぶられたかのように、全身が痛い。
マズい、まずい、不味い。
奴が手を離した。脚がふらついて、倒れそうになるのを、他ならぬ奴が支えてくる。
それですら腹立たしい。何なのだコイツは、ふざけてるのか?
「まだ終わりじゃ無いだろう。君は愛しの君にそっくりだ。
その眼も、睨み方も。何故なんだろうね。君にはまだ立っていて欲しい」
「……てめ」
コイツは、自分の事を見ていない。自分を通して、誰かを見ている。それもムカつく。
とことん、人の事を見ていない。コケにしているというより、わかっていないのだ。
「次はどうする? 音か、冷気か、雷か。刃か、棒か、針か」
意識がまだ定まらない。風呂場でのぼせた時よりもっと非道い。吐き気とふらつき。
声が、聞こえた。
< ――
懐かしい声だった。
そう言えば、
ゴム質の身体であるが故に通じないが、これは鉄球の感触だった。いや、砲弾だ。
それが自分に直撃したのだとわかった。一体誰がそんな事をした?
虚ろな眼で、モニタを背にしている格好になっていた奴の肩越しに、画面を見る。
真っ赤な海だった。血の海、と言っても良い。
その向こうに、一隻の船が見えてきていた。
奴の顔に張り付いていた笑みが、一層強くなっているのもわかる。喜色にそまっていた。頬が紅潮し、眼が爛々と輝き始め、口元の笑みが"本物"になっていく。
嘘だ。
嘘であってくれ。そう思った。愛しの君とコイツは言っていた。待ち人来たりと喜色を浮かべる大本の声は、ルフィのよく知っている声だったから。
遠くの船からも聞こえる大音声は他でもない。
< 何をやっとる! ルフィ! 彼奴の術中に嵌まったか!! >
じいちゃんの声だった。