~ テイワ=ラグ島 ~
「無理するなよ、病み上がりだろ」
「何が。私を誰だと思ってんの?」
爽やかな風が吹き込む、医院の中でルフィはウタの手を取って、リハビリに付き添っていた。手を取って立ち上がるのを手伝い、部屋の中を歩く所から始める。常人には考えがたい負荷がかかったウタの身体は、あの島の時よりずっと細く、軽くなったような気がする。
ウタは気丈な言葉でルフィに答えているが、彼の眼を見て、あまり強い言葉は発さずにいた。自分を責めているかのような、何かを飲み込んで心の内にしまい込むやせ我慢。男の子の見栄っ張りと言えば良いのだろうか。
ウタは心配かけまいと。
ルフィは一人きりの頃のような顔をするまいと。
互いに互いを気遣って、自分の弱いところを見せてはなるまいとしている。端から見て実にほほえましくも、痛ましさも少し感じる光景。
島の女医、ジブはその2人の様子を、暖かい眼でみやる。どこか懐かしさを感じる光景だったからだ。それが何に起因するものなのか、彼女は覚えていない。実を言えば、その"必要な部分"が欠落しているのである。
(昔、こうやって誰かに支えて貰った気がする。あの大きな手は)
誰のモノだったろう。そんな事を考えながら。昔の
「ウタちゃん、一度休憩しよう。ルフィ君もいいね?」
「はい、先生」
「わかった」
ベッドへ座る手助けをする動作も、とても自然だった。呼吸がピタリと合っている。
「立てる時間も、段々延びてきてるね」
「やっぱり、来たばっかりの頃は…」
「ルフィ君の言うとおり、意識が戻ってもしばらくは寝たきりだったよ」
「あ、あれから数日したら身体は起こせるくらいには!」
「やせ我慢って言うんだよ、それは」
そう良いながら、ジブは診療記録をめくりつつ、ウタが来たばかりの頃からの変遷をルフィにも簡単に伝えた。
体力が殆ど残っていない。それ即ち、日常動作一つ真面に出来なかった事を意味する。
身体を起こす。手を動かす。食事をする。着替える。身体を洗う。何気ない仕草にいたるまで、体力は使うのだ。下の話になってしまうが、排泄などもここに含まれる。日常生活云々どころか、生きていくためのリソースが殆ど無い。そんな状態だったのだから。
「よく、ここまで持ち直したと褒めたい所だけどね」
「あは、アハハ――」
面目ないとばかりに、ウタは頭に手を当てる。ルフィはどこか、哀しげな顔色を見せたようだが、ウタからは見えていない。成る程、この子にはそういう顔は見せたく無いのかと、かわいらしさを感じつつ、
「生きる活力があって良かったよ。後は大本の体力を取戻す方向へ考えて行きたい。
それはまぁ明日から順につめていくとして、ルフィ君」
「何だ、センセ?」
「これから、ウタちゃんは"お風呂"の練習だ。別室で待っていてくれるかい?
隣に私の私室がある。男の子にはつまらん部屋だが」
「お、おぅ」
流石に、同年代の男児に肌を晒すのはいけない。ルフィはこれから部屋で起こる事を察してそそくさと部屋を後にする。
不思議なモノだ。ウタを診てくれている医者だから、というのもあるのだろうが、何故かあの女医の言葉には、素直に聞こうという考えになるらしい。
病室を出たルフィは、ジブに言われた通り、一室だけ扉の設えが違う部屋へ入った。
難しそうな本の詰まった本棚が並び、私室というより、
「本屋みてぇだな~、センセの部屋は」
と率直な感想が口から出て来る。チョッパーやロビンの部屋にも似たものを感じる。よくよく考えれば似るのも当然か。同じ医者なのだから。多分自分が呼んだら間違い無く眠りの世界に行ってしまうようなものがぎゅうぎゅうと詰まっている。
ただ本以外に、ルフィの興味を引きそうなモノが部屋には並んでいた。
壁には、島の地図が大きくかけられていて、至る所に赤いピンと調査資料らしき紙が貼り付けてある。島の北半分、その中心部は黒く塗りつぶされていて、『進入不可』と但し書きがされてあった。街の位置は丁度南半分にあたる。
街の北側は丁度人が入れないような環境となっているようだった。
「何だ、コレ?」
声のトーンが、少し下がる。赤いピンで地図に添付されている資料には『
程度の低い者には、"黒い線"が皮膚の下を稲妻のような形に走っている症状がみられており、重度の者となると、片方の眼があらぬ方向に向いていたり、身体の一部が膨張し始めている者もいた。
小難しい事はよく解らないが、島の各地で病のような現象がみられるという事は、これらを見る限り間違い無いようだ。医者の部屋で、あの女医の研究であるというならば不自然とは言えない。しかし、島に来たばかりのルフィにしてみれば、異様と言う他無い。
仲間に影響が無いとは言い切れないから。
あの先生はとても親身にウタの事を診てくれている。ほんの短い間でもそれはわかった。それ故にわからない。こういう病などには殆ど縁が無い彼からしても、怖気がする。
第一段階:黒い線状のアザ、感染源への執着
第二段階:高熱、幻覚、吐き気
第三段階:筋肉痛、咳、下痢
第四段階:昏倒、うわごと、ひきつけ
第五段階:『変異』
後で、先生にこの事を聞いてみなければ。短い期間だとしても、この島に滞在する事になるだろう。そうなれば、仲間にこの危険が及ぶ事は避けなければならない。伝えなければならない。
「後でチョッパー呼んでくるかぁ」
ルフィは、自分の得手不得手をハッキリと自覚している男でもある。
こういうのは、同じ医者でやりとりするのが最も良い筈だ。門外漢が聞いて頓珍漢な伝言ゲームになれば目も当てられない。ウソップが船に戻った。ウタが療養している事、せめて記憶指針の針が更新させるまでの間でも、彼女の回復を見届けたいと思っている事。それらを伝えていてくれるだろうが、この奇病については知らない筈だ。
※※※※※※※※※※
「先生! ジブ先生! 大変です!」
ウタの身体を拭き終わり、新しい患者衣に着替え、ルフィも病室に戻った頃。
病室に彼らを二人きりにしたジブが、診療記録を更新した時の事だった。にわかに窓の外から喧噪が聞こえてくる。数名の男達が、外した戸の上に人を乗せていた。
男達の後ろを、数名の見知った顔もついて着ているのも、ルフィには見えた。
「あれ、ブルックにロビン、チョッパー!?」
「ルフィの友達じゃん、一体何が……!?」
すぐに気づいた。こちらに向かってくる三人の血相が変わっている。戸の上に寝かせられている人物に気づいたのは、ウタが先だった。
「あれ、あの子もルフィの友達―― えっ?」
「――っ!!? ナミ!!」
思わず、病室から飛び出た。先ほどの叫びを聞いて、先んじて一階の戸を開き、診療室前の待合室で待っているジブの隣まで行き、飛び込んできた者達が待合室の床に戸を下ろす。
横たわっているのは、間違い無くナミだった。何か小さなモノを両の手で握りしめ、倦怠感と寒気があるのか身体を大きく震わせている。左右を見渡し、怯えるかのように周囲の様子を窺っているかのようだ。ルフィを見ても、
「ナミ! 一体何があった!?」
そう言って、ルフィが駆け寄ろうとした。その様子をみたロビンとブルックは、ルフィがこの医院にいる事に驚いたようであったが、すぐさま彼を止めようとした。
「いけない!」
「今のナミさんは――!」
そう、ブルックが叫んだ時、ナミの顔が恐怖に歪んだ。まるで、大切なモノを取り上げられるとでも思ったのだろうか、何かを持った両の手を、ルフィから護るようにしつつ戸の上から転げ落ちる。
「来なイで!! 嫌!!」
連れてきた男達が、青ざめて彼女を取り押さえようとする。
状況が飲み込めない。ルフィの頬を汗が一滴垂れていく。この短い間に、彼女に何が起こったのだろうか。手に持っているのは、何か置物のようであるが、彼の背を虫が這い回るかのような悪寒が走った。アレは一体何だ?
「いけない! もう"第二段階"だ!」
ジブの眼に、怜悧な刃物のような鋭さが宿る。
待合室にあった暖炉に、急遽火を入れて、鉄ごてを突っ込んだ。チョッパーも加わって、ナミがこれ以上暴れたりしないよう、押さえつけながら診療室へ連れて行く。唖然と見ている事しか出来なかったルフィは、ブルックとロビンに近づいて、
「一体、ナミに何が…?」
「それが、私達にもわからないんですよ」
「私と、ブルックとチョッパーが、本屋から出た時の事なのだけど。一層下のカフェテラスで、ちょっとした騒ぎがあって」
ロビンも、その時周囲にいた人々からの伝聞になってしまうそうだが、カフェでゆるりと飲んでいたナミに、ナンパ目的の男が数人近づいた。ここまではまぁ、よくある騒ぎの切り口のようにも思える。
だが男達は、ナミが愛おしげに撫でている
『
と叫んだ。それはロビン達にも聞こえた。遠目から見ればナミはいたって自然にカップからコーヒーを飲んでいるようにしか見えず、周囲の客達もそうとしか見えなかったそう。そのモノというのは、今まだ彼女が後生大事そうに握りしめている物体なのだとか。
「男達がナミの手から何とかアレを奪おうとして、焦ったわ」
「それにナミさんが躊躇無く
「まさか、そんな事するか!」
ルフィは否定しかけたが、先ほど見たナミの様子は明らかに異常だった。
カフェで何かを愛おしそうに見ていたとか、一般の人間に迷い無く暴力という手段を執ろうとするなど、どう考えてもナミのしそうにない事。
ここでルフィには、思い当たるモノに気づいた。ジブ先生の部屋にあった、あの資料。
「……まさか」
「「 なにか、思い当たる所があるの(ですか)?? 」」
そこへ、ジブが厳つい表情のまま戻ってくる。真っ直ぐ、暖炉の火に突っ込んでいた鉄ごてへ手を伸ばして。
「ルフィ君、あの娘、君の仲間とあのトナカイ君に聞いたけど」
「あぁ、俺の大事な仲間だ」
「ならば、謝罪しなければならない」
そう言って、真っ赤になった鉄ごてを取り出して、診療室から神妙な面持ちで顔を出しているチョッパーに振り向いた。
「いいね? トナカイ君」
チョッパーが頷いた。ジブはやはり、この妙なナミの症状を知っている。それはきっと、先ほどルフィがあの部屋で見た資料の症状なのだろう。軽い情報交換だが、チョッパーはソレを受け入れたという事。
ルフィ達に、チョッパーがおずおずと口を開いた。
「ルフィ、ナミを抑えるのを手伝ってくれ」
「一体、何をする気なんだ? なぁ、センセ」
「直接押しつけはしないが、"
第二段階ならまだ間に合う。身体から追い出す作業に入るのさ」