転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 今回は別視点、当初はそこそこ登場する予定だったけど、度重なるプロットの変更と圧縮により殆ど出せなかった彼の視点です。
 正直必要かと言われると微妙なんだけど、ここでやっておかないと消化不良になっちゃうからね……。





おまけ お兄ちゃん(の心配)はおしまい!

 

 

 

 1月中旬のとある日の昼。

 俺の勤める、とある地方トレセンの保健室で……。

 

「それじゃ、歩はもう大丈夫ってこと?」

 

 片手間に実家に送る報告書を纏めながら、俺はスマホの向こうの通話相手に問いを投げかけた。

 対して返ってきたのは、恐らく1か月ぶりくらいに聞いた、妹の……昌の声。

 

『ん。兄さんのためにも、あんまり細かいことは教えられないけど、とにかくもう大丈夫』

「そっか。……よかった」

 

 呟いて、俺は小さく安堵の息を吐いた。

 

 

 

 俺の実家である堀野には、5人の家族がいる。

 父、母、長兄、次男、そして長女。その内俺は長兄にあたり、弟と妹を1人ずつ抱えていた。

 

 堀野歩。昔から過ぎるくらいに努力家だけど、同時に少しばかり気がかりな、大事な弟。

 堀野昌。色々あって荒んだりもしたけど、それでも真っ直ぐに育ってくれた、可愛い妹。

 

 俺にとってはとても大事な、そして同時にそれぞれちょっとした問題のある弟妹たち。

 

 その内で妹にあたる昌は、彼女が中等部の頃に、俺や歩のせいで少しだけ歪みかけてしまった。

 その時は、母の懸命なケアによって、何とか家族としての関係を取り戻したんだけど……。

 

『……ね。兄貴』

「ん、何かな」

 

 その時以来、昌は俺のことを「兄貴」と、歩のことを「兄さん」と呼び分けるようになった。

 お兄ちゃんとしては、ちょっと距離を感じてしまって悲しくなるね。

 

 ……とは言っても、むしろ彼女が距離を空けてるのは、「兄さん」って呼んでる歩の方だったりするんだけども。

 

 

 

 あの一連の騒動の中で、昌と俺との関係は、比較的早く修復された。

 唯一最初から拗れなかった母さんを除外すれば、最も早く関係性を作り直したと言っていいはず。

 

 で、その時。

 しばらく俺のことを無視していた昌は、久々に話した際に俺の呼称を「兄貴」に変えたんだ。

 

 ……明け透けに言ってしまえば、以前のように話すのが恥ずかしかったんだと思う。

 当時俺、というか家族皆への当たりが強かった昌は、和解しようにもどうにも引っ込みが付かず、呼び方も喋り方や態度などと併せて、意識的にそういう方向へ変えていったんだろう。

 

 当然ながら、昌がどんな話し方や呼び方をするかは彼女の自由なので、特段否定することもないんだけど……お兄ちゃんとしては、やっぱりちょっと寂しかったね。

 

 

 

 一方で、昌と歩との仲は拗れに拗れた。

 母さんがちゃんとケアしてたから決定的な決裂まではいかなかったけれど、その亀裂は実に深くて、俺が家を出る時にも完全に元通りにはならなかった程。

 ……まぁ、人間の関係は時間と共に変化するものだから、元通りになることはないんだろうけど。

 とにかく、歩から昌への接し方は以前と変わらなかったけれど、昌から歩への接し方はだいぶ距離のある……反感の先立つものになってしまったんだ。

 

 端的に言えば、昌は歩に対して、わざと冷たく当たるようになった。

 敢えて理性的な態度を保ちながらも、感情的に歩の行動や思考を否定し、家族というよりは少し近い他人のような距離感を保とうとして……けどこの子もちょっと甘いところがあるから、何だかんだ家族である歩に気を遣ってるような、複雑に拗れた関係。

 そんな関係になったからこそ、昌は歩のことを「兄さん」と、少し他人行儀に呼ぶようになったわけだ。

 

 

 

 そんなことを懐かしみながら思い出していると、昌は少し掠れた声で話を続ける。

 

『兄さんの……アレ』

「アレ……察するに、歩の精神疾患のことかな」

『疾患……』

「ごめん、少し言葉が強かったね。歩の心の問題、かな」

『……うん、そう』

 

 俺の弟と妹には、それぞれ全く別の形で、小さからぬ問題があった。

 

 昌のそれは、家庭内の不和という形で表面的に出て来るもので、その影響も非常に大きかったんだけど……歩の問題はその真逆。

 表面的には問題が出て来辛く、外部にもたらす影響も少なかったから、気付きにくいものだった。

 

 凄まじく察しの良い、もはや野生の勘とでも言うべき理解力を持つ母さんはともかくとして……。

 ああ見えて、トレーナー以外の分野以外ではちょっと抜けていて鈍感なところのある父さんは、ついぞそれに気付かなかったくらいには。

 

『……ずっと聞けなかったけど、兄貴はいつ、兄さんのアレに気付いたの?』

「いつ、か……うーん」

 

 少し難しい問題に、思わず頭を捻る。

 

 歩がおかしいことには、ずっと前から気付いていた。

 あの子には、最初から……母さんの言葉を使えば、「生まれた時から」違和感があったんだ。

 

 ただ、俺の中で、その違和感が明確に形になったのは……多分。

 

「……初等部の頃、かな」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 もはや懐かしい、セピア色の過去を想起する。

 

 俺も歩も、まだ初等部だった頃の休日。

 あの子が俺に、花の冠を作ってくれたことがあった。

 

「兄さん、これ、いつものお返しです」

 

 ずっと庭で何かをしていると思ってたけど、まさか俺のためにこんな可愛らしい贈り物を作ってくれていたとは。

 その健気なプレゼントに、当然ながら喜んだんだけど……。

 

 それと同時に、僅かな違和感を覚えた。

 

 

 

 基本的に、子供は自己中心的なものだ。

 特に初等部に入って間もない歩くらいの年齢の子供は、まだ他人への共感性に欠け、文字通り自分が世界の中心であると認識していることが多い。

 

 これは何も性悪だとかそういった話じゃなく、単純に脳が育ち切っていないという側面が大きい。

 というか、共感性や協調性をしっかりと伸ばすためにこそ、近い学年の子供と共同生活を送る学校という機関があるって側面もあるわけで……。

 個人的な意見にはなるけど、この子くらいの年齢の子供はまだ、他人とか遠慮なんて気にせず、自由に遊び回るくらいがちょうどいいと思う。

 

 

 

 他者の存在を認め、その行動がもたらす恩恵に感謝できるのは、一般的にはもう少し先になるはず……。

 ……なんて、流石に当時から、そこまで理論的に考えられていたわけではなかったんだけど。

 それにしても、自分やクラスメイトたちと比べて、歩は……なんというか、達観していた気がした。

 

 誰かが喜んでくれるという状況が嬉しいのは、理解できる。

 俺だって、そういう気がある。クラスメイトや家族が笑ったり感謝してくれると思えば、それだけで心が躍るよ。

 

 けど、当時……普段の感謝に対して返礼する、という思考はなかったと思う。

 生まれてからずっとその環境にいたから、普段からずっと享受していたから、そのありがたさをいつしか忘れてしまっていたんだ。

 

 ……そもそも、考えてみれば、歩は昔から変わった子だった。

 両親曰く、赤ん坊だった頃からまるで明確な意思を持つかのような行動が目立ったと言うし、歩き出すとか言葉を話し出すのも普通よりずっと早かったらしい。

 ただ早熟なだけだと思っていたけれど……どうやらそうじゃないらしいと思い始めたのは、多分この時だったと思う。

 

 

 

 そうやって疑問を持ちながらも、俺はその贈り物を喜んだ。

 というか、今思うと恥ずかしくなるくらい、過剰なくらいに喜んだと思う。

 

 さっきも言ったけど、普段のお返しなんてものは滅多にもらえない。

 友達に何かをしたって、返って来ることは少ないんだ。

 

 例えば、友達を笑わせることは多くても、笑わせてくれることは多くない。

 誰かを助けたとしても、助けられることは滅多にない。

 返礼を求めて行動しているわけじゃなかったから、別にそれ自体は構わなかった。

 というかそもそも、自分だって誰かへの返礼を果たせているわけじゃなかったんだ。それ自体は構わないんだけど……。

 

 だからこそ。

 それがとても得難く、自分にさえできないことだからこそ……。

 贈られた純粋な気持ちが、すごく嬉しかった。

 

 俺にとって、歩が「弟」から「大事な弟」になったのは、この時だった。

 父の徹底した教育もあって、人への態度に区別を付けないように努めていたけど……歩は特別。

 

 時々ちょっとおかしなことをしたり言ったりするし、日常生活を放棄してまで習い事や自己研鑽に精を出すような、母さんと同じくらいに変わった子だったけど……。

 

 とにかく、俺にとって歩は、とても大事な弟だったんだ。

 

 だから俺は、あの子のことをよく見ていて……。

 ……だからこそ、確信できた。

 

 

 

 やっぱり歩は、おかしいって。

 

 

 

 俺がようやく中等部に上がった頃の、とある日。

 俺は父さんに言われ、歩を呼びに行って……。

 堀野本邸の資料室で、たくさんの紙束に埋もれている人影を見つけた。

 

「歩、父さんが呼んでるよ」

「……兄さん」

 

 そう言って、顔を上げた歩の目は……その目の下には、厚すぎるクマがあった。

 肌色は悪く、目はろくに開かず瞬きも多い。よく見れば目の焦点さえまともに合っていない。

 

 素人目にも、体調が悪いのは明白だった。

 

「……最後に寝たのは?」

「ん……えっと、2回学校に行く前……2日前?」

「食事は? 入口にあったのは冷めてたけど」

「昨日の夕方は取った……と思う。多分」

「また無茶をして……。母さんが怒るよ」

「……怒らないよ。母さんなら、わかってくれる」

 

 この日は、疲れからかいつもよりテンションが低かったけど……。

 この子は、いつもこんな調子だった。

 

 父さんの前でトレーナーになるって宣言してから、ずっと頑張ってる。頑張り過ぎている。

 

 そもそも、俺の周囲の同級生たちを見ても、子供が将来を見据えた主体性を持つこと自体が稀だと思う。

 その上で、娯楽の時間をゼロにまで削り、まともに友人を作ったり一緒に遊んだりもせず、睡眠時間や食事の時間まで削っているとなると……もはや狂気的なものさえ感じる。

 

 家族として、その無茶を止めなければと思うと同時に……。

 なんでこの子が、そこまで無茶をするのか、気になった。

 

「……ねぇ。なんでそこまでするの? お腹も空いてるだろうし、気持ち悪いでしょ?

 もう少し休んだりしてもいいんじゃない?」

 

 何気なく、俺はそう聞いて……。

 意識も朦朧としているらしい歩は、ぼんやりと答えた。

 

「…………頑張るべき、だから」

「頑張るべき?」

「頑張らないと、いけないから。そうしないと、俺は、また……」

「また?」

「……? あー、ごめん、何でもない。父さんが呼んでる、だっけ。今から行くね」

 

 歩はその手に持って読んでいた、とても古くて辞書みたいに分厚いスクラップファイルを閉じて、それを戸棚に仕舞いながらフラフラと歩き出す。

 しかし、足元に転がっていた本に躓き、転びそうになって……。

 

「ちょっと!」

「あ……ごめん、ありがとう、兄さん」

 

 慌てて手を伸ばし、掴んだ歩の手は……酷く、冷たかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……そういうことがあったりしてね。歩がおかしかったのはわかってたんだ」

『初等部……そんな、昔から……』

「うん」

 

 家族だからね、と言おうとして……昌の言葉の響きを聞いて、やめた。

 

 ちょっと唖然としたような様子からして、昌はその辺りについて気付いていなかったんだろう。……少なくとも、俺と同じ年齢の頃は。

 それを当然のように語るのは、ある意味で彼女の能力のなさを責めることに繋がってしまう。

 

 俺は露骨にならない程度に、軽く話題を逸らすことにした。

 

「実を言うとね、俺が外科以外に精神科を学び始めたのは、歩のことを理解したかったからなんだ。

 当時は全然歩のことをわかってあげられなかったから、もっと心理学とかを勉強して、わかってあげたいって思ってね」

『そうだったんだ。……それで、何かわかったの?』

「うん、まぁ……わかりはした、かな。

 多分歩は、何らかの強迫観念に襲われて行動を強いられてたんだ。

 自分は頑張らないと駄目だ、自分は行動を止めちゃいけない、もっと言えば……そうやって努力をしない自分に価値はないって、そんな風に」

『……うん』

「でも、結局、その原因はわからなかった。

 歩のことは、生まれた時から……って言うと少し語弊があるけど、少なくともあの子が言葉を話し出す頃から知ってる。

 でも、あの子がそこまで追い詰められるようなことは、その人生にはなかったと思うんだ」

 

 そう、そこが最大の疑問だったんだ。

 

 歩の状態は、わかった。

 ……でも、懸命に思い出しても、両親に話を聞いても、そしていくら話して聞き出そうとしても……結局、その歪みの原因を特定することはできなかった。

 

「カウンセリングはね、その子に精神的なセルフコントロールを身に付けさせるのが目的になる。

 だけど、そのためにはまず、その子が何故そう感じているのか、何故そう思うのか……その根っこの部分、その子の人生経験についての情報が必要なんだ。

 でも俺は、どうやってもそれを得られなかった」

『……もしかして、だから兄貴は……』

「そう言うと、ちょっと言い訳になっちゃうけどね」

 

 本来、歩を救うのは、俺であるべきだったと思う。

 

 あの時、歩からもらった、綺麗な花冠。

 俺はまだ、あれにちゃんとお返しができていない。あの純心な贈り物に、なんら対価を示せていない。

 だからせめて、歩の力になろうと、その異常を少しでも正しい形に治そうと、頑張ったつもりだったんだけど……。

 

 どうやら俺では、力不足だったらしい。

 昌曰く、歩は彼の担当ウマ娘、ホシノウィルムさんによって救われたのだという。

 

 堀野はトレーナーの家系で、俺はその出身。当然ながら、ウマ娘についての知識は身に付けている。

 だから、トレーナーとウマ娘の間に発生する絆の特殊性については理解しているつもりだ。

 恐らくは、歩はそういう不思議な関係に、心の底から救われたんだろう。

 

 それを少し、残念と言うか、申し訳なく思う。

 

 結局、俺の手は届かなかった。

 あの子のことは何一つわからないまま、俺の視界の外で、歩を取り巻く問題は解決してしまった。

 

 俺にできたのは精々、無意味だとわかっていながら体を大事にするよう警告することと、新人トレーナーだったあの子から持ちかけられた、いくつかの相談に応えることくらい。

 

 ……まったく、お兄ちゃん失格だな、俺。

 

 

 

 心中では少しばかり落ち込みながらも、言葉のトーンを落とさないように注意して、昌との話を続ける。

 

「それと、もう1つ。歩にあんまり手出ししないようにって、母さんに言われたってのもある」

『母さんに? ……っていうかそれ、母さんも兄さんの問題を知ってたってこと?』

「そりゃそうだよ。あの母さんだよ? 俺なんかよりずっと前から、歩のことには気付いてたはずでしょ」

『……めちゃくちゃな上理屈の1つもないのに、納得感しかない』

 

 まだ歩の問題に気付いて間もない頃。

 それについて相談した俺に、母さんは「やっぱりあなたも気付いたのね」と頬に手を当てて、応えた。

 

「……手を出しても無意味。どうしたって、俺や母さんには歩の抱える問題を解決できないって、そう言われてね。歩にその問題を自覚させるとか、そういう行為は禁止されちゃった」

『相変わらず、唐突というか何と言うか……』

「うん。俺も納得できなくて、せめて積極的ではないにしろ、色々と手は尽くしたつもりだったんだけど……やっぱり今回も、母さんの方が正しかったな」

 

 昔から、ずっとそう。

 母さんの言葉はわかりにくくて、何の根拠も語ってはくれない。

 けど、いつだって母さんの言葉は、最終的に正しくなる。

 そういう方向に現実が歪められてるんじゃないかって思うくらい、正しい形に落ち着いて行くんだ。

 

 別に、それを苦々しく思うわけじゃないけど……。

 俺にもその力があれば、もう少し歩の力になれたかな、と。時々そう思う。

 

 

 

『……仕方ないと思うよ』

 

 ぼそりと、話を聞いてくれていた昌が口を開く。

 ……あぁ、失敗だった。これは気を遣わせちゃったかなって、そう思ったけど……。

 どうやらそれは、違ったらしい。

 

 昌は静かな、どこか痛ましいものを想うような声で言った。

 

『兄さんがそうなっちゃった原因からして、多分本当に、母さんとか兄貴には解決できない。

 何を言ったって拒否されちゃうだけだったと思う』

「それは……」

 

 歩がああなってしまった原因を知っているという意味か、って尋ねようとしたけど……。

 昌の声が、俺の疑問を遮る。

 

『悪いけど、それについては何も話せない。

 それはもう、この世界に存在しないし、するべきじゃないことだから』

 

 ……存在しないし、するべきじゃない?

 

 言葉をそのまま安直に捉えるなら、「それ」はかつて歩を変えてしまった要因であり、なおかつ今はもう存在しないものを指すのだろう。

 

 人を変えるのは経験であり、記憶だ。それが存在しないとなると、つまりは……。

 

「まさか歩は、あの事故で記憶を……」

『覚えてるよ。この世界に生まれてからの記憶、ちゃんと全部覚えてる』

「……そっか。それは、良かった」

 

 一瞬、自分や両親のことを忘れてしまったのかと肝を冷やしたけど……ひとまずそういうわけじゃなかったことに安心する。

 しかしそうなると、本格的に昌の言葉の意味がわからなくなってしまうな。

 

「……話しては、くれないよね」

『うん、話せない。これは私が墓まで持っていくつもりだから』

「そっか。じゃあ、無理には求めないよ」

 

 気になる。大事な弟だもの、当然ながら気になるが……。

 それは、妹の本意を、恐らくは歩の尊厳を傷つけてまで探るべきことじゃないだろう。

 問題は、解決した。歩が正常に人生を送れるようになった以上、無理に傷痕を抉る必要はないんだ。

 

 瞼を閉じて、一息吐き、好奇心を押し殺し……。

 俺は改めてまぶたを開いて、話を続けた。

 

「……昌はその辺りの事情を知ってる上で、歩はもう大丈夫だって言うんだね?」

『そこは保証する、もう兄さんは大丈夫。兄貴も、何度か電話で話したんでしょ?』

「うん、確かに歩は、驚く程明確に変わってた。前にあったような心理的な視野狭窄がなくなってたと思うし、思考も正常になってたと思う」

『ん。だから、そこに関してはもう安心していい。母さんにも連絡は入れてるから』

「そっか」

 

 どこか肩の力が抜けるような、あるいは肩透かしを食らうような、微妙な気分を味わい……。

 同時、ふと疑問に思った。

 

「……父さんには?」

『父さんはそもそも兄さんのアレに気付いてすらなかったバ鹿だし連絡の必要ないでしょ』

「なかなか手酷いね」

 

 相変わらずの辛辣さに、思わず苦笑がこぼれる。

 

 昌が中等部に入って荒れ始めた時、母さんは昌の話をよく聞いてたし、俺も昌との関係を修復したりする一方で、父さんはあたふたするばかりで何もしなかった。

 いや、娘心を掴めず、余計なことをしないようにしていた、と言うべきかもしれないけれど。

 

 とにかく、多分その頃のイメージが原因なんだろうけど、昌から父さんへのイメージ、めちゃくちゃ悪いんだよなぁ……。

 まぁ父さんに鈍感の気があるのは確かだし、実際歩の問題に関しては、ただとんでもなくストイックなだけだと認識し、気付いてなさそうだった。

 女性からすると、そういう察しの悪さは軽い嫌悪の対象になるのかもしれないな。

 でも、一応注意はしておこう。何より彼女のために。

 

「あんまり親に強く言うものじゃないよ」

『兄貴のそういう優等生なとこ、嫌い』

「あはは、ごめんごめん」

 

 優等生っていうか、ただ昌の将来的な精神衛生を考えての言葉のつもりだったんだけど。

 

 ……いつか、父さんも母さんもいなくなる。

 その時になって、「もっと孝行すれば良かった」と思っても遅いんだ。

 できれば今の内から、後悔しないように仲良くすべきだと思うんだけど……うん、押し付けることでもないかな、これは。

 

「……話を戻して、改めて連絡ありがとう、昌。状況がわかって安心したよ」

『ん。……兄貴も、お疲れ様』

 

 お疲れ様、か。俺は何もできなかったんだけどね。

 

 まぁそれでも、歩が救われたなら……それでいいか。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ……と。

 

 俺は保健室の扉がノックされるのを聞いて、小声で昌に語り掛ける。

 

「ごめん、昌。ちょっと用事ができた」

『ん。仕事中にごめん。それじゃ、また』

 

 ぷつっと音声が途切れる。

 俺は急いでスマホをポケットに仕舞って、部屋の外に向かって「どうぞ」と声をかけた。

 

 すぐにがらっと扉が開かれて、向こうにいた子が突っ込んでくる。

 

「せんせ~っ! 疲れた疲れた、休ませてーっ!」

 

 プリンになった髪をたなびかせたその子は、まるで猫のような俊敏さで──いや、猫じゃなくてウマ娘なんだけど──椅子に座った俺に抱き着こうとしてくる。

 

 懐いてくれるのは嬉しいけど、やはり養護教諭と距離感が近すぎるというのは好ましくないかな。

 俺はさらっと立ち上がって彼女の突進を回避し、デスクに寄りかかった。

 

「昨日ぶり。休むのはいいけど、ちゃんとトレーナーさんには許可取ってる?」

「うぅ~、せんせーつれない……勿論許可なんてもらってませーん、匿ってくださーい!」

 

 勢いそのまま、俺が座っていた椅子にべたりと倒れかかった彼女は、唇を尖らせて不満をアピールして来る。

 

 ……まったく、彼女のサボリ癖には困ったものだね。

 いや、彼女というか、地方トレセンに通う何人かのウマ娘の、と言うべきかもしれないけど。

 

 あるいは中央程の魔境ではないからなのか、ここに所属する一部のウマ娘は、レースへのモチベーションをそこまで持っていなかったりする。

 流石に普通の女子高生程とまでは言わないけど、トレーニングから抜け出し、こうして保健室にサボりに来るような子も珍しくないんだ。

 

 多分ここにあるベッドが目当てだと思うんだけど……中にはベッドにすら入らず、ソファの上で俺と話して時間を潰したりする子もいるんだよね。

 正直、養護教諭としては、最低でも体調不良っていうサボる口実くらい守ってほしいんだけどな。目こぼしにも限界があるわけだし。

 

 更に言えば、彼女たちがここに居座ると、彼女たちのトレーナーたちから苦言を呈されるんだよなぁ。

 別に俺が彼女たちを誘っているわけじゃないんだが、やはり逃げ道があるとそこに走りたくなるものなんだろう。「もう少し強く拒否してください」なんて言われたりもする。

 

 しかし難しいのが、俺も堀野の家で育てられた者、彼女たちの望みや願いを無下にもできないんだよね。

 本当に疲れたような顔で「ごめん、ちょっと休ませて……」と乞われ、慌てて許可した瞬間に満面の笑顔で「ありがとー!」なんて言われることも何度もあったし。

 

 養護教諭、なんか思ってたよりちょっと違う意味で気苦労が多いよ。

 

 とはいえ、そんな板挟みの毎日でも、彼女たちの役に立てていると思えば充実したものだけどね。

 

 

 

 ……あの日、死んだ目をして資料を漁り続けていた歩も、今はトレーナー業を楽しめてるかな。

 そうだと……嬉しいな。

 

 

 







 あっちもあっちでなんかラブコメやってるブラコンお兄ちゃんでした。
 こんなことを言っていますが、この兄はお父さんの鈍感を(恋愛方面だけ)引き継いでるため、後々すごいことになります。まぁそれは、また別のお話なのですが。



 次回は3、4日後。トレーナー視点で、お仕事と門の話。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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