「つまるところ、あのレースは後半に入った時点で、既に負けが決まっていた、と」
「ああ。後半の君の走りには、ケチをつけるべきところがなかったからな。逆に言えば、前半のミスが故に敗北したと言えるだろう。結果論だけどな」
「む……。それ、喜ぶべき評価なんでしょうか」
「ミスのない、完璧と言っていい走りだったからな。そこは誇っていいと思う。……500メートル地点の躊躇を除けば、だが」
「もう、何回言うんですかそれ」
「それだけ残念だったんだよ。前日……いや、1週間前にでも起きていれば、もっと君を万全に走らせることができた」
「……後悔、ですか?」
「ん……いや、未練だね、これは。君のトレーナーとして、俺はいつだって君を支えていたかった。レース当日に君の横にいられなかったのは、一生の不覚だよ」
「それは……歩さんには申し訳ないですけど、そう思っていただけるのは嬉しいですね」
3月上旬、いよいよ本格的にG1レース群が始まる、その前に。
俺と担当ウマ娘のホシノウィルムは、どこかぼんやりとした、緩い会話を交わしていた。
その内容は、反省会交じりの雑談って感じ。
彼女の本業の1つであるレースに関わる話ではあるが、殊更に重要度が高いわけではなく……。
どちらかと言えば、暇を潰すための話題作り、という側面が強い。
現に、さっきまではウィルが最近仲良くなったウマ娘や、来年のクラシックレースについて話していた。
つまるところ、この退屈を誤魔化せさえすればなんでもいいのだ。
彼女と話すことであれば、俺はどんな内容でも楽しいからな。時には雑談も悪くない。
彼女の方も楽しめていればいいが……。
そう思い視線を横に向けると、ウィルは薄く、不気味な微笑を浮かべている。
少なくとも、憎からずは思ってくれている……のかな。だとしたら幸いだが。
さて。今しているのは、雑談レベルの話ではあるが……。
だからと言って、完全に無益というわけでもない。
競走ウマ娘は体を鍛えることも重要だが、同時に知識の方も高い水準で要求される。
それを身に付けるには、座学……前世アプリで言うところの、賢さトレーニングに勤しむ必要がある。
が、俺の1人目の担当ウマ娘は、とかく走ることが好きだ。
なんなら全ての興味・モチベーションがそこから発生しているとまで言ってもいいレベル。
故に、「レースを万全に走るために必要だから」とトレーニングの時間に座学を要求すれば、彼女は受け入れてこそくれるんだが……。
ほんの僅か、恐らく出会った頃では気付けなかった程度ではあるが、悲しそうな表情をしてくるんだ。
堀野歩は、ホシノウィルムの契約トレーナーだ。
彼女をレースで勝たせること、競走ウマ娘としての彼女を支えることこそが、俺の本業である。
故に、必要であれば彼女が嫌がることでも、させる義務がある。
……が。
彼女に好感を覚えている俺個人としては、やはり彼女にはできるだけ笑顔でいてほしいわけで。
こうした何気ない瞬間に彼女のレースへの理解度を深め、出来るだけ座学の時間を減らしておくのは、少なからず有益な行為なんだと思う。
そんなわけで、本格的なものではなく雑談程度ではあるが、俺とウィルはあのレースについての話をしているのだった。
「しかし、そうですか、あの時……。ターボが粘るの無視するか、そもそももう少し早仕掛けしてれば?」
「うん。500地点でなら間に合ったとは思うが、600は遅すぎたな」
「やっぱり、ターボが粘った分遅れちゃったのが悪かった、と」
「まぁそうと言えばそうだが……レース中に正確な状況判断を下すのは難しいからな。君の『思考力増加能力』でも使わない限り確実なものにはならないさ。
今回は結果的に、君の慎重な判断が裏目に出た、というところだ」
「慎重っていうか、立ててきた戦術に固執しちゃった感じですね。ちょっと言い訳じみてますが、これまで歩さんにもらってきた作戦、かなりの精度で有効でしたから……今回もついつい予定してた通りの戦術に頼っちゃったというか」
「あー……。なんというか、すまん」
「謝る必要はないですよ。ただ愛用の得物が使いやすくて頼り切りだった結果、それが手元を離れた途端に大幅弱体化したってだけです。つまり、私の慢心故のミスですって」
歩さんがいないとレースって難しいですねぇ、「これ」と違って。
そう言って、俺の担当ウマ娘は、手に持っていた竿を軽く揺すった。
「……いや、こっちも難しいんだが? 俺の方は今のところ逃げられっぱなしなんだが?」
「それはトレーナーがド下手なだけですって」
「ド下手て。誹謗中傷は現代じゃ炎上の元だぞ」
「ヒット自体はするのに3回中2回逃がして1回に至っては竿持っていかれた人がド下手じゃなくて誰がド下手なんですか」
「真実は時に人を傷つけるんだぞ」
俺はウィルのために持ってきていた予備の釣り竿を握り直し、軽くため息を吐いた。
* * *
競走ウマ娘のトレーナーにとって、1年で最も忙しい時期はいつか。
この問いへの答えは状況によって変わり、いくつか考えられるが……。
俺の場合、それは4月と12月となるだろう。
12月は、まぁ当然ながら忙しい。
1年の締めくくりということで色々な調整・連絡・挨拶が必要になる上、年末の大一番有馬記念が開催されるのだ。
師も走る季節とはよく言ったもので、この期間はとてもじゃないが余暇などない。休日返上どころか不眠不休になりかねないくらいには多忙になる。
そして、4月……厳密には、3月末以降。
あまり世間には知られていないが、トレーナーにとってはこの時期もこの時期で忙しかったりする。
今年の重賞レースが本格的に始まる時期であり、大阪杯や天皇賞といった、いわゆる春のG1レースも開催され始める頃合い。
その上、年度の初めということで色々と処理せねばならない書類も増えるし、4月頭にはトゥインクルシリーズ春のファン大感謝祭があるんだものな。
……いや、改めて考えると、なんでこの時期にやるんだ大感謝祭?
時期的には皐月賞の直前だし、大阪杯に至っては大感謝祭数日後の開催だよ?
しかもこれ、G1ウマ娘や有力なウマ娘は必ず企画を出さなきゃいけないっていうルールまであるから、大阪杯の有望株は粗方疲労を溜めるハメになるし。
2月とか3月あたりにやるのが穏当だと思うんだけどなぁ……。
今度URAに意見具申しとくか。通るとは思い難いけども。
と、少し話題が逸れたか。
とにかく、俺たちトレーナー、特にG1トレーナーにとって、4月はかなりの繁忙期に当たる。
ホシノウィルムとミホノブルボンという2人のG1ウマ娘を抱える俺も、その例に漏れず……。
今月までは落ち着いていた仕事も、来月以降は再び忙しくなってしまうわけだ。
余裕を持って休めるのは、今月まで。
来月の頭からは……流石に去年末程ではないにしろ、そこそこ忙しない毎日が始まるはずだ。
だからこそ、最近昌には休みを多めに取らせて、嵐に備えさせている。
繁忙期の真っ最中に倒れられちゃ困るからな。……いや、これに関しては、俺は人のことを言える立場じゃないか。
さて、かく言う俺も、多少は気を休めなければならないだろう。
昔の精神状態であればともかく、今の緩んだ俺にとって、ぶっ続けでの仕事は心身ともに摩耗する。
ただ精神的に摩耗するだけならいいが、それで視野狭窄になってしまうと、去年のようにウィルたちに迷惑をかけてしまいかねない。
そして肉体的な疲労がかさめば、あの時のように、危機にも気付けないポンコツになり果ててしまう。
2人のG1ウマ娘のトレーナーとして、俺はいつでもフルスペック、万全の状態でなければならない。
そんなわけで、3月上旬。
担当ウマ娘を彼女たちのトレーニングメニューと共に昌に託し、俺は丸々1日の休暇をいただいた。
昌が来てくれたからこそできる芸当だな。やっぱりサブトレーナーって存在はすごくありがたい。
……しかし、問題が発生したのは、その休みを担当たちに報告した時のことで。
俺の話に、ウィルが食いついてきた。
「え、お休みって……何するんですか? 爆睡?」
「まぁ睡眠も取ろうとは思っているが、昼からは釣りに行こうと思っている」
「釣り? ……ナンパってことですか!?」
「なんでそうなる。普通に海釣りだよ」
前から感じてたけど、この子、時々発想が突飛になるよな。
「釣りに行く」を「ナンパに行く」と捉えるのはだいぶ曲解。というかもはや拡大解釈と言っていい。
2年という時間付き合って、彼女のことはだいぶ深く知ったつもりだったが……やっぱり付き合っていれば、新しい面が見えて来るね。
思い込みが激しい方ではないと思ってたんだけど、案外年相応なところもあるらしい。
誤解を招いたりしないよう、これからは改めてしっかりと情報共有していかないとな。
「当日は俺も見ることができないので、自主トレは程々に控えてくれ。計算上、昌が無茶でもさせない限り事故は起こりようがないと思うが、もし脚に違和感を覚えたら、俺か昌、あるいは養護教諭でもいいから迷わず相談を……」
「歩さん」
注意事項を語る俺の言葉に、ウィルが割り込んでくる。
何事かと口を閉じ、彼女の瞳を見ると……。
そこにはどこかいたずらっぽい、そして同時に恥ずかし気な色が浮かんでいた。
「久々に『ご褒美権』行使です。……私もそれ、連れて行ってください」
* * *
そんなこんなで、お休み当日。
念のためウィルの分も釣り竿を用意してきた俺は、割としっかりした真新しい釣り竿を携えていた彼女と共に、例の海辺に向かった。
そして、どうやら初心者らしいウィルに色々と教えながら、いつも通りに釣り糸を垂らし……。
俺が1匹も釣り上げられず、なんなら手が滑って釣り竿を持っていかれている間に、ウィルは6匹程魚を釣り上げていたのだった。
「なんでこんな釣れないんだろうなぁ……」
「いや逆に聞きたいんですけど、どうやったらそこまで手こずるんですか」
「普通に釣ろうとしてるだけなんだけど」
「そもそもなんで餌を付け替えるのに3分もかかってるんですか? なんでその最中に3回も餌を落としたり指を刺したりしてるんですか? 不器用すぎません???」
「いや、初心者だしそんなもの……じゃないか。君はちゃんとできてるわけだし」
やっぱり俺、才能ないんだなぁ。
思わず言葉に出して、ため息を吐いてしまう。
何事においてもそうだが、堀野歩は要領が悪い。
手先の器用さとか、物分かりの良さとか。そういったものが一律に悪く、物事の習熟が遅い。
ある程度こなせている、日常生活や仕事、テーブルマナーに交渉。そういったものは全て、長年自分の体に覚えさせたが故にできるだけ。
根本的に、堀野歩という人間は、何もできない非才の身なのだ。
……趣味にしようとした釣りの技術も、始めて数時間の初心者に追い抜かれちゃうくらいには。
「あ、いや……うーん」
「あぁ、慰めはいらないぞ? 自分の無能とも長い付き合いだ、諦めも付いてるしコンプレックスもない。君がウマ娘で、俺が人間で。そういうのと同じように、君には才能があって、俺は才能がない。それだけだ」
「なるほど、そういう自意識……。ま、まぁでも、私、そういうところも含めて歩さんのこと好……し、信頼してますよ」
「なんか微妙に文脈が繋がってない気もするけどありがとう」
無能なところを信じられてもなぁ……と思わなくもないけど、それでも信頼は嬉しい。
強いて言えば、時間の経過と共にそれが有能への信頼へと変わるよう努めるだけだな。
ウィルはちょっと微妙な表情をして、しかし特に言い返すことなく海の方に視線を投げた。
「ちょっと暗めの話になっちゃいましたし、レースの話に戻りましょう」
「ん、了解。議題は……サイレンススズカへの対策だったか」
* * *
俺とウィルがしていたのは、2か月前の有馬記念、その敗因についての話だ。
去年末の有馬記念で、ホシノウィルムは公式レース初となる敗北を喫した。
それが彼女の万全な状態、万全な走りの上でのことであれば、反省の必要はなかっただろう。
ただ次回は勝てるようにと、よりトレーニングに励めばいいだけだ。
だが、あのレースは、そうではなかった。
レース前の、俺の昏睡。それに伴う、昌でも防ぎきれなかった追い切りメニューの不完全化。
ライバルたちの調査不足。結果として表出した、作戦のカバー範囲の狭さ。
これまで俺の作戦に依存してしまっていたが故の、ウィルの咄嗟の躊躇。
今回のレースで、競走ウマ娘ホシノウィルムに否を付けるのならば、この3点。
着差3センチメートルという差は、これらさえなければ生まれなかっただろう。
故にこそあのレースには、次に繋がる反省点を探す価値がある。
……いやまぁ、本を正せば、俺が昏睡しちゃったのが悪いんだけどね。
彼女の敗北を導いてしまったのは俺の機能不全が故で、それは今でも苦々しく思うばかりだが……。
あれから3か月という時間が経って、俺の中のそういった悔やみや、ウィルの敗北へのショックもある程度和らいでいる。
故にこそ、今はこうして気軽に語らうこともできるというものだ。
そして、それらを語れるようになったのだから、次にすべきことは1つ。
もう二度と、彼女たちに……サイレンススズカとスペシャルウィークに負けないよう、対策することだ。
もう1時間近く反応しない釣り竿を奇妙に思い、糸を巻くと……餌が、付いていない。
……うん、まぁそういうこともあるだろう。
俺はため息と共に針に餌を付けようと四苦八苦しながら、隣に座る少女に語りかける。
「君がサイレンススズカに勝つには、後半、彼女が領域を開くよりも早く、ハナを奪わなければならない。
彼女の『先頭にいる限りスタミナが無尽蔵になる』という性質を潰さない限り、無限のスタミナと速度に特化した領域を以て、スペック負けしかねないからな」
「まぁ、それはわかりますけどね……」
ウィルは「無茶言うなぁ」という顔で俺の手から釣り針を奪い、片手でぱぱっと餌を付けてしまった。
……え、ホントに初心者? やっぱりこの子めちゃくちゃ要領良いよね。ちょっと嫉妬しそう。
「言うのは簡単ですけど、スズカさんすごいですよ? 正直に言って、真っ当に戦えば『アニ』……『思考力増加』を使わないと越えられそうにないです」
彼女の言葉に「だろうな」と頷きながら、俺は釣り糸を海の中に投げ……ようとして、振りかぶった際に後ろに置いてあった鞄に引っかけてしまった。
……うん、まぁそういうこともあるよね。まだ始めてから3か月の初心者だし?
さて、小さなトラブルは置いておくとして、スズカの話だ。
「サイレンススズカの走りは、ウマ娘にとっての一種の理想形だ。
唯一無二君を超えるスタートダッシュ。無駄のない完璧なフォーム。無限のスタミナによる先頭を譲らない疾走。その全てがまさしく『異次元』たりうる」
単純にそのスペックで競り勝つか、あるいは特殊な技術や能力によって突破するか……。そうでもしなければ、サイレンススズカは越えられない。
しかし、彼女はそのスペックに関しても、全てがトゥインクルシリーズにおいて頂点に近かった。
故に、強力な領域とスキルを完璧に嚙み合わせるか、あるいはウィルのような特殊能力でも持っていない限り、彼女には勝ちようがないんだ。
「普通のウマ娘」では越えられないからこその、「異次元の逃亡者」。
ウィルに突破されるまで、ただの1度も先頭を譲らなかったウマ娘は、決して伊達ではない。
トゥインクルシリーズを卒業してドリームトロフィーリーグへと移籍した彼女ではあるが、恐らくそこでも華々しい活躍を見せるのだろう。
「彼女はドリームトロフィーリーグに上がったが、いずれは君も同じ舞台に立つことになる。
今の内から完全な対策を組み上げておくに越したことはないだろう」
俺は釣り糸を解きながら、言葉を結んだ。
今すぐに、ウィルがスズカと当たることはない。
トゥインクルシリーズとドリームトロフィーリーグ。
競走ウマ娘の2大レースシリーズは、基本的に交わることはない。そもそも走るレースが違うしね。
そういう機会があるとしたら模擬レースだろうが、その模擬レースも基本的には同じレースシリーズ内で行われるため、本人たちが強く望まない限りは越境したレースは発生しない。
そして、サイレンススズカが交友を持ち、頻繁に模擬レースをしているのは、その全てがドリームトロフィーリーグに進んでいるウマ娘だ。
故に、ホシノウィルムサイレンススズカが同じレースを走ることは……恐らく、少なくとも1年の間はあり得ないだろう。
だが、だからと言って対策はするに越したことはない。
非常に強力なウマ娘であるホシノウィルムには、現状敗因に繋がるような明確な弱点は存在しない。
そうなると、ピンポイントメタ……特定の状況に対して強い戦術を組み上げておくのも、決して時間の無駄にはならないだろう。
そんなわけで、最近はそのためのトレーニングを積んでもらっているわけだ。
「サイレンススズカに勝つには、彼女よりも前に出なければならない。
しかし、先頭にいる間の彼女は無限にスタミナを使える。どこまでも速度を上げることができる以上、一度速度が乗ってしまえばまともに競り合って勝つことが困難だ。
君がしたように、ある程度の区間から越える方法もあるが、そうすれば当然ながら消耗が非常に大きくなり、手札も切るハメになるだろう。
であれば……」
「まだあちらが加速しきらない最初の内に、スタートで勝つ、と。だから最近、スタートダッシュの練習が多かったわけですね」
「流石、察しが良くて助かるよ」
ようやく手元に戻ってきた釣り針を、改めて海に投げ入れる。
……そろそろ釣れるといいなぁ。
俺が釣りをする場合、大抵は1日費やして1匹釣れるかどうかだ。より正確には、5回くらいは反応があるものの、釣り上げることには成功しないって感じだけど。
しかも今日は、横にバカスカ釣りまくる脅威のウマ娘がいるからなぁ……。やっぱり望み薄だろうか。
思えば、最初に釣りをした、こちらの世界でスカイと初めて話したあの日。
あの時にかなりの数が釣れたのは、かなりのビギナーズラックか……あるいはスカイが撒き餌とかしてたのかもしれないな。
スカイと約束した通り、俺はあれ以来、手隙の時間には釣りに勤しんでいるわけだが……。
色々調べたり試みているというのに、これがなかなか成長しないんだよなぁ。
まぁ、たった3か月で何かを習得したことなんてこれまでになかったからな。
まだまだ始めたて、これからだ、これから。
自分を慰めながら、有馬記念で直面したスズカのスタートダッシュ……「最大集中」を思い出す。
「サイレンススズカの隙のなさは、スタートが絶技と呼んでいい程に上手いところだ。
彼女は最初にハナを奪ってしまえば、以降はその特殊能力により無敵性が付与される。……逆に言えば、最初にハナを取られれば、凡庸な大逃げウマ娘に過ぎなくなる」
……自分で言っててなんだけど、凡庸な大逃げウマ娘って何?
そもそも大逃げウマ娘ってめちゃくちゃレアだし、その時点で凡庸とは呼べないような気もするけど。
ま、それはとにかく。
サイレンススズカは1度先頭を奪われれば、一気に失速する。
その結果が、有馬記念の8着なわけだ。
であれば本来は、彼女が加速し切っていない序盤の内に抜いてしまうのが上策だが……。
それをさせないのが、サイレンススズカの持つ「最大集中」というスキル。
「コンセントレーション」の上位互換と考えられるこれによって、彼女は抜群のスタートを切ることができるんだ。
「彼女はその唯一のリスクと呼べる序盤を、君を超える圧倒的なスタート技術によって補っている。
故にこそ、サイレンススズカは序盤、中盤、終盤、その全てに隙がなく、無敗であり続けた」
序盤はそのとてつもない加速力によって一気に逃げて。
中盤は皆が脚を残す中で、自分1人だけが自由に先頭を独占し。
終盤は領域と「異次元の逃亡者」、そして無限のスタミナによって差す。
改めて考えると、本当に無敵に近いウマ娘だ。
『アプリ転生』というチート能力、名家に蓄積されたデータを持つ俺をして、彼女の攻略法は殆ど思い付かない。
逆に言えば、1つ。
明確な対策は、思い付いているのだが。
「……が。それはつまり、逆に言えば」
言えば、察しの良いホシノウィルムは、すぐに眉を寄せた。
「スズカ先輩と同じ……いえ、それを超えるスタート技術を身に付ければ、彼女への対策は容易になる?」
「容易になる、じゃない。そのスタートの時点で、サイレンススズカの封殺は完了する」
サイレンススズカは、先頭にさえ立たせなければ、ただの大逃げウマ娘だ。
そうなればウィルが……俺の担当ウマ娘が、負けるわけがない。
「ま、それができるのは、サイレンススズカと張り合えるスペックを持ち、同時に大逃げで走ることのできる君くらいのものだろうが」
周辺の世代で、彼女たちを除いて唯一大逃げを取る重賞級のウマ娘であるツインターボは、「集中力」こそ持ってはいても「コンセントレーション」までは行きついていないしな。
仮に行き着いたとしても、単純なパワー……加速力でウィルの方が前に出るだろうし。
つまるところ、サイレンススズカを真正面からではなく、最初の時点で封殺できるのは、この子……ホシノウィルムしかいない。
スズカがウィルにとっての天敵であるのと同じように、ウィルもまたスズカにとっての天敵なのだ。
そこまで語った時、ウィルが「お」と呟いてリールを巻く。
その糸の先には……うわ、見事に付いてるよ魚。
俺の方はまだ1匹も釣れてないのに、これで7匹目だよ。大漁すぎない?
やっぱりこの子、なんでもできる天才なんだな。ちょっと兄さんを思い出す。
「でも、スズカさんを超えるレベルのスタート技術って……そこまで行けますかね? 正直今の時点でも、技術としてはかなり極まってると思うんですが」
「…………」
「あれ、歩さん?」
怪訝そうにこちらを見て来るウィルに、何と言うべきか思い悩む。
スペシャルウィークが、サイレンススズカが持つ、特殊スキル。
「はらぺこ大将」。「夢叶える末脚」。「最大集中」。「異次元の逃亡者」。
恐らくは既存のスキルが進化したのだと思われる、オリジナルの技術。
サイレンススズカに勝つには……そしてウィルが次のステージに昇るには、あれが必要になるだろう。
サイレンススズカは、「最大集中」に加えて「先手必勝」を持つ。
それに対してウィルは、「コンセントレーション」と「先手必勝」。
「最大集中」と「コンセントレーション」との差の分だけ、ウィルはスズカにスタートで負けてしまう。
スキルで負けるのならば身体能力の差で勝つことが考えられるが、極まったスペックを持つスズカに対して、単純な能力勝負だけでその差を巻き返すのは困難だろう。
であれば、確実にサイレンススズカのスタートを超えるには……。
ウィルにも、あの特殊スキルを習得してもらう他ない。
だが、俺の持つ前世アプリの知識の中には、あんなものはない。
どうすれば身に付けられるのか、どうすればウィルの力になるのか、わからない。
……だから。
わからないなりに、俺は、結論を出した。
「3歩だ」
「さんぽ?」
小さく頷いて、俺は彼女に告げる。
これまでにない、無理難題を。
「3歩で、サイレンススズカに勝つ。
それが……ホシノウィルム。次に君の身に付けるべき技術だよ」
くいっ、と。
手元の竿が、小さく揺れた。
ちなみに、この日の堀野君の釣果はゼロでした。
ウィルの持つ『ご褒美権』はあと2回分残ってます。菊花賞以来使ってなかったので。
ブルボンはメイクデビュー以来使ってないので、そっちも2回ですね。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、ホワイトデーとURAファイナルズ決勝の話。
(追記)
誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!