[動ア下一][文]も・ゆ[ヤ下二]
草木が芽を出す。芽ぐむ。
オタク的な萌えではないのでご用心。
ようやくと言うべきか、あるいはもうと言うべきか。
待ちに待ったテイオーとマックイーンさんとの決戦、天皇賞(春)の日が来た。
舞台は、去年の菊花賞以来となる京都レース場、右外回りの3200メートル。
府中にあるトレセン学園を拠点とする私たちからすれば、遠出した先での決戦になる。
幸い、レースの開始はちょっと小腹が空くお昼の頃合いからなので、私たち出走ウマ娘は心持ちゆったりとレース場へと向かうことができる。
……まぁ、運転手であるトレーナーさんやサブトレーナーさんからすると、長時間のドライブを強いられるわけで、結構しんどいかもしれないけども。
歩さん、昌さん、いつも本当にありがとうございます。
本当は、飛行機とか電車とかの公共交通機関を使えれば2人に楽をさせてあげられるんだけど……ウマ娘ってアイドルでもあるからね。
G1レースはアイドルで言うドームライブみたいなモノで、そこに電車なんかで向かえば当然大騒ぎになってしまう。
もっと言うと、もしも乗ってた電車の運転手が事故なんて起こしたら、とんでもない重さの責任が降りかかってしまうんだ。
そんなわけで、競走ウマ娘がレース場へと向かう際は、原則的にトレーナーたちの運転する車による送迎が義務付けられているわけだ。
これが大規模なチームとなると、専用にバスを借りたりするらしいんだけど……それはともかく。
その日、頑張って早起きした私は、昌さんの運転する車で、おおよそ6時間程かけて京都レース場へと辿り着いたのだった。
レース場内に直接乗り付け、そこからすぐにそそくさと控室の方に移動。
主役とは思えないコソコソっぷりだけど、万が一にもファンの方と出くわすわけにはいかないからね。
そうして辿り着いた控室。
念のためかなり早めに出たから、まだまだ本番までには時間がある。
私は長時間の移動で凝り固まった体を伸ばしながら、トレーナーと今日の打ち合わせを開始した。
「さて、体の調子はどうだ、ウィル」
「ん、んー……うん、悪くありませんね。まだちょっと体が固まってる感じしますけど、十分許容範囲。本番までには本調子になれるでしょう。
空腹感も不快感も倦怠感もなし、違和感もゼロ。コンディション良好という感じです。
歩さんから見るとどうです?」
「こっちから見ても絶好調だ。よし、いけそうだな」
「勿論! いつも通り、楽しいレースにしましょう!」
私はニコッと歩さんに笑いかけたんだけど……。
彼はあくまで真剣な顔で、私の前に1本指を立ててくる。
「毎度の確認になるが、事故にだけは気を付けろ。脚に違和感を感じれば無理はするな。それから、無理に勝つのではなく、当然のように勝つべし。……いいな?」
「はい……前回はすみませんでした……」
痛いところを突かれて、流石に身を縮こまらせる。
大阪杯じゃ、歩さんにすっごい心配かけちゃったからな……。
もう二度とあんな真似はできない。ファンのためにも、歩さんのためにも。
だから、決して無理はせず、自分の持ちうる限界を超えないスペックで、当然のように勝つ。
それが今回からの、ホシノウィルムの新たなレース方針だ。
というかそもそも私、転生チート持ちのウマ娘だからね?
本来は無理なんてするまでもなく、簡単に勝ってしまえるはずで……。
……そう考えると、やっぱネイチャとかテイオー、マックイーンさんっておかしいよね? なんでチート盛られてる上努力も欠かしてない私に迫って来れるんだみんな。もしかして今のトゥインクルシリーズってちょっとおかしいのでは?
いやまぁ? 私にとっては、ちょっとおかしい方が好都合なんだけどね?
私に迫ってくれる子たちが多い方が、レースは楽しめるし!
「……よし。ニヤニヤしてるくらいのテンションが君にはちょうどいいだろう。
今回も悔いなくレースを楽しみ、そして勝ってくるように」
「はい!」
満面の笑顔で答えた私の頭を、歩さんは優しく撫でてくれた。
えへへ……よし、歩さんニウム補給終了!
勝つぞ! 天皇賞!!
* * *
それから数時間は、歩さんたちと雑談を交えながら、体の調子を整えて待機。
URAの職員さんに呼ばれたら、観客席に向かう皆と別れてパドックに向かう。
そこでは周遊して脚の調子を整えながら再び待機で、自分の番が来たらパドックで皆にアピール。
アピールの方法はウマ娘によって多種多様だけど、私の場合は、今でも歩さんと考案した腕組み仁王立ちを続けてる。
ただし、不敵な笑みと……その場その場で思いついた軽いファンサービスを交えて、だ。
1着目の勝負服のマントギミックはなくなってしまったものの、半ば慣習的に胸元のブローチを弾いた後、私は軽く周りを見回して……。
そこで、いつぞや見た記憶のある熱っぽい視線を向けてくれてる栗毛の子を発見。
おぉ、わざわざレース場まで来てくれるなんて、結構熱烈な私のファン……かな? 嬉しいね。
そんなわけで、さり気なくその子の方に向けてウインクを決めて、それから改めて仁王立ち。
努めて自信ありげな笑顔を作って胸を張り、王者としてその場に立つ。
感心するような声と同時に結構黄色い声も上がってたし、ファンサとしては良い感じだったんじゃないだろうか。
パドックでのアピールが終われば、ついに本バ場入場。
私たちはいよいよ、京都レース場のターフに足を踏み入れたのだった。
「すぅ……ふぅー」
気持ち良く晴れ渡った空の下、柔らかで気持ちのいい良バ場。
私はその決戦の場に立ち、大きく息を吸い込んだ。
肺の中に、清涼でありながら、張り詰めた空気が入って来るのを感じる。
あぁ、このレース直前特有の空気……。
多くの人の夢と期待。
トレーナーさんたちの尽力と信頼。
ウマ娘たちの血と汗と涙。
それらの先にある、この緊迫した雰囲気。
おおよそ1か月ぶりの……G1レースの空気だ。
喉が渇く。肌がヒリつく。心が闘争を求める。
胸の底にある魂が震えているようにすら感じる。
早く走らせろ、早くレースをさせろ、早くアイツらを超えさせろって……獣の本性丸出しに、このレースと、そしてそこに出走するウマ娘を喰らおうとしてる。
あぁ、たまんないな。
この感じ。楽しいレース直前の、沸き立つ心。
これが嫌いなウマ娘なんて、きっと世界のどこにもいないだろう。
「ホシノウィルムさん、すごい顔になっていますわよ」
「おっと」
言われて、ちょっと表情が崩れてたことに気付く。
危ない危ない。レースは勝負であると同時にエンターテインメント、可能な限り外面は整えねば。
いやまぁ、これまでも闘争本能全開の顔は散々見せちゃってるし、今更という気がしないでもないが。
「あは、すみません。レースのことを考えると昂ってしまって」
「気持ちはわかります。……私も、あの有馬記念以来、あなたと走れる日を心待ちにしていましたから」
私に声をかけてくれたのは、歩さん曰く今回の天皇賞における最大の難敵、マックイーンさん。
芦毛をたなびかせる彼女は、いつも通りの泰然自若。レース前だと言うのに平常心で落ち着いてる……ように見える。
ただ、それはあくまで遠くから見た時の話。
近くで、彼女と真正面から向き合えばわかるだろう。
その瞳の奥には焼け付くような炎が燃えて、突き刺すような視線は「お前を喰らう」と百の言葉より雄弁に語っている。
あぁ、きっと、数秒前までの私と全く同じ目だ。
ふふ……マックイーンさんも、全然抑えられてないじゃん。
いや、遠目から見ればバレない程度だし、ファンの方にはただ強気に微笑んでいるように見えるだろう。そういう意味じゃ、隠し切れてるのかな。
まぁ何にしろ、楽しい戦いができそうで嬉しいけどさ。
「調子良さそうですね、マックイーンさん。何よりです」
「えぇ、今日の天皇賞に勝つため、万全以上の準備を整えて来ましたから」
マックイーンさんはそう言って、私たちがこれから走るコースの方に目をやった。
釣られて同じ方に視線を投げた私に、静かで、けれど決意に満ちた声がかかる。
「……あのジャパンカップの日から、あなたの背を如何に越えるかを考え続けて来ました」
「ですか。良い策は思いつきましたか?」
「いいえ、残念ながら。ホシノウィルムさん、あなたは強い。小手先の策で勝てる程に小さな壁ではありませんわ」
言葉とは対極的に、彼女の声音は明るかった。
ちょっと意外に思って彼女の方を見上げると、マックイーンさんの方も、いつの間にか私を見ている。
正々堂々と、真正面から、私に向き合ってくれていた。
「ですが、だからこそ強く思い直せました。
私は栄えあるメジロのウマ娘、メジロマックイーン。であれば、策を講じて壁を越えるのではなく……私自身の力で壁を打ち砕くべし、と」
策を講じるのではなく、ただ自らのスペックを以て、他のウマ娘をすり潰すように走る。
それは、歩さんが言っていた通りの戦い方。
メジロマックイーンにとって最も慣れ親しんだ基本戦法であり、そして恐らく、彼女にとって最良の戦法なんだろう。
「……そうですね。そういうマックイーンさんの方が、ちょっと怖いです」
「ちょっと、ですか。ふふ、流石と言うべきでしょうか?」
「いえごめんなさい、正直に言うと結構怖いです」
そう言った後、私はニヤリと笑う。
「まぁ、どれだけ怖くても、勝つのは私ですが」
「その自信、今日で砕いて差し上げますわ」
冗談交じりのようでいて、しかし本気の言葉の応酬。
当然だ。当日にもなっておためごかし言ってて勝てる程、今回の天皇賞は甘くない。
私とマックイーンさんは不敵に笑い合い、お互いの闘志を共有したのだった。
……しかし、私を越える方法を考え続けた、か。
そりゃ、ちょっとマズいんじゃないかなぁ。
私のことばっかり見てたら、他に視線が行かなくなる。それじゃこのレースは勝てないよ。
「でも、考えなきゃいけないのは私だけじゃないですよ。ライバルは他にもいますし……何より、このレースには彼女がいますから」
言って、私が視線を向けたのは……。
少し離れたところで、黙々とストレッチをしている、トウカイテイオー。
「私だけでなくテイオーの方も警戒しないと、足を掬われてしまいますよ?」
マックイーンさんは、私の言葉に対して「ふむ」と顎に手をやった。
「テイオー……ウィルムさんは、想像以上に彼女を警戒しているのですね。
有馬記念から見て、彼女の限界距離は恐らく2400メートル程度。過度な警戒は必要ないだろう、というのが私たちの判断だったのですが」
うん。マックイーンさんの言うことは正しい。
歩さんの分析でも、テイオーの長距離適性はBランク。その上スタミナの面でも、それを保つ技術こそあれど、私やマックイーンさんよりは地力の面で劣る。
だから、警戒しないっていうのは、あくまで理論的に見れば正しい判断だと思うんだけど……。
「あの子は、奇跡を起こせるウマ娘です。道理も条理も捻じ曲げて勝利を拾いに来る、天才と言う他形容できない怪物。
私の直感は、マックイーンさんと同じくらい、テイオーを警戒しないとマズいって言ってます」
マックイーンさんには言えないけど、これはちょっと嘘。
実のところ、私の勘は、マックイーンさん以上にテイオーを警戒しろって言ってる。
まぁ、前世アニメによる刷り込みの警戒なのかもしれないけど……。
それでも、レースにおいて警戒し過ぎるってことはないだろう。
「直感、ですか……」
「信じられません?」
「いいえ……なるほど、頭に入れておきましょう」
……まぁ、でも。
私たちの警戒が本気のテイオー相手に意味を持つかは、ちょっと怪しいところだけども。
* * *
時間が経つごとにひきしまっていく空気の中、ストレッチと周遊しながら待つ内に、ついにゲートインの時間が訪れる。
今回の私の枠順は、5枠9番。
内すぎもせず外すぎもしない、いわゆる中枠だ。
一般的に言って、天皇賞(春)は内枠有利だ。
スタミナを枯らされる長距離レースにおいては、できるだけ走る距離が短い方が良いからね。
外から走り出すよりも内から走り出した方がインコースに近く、有利になるわけだ。
では、今回私が入った5枠はと言うと……どうやら、かなり良くない枠番らしい。
歩さん曰く、8つの枠の内、勝率で見ると下から2番目なんだとか。
……ま、私にはあんまり関係ないことだけどね。
枠番の影響は、主に序盤のコース取りと位置取り争いで現れる。
誰より早く駆け出し、誰より速く加速して、一瞬でインコースをもぎ取る私には、あまり強い影響が出ることはない、というわけだ。
勿論、内枠であれば距離的なアドバンテージは大きいんだけどね。それでも他のウマ娘たち程には枠番に左右されない。
では、その影響が大きく出るだろう、ライバルたちの位置と言えば……。
『さぁ、全国のレースファンが固唾を呑む18人のゲートイン、今最後にトウカイテイオーがゲートへと入っていきました。
5枠にトゥインクルに輝く一等星、3枠にターフに踊る名優、大外には無冠の帝王だ! 舞台も役者もこの上なく、正しく今、決戦の時来たる!』
マックイーンさんは内枠で、そこそこ有利って感じかな。
確か、データ的に1番勝率が高いのが1枠で、その次が3枠だったはず。
彼女はかなり良い位置を引き当てたと言っていいだろう。
テイオーの方は……残念ながら運に恵まれず、よりにもよって一番の大外だ。
先行脚質で、その上スタミナに不安の残るテイオーには、かなりキツいディスアドバンテージ。
まぁ、それでも、テイオーは上がって来るだろうけどね。
なにせあの子は、「勝てるはずがない」と言われる戦いにすら勝てる子なんだ。
道理も条理も蹴っ飛ばして、私の元まで来てくれるはず。
……さて、そんな彼女から逃げ切るためにも。
今は、スタートに集中しなきゃね。
「あぁ……寒い」
レース前の緊迫感に、思考が凍て付いていく。
どうでもいい思考が切り捨てられ、ただスタートの瞬間に意識のリソースが集中していく。
全身を通る神経を、やりすぎな程過敏に。
脚部の筋肉を、張り詰めて収縮させ。
視界に映すのは、ただ煌めく白い景色だけ。
駆け出す準備は万全。
後は、歩さんと私が、これまでに積み重ねたものを信じるだけだ。
……さぁ。
行くぞ!!
『今スタートしました!』
「ふッ……!!」
三歩飛翔。
歩さんと一緒に編み出した、ホシノウィルムだけのスタートダッシュ技術。
今回もこの作戦は成功し、私は誰よりも早く、そして速く駆け出す。
加速を終えた4歩目を踏み出す時には、既に周りのウマ娘たちよりも1、2バ身程前に出た。
『まずまず揃って飛び出す17人、一際飛び出したのはやはりホシノウィルム!
続いて行くのはトウカイテイオーか、メジロマックイーンか?』
頭の中で暴れるウマ娘たちの足音を整理して、それぞれの立ち位置を整理。
流石は天皇賞と言ったところか、スタートから大きく出遅れたウマ娘はいない。
インコースを取るために、内に切り込まなきゃいけないんだけど……そんな彼女たちの進路を妨害して、斜行として失格処分にされたらたまらない。
後ろの子たちの邪魔になったりしないよう、余裕を持って内に入って行く。
……よし、しっかりと内に付けた。
後方バ群との距離は2バ身くらいか? こちらも歩さんの想定通り。
オッケー、序盤の展開としては万全だ。
歩さんのプランで言うケース1、最良のパターン。
であれば、ここからは……。
ペースを上げて、擦り潰すべし。
『さぁいきなり縦に開く形、ホシノウィルムを追うのは2バ身程開いて外にメジロパーマー、そして4番のクライネキステ、カジュアルスナップ、外からトンネリングボイス。
すーっと下がって様子を見る5番メジロマックイーンは現在6から7番手、11番ポイズナスを挟んでトウカイテイオーが睨み合う! しかしやはりメジロマックイーンが前に出るか?』
『現在1周目の第3コーナーの下り、早めのレース展開でぐんぐんとバ群が縦に広がります。自慢のスタミナで軽やかに脚を振るうホシノウィルムに、果たして誰が付いて行けるのか?』
今回に向けてバッチリ仕上げてきたコーナリングで、コーナーの中にある下り坂を駆け下りる。
本気でスパートをかける時ならともかく、多少のハイペースくらいでなら不自然に膨らむなんてあるわけもない。
さて、足音は……2番手の、多分メジロパーマー先輩っぽい音が、5バ身くらい離れただろうか。
もっと一気に離せる予定だったんだけど、存外粘って来るな。ある程度私のペースに追従してくるつもりだろうか。
まぁ、私からすれば、それはむしろありがたいことなんだけど。
すごく初歩的な話になるけど、レースで勝つ条件は、大きく分けて3つだ。
スピードで上回るか、スタミナを枯らし切るか、あるいは策にハメるか。
1つ目はわかりやすい。シンプルな差し切り勝ちだ。
良い位置を取ってひた走り、第3コーナーあたりからの末脚勝負で一気呵成、そのまま勝ち切る形。
最も基本的な方法であり、多くのウマ娘が選ぶ道であり、だからこそレースの花形でもある。
このやり方の長所として、複雑なところが少なく、展開の良さと自分の力量次第で勝てる。逆に言えば、地力が足りなければ……つまり格上の相手には、決して勝てない戦い方とも言える。
2つ目はちょっと特殊で、ライバルたちのスタミナを枯らし、末脚のキレを落とすっていうやり方。
マックイーンさんや私が得意とするヤツで、存在感を放つ私たちがペースを上げることでレース全体の展開を速め、それに付いて来ようとした子たちの体力を枯らし切る。
ハイペースで走れるスタミナ、それを適切に割り振るアドリブ力、最後に勝ち切る負けん気とスピード、その全てが要求されるやり方だ。
だが、それらさえあれば、大きな差を付けて余裕で勝つことができる。
歩さん曰く「恐らくはこの世界で最も安定し、最も地力が必要とされる戦い方」だ。
そして3つ目が、ネイチャの得意とするところ、何かしらの策にかけて皆の調子を落としたり良い展開を作り出すヤツ。
言動や態度、走り方によって周りのウマ娘たちを操り、レースの展開を意のままにコントロールする。
言葉で言えば簡単そうに聞こえるものの、当然ながらその難易度は青天井。17人の動きを完璧に管理するとか、私でも「アニメ転生」なしじゃまずできないと思う。
当然ながら安定度なんて皆無な、そのウマ娘の才覚に強く依存する戦い方。
しかし同時、時にジャイアントキリングすら成し遂げる恐ろしさを秘めているのも事実だ。
で。
以上3つの内から、3200メートルという長い距離のレースにおいて、スタミナ自慢のホシノウィルムが最も勝ちやすい戦術を選ぶとするなら……。
当然ながら、2番目。
他の子たちのスタミナを枯らし、擦り潰してしまうのが最適だ。
「……ふ」
序盤から追ってくれるウマ娘がいるのは、私にとって有利条件だ。
私1人がずっと先にいるより、何人かが先頭を追ってペースを上げてる方が、後方集団の子たちは焦ってくれるだろう。
自分たちもペースを上げねばと、そうでなくては追い付けなくなると……最終直線に入る頃にはゴールされているかもしれないと。
更に、このレースには私以外にもう1人、メジロマックイーンっていうスタミナ自慢がいる。
普段は冷静なウマ娘でも、上がっていくペースに多少なりとも応じざるを得なくなるはずだ。
『1周目のホームストレッチに入りました。
先頭は語るに及ばずホシノウィルム、6バ身程開いて2番手メジロパーマー、そこから1バ身ずつ開く程度でクライネキステ、ポイズナス、トンネリングボイスが追走。
そして6番手、メジロマックイーンはここにいる。良い位置に付けて心地良く走っていますね』
『トウカイテイオーは彼女にしては少し後ろ目に11番手、これは戦略によるものなのか?』
……いい感じに釣れてはいるんだけど、それでも私の聴覚に入っているのは4人くらい。
マックイーンさんとテイオーの足音は……聞こえない。
あの2人はどっちもレース上手だ。ここで大幅に掛かったりはしてくれないかな。
であれば、少なくとも十全なスタミナを持つマックイーンさんとは、末脚勝負になるか。
テイオーは……勝負できるくらいに、最後までスタミナを残してくれればいいけど。
まぁ、いい。
今はとにかく、自分の走りを貫くのみ。
既に1000メートルを通過し、残る距離はおおよそ3分の2。
スタミナは、ペースを速めた分やや削れているけれど、想定通りの消耗だ。
元よりこのレースで、スタミナを惜しむつもりなんてない。
そんなことしてちゃマックイーンさんを倒せなくなるし……何より、私自身の限界も破れない。
そう。
このレースは、テイオーやマックイーンさんを倒すだけのものじゃない。
私も、大阪杯では破れなかった壁を、改めて破らないといけないのだ。
『スタンド前を通過していくホシノウィルム、京都のスタンドがうなり捩れる!
5番メジロマックイーン、18番トウカイテイオー、そして9番ホシノウィルム! やはりレースの中核を担うのはこの3人! この3人に注目です!』
『全体を見るとやはり見慣れたハイペース、しかし今回は3200メートル、果たしてこのまま走り抜けることはできるのか?』
「…………」
大阪杯で垣間見た、「向こう側」。
この加速する視界の先の、私だけの世界。
大丈夫、もう感覚は掴んでる。
このレースでなら、開けるはずだ。
さぁ……。
そろそろ、心を燃やしていこう。
『長く歓声の続く中、先頭は今第1コーナーへ。
流石は歴戦の18人、1人として自らの心と折り合いを欠くウマ娘はいません。ここからどのような展開になるか、レースはようやく折り返しといったところ!』
徐々に消耗して、痛みを感じ、動きにくくなる体。
まだまだ長く残る、走らねばならない距離。
スタンドから注がれる惜しみない声援、決して負けられない、負けたくないレース。
後方から迫り来る恐るべき熱源と、私の胸の底から溢れ出るマグマのような熱源。
そして何より、こうして走り、競うことへの、この上ない程の歓喜。
条件は整った。
私の視界に、青い、炎のように揺れるヒビが走る。
思うに。
1つ目の領域は、「私」の領域であったと思う。
転生者であり、今世に居場所を持てなかった私が、自分の
そういう、私自身の精神性が反映された領域だった。
であれば、2つ目に開く領域は、どんなものになるのか?
それは……きっと、恐らく。
前世の「私」ではなく、今世の私自身の持つ景色。
ホシノウィルムの、原風景。
それがどんなものになるのかは、私自身にもわからなかったけれど……。
バキ、バキ、と。
音を立てて、視界が割れる。
青い炎のヒビの向こうに、何かが見えた。
限界を超えてなお走ろうと。
もっと走りたい、その先の景色を見たいと。
その想いに、私の魂が応えて。
「あぁ……!」
バリンと、視界が砕け散る。
そうして、ようやく、今。
2つ目の領域が、開いた。
* * *
そこは、晴天の下の、だだっ広い草原だった。
地平線の彼方まで続く、青々しい草の覆う大地。
手入れされていないために鬱蒼として、けれど寒さからかそこまで高くはならず。
視界を遮るのは、何本か生えただけの低木と……静謐で侵しがたい区画だけ。
緑と茶と、青と白。
そのたったの4色のみで彩られた、人の命が感じられない程に穏やかな世界。
あぁ、なるほど。
確かに、「競走ウマ娘ホシノウィルム」の原点と言えば、この景色をおいて他にはない。
ここは、地元北海道の、名前もない平原。
トレセン学園に入学する前に何年も走り続けた、ホシノウィルムの鍛錬の場だ。
痛い程寒くて、悲しい程静かな、空っぽの草の原。
幼い頃は、ここのことを、そうとしか認識できなかったけれど……。
今は、違う。
肌を撫でる心地良い風。
少しだけ体の冷える、走るのにちょうど良い気温。
脚に返って来る反動は、大きすぎもせず小さすぎもせず。
あぁ、なんて走りやすい場所なんだろう。
いいや、あるいは長期間走った結果、私自身がここに馴染んだのだろうか。
この草原を走るのは、本当に久々。
それこそ、トレセンの寮に入る前日以来だろうか。
きっと今なら、あの日よりも、ずっとずっと早く、気持ちよく走れるはず。
そして……きっと、この先の景色さえも見られるはずだ。
「よし」
距離は1600メートル。
コンディションは絶好調。
脚は、あの日よりも、ずっとずっと軽い。
それじゃ……。
久しぶりに、全力のランニングといこうか!
2着目の領域、展開。
その真価と天皇賞の行く末は、待て次回。
次回は3、4日後。帝王視点で、天皇賞(春)中編。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!