「トウカイテイオー、なんで天皇賞出るんだ? 出走回避すればいいのに」
いつぞや、そんな言葉が、風に乗って聞こえて来た。
まったく、失礼しちゃうよね。
ウマ娘ってかなり耳が良いんだから、そういう陰口は本人のいないところで叩いて欲しいものだ。
いやまぁ、その時のボクはシューズを買うために軽く変装して出かけてたから、気付かれないのも仕方なくはあるんだけどさ。
……でも、まぁ。
言ってた人の気持ちは、分からなくはない。
トウカイテイオーは大阪杯で、ホシノウィルムに敗れた。
その着差は、ハナ差。
僅かな差ではあるけど、ホシノウィルムは確かに、ボクよりも早くゴール板の前を通過したんだ。
2000メートルという、ボクにとって極めて有利で、彼女にとって極めて不利な戦場で……。
言い訳もできないくらいに、完膚なきまでに、してやられた。
ボクたち自身の間ではともかく、世間的に見れば、十分すぎるくらいに格付け完了って感じ。
ホシノウィルムは最も輝く一等星で、ボクはあくまでも二等星。
その順番は、決して覆ることはない。
ボクに有利な状況で。
なおかつウィルムに不利な状況で。
それでもなお、ウィルムが勝った。
ならば、ウィルムに有利でボクに不利な戦場に出ればどうなるかなんて……。
ま、誰が見たって簡単にわかる、自明の理ってヤツだろう。
それなのに、何故天皇賞に出走するのか?
勝てる見込みもないレースに出走して、無為に脚を消耗させて、何をしたいのか?
……そんなのさ、答えは1つだよね。
勝ちたいんだよ。
ボクたちウマ娘は、いつだってそのために走ってる。
勝つために、誰かの背中を越えるために、一瞬一瞬を燃やしてるんだから。
* * *
とはいえ、だ。
ボクがどれだけ頑張ろうと、不利な状況自体は覆らない。
『いよいよこの日が来ましたね、HTM三強対決の天皇賞(春)!
1番人気は無敗三冠G1最多勝の恐るべき灰の龍、星の世代の一等星ホシノウィルム!
2番人気に推されたのは失敗なきターフの名優、連対率88%を誇るメジロマックイーン!
そして3番人気には、未だ無冠ながら力強き小さな帝王、輝く二等星のトウカイテイオー!
この3人が揃うレースは有馬記念以来、トウカイテイオーが本調子を取り戻してからは初のこととなります』
『3人共、現在のトゥインクルシリーズのトップ層と言える子たちですね。
特にホシノウィルムとメジロマックイーンは生粋のステイヤー、強靭な肺活量と長く使える脚を持っています。順当にいけば、このレースでも首位争いに加わって来るはずですよ』
体を伸ばしながらレース開始を待つボクの耳に、遠くから実況と解説の声が届く。
悔しいけど、ボクはウィルムやマックイーンに比べて、一段劣って見られてる。
トウカイテイオーは他2人に比べて長距離の適性やスタミナに乏しいため、このレースは距離限界を大きく越えている……というのが、一般的な見方なんだ。
……仮にだけど、ボクが去年皐月賞とかダービーを獲っていれば、評価は違ったかもしれない。
あのホシノウィルムからG1を獲れるウマ娘だとか、あるいは強敵を退けて二冠を獲ったウマ娘だとか、そういう風評があれば、あるいはこの2人に並べられたかも。
けど、実際のところ……ボクは確かに強くはあるけど、現在重賞未勝利のウマ娘に過ぎない。
だからこそ、ある意味じゃ贔屓目なしに、比較的公平に実力を評価されてるみたいだ。
そして……その評価は、正しい。
今回、ボクはライバル2人に比べて、圧倒的に不利だ。
そう。ボクは今回、すごく不利だ。
そんなことはわかってる。とっくの昔に重々承知だった。
その上で、ボクは今回の天皇賞に、出走することを決めた。
結局は、それが全てだ。
「……ふぅ」
正直に言って、ボクの勝機はあまりにも薄い。
展開が最悪なものにならず、ボクが間違えることなく、そしてウィルムが開くであろう領域が想定を遥かに越えないものであれば、あるいは……ってレベルだ。
大阪杯でわかったことだけど、残念ながらボクにレースプランニングは向かない。
とすれば今回は、磨き上げてきた実力と感覚だけが頼りの、針に糸を通すようなレースになるだろう。
でも、そんなレースを前にして……。
「やるぞ」
やるしかない、でもなく。
やらなきゃいけない、でもなく。
ボクの口から自然と漏れた言葉は、「やるぞ」だった。
うん。我ながら、悪くない精神状態だ。
張り詰めているけど、余裕がある。
追い込まれているけれど、冷静になれてる。
ウィルムとマックイーンを強敵と認めはしても、過度に怯えることもない。
勿論精神だけじゃなく、肉体だって万全だ。
不利なレースであの2人の強敵と競り合うんだもん。これ以上ないくらい完璧に仕上げてきてる。
あの先月の大阪杯だって、ここまでの充実感を覚えることはなかった。
間違いなく、今のトウカイテイオーは、過去最高の状態と言えるだろう。
後は……。
チラリと、ライバルの方に視線を向ける。
このレースの最有力候補とされている鹿毛と葦毛の2人は、軽くストレッチしながらもバチバチに視線を交えている。
あぁ、遠くから見ても、やっぱり威圧感がすごいや。
マックイーンもそうだけど、レースを前にしたウィルムは豹変するからな。
なんというか、犬の群れに紛れ込んだ狼……いや、まさしくドラゴン? みたいな感じ。
でも、そっちに視線をやってたらボクは勝ちを手放すことになる。
あの2人に気を取られないよう、自分の走りに集中しなきゃね。
* * *
結局のところ……。
何故ホシノウィルムが無敵なのかと言えば、それはあの子が大逃げっていう脚質を取るからだ。
抜群のスタートからダントツでハナを切って、バ群から影響を受けることを阻止。
全員の視界に入る先頭に立つことでバ群を牽引し、全体的なペースを吊り上げ。
追ってきたウマ娘に対しても、埒外のスタミナでラストスパートをかけて逃げ切る。
ただスペック的に強靭なだけであれば、つけ入る隙なんてそこら中にある。
けれど、無尽蔵とも思えるようなスタミナと差しウマ娘と比べても遜色のない末脚を備え持ち、その上で大逃げという脚質を取ることで、彼女は弱点を減らしているわけだ。
それでも当初は、他のウマ娘が接近した時の掛かり癖や、走りや思考の固さっていう弱点は残ってたんだけど……。
恐らくはネイチャとのレースと契約トレーナーの指導によって、それらはあっという間に是正されてしまい、今やホシノウィルムに明確な弱点なんてものはありはしない。
ネイチャみたいにそれに専念するならともかく、ボクが付け焼刃でやった程度の策略じゃ、もはやウィルムの足元に小石を置くことすらできはしない。
一方で、メジロマックイーンは非常に安定した成績を収めている。
その理由は、ただただひたすらに高いスペックだ。
強靭と言う他ないスタミナと長く使える脚を持ち、だからと言って末脚がキレないわけでもない。総合的なスペックが高い、って形容が一番適切だと思う。
ウィルムみたいに、完全に隙がないわけじゃない。
というか、王道の戦法を取るからこそ、付け込む隙は多分にある。
けれど、襲い掛かるそれらを、全てフィジカルの暴力で蹴散らして進むのがメジロマックイーンだ。
あの子のウィルム並みのスタミナは、彼女のレース中の基礎ペースを跳ね上げる。それに付いて行こうとしたウマ娘は皆体力がカラになるまで付き合わされ、そしてそのまま垂れていくわけだ。
あの子に作戦勝ちしようと思えば、最低でもマックイーンに付いて行けるだけのスタミナが必要になり……そして、今のトゥインクルシリーズでそれを実現できるのは、多分ウィルムとかネイチャくらい。
圧倒的なフィジカルによる、問答無用の「圧勝」。
ウィルムに比べると脳筋な感じはするけど、マックイーンにはマックイーンなりの必勝法があるわけだ。
この2人に共通するのは、とにかく莫大なスタミナ。
特にウィルムなんて、あの子が本当に体力を枯らし切った姿、それこそ去年の有馬記念くらいでしか見たことがないくらいだ。
だからこそこの2人は、G1最長距離である天皇賞において、最も有利なウマ娘であり……。
ボクが真っ当に走るだけでは、とてもじゃないけど、2人には追い付けない。
……そう。
このレースは、真っ当に走っても勝てないんだ。
ボクの基本戦術である先行、好位差し。
4、5番目辺りの好位置に付いて、最終コーナーや直線で一気に抜き去る戦法。
ただこれをやるだけじゃ、勝てる見込みはゼロだ。ハイペースのバ群に呑み込まれてスタミナを枯らされ、最終直線で思うように脚を動かせなくなる。
であれば、どう戦うべきか?
ホシノウィルムとメジロマックイーンに勝つために、トウカイテイオーは、どう走るべきか?
……その答えを、ボクは1つしか思いつかなかった。
* * *
『今スタートしました!』
ガタン、という音と共に駆け出す。
可能な限り、最速で駆け出したつもりだったけど……。
やっぱり、あの子の方が、ずっとずっと早かった。
『まずまず揃って飛び出す17人、一際飛び出したのはやはりホシノウィルム!
続いて行くのはトウカイテイオーか、メジロマックイーンか?』
……落ち着け。
大丈夫、焦るな、自分を信じろ。
他を気にせず、ただ自分の走りを貫く。
それこそが、ボクが唯一見出した、このレースの答えなんだから。
『さぁいきなり縦に開く形、ホシノウィルムを追うのは2バ身程開いて外にメジロパーマー、そして4番のクライネキステ、カジュアルスナップ、外からトンネリングボイス。
すーっと下がって様子を見る5番メジロマックイーンは現在6から7番手、11番ポイズナスを挟んでトウカイテイオーが睨み合う! しかしやはりメジロマックイーンが前に前に出るか?』
『現在1周目の第3コーナーの下り、早めのレース展開でぐんぐんとバ群が縦に広がります。自慢のスタミナで軽やかに脚を振るうホシノウィルムに、果たして誰が付いて行けるのか?』
ウィルム……想定以上のペースだ。
レースが始まるまでは、マックイーンならあの子のペースに付いて行くこともできるかって思ってたけど、どうやらそれは間違いだったらしい。
今日のウィルは、どうにもいつも以上にペースが速い。
いや、普段のレースに比べればちょっと遅いくらいだけど……これが3200メートルのレースであることを考慮すると、速すぎるくらいのはず。
何を考えてのことだろうと一瞬だけ考えて、「あぁ、領域か」って納得。
なるほど、ウィルの2つ目の領域は、ある程度消耗するのが条件なのかな。
そして多分、領域を開いた時の効果に、疲れにくくなるか回復するか、そういうものもあるんだろう。
前回の大阪杯でその気配を掴んだウィルムは、早速それをフル活用するつもりでペースを上げて来ているわけだ。
あぁ、困ったな。
ただでさえ堅牢だったウィルムが、もっと抜き辛くなってしまった。
……それでも、今の方針を崩すつもりはないけど。
『1周目のホームストレッチに入りました。
先頭は語るに及ばずホシノウィルム、6バ身程開いて2番手メジロパーマー、そこから1バ身ずつ開く程度でクライネキステ、ポイズナス、トンネリングボイスが追走。
そして6番手、メジロマックイーンはここにいる。良い位置に付けて心地良く走っていますね』
『トウカイテイオーは彼女にしては少し後ろ目に11番手、これは戦略によるものなのか?』
前の様子を窺いながら走っているボクを、何人ものウマ娘が追い抜く。
まるで最終直線で垂れたウマ娘みたいに、ボクの位置はジリジリと後ろに下がっていく。
本来なら、これはあまり良い状態じゃない。
ボクは先行ウマ娘、2~6番手くらいの位置に陣取って走るのが常道だ。
レース中盤までに追い抜かれれば、バ群の中での位置が下がっていく。
そうなれば当然、終盤に追い抜かなきゃいけないウマ娘が増えて、その分取れる進路は狭く、必要となる速度も上がってしまう。
だからこそ、ボクたちは本来、ある程度レース全体のペースに付いて行かなきゃいけないんだけど……。
今回に限って、ボクは、それを放棄することにした。
『スタンド前を通過していくホシノウィルム、京都のスタンドがうなり捩れる!
5番メジロマックイーン、18番トウカイテイオー、そして9番ホシノウィルム! やはりレースの中核を担うのはこの3人! この3人に注目です!』
『全体を見るとやはり見慣れたハイペース、しかし今回は3200メートル、果たしてこのまま走り抜くことはできるのか?』
このペースに付いて行けば、途中で体力が底を突いて、確実に詰む。
であれば、どうすべきか?
簡単だ。付いて行かなければいい。
ボクが今気にするべきは、バ群の動きでもレースの趨勢でもない。
自分の走り、それだけだ。
そう、今回ボクが考えた作戦は、すごく単純なもの。
ウィルムやマックイーンの作るペースには一切乗らず、ボクがこのレース場の3200メートルを走る際に最も効率の良いペースで、最も効率の良い走りをする。
レースを走るのではなく、まるで自分勝手に独走するようにして……。
そうして最後に、まるで追込ウマ娘みたいに、後方から一気に差し切る。
考えて、考えて、考え抜いて……。
それでも結局、2人の出走する天皇賞に勝つ方法は、これしか思い付かなかった。
勿論、この作戦には、たくさんの困難がある。
あまりにもその質が高すぎて、もはや不可能に近いような困難が。
そもそも定石を破るというのは安定を捨てるということで、そんな破天荒な走りに対して、周りのウマ娘がどう反応し、レースの流れがどう変わるのかはわからない。
仮にこれが終盤まで上手く通ったとしても、ウィルムたちのペースに乗ってボクを追い抜いた、たくさんのライバルの間を縫うように進路を見出し、かわして行かなきゃいけない。
仮にこの2点を通過したとしても、最後に待ってるのはウィルムとの末脚勝負だ。今までに一度だって、ボクはウィルムの末脚に勝ったことがないのに。
……改めて考えても、酷く現実味のない戦法。
もはや成功する方が奇跡みたいな勝ち方だ。
現実的とは言えないどころか、「正気か?」って言われるような戦法。
多分、このレースが終われば、世間は尽くボクを罵倒するだろう。
レースの基礎もわかってない、愚かな走り方だったって。
……でも。
この勝ち目のないレースで、多分それが、ボクの唯一勝ち得る方法で。
最終的にはトレーナーも、「わかった。テイオーを信じる」って認めてくれた方法でもあるんだ。
だから後は、自分の感覚を……。
あの子が「本物の天才」って言ってくれた、ボクのレース勘を信じる。
『長く歓声の続く中、先頭は今第1コーナーへ。
流石は歴戦の18人、1人として自らの心と折り合いを欠くウマ娘はいません。ここからどのような展開になるか、レースはようやく折り返しといったところ!』
足りてない。
ボクには、何もかも足りてない。
ウィルムみたいに、どんな不可能も覆して勝利を刻む化け物でもなければ……。
マックイーンみたいに、このレースを走り切れる圧倒的なスタミナがあるわけでもない。
だから、できることはなんでもする。使えるものは全部使う。
コーナーでは
蓄えてきたものを
速度を緩めながら
追い抜かれても
トレーナーから教わったこと、会長から教えてもらったこと。
勿論それだけじゃなく、ウィルやマックイーンの……そして歴代の優駿たちの走りの映像から、見て盗んだあらゆるもの。
ボクが持ち得る、あるいは持ち得るものでなくとも、この場である程度再現できる技術、技法、走り。
その全てを使って、走る。
……大丈夫。
ボクの直感は、行けるって言ってる。
このまま全てを使って、ボクがボクらしく走れば……。
ホシノウィルムを差し切るのは、不可能なことではないって。
……ただし、それは。
彼女が想定外の力を振るってこなかったら、の話だけど。
ゾクリと、心胆寒からしめる気配が、前の方から迫って来る。
これまでに何度も感じてきた、競走ウマ娘の秘奥、領域の気配。
それも……この感じ。
間違いない。
ウィルのものだ。
すぐさま、世界が塗り替わる。
一見して、レース場から大きく景色が変わったわけじゃない。
眼下に生えた芝はあまり手入れされてない草に変わって、ラチとかスタンドが見えなくなって……それから、すごく空気が冷えたくらいか。
そこは静かで、穏やかで、寒くて……けれど、どこか柔らかな世界。
これが、新たなウィルムの領域。
地平線の彼方まで続く、青々しい草原。
あぁ、想定通りだけど、マズいな。
天皇賞でも群青の勝負服で来てる時点で、領域を開く算段が付いてるのはわかってた。
その上、ウィルの体力を考えてもややハイペースに思えるこの展開。恐らく領域による効果には、スタミナの消耗度合いの減少、もしくは回復が含まれてる、ってのも予想が付いた。
実際、ボクの視線のずっと先で、ウィルは自分の世界を楽し気に走っている。
速度は……多分、領域を開く前後で大きくは変わってないかな。
ただ、あれだけのハイペースでの走りだというのに、疲労がかさんでる気配が薄い。
ということはやはり、領域の効果で疲労を和らげているのは間違いないか。
そこに関しては、想定通りではあるんだけど……。
速度が変わっていないというのは、完全に予想の外だった。
いや、予想外というか……「そうであるはずがない」って思ってたんだ。
……
ありえない。
あの子の本質は、静じゃなくて動、消極的じゃなく積極的。
疲労を受けてただ対応するという受け身な反応が、彼女の底であるはずがない。
領域というものには、種類がある。
一番典型的なのは、もっと速く、もっと強く走れるようになる、トレーナー曰く「速度型」の領域。
次に多いのが、目標とした速度に辿り着くまでが早くなる「加速型」の領域だ。
というのも、トレーナー曰く、この偏った傾向にはロジックがあるんだとか。
1つ目の領域は多くの場合、ボクたちウマ娘の夢とか自己実現欲求とか、そういう部分が反映される。
つまるところ、「誰かに勝ちたい」「もっと速く走りたい」という想いが、そのまま速度とか加速力に結びつくんだって。
で、領域を2つ会得できるのは、トゥインクルシリーズでも極々一部。1世代に1人か2人、どれだけ多くても片手で数えられる程度で、1人もいないことも決して珍しくない。
そういうわけで、多くのウマ娘にとって、領域=1つ目の領域であり、それは多くの場合速度や加速型の領域なわけだ。
でもその実、領域の形は文字通りの千差万別。単純に速くなるだけとは限らない。
……あぁ、今でも昨日のことのように思い出せる。
ボクが領域を開くきっかけになった、会長とネイチャとの模擬レース。
その中で見た、あまりにも精度の高い、会長の領域を。
あの時まだまだ未熟だったボクは、会長の領域を見て、その威圧感に思わず道を開けてしまった……。
……ように、感じた。
けど、実際のところは違ったんだ。
今ならわかる。アレはただ怯えさせられたとか、圧に動じたとか、そんなんじゃない。
「無理やり」どかされた。動かされた。
ボクの意思に関係なく、まるでそうなって当然とでも言うように、インコースから叩きだされたんだ。
これは、後でトレーナーに聞いた話。
会長の1つ目の領域は元々、速度型の領域だったらしい。
ただ、会長は領域の練度を高めていった結果、それを2つの効果の複合形に変化させた。
「速度型」で更にスピードアップするのと同時、他のウマ娘を強制的に動かす「干渉型」の領域。
「周囲のウマ娘をインコースから弾き出し、拓いた覇道を自分のみがひた走る」っていうとんでもない効果を持つ、会長の切り札の1つだ。
その存在を知っているボクだからこそ、ウィルムの新しい領域には違和感を持てた。
回復型の領域……そういうものもあるって話自体は、聞いたことがあった。
長距離を走るウマ娘が稀に目覚める、より長い距離を走るための領域。噂だと、あのスーパークリーク先輩もこのタイプだったらしい。
けれど……。
こんなに地味で消極的なものは、とてもじゃないけどウィルムには似合わない。
ということは……まだ、何かあるんじゃないか?
ウィルムは、まだ底を見せてないんじゃないか?
もしかしたら考えすぎなのかもしれないけど、ボクはどうしても、そう思わざるを得なかった。
『悠々余裕の一人旅ホシノウィルム、第2コーナー回って向こう正面に入ります。
改めて位置取りを確認しましょう、先頭を行くは予想通りにホシノウィルム、続いて大きく離れて6バ身程か懸命に食らい付くメジロパーマー、2番手4番クライネキステ、3番手11番ポイズナス、そして4番手に堂々とメジロマックイーン! 好位置に付けて着々とレースを進めているぞ!
一方でトウカイテイオー、トウカイテイオーは大きく下がって13番手辺りでしょうか。インコースでじっと機を窺っている、まだまだレースは読めないぞ!』
『時計で見るに、どうやらトウカイテイオーは自分の適性ぺースを貫く腹積もりのようです。果たしてこの作戦が吉と出るか凶と出るか? 京都レース場の直線はおおよそ400メートル!』
「……まぁ、いい」
ウィルムの領域の風景は、すぐに溶けて消えた。
領域の展開が終わったことを確認して、ボクは意識的にウィルムから視線を離す。
あの子は良くも悪くも、本当に人の視線を引き付けるけど……。
今回に限っては、むしろ彼女の方を見ちゃいけない。
だって、ボクは1人のレースを走るんだ。
1人で脚を溜め、1人で末脚を振るい、1人でゴールする。
ただ、その過程でみんなを追い抜くだけ。誰よりも早く、ゴール板の前を駆け抜けるだけ。
仕掛け時は第3コーナーの登り坂……を、越えた先にある下り坂。
そこが、ボクの体力的な臨界点。そこより先にスパートすれば、最後の最後で垂れてしまう。
だからその時までは、ひたすらに平常心を保つんだ。
走り方がブレてこのレースのペースに乗ってしまえば、その時点でボクの負けは確定しちゃうんだから。
『さぁ緩やかな登り坂が始まります、そろそろ第3コーナー、ここからが仕掛けどころ!
春の楯も取って連覇の偉業を叶えるかメジロマックイーン! 春の楯こそ我が物として初の冠を手にするかトウカイテイオー! それとも楯も変わらぬとばかりにここでも力を見せつけるかホシノウィルム!』
……ウィルムとは、大きく差が開いている。
先頭からここまで、15バ身あるだろうか。
ボクの周りには今、ウィルムのペースについて行けなかったか、あるいは付いて行かなかったウマ娘たちが7人程。
その中で、ボクはまるで囲まれるようにインコースを走っていた。
もうすぐ第3コーナーの上り坂。
下り坂に備えて、そろそろこのバ群の中から脱出しなければならない。
でも、大丈夫。
何の問題もない。
ボクを取り囲む子たちは、ウィルムでもなければネイチャでもなく、マックイーンでもない。
つまり、何が言いたいかっていうと……。
勝負にもならない、ってことだ。
「邪魔」
口の中で呟いて、一瞬だけ脚を緩める。
そうすれば自然、左隣を走っていた子が少しだけ前に出て……。
そこに、ちょうど1人分、ウマ娘の通れる隙間が生まれる。
これで、邪魔な壁は崩れた。
後はただ、そこを抜けるだけだ。
まるでステップを踏むように進路を変えて、ボクを囲んでいた子たちの中から抜け出す。
見方によっては、斜行と取られる可能性すらある、危険なやり方ではあるけど……。
今は、一瞬だって時間を無駄にはできないんだ。
バ群の中から抜けきり、登り坂は半ば。
脚は……大丈夫、十分すぎる程に残ってる。
ここまで全力でやってきたもんね。淀の坂だって、今のボクは止められない。
……あぁ、そうだ、そうだとも。
全力でやってきた。ボクにできることは、全部、全部、全部やった。
驕りも誇りも、全部この身と心から叩き出した。
誰よりもウィルムのことを見続けて、嫌になるくらいに観察した。
やり過ぎて炎症寸前になるくらいに、ひたすら体を鍛えた。
長距離レースを走る技術を培うために、過去の天皇賞の映像は残っている限り全て見た。
定石も安定も全部投げ捨てて、唯一勝ちうる非常識な戦法を選んだ。
そうして捨ててきたもの全てを炉に放り込んで、今のボクは走っている。
それだけ、勝ちたい。
勝ちたいんだ。絶対に、今回こそ。
ホシノウィルムと、メジロマックイーン。
これまで一度だって勝てていない、強くてカッコ良いウマ娘たち。
あの子たちにこの上なく有利で、ボクにはどうしようもなくらい不利な、この戦場は……。
ここを逃せば、二度と訪れないかもしれない、完膚なき勝利のチャンスだ。
だからこそ……。
「ふぅ……ッ!!」
第3コーナーの頂点に辿り着いた瞬間、走り出す。
あの2人に追い付いて、追い越すために……僕にできる、最大の力で。
……前へッ!!!
* * *
おかしな話、だけれど。
その時、遥か遠くにいるはずの彼女の声が、耳元で聞こえた気がした。
「さて……聞こえてきたな」
微かに、それでも確かに。
その声は、まるでボクの魂に響いたとでも言うように、ここまで届いたんだ。
……そうして、もう1つ。
こっちもこっちで、本当に、おかしな話だけれど。
彼女の、既に閉じてしまったはずの領域が、再び開いた、気がした。
「皆の、声援が」
視界を埋める、草原が。
風に揺らめいていた、足元の草が。
ゴウと、青く燃え上がる。
お忘れかもしれませんが、というか多分ほとんどの読者様がお忘れかと思いますが、テイオーはその才気で「習得していない上位(レア)スキルをその場で再現」できます。
イメージとしては、ヒントさえ獲得していれば使える(ただし覚醒具合によって使用回数制限アリ)みたいな感じです。
つまり、覚悟キメれば大量に乱発してくるわけですね。だからって回復レアスキル8連打は化け物すぎ? それはそうかも……。
次回は3、4日後。続けて帝王視点で、天皇賞(春)後編。
次回で決着の予定です。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!