転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

16 / 253
 前回と今回の間にあった話
『ホシノウィルム、今ゴールイン! いつも通りの大差で弥生賞を制しました!
 もはや蛇を止めることは誰にもできない、皐月の冠に顎が迫る!』



 好感度と信頼度が一定を超えると起きるイベント的なやつ。

 今回、重い話があります。
 気を強く持ってお読みください。

 



親の冷茶が毒となる。

 

 

 

 やっぱり、寒いな。

 

 私が久々の帰省で最初に抱いたのは、そんな面白みのない感想だった。

 

 私の出身地、北海道は寒い。

 ……いや、何を当たり前のことをと思うかもしれないけど、多分関東住みの人の想像の5倍くらいは寒い。

 3月になっても最高気温は2度とかだし、当たり前に雪も積もってる。というか溶けない。

 舐めたら死ぬほどじゃなくなってくるけど、それにしたってちゃんと防寒着を着ないと、体の先端が壊死くらいはするかもしれないね。

 勿論外で野宿なんてしようものなら凍死しかねない。まだまだ雪降ることもあるし。

 それが北海道という土地の厳しさなんだわ。間違っても薄着で来たりしないでね。

 

 で、時は3月10日。

 私たちは、そんな大地に降り立ったのだった。

 

「……うお、想像以上に冷えるな。同じ日本でもここまで違うか」

「東京とは気温が10度程度違います。北海道の3月は、東京の1月よりも5度以上寒いですよ。体感温度であれば、更に下がるでしょうか」

「聞いてはいたが、やはり防寒着を持ってきて正解だったな。忠告ありがとう、ホシノウィルム」

 

 トレーナーはそう言って、ゆっくりと私の頭に手を置いて、少しだけ髪を撫でた。

 ……あぁ、温かい。

 気持ちいいというか、落ち着くというか……認められている、感覚。

 私はそれが、すごく好きだ。何なら、ずっとこうされたいとさえ思うくらいに。

 

「えへ……へへ」

 

 最近、トレーナーの前では、あんまり表情が取り繕えてる気がしない。

 トレーナーがちょっと抜けてる時とか、こうして頭を撫でられている時は、どうしても仮面の隙間から笑みが漏れちゃうし。

 こういうちょっとした会話の際も、ほんの少し素に近くなってる自覚があるし。

 ……そもそも、取り繕う必要もないかもしれないけどね。

 

 

 

『君が勝とうが負けようが、望むのなら撫でてやる。

 俺が褒めているのは勝利という結果ではなく、君がここまで頑張ってトレーニングを続け、無事故で帰ってきたことなんだから』

 

 

 

 あの冬の夜にかけてもらった言葉。

 思い出すだけで、胸のあたりが……くしくしする。

 

 トレーナーは、きっと私がどんなウマ娘であれ、全力で支えてくれるだろう。

 それこそ、もしかしたら、転生者だって言ったとしても……。

 疑いながらも、今までの関係を続けてくれる……と、思う。

 だからある意味で、これ以上仮面を被る必要はない。

 彼の前でだけは、ホシノウィルムは「私」でいられるのかもしれない。

 

 それでもまだ、仮面を被っているのは……。

 単に私に、素顔をさらけ出す勇気がないから。

 

 トレーナーはすごい人だ。

 まさしくチートトレーナー、能力の高さもさることながら、あの考え方とか生き方は聖人君子のそれと呼んで差し支えないものだ。

 けれど、それでも。……いや、だからこそ、か。

 

 もしも彼から、おかしなものを見るような目を向けられたら。

 嫌悪感を持たれたら、トレーナー契約を解約されたら、二度と撫でてもらえなくなったら。

 ……私は、今度こそ耐えられないかもしれない。

 

 まったく、我ながらチョロいと思うんだけどさ。

 出会ってから、1年とちょっと。色んなことを一緒に経験して、笑ったり、怒られたりする内に……。

 いつの間にか、トレーナーの存在は、私の心の深い部分を占めてしまっていた。

 信頼。親愛。好感。彼に対するその全てを、私は持っている。

 私にとって、トレーナーは……この世界に生きている誰よりも、大事な人になってたんだ。

 

 

 

 だから、今日、ここに来てもらった。

 知ってほしい。あるいは、共に背負ってほしい。

 私の過去は私のもので、誰かに話したところで軽くなったりはしないけど。

 むしろ、トレーナーに無駄な重みを背負わせてしまうことになるかもしれないけど……。

 

 それでも。

 好きな人くらいには、自分のことを知ってほしい。

 そう願うのは、おかしなことだろうか。

 

「終わったら、何か食べて帰りますか?」

「そうだな。料金はこちらで持つから、美味しいものを食べよう。元地元民として、何かおすすめはあるか?」

「……そう言えば私、美味しいお店なんて知りませんでした」

「あー、まぁ、君はそうだろうな……では、てきとうなところで」

 

 そんな言葉を交わしながら、私は努めて、嫌な鼓動を鎮めようとしていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 街から離れ、車で行くこと20分程。

 そこには誰の所有地かもわからない、だだっ広い空間が広がっている。

 そこまで手入れされていない、木が何本か生えているだけの草原。

 昔私が使っていたトレーニング場でもあるそこの、外れに。

 

 外と違い、柵に囲まれ、石畳で整備された広場。

 いくつも石が並ぶ、集団墓地。

 私の両親が眠っている場所が、ある。

 

「すぅ……」

 

 息を、大きく吸い込んで……。

 心を落ち着かせる。なんてことないって自分に言い聞かせて、理屈で心をねじ伏せる。

 そうしなきゃ、この場の雰囲気に吞まれかねないから。

 

 何の変哲もない墓地だ。

 掃除は行き届いて清潔。墓石の並びは均等で、そう大したズレもない。

 周りはそこまで手入れされていないとはいえ、定期的に草刈りされている草原。

 これといった危険な野生生物もおらず、心地よい風がまばらに生えた木を揺らして。

 踏まれたこともない新雪が一面を覆い、静謐な白と緑の世界が広がっている。

 

 きっと殆どの人々は、ここを綺麗で良い場所だと思うのだろう。

 

 ……それでも、私にとって、ここはどうしようもなく辛い場所だった。

 

 息苦しい。足が重い。眩暈がする。吐きそうだ。

 毎度毎度、ここに来るたび、その感覚に打ちのめされる。

 お父さん。お母さん。

 今世で私を生み、育ててくれた2人。

 あの人たちがもういないことを、実感してしまうから。

 

 ……けれど、今回は。

 

「大丈夫か、ホシノウィルム」

 

 横に、彼がいてくれる。

 堀野トレーナー。いつも私のことを考えて、私のために動いて……私を、温めてくれる人。

 いつも通りの無表情のように見えて、その瞳には、突然立ち止まった私への心配の色が映っていた。

 

 ……人生二回目で、新しい発見だ。

 隣に信頼できる人がいれば、精神的苦痛というものは、大きく減ずるものらしい。

 

「……問題ありません。行きましょう、トレーナー」

 

 これ以上、彼に無様な姿は見せられない。

 行こう。

 ……両親に、そしてトレーナーに、話したいことがたくさんある。

 

 

 

 それは、当然のことだけど、他の墓石と何も変わらないものだった。

 私の両親の名前が刻まれた、端でも真ん中でもない、中途半端な位置にあるお墓。

 

「久しぶり、お父さん、お母さん」

 

 一言、声をかける。

 ……もう2人はいない。口に出したって、それを聞く人はどこにもいないっていうのにな。

 それでも声に出してしまうのは、果たしてどういう心理なんだろう。

 私はまだ、2人の影を追い求めてしまっているんだろうか。

 あるいは、故人を偲ぶ行為としては、おかしくないものなんだろうか。

 

 近くの水道で水を汲んで、お墓周りの掃除をして、打ち水した後。

 水とお米を供えて、お線香を焚いて、花を生けて。

 

 改めて、瞼を閉じ、お墓の前で手を合わせる。

 

 

 

 今更どうしたって、2人と話をすることはできない。

 だからこれは、ただの思考でしかない。

 

 お父さん、お母さん、改めて久しぶり。

 2人の子供のホシノウィルムだよ。まだ覚えててくれてるかな。

 今日は、報告に来たんだ。

 私、無事に中央トレセンに入学して、トレーナーを得たよ。

 信頼できる、良いトレーナーだと思う。

 私を甘やかしすぎることなく、けれどいつでも心を慮ってくれる、素晴らしい人と巡り合えたよ。

 

 ちゃんとデビューして、この前弥生賞にも勝って、皐月賞への出走は確実になった。

 そう、クラシック路線の最初の1歩、皐月賞。お母さんの夢のレース。

 結果として、お母さんの夢を代わりに叶える形になったね。

 ……お母さん、私はこれで良かったのかな。

 

 皐月賞で、私はテイオーちゃんと戦う。

 テイオーちゃん。私の前世の推しで、すごく強いウマ娘。

 最初は混乱しちゃったけど、もう迷いはない。

 ホシノウィルムは勝たなきゃいけない。わかってる。大丈夫。

 必ず、勝つよ。

 だから、私のことをまだ覚えていてくれるのなら、そこから見ていてね。

 

 

 

 ……当然だけど。

 内心で行った報告に、返って来る声なんてなかった。

 

 今、私の言葉に応えてくれるのは、ただ1人だけ。

 

「トレーナー」

「どうした」

 

 気遣わし気な声。普段よりも、ずっと柔らかい声色。

 何も知らなくても、私の状態を察して、支えてくれようとするあなたに。

 

「聞いてほしいことがあります。

 ……私の、過去についてです」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ホシノウィルムというウマ娘が生まれたのは、ありふれた普通の家庭だった。

 家は北海道の片田舎、コンビニに行くだけでも20分近く走らなきゃいけないくらいのところ。

 そこに割と広めの、2階建ての一軒家を建てて、両親と私の3人で暮らしていた。

 ……まぁそこは、トレセン学園に入る時に売却したので、既に私の居場所ではなくなったんだけど。

 

 お父さんは……何の仕事をしていたかは知らないけど、かなりの高給取りらしくて、いつも仕事に飛び回っていた。

 けれど母への愛はすごくて、空いた時間があれば、母の寝るベッドに添えられた椅子に座って、たわいない話をしていたのを覚えている。

 

 お母さんは、ウマ娘。けれどウマ娘にしては珍しく、病弱でまともに走れない体だった。

 幼い頃はそうでもなかったらしくて、夢は中央に行ってクラシックレースに出ることだった、と一度だけ聞いたことがある。

 10代に入った頃から本格的に体が衰弱して、それ以降、一年あればその半分はベッドに横たわらなきゃいけない生活になったらしい。

 結局地方のトレセンに入学することもできず、競走とは縁のない一生になってしまったようだ。

 そういう人生を、母は悔やんでいた。よく「自分はウマ娘としてはどうしようもない欠陥品」だと自嘲気味に笑っていたっけ。

 ……まだ赤ん坊の私が、その愚痴を理解できるとは思わなかったんだろうね。

 

 そんな2人から生まれた私は……まぁ、転生者だということを除けば、割と普通のウマ娘。

 前世の記憶や人格を引き継いでいるとはいえ、幼い頃は普通の子供レベルの精神性だったし、相応に迷惑もかけたかな。

 お医者さんに健康に育つと予言された通り、私は母の病弱さを継ぐこともなく、両親の愛を受けてすくすくと成長していった。

 

 

 

 要は、本当に普通の家庭だった。

 多分この世界にもありふれてる、探せばいくらだって出てくるような家庭。

 

 

 

 そして、この世界にもありふれてる、探せばいくらだって出てくるような悲劇が起きる。

 

 

 

 至極当然の話だけど、人は自分の持っていないものを羨む。隣の芝は青いものだ。

 私も、自分に前世の記憶があることを煩わしく思った……それを持っていない「普通」をこそ羨んだことがあったし。

 

 で、それは如何に母親だろうと例に漏れないわけで。

 私が立ち上がってまともに走れるようになり、「早くウマ娘とレースがしたい」なんて言い出すと……。

 

 お母さんの視線と愛は、段々と歪み始めて、1年程でへし折られた。

 それからは私は、ネグレクトされたというか……お母さんの視界にはあんまり入ってなかったかな。

 

 でも、勘違いしないでほしいんだけど、私はお母さんのことが嫌いじゃなかったよ。

 悲しいし辛いとは思ったけど、これでも元大学生。

 お母さんの気持ちを推しはかることは難しくなかったし……他者のどうしようもない才能に嫉妬する気持ちは、前世でよく知ってたからね。

 理解も共感も、納得もできた。それに何より、それまで注がれてた愛は本物だった。

 だから私は、お母さんを憎むことはなかった。

 強いて言えば、かわいそうだなって思ってたかな。

 かわいそうな人だから、憎むことがなかったのかもしれない。

 

 で、お父さんはお母さんが大好きな人だったから、お母さんにかかりっきりになってしまって。

 家庭に居場所をなくした私は……恥ずかしながら、ちょっとばかし荒れた。

 

 これ、私自身誤解してたことなんだけど。

 いくら前世の知識とか人格があろうと、精神的な防御力とか感情の奔流の激しさは、年齢とか環境に依存するっぽくてさ。

 お父さんにもお母さんにも見てもらえなくなった私は、感情的な衝動のままに……今思うと、最低なことをやらかした。

 下手に知識があるからこそ、自分が責められないような小賢しい方法で、色々とやってしまった。

 今更具体的に何をやったかは語ろうとも思わないけど……幼稚園で完全に孤立して、職員さんにも嫌われたくらいのことだ。

 前世の記憶があるとか、人前で言うもんじゃないんだよ、ホントさ。私を助けようとしてくれた職員さんとは、それで完全に袂を分かってしまったし。

 

 ……結局、その原因だったお母さんは、私が小学校に入るくらいのタイミングで病死してしまったんだけどね。

 無視され始めた辺りから、ちょっとずつ体調は悪化してたし、私の存在が精神的に重荷になったんだと思う。

 遺ったのは、叶わなかった夢と、誕生日に贈られるはずだった耳飾りだけ。

 本当に申し訳ない。お母さんが不幸のままに逝去したのは、言い訳のしようもなく、私が生まれたせいだ。

 

 

 

 お母さんがいなくなって、小学校に入った私が明るくなったかと言えば、そんなこともなかった。

 田舎というのは閉じたコミュニティだ。噂が出回るのも早ければ定着するのも容易で、そしてそれは身内間で共有され続けて、ずっとずっと長続きする。

 私が最悪な子供だってことは、小学校に入った時点で全校生徒に知られていた。

 初めて登校した時にも、先生を含めて全ての人から白い目で見られた。

 完全に自業自得なんだけど、そんな中で明るくなるなんてできるわけもなく、私は前世の理性が「どうにかしないとマズい」と叫ぶのも無視して、不良街道まっしぐら。

 

 一方父は、2年間ほど、失意に沈んだ。

 父は母を支えるために平然と7桁の数字を動かしてたような人だし、そりゃあ若くして死別なんてすれば絶望するのは道理だ。

 立ち直るのには長い時間を要した。長すぎて、もう戻らないんじゃないかって思った程に。

 

 けど、ある日。

 戯れに乱入した、ウマ娘だけでやるかけっこで、私が1着を取った日。

 お父さんは急に明るくなって、私の頭を撫でてくれたんだ。

 

 その急激すぎる変化に、正直ちょっと戸惑った。

 自分の感情をコントロールできなかったり、小さなことでもショックを受けたりするけど、思考能力自体は前世譲り。

 あれだけ落ち込んでいた人間が急に明るくなったというのは、少しばかり違和感があった。

 

 けど、それ以上に。

 慰められるのが、嬉しかったんだ。

 ようやく私にも、ちゃんとした家族ができた気がしたから。

 

 お父さんは、ウマ娘とのレースに勝つたび、頭を撫でてくれた。

 その手からは熱を感じられなかったけど、それでも私は心が安らいで。

 勝てば勝つだけ、お父さんの愛情を分けてもらえる。

 だから私は……。

 ホシノウィルムは、勝たなきゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 父は、死んだ。

 交通事故だった。……とは言っても、別に轢かれたとか当て逃げされたとか、そういうドラマチックなものじゃない。

 前のトラックのこぼれた積み荷を避けようとして、死角にあった電柱に正面衝突するなんていう、どうしようもない事故。

 誰かを責めることもできず、お父さんという唯一の拠り所を失った私は……。

 

 走ることに、専念するようになった。

 

 お父さんが教えてくれたんだ。

 勝てば、認められる。勝てば、幸せになれる。

 実際、勝てば勝つほど、私に向けられた露骨な悪意は減っていった。

 隔絶した世界にいる存在に手を出そうとするヤツはいない。

 私が孤立したバ鹿から孤高のウマ娘に近づくたびに、私の周りは静かに、そして冷たくなっていった。

 

 幸せにはなれないかもしれない。それは何となく、途中で悟った。

 けれど、少なくとも、苦しみからは解放される。

 

「もっと、速くならなきゃ」

 

 そのためには、中央に行くべきだ。

 正直、前世でファンだったウマ娘たちと争うことになる可能性があるのは、少しばかり憂鬱だったけど……。

 やるしかない。

 負けないためなら、あの子たちでも、倒さなきゃ。

 

 

 

 勝てないホシノウィルムに、価値なんてないのだから。

 

 

 

 結局のところ。

 この想いこそが、ホシノウィルムの原点。

 

 ただ誰かに褒めてほしいがために、他の全てのウマ娘の夢を破る。

 ……なんともエゴイスティックで幼稚な目的だ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 両親のお墓の前で、語り終える。

 勿論、前世とか転生とか、そういう言っちゃダメなところは言わなかったけどね。

 

 本当、暗くて憂鬱で、つまらない話だ。

 隠すべきこととは思わないけど、語っても負しか生まない過去。

 

 今思い返すと、トレーナーと出会うまでの私は、だいぶ追い詰められてたんだと思う。

 自分は転生者だって強調して、能力に名前なんて付けて、現実感を自分から奪って……。

 どこか夢心地というか、地に足が付いていなかった……いや、付けていなかったような気がする。

 まるで、これは現実じゃないから辛くないとでも言うように……今世を、私が生きているこの世界を、架空のものに落とし込もうとしていた。

 

 お父さんも、お母さんも、誰も悪くなかった。自分のことで手一杯だった。

 運悪く、どうしようもなく嚙み合わなくて、私たち家族は破滅した。

 ただそれだけの話と言えば、間違いない。

 けれど、ただそれだけの話が、私にとっては……認めがたい程の傷として残っていた。

 

 ……だから、今まで誰にも、1人にさえも話したことはなかった。

 下手に触れて、傷痕を開かないように。あの時の孤独を思い出さないように。

 

 それなのに今更、こうやって話しているのは……。

 それだけ私が、トレーナーを信じて、頼りにしているってことだろう。

 この人なら、私の隣にいてくれる。頑張れば必ず褒めてくれる、って。

 

 自分の幼さに、思わず仮面の下で笑ってしまう。

 やっぱり私、この世界じゃただの中等部の女の子なんだなぁ。

 

「すみません、長々とつまらない話をしました。

 感想や同情は、結構です。ただ……トレーナーに、聞いてほしかっただけですので」

 

「そうか。……すまない、今は何を、どのような感情で言うべきかわからない」

 

 そりゃあそうでしょう。

 何となく暗い話だな、とかそういうレベルじゃないし。

 私としても、何か言われても、何て返せばいいかわかんない。

 言ったって何か変わるわけじゃない。大した反応を求めているわけでもない。

 つまるところ、これは愚痴みたいなものだ。

 聞いてもらっただけでも感謝すべきもので、それ以上を求めちゃいけない。

 

「……ただ、まぁ、そうだな」

 

 ぽすんと、頭に手が置かれる。

 お父さんとは違う、温かい手。それが、私の髪を軽く梳いた。

 

「今まで、よく頑張ってきた。

 俺は君に出会えて良かった。君から多くのことを学び、多くのものをもらった。

 俺のトレーナーとしての能力は、君以外の者ではここまで活かせなかった。

 だから、ありがとう、ホシノウィルム」

 

「っ、……ふふ。トレーナー、そういうこと、あまり他の女の子に言わない方が良いですよ」

 

 一瞬だけツンと痛んだ瞳の奥を懸命に押さえつけて、頑張って笑う。

 まったくさ、そういうセリフは気軽に言うもんじゃないっての。

 

 勘違いしちゃダメだ。

 堀野トレーナーのことはよく知ってる。

 彼は、極めて真面目な人だ。

 今この瞬間にも、口説くだとか好感度だとか、そういった浮ついたことではなく、私との関係と精神状態のことだけを考えてくれてるんだ。

 決して、決して私を惚れさせようとしてるわけじゃない。強いて言えば私が勝手にそうなりそうなだけ。

 こちとら花の中等部、そんなイケメンフェイスで甘いことを囁かれれば、勘違いの1つもしちゃいますって。

 ……いつもこうなんだから困ったものだよ。この魔性のトレーナーめ。

 

 

 

「それじゃ行くよ、お父さん、お母さん。

 次は三冠を取って、報告に来るから。……もしトレーナーがよければ、また一緒に」

 

 私がお墓の前から離れると、入れ替わるようにトレーナーが墓前で膝を折る。

 

「現在ホシノウィルムさんをお預かりしています、トレーナーの堀野です。

 お約束することはできませんが、ご息女の栄光への道を全力で支えさせていただきます。

 どうか心安らかに、ホシノウィルムさんの走りを天上よりご覧ください。

 ……それでは、次は、来年の春に」

 

 誠実にそれだけ告げて、彼は立ち上がった。

 全力で支えてくれるとか、当然のように次も付き合ってくれるつもりだとか、そういうところで少しだけ体温が上がったような気もするけど……。

 気になるのは、最後のフレーズだ。

 

「来年の春というのは、どういう意味でしょう? 菊花賞は10月ですよね?」

「おい、まさか菊花賞で全て終わるとでも思っているのか君は。

 ……あぁいや、違うか。きちんとローテーションを告げなかった俺が悪いなこれは。クラシックレースが終わってから、と思っていたが……。

 君はこれから、4月に皐月賞、5月に日本ダービー、6月に宝塚記念。そこから休養兼仕上げ直しの後、10月に菊花賞、11月にジャパンカップ、12月に有記念に出走予定だ。

 そんなわけで菊花賞を取った後、しばらくここに来る余裕はない。報告は、どれだけ早くても年明けだろう」

 

 し、知らないとこでなかなかに過密なスケジュールが組まれてる……。

 いやまぁどのレースに出るとか、私はあまりこだわりがないんだけども。

 無敗三冠以外は興味がないので、そういうのはお任せしますって最初の頃言っちゃったのも私なんだけども!

 

 ……てか、見事に有名なG1レースばっかりだな。

 真顔で淡々と告げる様からは、「君ならば当然全て勝てるだろう」みたいな信頼が見える。

 トレーナー、どんだけ私の力を信じてくれてるんだ……。ちょっと怖くなったまであるぞ。

 

 ま、いいや。

 私は、その信頼に応えよう。

 勝つために。

 ……そして、ただ1人の、私のトレーナーのために。

 

「行こうか、ホシノウィルム」

「はい」

 

 私たちは立ち上がって、そのまま自然と横並びで歩き出す。

 墓地を出て、白い雪に足跡を付け始めたところで、私は何となく口を開いた。

 

「……ところで、帰ってからの模擬レースのことなんですけど」

「もう何回も伝えたはずだが、募集結果は帰ってからしか見ることはできない。これ以上何も話せることはないぞ」

「なるほど。ではその次の模擬レースのことですが」

「俺の言語野がおかしくなっているのか、さも次回の予定が決まっているかのように聞こえるが」

「そう言っていますので」

「…………まずい、上手い返しが思いつかん」

 

 そんな軽口を叩きながら、私たちは一緒に歩いていく。

 

 不意に、楽しいな、と思った。

 契約を結んだ頃は、トレーナーと軽口を叩き合える関係になるとは思ってなかった。

 最初は仮面を覗かせないことに専念していたし、彼が割とポンコツだとわかってからも、殊更に交わされる言葉が増えることはなかった。

 だから、ネイチャとの模擬レースは……言い方は悪いけど、すごく良い口実なんだ。

 

 私だって、これでも大学生になったことのある頭を持ってる。こういう駄々が、何の生産性もないことくらいはわかってるよ。

 でも、ネイチャとレースしたいって気持ちに嘘はないし……。

 ……ついでに、それを話題にトレーナーと親しく言葉を交わせるのは、楽しい。

 だからつい、そう口に出してしまうんだ。

 

 こんなの、だる絡みでしかない。

 私は不器用なもので、そういった形でしか、トレーナーとコミュニケーションを取れないんだ。

 でも、トレーナーはいつだってそれに真正面から応えてくれる。

 面倒くさくても、馬鹿真面目に向き合ってくれる。

 

 それが、楽しいし、嬉しい。

 

 こういう時間を、幸せって言うのかな。

 だとすれば、それは思っていたより、ずいぶんと温かい。

 

 

 

 最後にちらりと、後方を振り返る。

 ざあっと、吹き抜けた風が雪に覆われた草原を揺らす。

 静かな墓地……私の心をいつも重くした光景。

 それを今日に限って、少しだけ、綺麗に感じた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 旅先から帰ってきたら、日を改めて、トレーナーと一緒にたづなさんから渡された書類をチェックする。

 公募していた、念願の模擬レースの参加者希望リストである。

 そこにはネイチャを含めて、結構な数のウマ娘の名前が並んでいた。

 

「……多いですね」

「ああ、まさかここまでとはな。選考していかねば」

 

 実のところ、今は模擬レースを行うには時期が悪いらしい。

 クラシックレースの最初の1つである皐月賞の直前だからだ。

 三冠を目指すウマ娘なら、この時期に無理に出たいとは思わないだろう。

 模擬とはいえレースはレース、手札はバレるし、脚を消耗させてしまうし、それで調子を崩すこともあるのだから。

 

 それなのにここまで参加者が集まったのは……。

 あ、ネイチャの人徳かな。ネイチャ、めちゃくちゃコミュ力あるから友達多いんだよね。

 私みたいなコミュ障は人望がないわけで、ネイチャが友達を誘ってくれた説は濃厚だ。

 

 しかしこの人数、フルゲート想定の18人で走るとしても、結構落選出ちゃうなぁ。

 ネイチャは必須として、やはり有力なウマ娘たちとレースしたいって気持ちはある。

 誰を選ぶべきか。というか選んでいいのか。

 やっぱりここはリサーチを欠かさないトレーナーと相談して……。

 

 ……ん? 今なんか、見覚えがある名前が見えたような?

 えっと、この辺りに……。

 

 は!?

 

 

 

「ツ、ツインターボ!?」

 

 

 

 ……その時点で、参加者の内の1人は決定した。

 

 

 







 しんみりした余韻をぶち壊す、大逃げウマ娘のエントリー!
 初の大逃げウマ娘同士の勝負、果たして行方はどうなるのか……。



 次回は3、4日後。トレーナー視点で、これからの指針と模擬レースの話。



(追記)
 誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。