6月も中旬に入り、ウィルの宝塚記念が近づいてきたある日のこと。
俺は河川敷の草むらに寝転がり、空を見上げていた。
「空は……遠いな」
「…………」
隣にいる男からは、何も返答はない。
戸惑ったような雰囲気だけが、穏やかな川辺の空気に乗って伝わって来るばかり。
それでも俺はめげず、感想を口にし続けた。
「底抜けに青いし、どこまでも広がってるし、改めて見るとすごく壮大」
「…………」
「というか、落ち着いて空を見上げたのなんて久々だな。ここ最近はちょっと忙しかったし」
「…………」
「あー、青い。青いなぁ。空、めっちゃ青いわ。スーパーブルー」
「……堀野君、良いお医者さん紹介しようか?」
「流石に失礼じゃない?」
隣からちょっと酷いことを言ってきたのは、俺の個人的な友人でもある、ナイスネイチャやライスシャワーと契約しているトレーナー。
彼はどことなく気づかわし気な目線をこちらに向けてきていた。
……まぁ、突然「今日時間はあるか」と誘われたからホイホイ出向いたら河川敷に連れ出され、こうしてぼんやりと空を眺めて時間を過ごしてるんだ。
仮に俺でも、事情を知らなければ「大丈夫かコイツ?」となるだろうけども。
しかし、これも担当ウマ娘のため……。狂人とは言うまいな。
ネイチャたちのトレーナーはため息1つ、ちょっと咎めるような視線を向けて来る。
「まぁ流石に今のは冗談だけど……本当にどうしたの堀野君? 仕事は?」
「終わらせてきた」
「あ、仕事って終わるものだったんだ……」
一転変わって虚ろな目。
あぁ、やっぱりコイツの陣営も、この春は大変だったんだろうなぁと感じさせるね。
トレーナーにとって、春と秋は超の付く繁忙期。
クラシックレースに出るようなG1級の子、特に人気が上位に上がって来る子と契約しているトレーナーにとって、その期間は睡眠すらままならない激務の日々となる。俗に言うデスマーチだ。
コイツは春は休養していたネイチャと同時、今年のクラシックレースでミホノブルボンに対する対抗バ的ポジションだったライスシャワーと契約していた。
つまりは、日本でもトップクラスに視線を集めたウマ娘を育てていたんだ。
そりゃあもう、仕事とトレーニングに追い回される悪夢のような毎日だったはず。ソースは去年の俺。
ただ、コイツの陣営の春のレースは、先日の日本ダービーで終わりだったはず。
6月に入った今、ある程度仕事も落ち着いたのではないかと思い、今日これに誘ったわけだが……。
「もしや、忙しかったか。時間をもらったのは悪かったかな」
「いや、そこは大丈夫、ちょっとは落ち着いてるから。昨日もちゃんと眠れたし」
「おぉ、眠れるのは良いことだな」
「本当にね……」
眠れているにしては、だいぶげっそりとした顔で頷いているのが……。
まぁ、眠れない日が続くとちょっと気落ちするのはわからなくもない。これもソースは去年の俺。
ちょっと雰囲気が重くなったことを察したか、彼は改めて言ってくる。
「で、今日はどうしたの? 流石にここで寝るのが本題ってわけじゃないんでしょ?」
「そうだな、流石にそんなセイウンスカイみたいなことをするわけじゃない」
「あの子そんなこと言うの……?」
まぁ、うん。
あくまで前世アプリでの印象だけど、トレーニング抜け出して河川敷で寝転がりながら、隣をポンポン叩いて「トレーナーさ~ん、ここ、空いてますよ~?」とか言ってきそうだよね。
そういう小悪魔……というか気ままな猫みたいなところも彼女の魅力なわけだが、それはともかく。
言われた通り、そろそろ本題に入ろうか。
* * *
俺は続けて空を見上げながら話を始める。
「改めて、来てくれて感謝する。実は情けないことに、1つわからないことがあってな。俺以外の視点の意見を聞いてみたいと思ったわけだ」
「わからないこと……?」
おいなんだその「堀野君にわからないこととかあるの?」みたいな目。
そりゃあ俺にだってわからないことはある。
……というか、中央に来てからは学ぶことだらけの新鮮な日々を送ってるくらいだ。
彼は眉をひそめていたが、すぐに軽く頭を振り、胸に手を当て安心させるように笑った。
「わかった。僕なんかで力になれるかはわからないけど、謹んで相談に乗らせていただくよ」
「いや、そんな仰々しいものじゃないんだが」
まぁ、せっかくならきちんと相談に乗ってくれた方が嬉しいに決まってる。
状況を利用するようで申し訳ないが、今は彼の生真面目さを頼りにさせてもらおう。
そう思いながら、俺は改めて空を見上げる。
今日は梅雨には珍しい晴天で、まばらに散る白色より青色の割合が多いくらいだ。
気持ちの良い天気だな、とは思うが……。
俺には、それ以上の何かを見いだせない。
だからこそ、他の視点が必要なわけだが。
「話は、ハッピーミークのことだ」
「ああ、彼女の。宝塚記念のライバルだもんね」
そう、ウィルにとってライバルとなる、そして恐らくは脅威となり得るウマ娘、ハッピーミーク。
前世アプリに続いて、彼女は再び、俺の前に立ち塞がって来た。
まぁ、勝負の舞台はURAファイナルズではなく、宝塚記念に変わったわけだが……。
俺にとって宝塚記念は、ウィルの魅力に本当の意味で気付くことのできた、そして本当の意味で彼女のトレーナーになり始めた、特別なレース。
やっぱり彼女は要所で立ちはだかるライバル、といった感じがするね。
さて、そんな彼女に打ち勝つため、俺は調査と対策を開始したわけだが……。
「端的に言えば、ハッピーミークのことがわからないんだ」
「わからない……か」
俺には、ハッピーミークがわからなかった。
いや、勿論、わかっていることはある。
ハッピーミーク。現在高等部2年、綺麗な白毛とどこかぼんやりとした独特な雰囲気が特徴的な、前世アプリではライバルキャラ的立ち位置だった
得意脚質は先行と差しだが、距離とバ場に関しては短距離から長距離、芝にダートと何でも行けるとんでもなく万能な脚を持つ。
そしてこの世界では幅広い距離適性を最大限に活用し、瞬発力が求められる短距離から高いスタミナが求められる長距離まで、それぞれの距離でG1タイトルを1つずつ保有している、と。
これだけだ。
俺はこれ以上に、彼女のことを知らない。
……知れない、と言った方が正しいかもしれないが。
横にいる友人に、尋ねる。
「ハッピーミークはどんな走りをするウマ娘だ?」
「え?」
「積極的か消極的か、レースを支配するか自分の強みを押し付けるか、前めに付けるか慎重にいくか。どんな走りをするウマ娘なのか、具体的に言えるか?」
「それは……」
言いかけた彼の口は、緩やかに止まる。
コイツはネイチャのトレーナー、去年の有馬記念でハッピーミークと走ることになった際、その能力を測ったはずだ。
しかし……恐らく俺と同じように、答えは出なかったのだろう。
だから今も、彼は明確な答えを返せないでいる。
ただ、それは決して責められるべき瑕疵ではない。
仮にも堀野の薫陶を受けた俺ですら、彼女の走りを分析できなかったんだ。一般家庭の出で同期の彼がそれを見出せないのも無理はない。
俺は上体を起こして視線を空から川に移し、半ば独り言のように言う。
「ハッピーミークの走りは、変幻自在だ。
先頭や最後尾に立つことこそないが、それ以外は文字通り『何でも』する。
番手に付けた積極的な先行策、自身の強さを活かした好位抜け出し、展開を見る中団からの差し切り、そして最後尾近くからのジリジリとした追い上げ……どの戦術を取って来るかはレースによって異なる。
更に、全ての距離を走ることのできる瞬発力とスタミナを持っているからこそ、どの距離から仕掛けてくるかも読めない。
結果的に、彼女の走りを読むことは、不可能と言っても過言じゃない」
世界には様々な考え方の人とウマ娘がいるが、そのほとんどに共通する点がある。
それは、何事においてもその人にとって最適の手段や方法、やり方を選ぶということだ。
レースにおいてもこれは例外ではない。
多くのウマ娘たちは、彼女たちの気性と能力に基づいた、最適の走りを選ぶ。
ウィルならば、バ群から影響を受けず、他の子の調子を乱しながら自分の強さを押し付けられる大逃げ。
ブルボンならば、他のウマ娘を考慮しない自らの最適ペースでのラップ走。
ネイチャならば、レースの展開自体をコントロールし最も有利な状態を作るレースメイク。
ライスならば、他のことを気にせず1人を追いかけ続ける徹底マーク。
そこには確かに、ステータスや適性に基づく法則性があった。
故に、彼女たちの能力を可視化できる俺は、その気性や性格さえ掴めれば、レースの展開や結果の予測を比較的容易にこなすことができるわけだ。
……ただ、これには一部例外がある。
それは「自分の思う最適解」ではなく、直感的に選んだ「本来は情報を持たないが故に選びえない、本当の最適解」を選んでくるトウカイテイオーだったり……。
取り得る戦術の幅の広さ故に最適解を絞り切れない、ハッピーミークだったりするわけだ。
「彼女の戦術は多彩で、ただ実力を測るだけではどう出てくるか予想し辛い。
故に、実力と同時、彼女個人の性格を分析しようと考えた。その結果……」
「……え、もしかして、プロファイリングしてるの?」
「もどき、だけどな」
プロファイリングとは、犯罪心理学を元にした調査手法。
現場に残ったデータを元に、犯罪者の人物像や心理状態を特定するというものだ。
何故その行動を取ったのか。何故その結果が残ったのか。
そしてそれらは、犯人がどのような心理状態であれば起こり得るのか。
その心理状態になるためには、どのような過去があるべきなのか。
徹底したデータと計算の連続により、仮説を証明するようにその人間性を割り出すという、比較的俺向けな調査のやり方だ。
……とはいえ、当然ながらハッピーミークは別に犯罪者でも何でもない。
むしろウィルから話を聞くに、かなり善性の強い聖人……聖バ? である。
なので今回の場合、プロファイリングって言葉は犯罪の調査手法ではなく、単に「相手の言動や状況から心理状態を推し量る」という意味で使っているわけだが。
「ハッピーミークには、空を見上げて物思いに浸るという癖があるらしい。そして同室のウィル曰く、特に好きなのは青空とのことだ」
「青空かぁ……あ、だから今日なんだ」
「久々に晴れたからな。彼女を真似て、その行動の意図を量るチャンスだった」
……ただ、結局、彼女の心理状態は掴めないままだ。
空を見上げても、俺にはそれは、ただの青空としか思えない。
それは俺の価値観から既に幼児性が抜けてしまっているからか、あるいはハッピーミークの価値観が特殊だからか、そもそも俺と彼女では世界観が大きく違うのか……。
未だそれすらもわかっていない状態だ。
俺が微妙な顔で空を見上げると、釣られたように隣の彼も空を見上げ、差し込んだ日光に思わずといった感じで手をかざした。
「青空を見て何を思うか、かぁ。
一般的に思うのは、解放感とか爽快感だよね。あまり悪いイメージは湧かないんじゃないかな」
「そうだな。青空が好きらしいし、悪い印象を抱いてはいないんじゃないかと思う。勿論何かしらの強迫観念によって嫌いなものを見ている可能性はあるが、無視していいレベルだろう」
「で、その『良い印象』の中身がわからないと」
「ああ。彼女が何故空を見上げるのが好きなのか。青空の何が好きなのかがわからない。
……まぁ、それがわかったところで、彼女の走り方が理解できるようになるとも限らないんだが」
情けない話だが、ハッピーミークへの対策は、割と万策尽きている。
俺なりに色々と試みてはいるものの、策を絞り込めないことにはレースの作戦が立てられず、作戦が立てられないことにはウィルに適切なトレーニングを付けることもできない。
ある意味で、ハッピーミークは俺にとって相性の悪いウマ娘だ、ということだろう。
俺の相棒であるウィルにそれを告げれば、「そういう時は私に任せてください!」とふんすふんすしながら言ってくれるだろうが……。
それは極力避けたい未来だった。
テイオーに続いてハッピーミーク対策までウィルに依存するとなると、もはやこの春、俺がウィルにしてやれたことは何もなかった、ということになる。
一方的に支えられる関係など、とてもじゃないがパートナーとは言えないだろう。
俺は彼女のトレーナーとして、彼女のパートナーとして、相応しくなりたい。
故になんとか彼女への対策を立てようと、藁にも縋る思いでこうして空を見上げているのだが……。
やっぱわかんないな、どうしようかなこれ。
というかそもそも俺、あんまり人の心理状態には強くないんだよね。その辺は兄と妹に大きく出遅れちゃってる感じだし。
途方に暮れていると、ふと思いついたというように、ネイチャのトレーナーが言った。
「青空とは言ったけど、今日は結構雲あるよね。ハッピーミークが好きなのって、どれくらいの青空なんだろう」
「どれくらいの……」
「晴れと曇り、青と白の割合の話。青空って言っても多少雲があった方が映えて良いって人もいるだろうし、逆に雲1つない状態が好きって人もいそうじゃない?
ハッピーミークが好きなのはどんな青空なんだろうって思ってさ」
「ん……」
申し訳ないけれど、その言葉は、半分程しか俺の耳には入ってこなかった。
それ以上に、彼の言葉の一部が、脳内に引っかかったからだ。
青と白。
その言葉を聞いて、なんとなく、何かが繋がった気がした。
ハッピーミークの髪や勝負服のカラーは、白。
そして彼女が好きだったはずの水族館のカラーは……一般的に言えば、青だろう。
空模様の色合いと、彼女に纏わる2点が一致している。
これらの色合いの合致は、偶然の産物なんだろうか。
前世アプリを考えれば、キャラクターのメインカラーを統一しただけ、という見方もできるが……。
ここは、俺の生きる現実は、アプリゲームの世界ではない。
何かしらの意味があっても、おかしくはない……か?
仮にそうだとすれば、それは何を意味しているのか。
青と白。それらの二色は彼女にとって何を象徴している?
青は空と水族館。
彼女が好きなもの。遠い空、ガラスを隔てた水の中。
共通するイメージは、非日常や非現実感。遠くて綺麗な理想の世界とか、そんな感じだろうか。
白は勝負服、雲。
勝負服はそのウマ娘のイメージ。そして雲は空への視覚を妨げるものでもある。
となると、これは自身と、現実的な障害。理想へと至れない、それを妨げている……自身の限界、とか?
……これは、ただの思い付きだ。
まだ仮説の段階にも入れていない、妄想レベルのたわごとに過ぎない。
けれど、だとすれば、そう。
彼女の根底にあるのは……。
「憧憬、か……?」
「堀野君?」
声をかけられて、ようやく自分が物思いにふけっていたことに気付く。
人を付き合わせておきながらぼんやりするとか、失礼にも程がある。以後は気を付けないと。
……でも、ひとまず着想をくれた彼には感謝せねばな。
「ありがとう、ちょっと見えたかもしれない」
「見えたって、何が?」
「ハッピーミークっていうウマ娘のことが、少しだけ」
勿論、この仮説が正しい確証など、どこにもありはしない。
1人になったタイミングでじっくりと思考を進める必要があるだろう。
けれど……うん。
最初のとっかかりくらいは、掴めた気がする。
* * *
この気付きを大事にしないと、と頭に刻み込んでいると……。
横のネイチャのトレーナーが、改めてという感じで声をかけてきた。
「取り敢えず、光明が見出せたなら何よりだよ。
……ところで、僕も君に会ったら聞きたいことがあったんだけど、いいかな」
「ああ、構わない。今日わざわざ来てもらった恩もある、大抵のことには答えよう」
この男は優男の雰囲気を出しているが、これでなかなか抜け目ないところがある。
自分の担当を支え、勝たせるためならば、多少自分が顰蹙を買うようなことも厭わずずけずけと要求を出して来るんだ。
貸しを1つ作ろうものなら、1年後にニコニコ笑顔で「それじゃ利息分まで含めてキッチリ返してね? 大丈夫、ただちょっと教えて欲しいこととやってほしいことがあるだけだから」と言ってくるようなタイプである。
まぁ、それでも通すべき筋は通すし、何より全ては己の担当のための行動。
個人的な好悪で言えば、好感を覚えこそすれ、とても不快には思えない男なんだが。
そして俺は今日、そんな男だと分かった上で彼に頼ったんだ。
当然、対価を要求されるのも織り込み済みだし、ウィルやブルボンのトレーニングの支障にならない範囲でなら、それに応えようと思っていた。
……しかし。
どんな無茶ぶりが飛んでくるかと身構える俺の予想に反し、彼は苦笑いを浮かべた。
「いや、今回はそういうのじゃなくてさ……ああいや、僕に利益がないわけじゃないんだけど、どちらかと言えば堀野君の考えを聞いて参考にしたいな、と」
「考え? いいけど、何のことだ?」
ネイチャやライスの秋のレースだろうか。
しかし、その辺りに別陣営である俺が意見を出すのはちょっとな……。
思考の先走った俺に対し、彼は自身のスマホを取り出して何度かタップし、こちらに見せて来る。
そこに表示されていたのは、とあるレース映像。
ただし、そこに表示されている文字も、飛び交う歓声も、どちらも日本のものじゃない。
そして俺は、その映像を、何度もこの目で見ていた。
つい先日行われた海外のG1レース、その名も……。
「オークスステークス……俗に、英オークス」
「やっぱり堀野君も見てたんだ」
「当然だ、海外の主要なグレードレースは見ているさ」
「え、全部?」
「少なくとも映像が上がっているものは全部だな」
なにせ、今年はウィルが凱旋門賞に出走予定なんだ。事前のリサーチを欠かすのは愚の骨頂。G1レースなんて見逃そうものならとんでもない失態だ。
そんなわけで、今話題に上がった、イギリスで競われたオークスにも当然目を通していた。
エプソムレース場、11ハロン106ヤード……おおよそ2300メートル。
このレースを制したのは、3番人気のウマ娘。
オークスに出るからには、前世世界では牝馬だったのだろう。比較的小柄な体格で、左耳には連結した3つの白いティアラ型の耳飾りを着けている。
特徴的なクセのある金髪の上には、一筋の綺麗な流星。
余裕と自信に満ちた金の瞳は、レース中、ただゴールだけを見つめていた。
彼女は逃げウマ娘に次ぐ番手でレースを進め、最終コーナーから加速して先頭に抜け出し。
そこから追走してくる1番人気のウマ娘と競い……残り1ハロン、つまりは200メートルで更に加速、一気に3バ身半も引き離してこのG1レースを制している。
しかも、何が恐ろしいって、2着と3着の差だ。
この子に付いて行けたのは、1番人気だったウマ娘ただ1人のみ。
他のウマ娘たちはものの見事にそのスタミナを枯らし尽くし、2着の子から3着の子までには20バ身もの差が広がっている。
それこそエルコンドルパサーとモンジューによる凱旋門賞の時のように、1着と2着の子のみのマッチレース。
しかもその差は、G1レースとしてはあまりにも大きなものだった。
正直なところ、今年の英オークスにはこれといった強烈な実力者こそいなかったが……。
それを考慮してもなお、G1級のウマ娘を大きく千切るこれは、かなり強い勝ち方と言えるだろう。
なにせ、ウィルのダービーでも大概テイオーから後ろの子には差が付いていたが、それでも20バ身も離れてはいなかった。
日本と西洋の環境の違いもあるし、早熟具合でウィルを越えているとまでは思わないが、それでも間違いなく稀代の怪物。
歴史的な優駿の卵……いいや、雛と言っていいだろうな。
それを俺がわかっていると確認した上で、彼は聞いてくる。
「どう思う、これ?」
「どう、とは?」
「その後のインタビュー見ても、どう見てもホシノウィルムを意識した走りでしょ、これ」
逃げと先行という脚質、そしてレースの規模の違いはあるが、終盤に伸びてきた他のウマ娘と競り合い、そして最後の最後で再点火し差し切る……。
その点において、確かに彼女の走りはウィルを想起させた。
そして何より、インタビューで彼女が語った……というか、言い放った言葉。
『
「竜」とは、灰の龍とも呼ばれているホシノウィルムのことだろう。
なにせ、今世界で最も有名な竜と言えば、ホシノウィルムに他ならないし。
まぁ細かいことを言うと竜じゃなくて龍、ドラゴンじゃなくてウィルム。この辺はウィル検定5級のイージー問題なので是非とも覚えて帰ってほしいんだが……。
それはともかく。
まさか、あそこまで直球にウィルのことを意識し、そして煽って来るとは。
何かの勘違いかと思い、そのウマ娘のことを調べれば、出るわ出るわ。
デビュー以来、彼女はインタビューを受けるたび、ウィルのことや日本のレースについて語っている。
語りまくっている。語りすぎている。
今日のレースのことを聞かれれば、ウィルのラップタイムを並べて語り。
印象に残るレースを聞かれれば、ウィルの天皇賞(春)の走りの素晴らしさを語り。
意識しているライバルを聞かれれば、当然という顔でウィルのデビューからの来歴を語る。
とんでもないファンもいたものだ。
いやもうファンというか、あの執着っぷりはもはやストーカーのそれに近いかもしれないけれども。
そんな彼女が、自分こそが竜を打ち倒す者だと言ったんだ。
アレは「自分こそが競走ウマ娘ホシノウィルムを打倒するんだ」という意志表明だろう。
デビュー時には「6月から毎月G1レースを征して凱旋門賞に出走する」なんて無理難題を語り、会場の空気を終わらせた……なんて話もあったんだが。
実際、あのレース結果を見れば、少なくとも世代最強級という評価は決して不当なものではあるまい。
毎月G1を征するという話もあながち冗談ではなくなってきたし、凱旋門賞への出走もやにわに現実味を帯び始めた、といったところか。
……普通、デビューして数か月ですることじゃないんだけどな、両方ともに。
で。
そんなウマ娘に、名指しで挑戦状を叩きつけられた感想としては……。
「別に、大して何も思いはしないよ」
自分でも驚いたことに、無感動だった。
いや、無感動とは違うか? 「面白いことをしてくれるな」とは思ったわけだし。
この感情、何と言い表すのが妥当だろうな……。
言うなれば、それこそテイオーやネイチャと競うことになった時と同じ、来たる強敵との戦いに備えなければという、静かなやる気が湧いてきているというか。
そんな俺の落ち着きを不思議に思ったか、ネイチャたちのトレーナーは片眉を吊り上げた。
「へえ……僕が見た感じ、あの子はかなりの脅威に見えたんだけどね。そんな子に挑発されて、何も思うところはない、と?」
「先に言っておくと、脅威であることは認めるよ」
実際、デビューしてから1か月強で、G1タイトルであんな強い勝ち方をしているんだ。
その才気は、それこそトウカイテイオーと並ぶか……あるいは、それ以上なのかもしれない。
先日テイオーの直感した、「ウィルが火を点けてしまった海外のウマ娘」。
その中でも、彼女はおおよそ最高峰の素質を持つ子なんだろう。
俺の知識も直感も、そして「アプリ転生」も……その全てが「彼女こそが凱旋門賞における最大の脅威足り得る」と告げている。
……が、それでも。
ぼんやりと空を見上げながら、俺は心の中にある想いを口にした。
「俺は、俺の能力を信じない。つまらないミスは勿論、根本的な方針の間違いだってあったからだ。
どう足掻いたって俺は、完璧で間違いのない存在にはなれない」
「それは誰だってそうだよ」
「だろうな。でも、誰かができないことは、自分もできないことの言い訳にはならない。
究極的には、全てをできるべきなんだ。俺たちウマ娘のトレーナーは」
俺たちトレーナーの肩には、全てがかかっている。
1人の少女の限りある人生も、1人のアスリートの不確定な行く末も、数えきれないファンたちの熱烈な期待も……。
あるいは、日本におけるレース興行の発展や、その先の未来さえも。
その全てが、俺たちの双肩にかかっている。
故に、ウマ娘のトレーナーであれば、その事実を正しく自覚し、背負わねばならないのだと思う。
それを忘れ、失敗することは、決して許されないのだから。
「……だから、俺は俺を信じない。いつか自分が失敗する可能性がある以上、そして失敗してしまった過去がある以上、信じるわけにはいかない」
「なんというか……本当に自分に厳しいね、堀野君は」
「無能なりの方法論だよ」
俺はウィルのように要領が良くない。
だからこそ、常に自らの失敗に備える必要がある。それだけだ。
……ただし。
それは、俺1人の場合に限るわけだが。
「とは言っても、そんな俺でも信じられるものはある。
ウィルと俺で作り上げた、この世界に唯一無二の『競走ウマ娘ホシノウィルムの走り』……それだけは、ベストに近いものだと信じられる。
だから、俺とウィルの2人でなら、負けることはない。たとえ相手がとてつもない大器であろうと、不利なフィールドであろうと、世界を相手取ろうと……変わらずな」
俺はそう言い、横にいる男の方に視線を向ける。
そして、少し驚いたような表情の友人に向けて、ニヤリと、わざとらしい程に笑顔を浮かべた。
「だから、ナイスネイチャにもライスシャワーにも、負けてはやらないぞ。
俺はあの子をもっと強くする。もう二度と、誰にも負けないくらいに」
ぱちくりと、その目を瞬かせていた彼は……。
……ゆっくりと、その表情を笑顔に変えた。
これまでに見たことのない、覇気のある笑顔に。
「なんだか今、ようやく君と同じ土俵に上がれた気がするよ。
上等だ。ネイチャとライスのトレーナーとして、1人の男として、その挑戦受けて立つ」
その言葉の大半は、頷けるものだったんだけど……。
一応、これだけは言っておくか。
「……いや、別に男とか女とかは関係ないが。ジェンダーフリーな世界だし」
「いやそういうんじゃなくてね!? ただのノリみたいなのだからねこれは、決してそういう差別的意図のある発言じゃないから!!」
「G1で1着から3着までが23バ身差www作者流石に盛りすぎだろwww」と思われるかもしれませんが、自分は一切盛ってません。海外だと稀にあるヤツなので……。
これだけは真実をお伝えしたかった。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、宝塚記念に向けての話。
(追記)
誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!